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周囲の景色が元に戻ったことを確認して俺はシェーラを握っている手を放して彼女を見た。彼女は物凄く微妙な表情をしていた。泣きそうな、それでいて物凄く怒っているような表情だった。気のせいか蒼い顔をしているのが見て取れた。無理もない。信頼していた人間によって母の形見を汚されていたのだ。なんとなく心配になった俺は彼女の気持ちに配慮した。
「シェーラ、大丈夫かい」
「…大丈夫、とは言い難いですね」
そりゃそうだよな。しかしどうしてフッテントルクは首飾りに肥満の呪いをかけたのだろうか。それが分からないな、そう思っていた俺にインフィニティさんが語り掛けてくる。
『あの男はシェーラ嬢に邪な思いを抱いているに見えました。妖精と呼ばれたシェーラ嬢を独占するために呪いをかけた可能性があります』
なるほど、そういうことか。インフィニティさんの言葉に俺はある仮説を立てた。さきほどの幼シェーラはここにいる現在のシェーラと本当に同一人物とは思えないくらいに可愛かった。対してフッテントルクはお世辞にも見目麗しいとは言い難い男だ。加えて自らが邪な思いを抱いても届かないくらいに王族であるシェーラは雲の上の存在だ。しかし、呪いによってシェーラを太らせすぎればどうなるか。国中はどころか他国からも嫁の貰い手がなければいかにシェーラといえども自分の想いに答えるはずだ。大方、そんなことを考えたに違いない。俺自身がモテない立場のフッテントルクと同じ側の人間であるために気持ちはわからないでもなかったが、やり方があまりに共感できなかった。
何とも言えなくなった俺は黙ってシェーラを見た。彼女はしばし躊躇った後に手に握っていた首飾りを渡してきた。いいのか、そう目で訴えかけると彼女は怒りも悲しみも越えたような透き通った表情でこくりと頷いた。俺は頷きながら首飾りを受け取った。そしてアイテムボックスを呼び出すと心の中で首飾りにカーソルを合わせてアイテムボックスの中に入れる。アイテムボックスのアイテムリストに呪いの首飾りと表示されると同時に手に持っていた首飾りが光の粒子となって消えていく。
【マスターのアイテムボックス内に収納することでシェーラ姫の呪いも解けたようです】
インフィニティの言葉に頷きながら、異世界ディーファスに戻った時に殴ってやるブラックリストの中にフッテントルクの名前を付け加えた。
◆◇◆◇◆◇
次の日、目覚めた俺は寝ぼけまなこで顔を洗いに洗面台に行った後で言葉を失った。目の前に見覚えのない美少女がいたからだ。スレンダーな体をしているものの出るところは出ている。ウエストが細い分、胸が大きく見える。着替えの途中だったのか、彼女が悲鳴をあげたので慌てて俺は洗面台を後にした。見覚えのある特徴はあるものの、おそらくは彼女である確信が持てなかった俺は混乱しながらも居間で待った。暫くしてから身支度を整えた彼女がやってきた。サイズに合わないぶかぶかの服を着ている。やっぱり彼女なのだ。着替えを見られたせいか顔を紅潮させている姿が非常に可愛い。
「すいません、ハル。取り乱してしまって」
「その声、やっぱりシェーラなのか」
「自分でも驚いているんですが、そうみたいです」
俺の言葉に美少女へと変化したシェーラは躊躇いがちに頷いた。一体何が起きたのか分からない俺にインフィニティさんが説明をしてくれた。
『呪いの首飾りの影響から抜け出して元の美しい姿に戻ったようですね』
馬鹿な。一晩でここまで劇的な変化が訪れるなんて。彼女はやはりファンタジー世界の住人であるという事か。俺は頑張って地道に減量しても劇的な効果が見られないというのに。羨ましさはあったものの彼女が痩せたのは嬉しい誤算だったので素直に喜ぶことにした。シェーラはいきなりの自分の変化に戸惑っているようだった。
「どうですか。変じゃないですか」
「そんなことないよ。とっても可愛い。前の姿に比べたら今の姿の方が絶対可愛いよ」
「それはそれで傷つくんですが」
「ご、ごめん!」
慌てて俺が訂正すると彼女はクスクスと笑いだした。よかった。怒ってはいないようである。正直なところ、痩せたらここまで変化するとは想像できなかった。しかし、一晩だけでこんなに変化するならもっと早く首飾りを取れば痩せれたのではないだろうか。
『単純に首飾りを外しても肥満の呪いがついた状態では痩せなかったでしょう。マスターが首飾りをアイテムボックスに入れて所有権が移ったことで呪いが解呪されたものと考えられます』
なるほど。そういうものなのか。納得している俺にシェーラが笑いかける。そしていきなり俺にギュッと抱きついてきた。突然のことで戸惑っている俺にシェーラが囁く。
「ハル、本当にありがとうございます。こうして元の姿に戻れたのも貴方が真剣に私のことを考えてくれたからです」
「シェーラ、胸が当たってる。胸が!」
「もう少しだけこのままでいさせてください」
脂肪まみれの身体に密着する女の子の柔らかい体の暖かさを感じる。その上、いい匂いがする。俺はシェーラが離れるまでされるがままで顔を真っ赤にしながら突っ立っていた。
◆◇◆◇◆◇
シェーラが急激に痩せたことは喜ばしいことだったが、反面で困った問題が起きた。俺の部屋にある洋服ではスレンダーになった彼女のサイズに入らないのである。実のところ、彼女と暮らすことになった時に最低限の下着などは通販などで買ったのだが、普段着は俺のトレーナーやジャージを流用していた訳だ。流石に今の彼女に俺のお古で過ごせというのは余りに可哀そうだった。不憫に思ったのはシェーラがぶかぶかになった俺の服でも嫌がらずに、むしろ笑顔で使い続けようとしたことだった。
仮にもお姫様なんだからもっと我儘を言った方がいいはずなのに、俺に気を遣ってくれたのだと思う。
だが、紐で縛ったはずのジャージのズボンがストンと床に落ちて彼女の下着が露わになった時に俺は一大決心をして彼女の洋服を一緒に買いに行くことを決意した。
シェーラを伴って出かけたのは最近になって駅前に建造された大型のショッピングモールである。元々はしなびていた駅前に数年前に建てられたこのモールは駅前という利便性も手伝って多くの人を集めるようになった場所である。
ただでさえ出かけることのなかったシェーラは初めて訪れる煌びやかなショッピングモールに興味深々であった。顔を紅潮させながら「あれは何ですか」「これは何ですか」と尋ねる様子は非常に可愛らしかった。今のシェーラは人目を惹く魅力を持っていた。そんな彼女がはしゃぎ回るものだから注目の的になって仕方がない。
「おい、見ろよ。あの子、アイドルか何かか」
「それに比べて一緒にいるあのデブは何だよ。ファッションセンスの欠片もないな」
ひそひそ声にならない囁きがはっきり聞こえている。胃が痛くなった俺は冷や汗をだらだらと流していた。平日の昼間という事もあり、そこまで人も賑わってはいないものの、やはり人前に姿を現すのは恐怖と苦痛を伴った。俺の表情に気づいたシェーラが心配そうに俺の顔を見つめてきた。
「ハル、大丈夫ですか」
「うん、大丈夫、大丈夫」
余り大丈夫ではないのだが、心配をかけたくなかったので精いっぱいの笑顔で答えたが、かなり笑顔が強張っていたのではないかと思う。シェーラはそんな俺を心配したのか、手をぎゅっと繋いでくれた。
「こうすれば大丈夫ですよ」
苦痛が和らいでいくのを感じた。だが、今度は顔が赤くなるのを抑えられなくなった。意識しようとしまいとするほど、顔が熱くなっていく。恥ずかしくなってきた俺は俯きながらシェーラの手を取ってカジュアルな服装を揃えた洋服店のテナントに飛び込んだ。
「いらっしゃいませ、何かお探しですか」
「あの、この子の、服をいくつか、買いに来ました!」
「あらあら、可愛らしいお嬢さんですね」
穏やかそうな女性店員のお姉さんに何とか要件を伝える事が出来て良かった。自分でもかなりどもっていたとは思う。だが、お姉さんは接客業という事もあって俺の口調を気にはしていない様子だった。お姉さんが何を話しているか戸惑っているシェーラに通訳しながら俺達はいくつかの可愛らしい服を選ぶことにした。
「こちらのミニスカートなどはいかがでしょうか」
「こ、こんな短いスカートは無理です。しゃがんだら見えてしまうじゃないですか」
「ではこちらはいかがでしょうか」
「□△〇×!!?ハル~、ジャージじゃダメですか」
「ジャージは買うけど可愛い服も買おうよ、シェーラ」
「うう…分かりました」
店員のお姉さんのおかげでシェーラに似合う可愛らしい服を買うことができた。無理をしてでも外に出て良かった。ちなみに服自体は可愛らしかったのだが、お会計の値段は全く可愛らしくはなく、逆に恐ろしくなって青ざめることになったのだが、カードで何とか支払うことができたのだった。
◆◇◆◇◆◇
シェーラが痩せて本当によかった。だが、反対に俺のほうは現状の減量生活に伸び悩みを感じ始めていた。食事制限で確かに体重は落ちているものの最初の方の激的な痩せ方ではなく、ゆっくりとしたペースでしか体重が落ちなくなったのだ。
肥満体質【116・58】➡肥満体質【113・58】
このままではいつまで経ってもシェーラを元の世界に帰すことができない。困り切った俺はダイエットコーチであるインフィニティ先生に相談した。質問から帰ってきた答えは明確なものだった。
『簡単な足し算引き算です。基礎代謝を上げて減る量を増やしましょう』
「基礎代謝をあげるって何すればいいんだ」
『本来ならば厳しい筋肉トレーニングで自らの身体を虐めるのが一番ですが、それをやっては3日と持たずに弱音を吐いて諦めるのは目に見えています』
「あはは…、流石はインフィニティ先生。よくわかっていらっしゃる」
インフィニティの冷静な分析に俺は苦笑いするしかなかった。確かにいう通りだった。これまでも自分に厳しく言い聞かせてダイエットしてきても厳しくなると弱音を吐いて諦めてきたのだ。そんな俺にインフィニティさんが提案したのは毎日のウォーキングだった。一日一時間歩く。たったそれだけ。ただし、最初から無理をするのではなくはじめのうちは歩いて苦にならない距離から歩くのだということ。たったそれだけなのか、驚いて尋ね返すとインフィニティ先生はそうだと答えた。
半信半疑ではあったものの俺はその日から言われるままに歩き始めたのである。
果たして効果があったのかということは後から触れようと思うのだが、俺の影の努力が実を結び始めたもう一つの結果があった。魔法の存在の欠如を克服するための経験値が上限にたどり着こうとしていたのである。