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近くに行くとシェーラはこちらに気づいたようだった。厳しい表情で黙ってこちらを見ている様子に俺の胃の隅がキリキリと痛む。何を言われるか分からない。元々、コミュ障気味の俺にはハードルの高すぎる状況である。話しかけるのもおっかないというのが正直なところだ。だが、やるしかない。俺はシェーラのすぐ近くまで近づくと黙って腰辺りまで頭を深々と下げた。突き出たお腹がつっかえそうになるのだが、それでもなんとか頭を下げた後に俺は謝った。
「ごめんなさい!」
いきなり謝られるとは思ってなかったようでシェーラは面食らったようである。頭を下げているので顔色を見ることはできなかったが、息を吞む様子がはっきりと聞こえてきた。だが、まだ落ち着いていない様子で鼻をすすりながら嗚咽している声が聞こえてくる。俺は彼女が落ち着くまで近くに居ようと思いながら目を瞑った。そんな俺に少し慌てた様子でインフィニティさんが話しかけてくる。
『マスターっ!悪いのは私です。私が謝ります。すぐに代わってください』
そう言って不可視の力で俺の意志を乗っ取ろうとしたが俺は断固拒否した。当たり前だ。先ほどの対応を見てしまってはインフィニティさんが人の機微に疎いのは丸わかりだ。怖くってまかせることはできない。確かに投げっぱなしにすれば怒られて精神を削られるリスクからは逃げられるかもしれない。でもそれでは駄目だ。なぜならばこうやっている俺も頭の中に鑑定スキル:∞を棲まわせている俺のどちらも俺という人間だからだ。やらかした時の部下の責任は上司が取るものらしいぞ。そんなことをインフィニティさんに思念で伝えると黙り込んでしまった。
俺にはインフィニティさんの気持ちは分かっていたし、悪気がないのもよく分かっていた。よくも悪くも直球すぎるだけなのだ。これまで多くの出来事でインフィニティさんには助けられているし、今回の失敗に学んでくれるのならば御の字だ。構うことはない。こちらは元々嫌われものの豚男だ。怒られたりすることや罵声をぶつけられるのは慣れている。だから許してもらうまで俺が頭を下げれば丸く収まる。
実際、引きこもる原因になった辺りの圧迫面接では同じような質問に同じような回答をした覚えがある。あの時はそのせいで面接官の不興を買った。あれから十年近く経っているのだが、同じことを繰り返す辺りは成長していないのかもしれない。だが、それも含めて俺という人間なのだ。
どのくらい時間が流れただろう。いつしかシェーラからはすすり泣く声がやんでいた。何も聞こえなくなった俺は不安になった。もしかしたら俺に呆れて立ち去ってしまっているかもしれない。だとしたらまずい。だけどもし今頭をあげて彼女がこちらを見ていたら謝っていること自体が無駄になる。尚も長い時間が過ぎると共に不安が増してきた俺にシェーラが話しかけてきた。
「……ハル。顔を上げてください。私も言いすぎました」
シェーラのお許しが出たので俺はゆっくりと顔をあげた。そこには目を真っ赤にしながらも困ったように微笑む少女の姿があった。太り気味なのは変わりないのだが、俺は少し彼女の瞳と仕草が可愛らしく見えてドキリとした。
「…本当にごめんな」
「もういいです。それよりも隣に座ってもらっていいですか。なぜ私がこの首飾りを大切にしているのかお話ししますから」
シェーラに促されるままに俺は隣のブランコに座ろうとした。一瞬、俺の自重でチェーンが外れたらどうしようかと思ったが、座ってみるとそれは杞憂だったことを理解した。最近の遊具というのは実に頑丈にできている。俺が無事に隣に座ったことを確認するとシェーラは自分の母の話を語り始めた。
◆◇◆◇◆◇
元々、シェーラの母親は優れた魔法使いだった。王族の出自でありながら大陸でも屈指の力を持つ強い魔導士だった彼女の母は幼いシェーラにとって憧れの存在だった。彼女の母は当時に勇者であった彼女の父と共に魔王軍の攻撃から人々を守っていたそうだ。幼いシェーラは冒険の旅についていくことができなかったために、シュタリオンの王家で乳母に育てられた。だが、シェーラの父も母も冒険から帰ってくると彼女に優しく接してくれた。シェーラはそんな父と母が大好きだった。
だが、シェーラが10歳の頃に事件が起こる。突如として大挙した魔獣の群れがシュタリオン王国を襲ったのである。奇しくもそれはシェーラの両親に恨みを持つ上級魔族の仕業であったらしい。他国への救助要請を行っても一週間以上はかかる状況でシェーラの両親は自国の兵士たちと共に勇敢に戦った。
激しい戦いだった。倒しても倒しても減ることのない魔獣に対してシュタリオン側は徐々に疲弊していった。優れた剣技の使い手であったシュタリオン国王も戦士としては再起不能となる深い傷を負い、王国の近衛騎士団も一人を残して全滅した。激しい攻防の中でシェーラの母の魔力回復も追いつかないようになり、ついには籠城するしかなくなった。
籠城というのは味方の援護が期待されてはじめて成立する戦術である。だが、魔獣の群れはそんな暇など与えてくれなかった。強固であるはずの王国の城門がついに破られようとする中で彼女の母親はついに決意した。
自らの生命の力を魔力に変えて周辺一帯を巻き添えにして自爆する自己犠牲呪文を使うことを。彼女は勿論、彼女の父親も猛反発した。だが、これしか方法がないことを彼女の母は知っていた。だからこそ彼女の母は泣きじゃくるシェーラの頭を撫でてその首に自分が大事にしていた守護の首飾りをかけてくれたのである。シェーラの記憶はそこで途絶えている。恐らくは尚も引き留めようとしたシェーラに対して彼女の母が睡眠魔法をかけたのだろう。
彼女が目を覚ました頃には全てが終わっていた。王国にいた魔獣の群れをそれら率いる上級魔族ごと全て消し炭にした彼女の母親は最早この世のどこにも存在しなかった。わずかに残された形見の首飾りを握りしめながらシェーラは号泣したという。




