第二十一話-3
次の日、俺が目を覚ますとシュタリオンの王宮内は大騒ぎとなっていた。どうしたのかと慌てる侍従に尋ねてみたら庭に人だかりができているという事だった。追い打ちをかけるようにインフィニティから声がかかる。
『ゼロスペースにいるはずのスレイプニルの姿がありません』
いやな予感がした俺は慌てて庭に走っていった。庭には見知った顔の衛兵や侍従たちが困惑した顔つきで群がっていた。その表情には少なからず怯えの色が見えた。
頼むから俺の予想通りであってくれるなよ。人だかりを潜り抜けて中心までたどり着いた俺は天を仰いだ。昨日、俺の下に来たスレイプニルが寝そべってリンゴやニンジンといった果物を食べていたからである。餌を与えていたシェーラが俺の姿を見つけるなり、苦笑いした。
「おはようございます。ハル」
「お、おはよう。シェーラ」
笑顔ではあったが、状況を説明するように瞳が物語っている。どういう事なんだ。スレイプニルはゼロスペース内にいるように伝えたはずだ。困惑する俺にスレイプニルが何事かを嘶いた。残念ながら馬の言語は分からない。そんな俺の代わりにインフィニティが語りかけてきた。
『あんな殺風景なところは嫌なので外に出てうろついていたら親切な人たちが餌をくれたといっています』
「言葉が分かるんだな、インフィニティ」
『なんでもできる鑑定スキルですから』
暴れ出さなくて本当に良かった。内心でそう思いながらも俺は皆に昨日のことを説明し、この馬は自分の所有物であることを伝えた。
「ああ、何だ。いつものことでしたか」
「晴彦様が関わっているのであれば仕方がないですね」
騒動の原因が俺であることを知った城の人々は納得した顔で解散していった。最近、なんだか城の人たちが俺の仕出かす騒動に慣れてきてしまった気がして頭が痛い。城の人々が居なくなってから俺はスレイプニルに語り掛けた。
「勝手に出たら駄目だぞ。城の人たちにはお前のことはまだ伝えてなかったんだから」
そう語りかけると馬は静かに嘶いた。
『悪いとは思ったので出ていいかと声をかけたけど、オーディン様が寝ていて返事がなかったので勝手に出てきてしまった。ごめんなさい、と言っています』
あれ。スレイプニルの方は俺の言葉を理解しているな。馬のヒアリング能力の方が俺より上という事なのだろうか。引っ掛かりはしたものの敢えて深く考えないことにした。
ちなみにスレイプニルが俺のことをオーディン様と呼ぶのには理由がある。彼は完全に俺のことを某大神と人違いしているのである。俺が幾ら別人であるといっても、スレイプニルはグングニルを扱えるのはオーディン様しかいないと言い張ったために根負けしたのである。この馬、胴体こそデカいものの、どこか寂しがりの子供のようなところがあるんだよな。
俺はスレイプニルの背を撫でながらもシェーラに謝った。
「ごめんな。昨日の夜に仲間にしたやつなんだ。朝起きたら説明しようとは思ったんだけど」
「もう慣れましたよ。ハルの起こす騒動には」
あまり慣れてほしくはないものだ。シェーラは慣れた手つきで掌にニンジンを置くとスレイプニルに差し出した。スレイプニルはそれを嬉しそうに貪った。
「怖くないの」
「大丈夫ですよ。凄く頭のいい子ですから」
「馬の扱い、慣れてるんだね」
「侍従と共に城で飼っている子たちの面倒をよく見ていましたから」
王族とはいえ、臣下の人間と分け隔てなく付き合ってきたという事なのだろうな。シェーラが城の人間達に慕われているのはそういった点が評価されているからかもしれない。
ニンジンを食べ終わったスレイプニルは俺に何事かを語り掛けた。
『久しぶりにオーディン様を背に乗せて走りたい、といっています』
ふむ。そういう事であればお付き合いしよう。俺は立ち上がったスレイプニルの背に跨るとスレイプニルは一声高く嘶いた後に空に向かって走り出した。
凄まじく重量体であるにも関わらず、凄まじく速い。流石は神の馬というだけある。調子に乗った俺はスレイプニルにもっと早く走れるかと尋ねた。了承の返事代わりにスピードが上がった。この速度は雷神覚醒した俺の速度に匹敵する。しかも更に速度が上がっていくではないか。気づくと海を越え、山岳地帯を抜ける頃には眼下の景色が変わっていた。見慣れない景色だが、ここはどこなのだろうか。
『マスター!ここは帝国領です』
おいおい、敵の本陣に来てしまっているではないか。何やら目立つ建物の周囲に街が広がっているが、まさかあれは帝国の首都ではないだろうな。
『そのまさかのようです』
スレイプニル。恐ろしい子。いきなり領空侵犯を侵して敵の本土に乗り込んでいるじゃないか。確か、帝国の国境には魔法による防御壁が張られていて進軍しない限りは入り込むことができないと思っていたのだが、この馬は結界を潜り抜ける力があるということか。
絶句した俺は下に見える帝国の首都を見た。どうするべきか。躊躇いながらも興味がわいた俺は敵情視察を兼ねて帝国の街の中に潜り込むことにした。




