第二十一話-2
ヒヒイロカネを加工するのに足りないのは熱ではないか。そう思った俺はヒヒイロカネを熱することにした。まずは魔力に反応して温度変化していく炉を作成して中にヒヒイロカネを入れた。そして魔力を籠めていく。だが、いくら熱してもヒヒイロカネは色が変わるどころか変化ひとつしなかった。推定温度が2000℃を超えたところで炉の方が壊れそうになったので諦めざるを得なかった。ある程度は予想していたことだが、ヒヒイロカネの方は変化ひとつなかった。生半可な熱や魔力ではびくともしないということか。
城にあった文献にはヒヒイロカネで作った茶釜は熱伝導率がよく、数枚の木の葉程度の燃料で茶を沸かすことができたというが眉唾物であることが実証された。何にしても情報が足りない。そう思った俺は腹が減っていることに気づいて何か食いに行くことにした。
朝に籠ったはずだったが外に出ると夕方になっていた。台所で何か貰って来ようと廊下を歩いているとシェーラに声をかけられた。
「探しましたよ、ハル。どこに行っていたんですか」
「魔女王様から貰ったヒヒイロカネのインゴットを工房で加工しようとしていたんだけど行き詰まってね。腹減ったから出てきたんだ」
「これからお父様と食事にしようと話をしていたんです。一緒にどうですか」
シェーラの提案に俺は頷いてお相伴に預かることにした。
一時は衰弱しきっていた王はシェーラの献身的な看護で日常生活ができるくらいには回復した。食欲もあって最近はシェーラと共に食事をすることも多い。娘であるシェーラにとっては元気になった父と食事ができることが嬉しいようだ。
その日の夕食はポタージュスープ、ローストビーフ、新鮮な魚介を使ったテリーヌ、チーズの盛り合わせ、ふわふわのパン、そしてメインディッシュはシェフお勧めの子羊のソテーのアップルソースがけであった。味付けも申し分なく、ワインを片手に歓談しながら美味しく食べていた。だが、付け合わせのジャガイモを食べていたシェーラがポツリと言った。
「塩もいいですが、マヨネーズが欲しいところですね」
「シェーラも日本での生活が長かったせいで日本人みたいな味覚になったな」
思わず俺は苦笑いしながらツッコミを入れた。俺と彼女のやり取りを見ていたシュタリオン王が興味深そうに尋ねた。
「なんだね、そのマヨネーズというのは」
「卵と酢と油を混ぜて作る調味料です。単純ながら後引く味で様々な料理に使われます。人によってはなんにでもかける人もいますね」
「ほう、興味深い話だ」
異世界人の俺にとっては何でもないことであっても、シュタリオン王はこのように深堀して聞くことが多い。というのも俺の知識を下に作り出した品が交易を活性化させることにも繋がるからだ。俺のような若輩の声にも耳を傾ける辺り、この王の人間としての器は大きい。そういうところを俺は尊敬しているのだ。
最初はマヨネーズの話だったが、次第に俺が苦労しているヒヒイロカネの加工の話に移ると王から興味深い話を聞けた。
「ヒヒイロカネか。私も力になれないが、加工を行えそうな者にならば心当たりがある」
「心当たりですか」
「ああ、生粋の鍛冶の技術者集団であるドワーフ達であればヒヒイロカネを加工することもできるかもしれん。だが、ドワーフは帝国からの迫害を嫌って地下深くに棲むようになった。今となってはどこに住んでいるかも分からないな」
なるほど、ドワーフの行方を捜すことがヒヒイロカネの加工するヒントに繋がるかもしれない。俺は心の中でドワーフ達を探すことに決めた。
◇◆◇◆◇◆◇
事件が起きたのはその日の夜のことだった。寝室で寝ていた俺は異様な気配に飛び起きた。何者かが空間を湾曲させて城の近くに現れようとしている。不穏なものを感じた俺は身支度を整えた後に城から飛び出して気配がする方に向かった。
気配がしてきたのは城の近くにある森だった。かつては帝国兵との戦いを繰り広げた場所でもある。その森の中で異様な気配は膨れ上がろうとしていた。渦のような空間の歪みから現れたのは一頭の黒馬だった。人目見て単なる馬ではないことを理解した。単なる馬にしてはデカすぎるのだ。人を踏みつぶせるくらい大きい馬だ。馬は一声嘶くと俺目掛けて走ってきた。障害物の木々を踏みつぶして迫る様は異様な迫力があった。おい、怖すぎるだろう。そう思った俺は横に飛びのいて馬を避けた。勢いが止まらなかった馬はそのまま前進して嫌というほど木を倒した後に振り返った。こいつ、明らかに俺を狙っている。このまま逃げたとしても追ってくるのではないか。そう思った俺は馬を捕まえようと気持ちを切り替えた。宙を浮けば追ってはこれまい。
上空から捕まえる算段を立ててくれよう。そう思って森の上空に浮遊した俺は次の瞬間に言葉を失った。何と馬も空を駆けてきたのである。蹄の下に何らかの魔法陣を出現させて、それを足場にしている。
この馬、一体何者なんだ。
身の危険を感じた俺が武器を呼び出そうとする前にグングニルが俺の前に現れる。まだ呼んでいないのにどうしたのだ、この槍は。何が起きているのか分からず戸惑う俺に対してグングニルは勝手に馬に向かって飛翔していった。だが、槍は馬に襲い掛かることはなかった。馬も抵抗することもなく、近づいた槍に対して愛おしそうにすり寄っている。それだけではなく、目に涙を浮かべているではないか。まるで槍が自分の主人であるかのようだ。
「いったい何が起きているんだ」
『あの馬はスレイプニル。大神オーディンに使える神の馬です。おそらくは主人を追ってこの次元に辿り着いたのでしょう』
脳内に響くのは放心から回復したインフィニティの声だった。彼女のアドバイスで馬が敵ではなさそうだと察した俺は恐る恐る馬に近づいて槍を手にした。馬は暫し瞬いた後に俺の手にすり寄ってきた。まるで自分を主人と思っているようだった。
『グングニルを扱うマスターを主人と認識しているようです』
「こいつ、ずっと自分の主人を探してきたのか」
そう思うと健気な馬なんだな。そう思った俺はスレイプニルを飼うことに決めた。スレイプニルの眼を見た後に俺はその背に跨った。スレイプニルは先ほどの暴れようからは想像もできないほど、大人しく俺のことを受け入れてくれた。素晴らしく巨大な軍馬を手に入れた瞬間だった。




