12-5(P128)
不気味な地蔵尊達の横を通り抜けていくとその先に怪しい影が見えてきた。人間らしきものではあるが、身動き一つしない。何だか嫌な予感がして近づいてみるとそれは物言わぬ石像の群れであった。まさかと思って周囲を見渡すとやはりそこに司馬さんの石像があった。信じたくはなかったが、インフィニティに鑑定してもらったところ、間違いなく司馬さんが石化したものであることが分かった。
「魔法か回復薬で回復できないか」
俺がそう尋ねるとインフィニティはお手上げだというジェスチャーを取った。彼女の話ではこの石化は呪詛のようなものらしく、術者をどうにかするかどうにかしてもらうしか解呪する方法はないのだという。思いのほか厄介だな。
「…司馬さん、なんて姿に」
俺の背後から追いついてきたワンコさんが司馬さんの姿を見つけて膝から崩れ落ちる。普段怒鳴られていてばかりだったけどワンコさんは司馬さんの事を慕っていたから当然だろう。司馬さんは今にも動き出しそうな表情のまま固まっていた。何者かに反撃しようとしたのだろうか、固有武装である魔剣ダインスレイブを掲げた状態なのだが、なんだかそれに違和感を覚えた。生身でこの剣を使うはずがないのに鎧を身につけていないのだ。その疑問にはインフィニティが応えてくれた。
「マスター、司馬の足元をよく見てください、変身途中だったようです」
見ると確かに司馬さんの足元は鎧が途中まで装着された状態だった。だとすれば司馬さんが戦おうとした相手は司馬さんが鎧を身につける数秒の間に石化させたという事になる。
こんな人間兵器みたいな人を一体誰が石にしたというのだ。
「あまり考えたくはないが、司馬君より厄介な相手だという事だな」
「うう、勝てるイメージが沸かない…」
そういえばワンコさんが馬翁村には魔王が潜んでいるといっていたな。そいつの仕業だとしたら何らかの方法で司馬さんの石化を解いてもらうしかない。とはいっても近くに集落らしきものは見当たらないんだが。霧が深いせいか遠くが見渡せない。
「晴彦君、もう少し奥へ行ってみよう」
クリスさんの提案に頷きながら俺たちは石像が置いてある場所より奥に入り込んだ。そしてすぐに異変に気付いた。霧で周囲が全く見えなくなったのだ。かろうじて仲間たちの姿は確認できるもののこれはまずい。今襲撃を受けたら確実に不意打ちを喰らう。
「皆、なるべく散らずに一カ所にまとまって動くようにするんだ」
某RPGで言えばいのちだいじにといったところだ。俺は仲間に指示を出しながら周囲を警戒するために魔力感知を行おうとした。だが、魔力感知が全く働かなかった。魔力そのものを感知できないのだ。異変に気付いたのは俺だけではなくクリスさんも同様だった。風の魔力を掌に集めようと試みたものの霧散している様子だった。
「うーん、この霧の影響かな。早く抜けたほうが賢明だね」
「…ですね」
クリスさんと俺、そしてワンコさんは周囲に警戒しながらシェーラを守るようにして霧の中を歩き続けた。その後をインフィニティがおっかなびっくりついてくる。おい、少しは護衛しろ。そんなツッコミが喉元まで出そうになったが、様子を見る限りは本当に何かを恐れているようであった。
「どうしたんだよ、流石の鑑定スキルでも恐れるものがあったのか」
「…この場所の気持ち悪さは尋常じゃないです。私…はじめて怖いという感情がこみ上げています」
そんなことを涙目でいうものだから俺は溜息をつきながらインフィニティの側まで行って二の腕を強引に掴んだ。
「だったらはぐれるな」
「…優しいんですね」
スキルに褒められても全然嬉しくないので「ふん」という鼻息で返事をしてやったが、インフィニティは珍しく嬉しそうだった。そんなやり取りをしながら歩いていくとやがて霧が晴れてきた。
◆◇◆◇◆◇
乳白色の霧を抜けた瞬間、俺はわが目を疑った。目の前が突然に昼のように明るくなったからだ。今の時間は夜だったよな、そう思って時間を確認すると確かに時刻は夜の20時頃であった。先ほどの霧が嘘のように晴れた先はからりとした晴天であった。俺が目を疑ったのはそれだけではない。目の前に広がるのがあまりに牧歌的な風景だったからだ。
パッと見ての第一印象は普通の農村である。近くの畑では畑を耕すために老人が鍬で地面を掘り返しているし、あぜ道ではトラクターがゆっくりしたスピードで走っている。俺のすぐそばで虫取り網を持った子供たちが元気よく駆けていく姿を見るとどう見ても普通の村にしか見えなかった。
「ハル君、私は悪い夢でも見ているのだろうか。それともこれも幻覚の類か」
「いや、これは幻覚ではないですよ、マスター」
確信を持った表情でインフィニティがそういうものだから幻覚ではないのは間違いない。どうするべきか戸惑っていたら近くを通りがかった老婆が俺たちの方へ近づいてきた。
「あんたら、どこから来なすったね」
「えっと、霧の向こうからです」
「おお、そうか。山歩きは大変じゃったじゃろう」
「いや、というか、すんません。戸惑ってまして」
何から聞くべきなんだろう。すっかりペースを乱されてしまって混乱する俺に老婆が尋ねてきた。そんなことを考えていたらインフィニティが俺の後ろに隠れて警戒しだした。気のせいか震えている。こいつ、そんなに人見知りだったか。
「このような辺鄙な場所に何用じゃ」
言っていいのか迷ったが、俺は正直に目的を告白した。
「石像になった知人を助けに来ました」
「石像?わしには何のことかよく分からんが…おーい、マルちゃんや」
老婆にそう呼ばれたのは鍬で畑を耕していた老人だった。老人は自分が呼ばれていることに気づいて曲がった腰でヒイヒイ言いながら俺たちの方へやってきた。騒ぎを聞きつけたのか畑仕事をしていた他の村人まで集まってきた。ざっと見て20人ほどだろうか。どこにここまでの人がいたのだろうか。ちょっとした騒ぎになってしまっている有様だ。
「バアちゃんや、どうしたんじゃな」
「ああ、石像が何とか言ってきとるもんでな、あんたなら何か知っとるかと思ってのう」
「石像?なんじゃ、お前さんらもあの悪たれどもの知り合いか」
「し、知ってるんですか」
「あの馬鹿ども、人の畑に勝手に踏み込むもんじゃから石にして置物にしてやったんじゃよ」
俺は自分の耳を疑った。こんな腰が曲がった老人が司馬さんを石にしたというのか。だとしたらこの人がこの村に潜んでいる魔王ということなのだろうか。その時になってインフィニティが俺の服の裾を力いっぱい握りしめていることに気づいた。話の途中なのになんだよと文句を言おうと振り返ったらいつにも増して青ざめた表情をしているではないか。
「マスタ―、ここ、駄目です。早く、早く出ましょう。殺されます」
「なんだよ、話の途中なのにどうしたんだ」
「ここの村人たち、普通の人じゃありません、というか人間じゃない」
「失礼なこと言うな、どう見たって普通の人達だろうが。人間じゃないなら一体何だって言うんだ」
「全員が…魔王です」
何を言っている。そんな馬鹿な。俺はそう言ってから馬鹿な意見を否定するために周囲の魔力を感知した。俺を簡単に上回る凄まじい魔力の塊がごろごろいることを感知できた。一瞬にして得体の知れない者たちに囲まれていることを悟り、蛇に睨まれた状態になった俺は辺りを見渡した瞬間に思い出した。魔王からは逃げられないということを。