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子猫を助けた一人の地球人が異世界へと召喚された頃、男が召喚された異世界ディーファスのとある小国では国を揺るがす大事件が起きていた。突如として来訪した武装軍艦による船団が城下町にある港に乗り込んできたのである。そして黒ずくめの鎧に身を包んだ騎士の大軍によって町は占拠されていた。港に停泊している大量の鉄製の軍艦には凄まじい数の大砲が装備されており、見るもの全てに威圧感を与えた。たなびく旗には武力国家『バルバトス帝国』の象徴である双頭の獅子が描かれていた。
バルバトス側が何をするつもりなのか分からないと思った街の人々は住居の戸を閉ざして息を潜めた。締め切った建物を眺めて軽薄そうな一人の将校が溜息をついた。
「誰も歓迎しにこないなんてつまらない街だなあ」
「シュタリオンの民は我々が侵略に来たと思っている。無理もないことだろう」
軽薄そうな将校に対して反論するのは重鎧を纏った一人の剣士だった。剣士の言葉に軽薄そうな将校は肩をすかした後に嗜虐的な笑みを浮かべた。
「いいこと思いついちゃった。全部燃やして焙り出してやろう」
「やめないか、シェイド!」
将校が街に向かって背中に背負った弓を構えるのと青年が背中に背負った剣を抜くのは同時だった。睨みを利かせて一触即発の雰囲気となった二人だったが、シェイドと呼ばれた将校は鼻で笑った後に弓を構えることをやめた。
「や~めた。勇者と張り合って怪我をするのも嫌だからやめておくよ。せいぜい聖人ぶって人々を救う道を歩むがいい。『黒い閃光』、いや、帝国の勇者様」
「貴様…」
「だけどね、君の中にいる獣は君と違って優等生ではない。いつか破綻するよ」
そう言ってシェイドは嗤いながら青年のもとから立ち去って行った。立ち去っていくシェイドの姿が見えなくなるまで警戒を続けていた青年は剣を仕舞うと街の中央にある城の方を見た。そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「いつまでこんなことを続けるんだ。バルバトス帝国は」
厳しい表情を浮かべる青年に対して応えるモノは誰もいなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
異世界ディーファス。長きに渡る人魔による戦乱で疲弊しきった世界。この世界を大きく二分するのは人間族の強国であるバルバトス帝国と魔族の帝国ゼーフィスの二つの強国であった。魔族はその魔力を使って混沌の彼方から魔神獣を呼び出して人間の世界への侵攻を行った。
きっかけとなったのは魔神獣の一体が一つの国を滅ぼしたことである。通常の魔獣などとは比べ物にならない狂気の怪物『魔神獣』に人々は恐怖した。
魔神獣を操っているのは魔族の国ゼーフィスである。その事実を各国の人々に告げたバルバトス帝国は古き伝承に従って勇者召喚の儀式を行って勇者を魔神獣と戦わせることを告げた。そして各国にゼーフィスと魔神獣に対抗するための『人類血盟』の参加を促した。
魔神獣とそれに対抗する勇者、そして勇者と共に魔神獣と戦う人類血盟の兵士たちの戦いは熾烈を極め、人類側に多くの犠牲をもたらした。戦力不足ゆえに劣勢となった人類血盟は勇者召喚を行っていないシュタリオン国で新たな勇者を召喚することに決めた。
そして勇者を呼び出すために血盟の主盟国であるバルバトス帝国はシュタリオン国に攻め入るような形で侵略まがいの恫喝を行っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シュタリオンの王宮の軍議の間ではバルバトス帝国を支配する軍勢の代表者とその配下達が一堂に会していた。本来はシュタリオンの王が座るはずの豪奢な大理石に似た石でできたテーブルの中央の席にはバルバトスの偉大なる獅子王ハーゼンダークが太々しい様子で座っていた。その傍らには『神算鬼謀』と人々から恐れられる軍師ケスラが控えていた。そして他の席には親衛騎士団の団長たちがずらりと勢ぞろいしてシュタリオン王家の人間に睨みを利かせていた。一方、テーブルの端の席にはシュタリオンの現国王と彼の娘であるシェーラ王女が肩身を狭そうにしながら座っていた。
「…いい加減にしろ。どうしても勇者召喚の儀式を行わないというのか」
「召喚は命の危険を伴うものです。妻なき今、儀式を行えるのは彼女の血を引く娘のシェーラのみ。この子を危険な儀式で死なせるわけには参りませぬ。どうかお引き取りいただけませんか」
「シュタリオンは帝国と連合国で結ばれた人類血盟から抜け出したいというのでしょうか」
「そのようには申しておりません。ですが、できることとできないことがこちらに…」
シュタリオン王がそう言おうとした瞬間にしびれを切らした獅子王はテーブルを拳で力任せに殴った。ただそれだけの癇癪で城全体が地震にあったかのように振動する。
「こんな王国、いつでも潰せるのだぞ」
虫けらでも見るような目で獅子王はシュタリオン国王を睨みつけた。イエス以外の答えは認めない。そんな様子を見せる自らの主に軍師ケスラは苦笑する。
「シュタリオン王殿。ご自分達のお立場を理解した方がいいですよ。貴方たちには自由な意見など求められてないのですから」
「貴様ら、占領まがいで我が王国に攻め入った上に脅迫するというのか」
「脅迫ではない。これは命令ですよ。はき違えられては困りますなあ」
「くっ…」
シュタリオン王が悔しそうに歯噛みする中でシュタリオン王国の王女であるシェーラ姫は静かに口を開いた。
「お父様。私、勇者召喚の儀式を行います。王国のために」
「おお、シェーラ、すまない。すまないのう」
そう言ってシュタリオン王は滂沱の涙を流しながら愛娘にしがみつきながら泣いた。ようやく話がまとまったか。ケスラはそれを白眼視しながらシュタリオン王女を見た。父親同様にブクブクと太った白豚め。元は奇麗な肌と顔をしているのであろうが、白豚姫と国民から揶揄されているほどの肥満体の女、それがシェーラ王女である。見目麗しい王女ならば悲劇にもなりえるが、あれでは出来の悪い喜劇に過ぎない。見るに堪えないな。そう判断したケスラは師子王に退出を促した。残された親子は泣きながら自らの運命を嘆いた。