第二十話-6
この時間は授業中なのか、校舎内を行き来している学生の姿はなかった。廊下を歩いていくと教室の中から講師が生徒たちに講義を行っている声が聞こえてくるくらいである。そんな中で歩いていくシェーラについていきながら俺は尋ねた。
「どこに向かっているんだ」
「私が学生の時にお世話になった先生のところです」
ユーフィリアでの学びを終えて母国に帰国したシェーラにとっては恩師との久しぶりの再会というわけだ。彼女にしてみれば回復魔法だけでなく、攻撃魔法も使えるようになり、立派になった自分の姿を恩師に見せたいのだろう。
本校舎から旧校舎に繋がる連絡口を通ると先ほどの校舎よりも古びた建物になっていた。日本の学校ではあまり見かけられなくなった木造建築というやつだ。歩くたびにギシギシときしむ床に苦笑いしながら俺は尋ねた。
「随分と古い作りなんだな」
率直な俺の言葉にシェーラは苦笑いしながら答えた。
「現在は使われていない校舎なんです。私の恩師以外は立ち入りません。ただ、私の恩師であるガーランド教授はこういった古びた校舎には古い精霊が宿るので好んで使っています」
確かに何かの気配がする気がする。魔法の力も本校舎よりも籠っているのではないだろうか。ただし、ほかの人間が使わない旧校舎を現在も利用するという辺り、シェーラの恩師という人はどちらかといえば人嫌いの変人の部類に入るのではないだろうか。
「こういうこと言うのは失礼かもしれないけど、シェーラの先生って結構な変人だったりするのか」
「否定はしませんよ。でもガーランド先生だけは魔法が使えない私を励まして攻撃魔法の訓練にも付き合ってくれました。だから私は今も先生に恩義を感じています」
なるほど。シェーラに出会った頃を思い返していた。あの頃、彼女は攻撃魔法の才能が欠如した状態にも関わらず、弱点克服のために必要な経験値はほぼ蓄積していた。そのガーランド先生のおかげというのも頷ける。
「それだけすごい先生なら魔法使いとしても一流なんだろうな」
「いいえ。先生は魔法史や世界の歴史に関する膨大な知識はお持ちですが、ご自身は魔法が使えないですよ」
「え、そうなのか」
だとすると考えていたのと違うぞ。隠れたシェーラの才能を見出した凄い賢者なのかと思ったのだが、そうではないのか。
「どちらかというと先生は魔法が使えない私に自分の姿を重ねて同情してくれたんだと思います」
「な、なるほど」
ガーランド先生。いったいどういう人なのか気になってきたぞ。そんなことを話しながら歩いていくと、あっという間にガーランド先生の研究室らしき部屋の前にたどり着いた。
「先生、私です。シェーラ・シュタリオンです」
「…これは懐かしい子が来たものだ。どうぞ、入りなさい」
扉を開けた先に広がる光景に俺は絶句した。部屋の中には凄まじい量の書籍の山や紙束の山が所狭しと置いてあったからだ。その中央に申し訳なさそうに机が置かれており、ひとりの小柄な老人が机の上に積まれた書籍の山に埋もれるようにして書き物をしていた。胸元まで伸びている髭を蓄えた姿は賢者というよりはサンタクロースを髣髴とさせる姿であった。老人は鼻にかかった眼鏡を直してシェーラの方を見ると少し驚いた表情をした。
「これは驚いた。見違えたよ、本当に君はシェーラなのかね」
「お久しぶりです。ガーランド先生。先生はお変わりなくお元気そうで安心しました」
「見ての通り、相変わらずの貧乏研究者生活さ」
そういってガーランド先生は笑みを浮かべた後で立ち上がった。
「すまんな、来客があるとは思わなかったものだから、そこら中が雑多になっておる。すぐに座れる場所を作ることにしよう」
そう言って慌てて辺りを片付け始めた。とはいっても書籍の山の上に更に書籍を積み上げるという凄まじい片付け方である。今にも崩れそうな書籍の塔を傍らで眺めながら俺は苦笑いした後でシェーラに小声で尋ねた。
「…いつもこうなのか」
シェーラは黙って苦笑いしながら頷くだけである。そうこうしているうちにガーランド先生の言う『片付け』は終了したようである。とはいっても書類の位置を変えただけなので乱雑になっていることには変わりない。むしろ不安定になった書籍の塔がいつ倒壊するのか気になってハラハラしてしまうではないか。
「お待たせしたようだね。どうぞ、掛けてくれ」
本の山の下から出現したソファに座った先生は俺とシェーラにも座るように促した。言われるままに俺たちが座るのを確認した後にガーランド先生は微笑んだ。
「改めてガーランド研究室にようこそ。シェーラ君、そしてトウドウハルヒコ君だったかな」
「俺のことを知ってるんですか」
「バルバトス帝国への宣戦布告を見ていた人間で君を知らぬものはいまい。自分で思っているよりも君は有名人だよ」
ガーランド先生に言われて俺は頭を掻いた。帝国への怒りのあまりに激情に駆られて行ったわけだが、面と向かってアレを見ましたと言われると恥ずかしいことこの上ない。顔から火が出そうになってしまう。そんな俺の様子を眺めながらガーランド先生は切り出した。
「後学のためにこれまでに君たちが体験してきたことを聞かせてくれないか」
「長くなりますよ」
「構わないさ。受け持ちの授業など少ない暇人だからね」
先生に促されて俺たちはこれまでに自分たちが経験してきたことについて話し始めた。




