第二十話-14
ユーフィリア魔導王国の王宮は街の中央にある。国の外側に多重の魔導結界が張られており、長い歴史の中で外敵に襲われることはなかった。ゆえに城は無骨とは無縁の優雅な姿をしていた。城を囲むように城の四方には川が流れており、城にたどり着くには橋のような作りをした通路を通る必要があった。その通路の中央に奇妙な生き物たちが大量に発生していた。城門を守る衛兵たちがそれに気づいた時には奇妙な生き物達は通路の先にある城門に向かって凄まじい勢いで押し寄せようとしていた。
白い兎。そうとしか形容できない生き物たちがぴょんぴょんという音をさせて跳ねながら迫りつつあった。見間違えでなければその数は近づけば近づくほど増えているように見える。
「なんだ、あの兎の群れは」
凄まじい数の兎がこちらに向かってくる百や二百の数ではない。まるで不気味に蠢く白い雲が近づいてくるかのようだった。異常な光景に焦った衛兵たちは手に持っていた槍を構えると同時に槍の刃先に攻撃魔法に使用する魔力を集中させた。魔導王国の民の中でも衛兵たちは特に魔導の力と武勇に秀でたエリート魔法戦士たちである。ゆえに兎の群れとはいえ、王宮に迫りつつある危機に対して油断することなく素早く反応したのだ。
衛兵たちによって生み出された爆裂火球は轟音をあげながら兎の群れに命中した。命中の後に周囲を巻き込んだ大爆発が起きた。確実に仕留めた。自分たちの攻撃魔法の威力に自信を持っていた衛兵たちは確信を持って爆炎を眺めた。だが、兎の群れは止まることがなかった。その炎の中で影が揺らめいたかと思うと爆炎を突き抜けるがごとく兎の群れが走ってきた。爆裂火球をものともせずに殺到する兎の群れ。その勢いはすでに止まることはなかった。
シャキーン、シャキーン。
刃物のような鋭い音が鳴った後に兵士たちの首が宙に舞い上がる。同時に兵士たちの体が光の粒子となった後に彼方へと飛んでいく。飛んで行った先は兎たちの後方にいたインフィニティが出現させたアイテムボックスの中であった。目の前で起きた惨劇にシェーラが髪の毛をかきむしりながら悲鳴をあげた。完全に取り乱している。彼女は取り乱した状態のまま、インフィニティの胸倉を掴みながら抗議した。
「殺した!確実に殺しましたよね!?」
「いいえ。彼らは死んでいません。光の粒子に変質してこちらに飛んできたのを見たでしょう。別の空間に閉じ込めただけです」
「どういうことですか」
「原理はマスターの迷宮と同じです。王国全体を特殊な空間に変えました。この空間の中で死んだ人間は死ぬ前の状態にリセットされてゼロスペースの中に閉じこまれるという訳です」
インフィニティはそう言った後にゼロスペース内の映像を映し出した。そこには先ほど兎たちに首を刎ねられたはずの衛兵たちが首が繋がった状態で戸惑いながら周囲を不安そうに眺めている姿があった。
「良かった。彼らは死んではいないんですね」
「安心してください。私は押さえるところはしっかりと押さえます。だから徹底的にやらせてもらいます」
強固で巨大な城門は兎たちの力では破壊できない様子だった。インフィニティはその様子を冷静に眺めた後に人差し指で門を指さした。次の瞬間にインフィニティの影の中から無数の腕を持った金色の仏像が現れる。迷宮内をさ迷う最強の怪物、『真・千手観音』である。
「真・千手観音よ。あの城門を破壊しなさい」
「きょーきょきょきょきょ!!」
インフィニティと意思の疎通ができているか分からないが、真・千手観音は人外の速度で城門に到達した。ソニックブームが起きるようなスピードの影響で門の前に殺到していた兎たちが宙に舞い上がる。残念ながら敵味方の区別はついていないようだ。
真・千手観音は複数の腕に持っていた剣を門に向かって縦横無尽に走らせた。強固な鉄の門はバターのように切断されていく。だが、常人にはその速さは見切れるものではなく複数の光が走ったようにしか見えなかった。組み立てられたパズルが砕けたようにバラバラになった門の中に真・千手観音は踏み込んでいく。血に飢えたクリーチャーは破壊した門を平然と通過すると王宮の中に入っていった。
「あれ?あれあれあれ?そっちに行っては駄目でしょうが。どうして行っちゃうのかな」
「明らかに暴走してるじゃないですか!!」
「うーん、おかしいなあ」
真・千手観音の制御ができずにインフィニティが戸惑っていると、彼女の影から我慢が仕切れなくなったクリーチャーたちがあふれ出す。蜘蛛のような長い足を持った『嗤い男』。ミニ藤堂晴彦ともいえる飢えた生き物『ぱるぴこ』。そして様々な異形のモンスターたち。歯止めが利かなくなった彼らは真・千手観音に続けと言わんばかりにインフィニティの制御を離れて王宮に殺到していった。さながら百鬼夜行の群れである。
彼らを解放したインフィニティはようやく収拾のつかない事態になったことに気づいて青ざめた。真・千手観音はともかく、ほかのモンスターまでもがここまで制御ができないとは思わなかったからである。実のところ、晴彦を慕うモンスターたちも彼を救うために我慢しきれなくなって出てきたのだが、そんな気持ちが分かるほど、感情を理解している鑑定スキルではない。王宮の中から聞こえてくる阿鼻叫喚の叫びと光の粒子となってアイテムボックスの中に吸い込まれていく犠牲者を虚ろな目で眺めながらインフィニティは引きつり笑いを浮かべた。そして傍らのシェーラが呆気に取られている様子を見ながら早口で言い訳をしだした。
「違うんです、私は彼らを外に出しただけなんです。こんな地獄を作るつもりではなかったんです」
「…いいから行きますよ。このままでは収拾がつかなくなりますから」
「はい…マジですいません」
眉間に人差し指を置いて頭痛をこらえるシェーラに首根っこを掴まれて項垂れながらインフィニティは王宮の中に入っていった。
◇◆◇◆◇◆◇
王宮内は地獄と化していた。突然の正体不明のモンスターの襲撃によって王宮にいた兵士の三割が犠牲になった。金色の彫像のような姿をしたモンスターは凄まじい強さだった。兵士たちが放つあらゆる魔法攻撃や物理攻撃を弾く上に所有する複数の腕に持った剣を縦横無尽に走らせて攻撃してくるのだ。
腕に覚えがある歴戦の兵士が王宮のロビーまでたどり着いたモンスターに対して果敢にも襲い掛かった。螺旋階段の上から飛び降りて振り下ろした剣をモンスターは軽々と受け止める。恐ろしいことに全く攻撃してきた方向を見ていない。あまりの実力差に絶句した兵士には一瞬だけ思考が止まってしまった。それは致命的な隙となった。モンスターはその隙を見逃さず、振り下ろした剣で兵士の頭から胴体を縦真っ二つに切り裂いた。景色がずれていくのを感じながら兵士は光の粒子となって飛び去った。
場内の至る所でこのような地獄が繰り広げられていた。すでにユーフィリア魔導王国の王宮は藤堂晴彦のモンスターの手によって制圧されつつあった。
◇◆◇◆◇◆◇
「よく見ておきなさい、インフィニティ。これが貴女の引き起こしたことです」
「あわわ、大変なことをしてしまっただ」
「歯止め役のハルがいないとこれほど酷いことになるなんて」
ぼろぼろになった王宮の至る処は破壊の痕と血の跡が残っていた。動いている人間の姿はなく、周囲にいるのは味方のクリーチャーばかりである。見るも無残な大惨事である。殺したのだが、一人も殺していないと言い張っても魔女王は聞き入れてくれるだろうか。客観的にシェーラは周囲を見渡した。
無理なような気がする。この後の事後処理を考えるとシェーラは頭が痛くなった。
そんな彼女の脳内に突然に声が響き渡る。
『私が瞑想して動けない間に恐ろしいことをしてくれましたね』
その声は怒りに満ち溢れていた。この恐ろしい魔力の持ち主は魔女王だ。シェーラは直観的に理解した。声は尚もシェーラの頭の中に響き渡る。
『生きてこの城を出れるとは考えないことです』
瞬間、周囲の空気が底冷えするかの如く冷たくなったようにシェーラは感じた。この場にいないとしても魔女王には自分たちを害する力がある。そう彼女は理解した。だからこそすぐに答えた。
「お待ちください!確かに城内の人間に狼藉を働きましたが、殺してはいません!」
『どういうことですか』
シェーラはインフィニティが映し出したゼロスペース内の映像を見せながら魔女王に説明した。魔女王は暫し沈黙した後に頭の中に直接問いかけてきた。
『…あなた方の要求はなんだというのですか』
兵士たちを殺していないことが分かったのか、先ほどよりは若干怒りを抑えた声で魔女王は尋ねてきた。その問いに対してインフィニティが叫んだ。
「マスターを返せ!!」
『マスター、一体誰のことですか』
ああ、これ以上余計なことを言って刺激しないでくれ。シェーラは頭が痛くなりながらもインフィニティの口を塞ぐと慌ててフォローを入れ始めた。
「私たちの大切な仲間である藤堂晴彦です。彼はこの城の関係者と思われる人間によって拉致されました。私たちは彼を取り戻したいのです」
凛とした声でシェーラは答えた。だが、その両手はインフィニ何某さんの口を一生懸命に押さえつけているため、いまいち様にならなかった。




