第十六話-10
帝国軍の将軍が寡兵によって打ち破られた急報は直ぐに戦場を駆け巡った。指示系統を失ったことで大混乱となった帝国陣営を隣の傭兵国ディリウスの兵を率いるシオン将軍は冷ややかに見つめていた。
(無様なものだな)
元々、ディリウスは金で雇われればどこにでも属する傭兵国家である。大国である帝国から圧力をかけられて増援を送ったものの、満足な報酬を与えられない以上は進んで戦うつもりはなかった。とはいえ、ここまであっさりと負けるとは思ってもみなかった。
(帝国への言い訳程度には動いておく必要があるな)
シオンは腹心を伴った1000騎程度の兵を率いると帝国陣営に向かうことにした。本気で戦うつもりはなく、どちらかといえば帝国を打ち破ったシルフィード国の勇姿を見たい興味本位の出撃であった。千騎にも満たない寡兵を突撃させて帝国を打ち破った戦士とはいったいどのような姿をしているのかこの目で確かめたい。戦場に強い戦士がいれば戦いを挑みたくなるディリウス人の悪癖をこの男も備えていた。
だが、帝国の本陣にはすでにシルフィード国の戦士の姿はなかった。首魁を葬ってからすぐに引き上げたようである。お手本のような用兵をするものである。ここまで鮮やかな戦い方をされると逆に気持ちがいいくらいである。
「すでに敵はシルフィード城まで引き上げたようです」
「そのようだな」
「今ならまだ追いつけますが、いかがなさいますか」
配下の女傭兵の言葉にシオンはしばし逡巡した後にシルフィード城の方を眺めて溜息をついた。
「やめとこうか。今、彼らを討ったところで褒賞金は入らないからね」
「そういうと思いました。帝国本土への言い訳はどうなさいますか」
「知ったことか。無償でこれだけの兵を派遣したのだ。感謝されることはあっても咎められる理由がないだろう」
シオンはそう悪態を叩きながら、もう一つの陣営であるメグナート森林王国の方を眺めた。噂ではすでに国土の大半は帝国の軍人が入り込んでいるという。今回の敗戦の叱責を考えるならメグナートの方が危ういだろう。
(まあ、他国の事などはどうでもいいがな)
シオンはそう思いながら兵を率いて自陣へと戻っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ブタノ助が敵の将軍を打ち破った報告を受けた俺は唖然となった。早過ぎるよ、ブタノ助。こういう時こそ俺が鮮やかに敵将を打ち破って名乗りを上げるタイミングだったというのに見せ場を全て取られてしまった。今回は完璧に裏方になってしまった。
だが、うかうかもしてはいられなかった。逃げる途中で指揮系統の混乱から回復した帝国軍が直ぐに追手を差し向けてきたからだ。
こういう時ぐらいは見せ場を作っておく必要がある。そう思った俺はブタノ助達を先に行かせると殿についた。帝国の連中に俺たちに手を出す怖さを伝えておく必要がある。そう思った俺は馬から降りた後に【鬼神化】を解放させた。敵は俺が残ったことに驚いた様子だったが、一人きりだということが分かると侮った様子でにやついた笑みを浮かべた様子だった。その笑みをすぐに打ち消してやろう。
そう思った俺は地面に岩肌を剥き出しにしている岩石の一角に手をかけた。見た感じ、かなりの大きさの岩石が埋まっているようだ。これならば投げつけるのにちょうどいいだろう。
そう思った俺は渾身の力でそれを持ち上げた。徐々に土の中から持ち上がってきた岩盤が直径10mはありそうな巨大なものだったために帝国軍は青ざめた様子だった。慌てて引き返そうとしているのを見て俺は嗤った。
「そんなに急いで帰るなよ。お土産を忘れているぜ!」
そう叫んだ後に俺は帝国騎兵の群れに向けて巨岩を投げつけた。騎兵の側面に命中して地面を大きく抉った巨岩は兵達を戦慄せしめるのに十分な効果を持っていた。
「まだ追ってくるようなら今度は当てる。言っておくが、これは警告じゃないぞ」
俺の言葉に兵達はガクブルした様子だった。俺はそれに満足した後に兵達に背を向けると馬をシルフィード城の方へと走らせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シルフィード城へ帰る途中でラードナーからの通信が入った。通信の内容はこうだった。シルフィード国の民を魔族領で保護しようという申し出をシルフィード王が受け入れたというものだった。確かにここで戦い続けても逃げ道がない以上、将棋でいえば詰んだ状況である。
実は魔族領に逃げるという手段は早くから提案されていたのだが、シルフィード王が頑なに拒んだために実現できなかったのだ。自分が正しいのに城を手放ないといけないのを理屈では分かっていても、これまで苦しめられた帝国の司令官に対する恨みを晴らさなければ退くことはできないと言っていた。ブタノ助が司令官を打ち倒したことで感情の整理がついたという事だろう。
確かに先祖から受け継いだ土地や建物は大切かもしれないが、為政者が第一に考えないといけないのはそこに住む民の安全を確保することだ。シルフィード王もそれを理解したのだろう。
城に戻るとすでに多くの民が転移に向けた準備を終えていた。
「戻ったか、ハルヒコ。追手は倒したのか」
「岩を投げつけたら逃げていったよ。グングニルの両側面にある通路も一応塞いでおいたから通ることはできないだろう。だが、転移は直ぐに行った方がいい。どこでどういう邪魔が入るか分からないからな」
「ああ、よろしく頼む」
俺の言葉にアルフレッドは頷いてシルフィード王に転移門を開く旨を伝えた。城内の中庭に生成された転移門に多くの国民は戸惑いと恐れを見せていた。俺は王に自ら手本を示す様に促した。王は民たちを安堵させるために自分がまず転移門の中に入り、再び出てきて危険がないことを告げた。後は殺到するように多くの民が転移門を潜っていった。その姿を眺めていた俺はふいに何者かに呼ばれたような気がした。
何だ、この違和感は。
言いようのない気持ちの悪さと違和感を覚えた俺の目の前の景色が切り替わっていく。
そこは見たこともない場所だった。どこかの神殿だろうか。両側面には大理石でできた巨大な柱が並んでおり、どことなく神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「藤堂…晴彦だな」
「誰だよ、あんた」
「私は世界神に仕える巫女イリス。世界神の依り代なり。我が言葉は世界神の言葉と思うがいい」
目の前にいたのは十代にしか見えない少女だった。だが、雰囲気が普通ではない。人間とかけ離れたような雰囲気というかオーラを放っている。神の依り代というのはあながちハッタリの類ではないかもしれない。
「世界神だと、お偉いさんが何の用だよ」
「単刀直入に言おう。藤堂晴彦。魔王につくのをやめるのだ。貴様のしていることは本来のこの世界の歴史からは大きく逸脱している」
「何を言っているか分からないな」
そう言った瞬間、俺はとてつもない力によって押さえつけられた。筋力や魔力で抵抗を試みたもののまるで動くことができない。脂汗を流す俺を見下ろすかのように巫女は微笑んだ。
「勇者の役目は魔王を倒すことだろう。そうして世界は回ってきた」
「ふざけるなよ、帝国の方が皆を苦しめているだろうが」
「長い歴史から言えばそれはつかの間に過ぎない。魔王ラードナーは勇者によって滅ぼされ、世界はまた回っていく。そして次に現れる魔王が帝国を討ち滅ぼし、新たな勇者が生み出される」
「この世界は勇者と魔王の殺し合いの繰り返しだっていうのか」
「然り」
「そんな欠陥システムはクソくらえだ。作り直してもらったらどうだ、神様よ」
「不遜なり」
瞬間、味わったこともないような激痛が俺を襲った。体がばらばらになるのではないかという激痛だった。いつ終わるかも分からない痛みに俺の意識は吹っ飛びそうになった。かろうじて意識を保っていられたのはふざけたことを抜かしている世界神とやらに腹が立っていたからだ。ボロ雑巾のようになった俺に対して世界神の依り代は言い放った。
「腐っても貴様は勇者だ。殺すことはしない。だが、今のままでは我らの邪魔をするだろう。そこで貴様にプレゼントをしてやろう」
イリスはそう言って俺に向けて掌を翳すと聞き取れないような言語で呪文を放った。同時に俺の身体が鉛以上に重くなる。立っていられなくなった俺はその場に倒れた。驚いたことに体感した重量そのものが物理的に影響していることだった。見れば床までめり込んでいるではないか。
「…いったい何をしたというのだ」
「制約をかけた。元々、貴様は本来の召喚から弾かれた異分子。ゆえに貴世界法則に従い、貴様が纏っている脂肪に対して重りとなる呪いをかけてやった。先に言っておくが、スキルで見せかけの姿を変えたとしても効果はないぞ。ディーファスにいる限り、貴様は思うように身動きも取ることもできない。大人しくしていたければ元の世界に戻るのだな」
イリスはそれだけ言い終わると俺から興味を失ったように身を翻した。同時に景色が元のシルフィード城のものに戻っていく。だが、俺の身体は全くピクリとも動かなかった。俺の異変に気付いたブタノ助やシェーラ、ワンコさんが駆け寄ってくるのを眺めながら俺の意識はブラックアウトしていった。