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クリスは夢の中で微睡んでいた。また繰り返すあの夢だ。かつて自分が侵した罪を振り返る遠い過去の記憶。勇者でありながら人間同士の戦争に駆り出されて多くの人間を殺した虐殺者クリス。彼は必死で家族や仲間を守るために戦い続けた。だが、激化していく戦いの中で次第に彼は人間性を失っていった。いかに効率的に人間を殺すか。いかに多く殺すか。殺せば殺すほど経験値という形で自らの力が増すにつれて彼はそれだけを戦場に求めるようになった。力を求めて人を殺していくうちに彼は味方にさえ恐れられるようになった。彼が真剣に敵を殺せば殺すほど仲間たちは彼を恐れるようになり、その距離は開いていった。
あるいはそれゆえの必然だったのだろうか。戦争が終わって平和になった平和式典の日、彼は守護していた王家によって陥れられた。魔術を封印する多重結界の中で数えきれない弓矢で射られた彼は死にたくない一心で禁断の力を解放した。魔神獣。人間を越えた力を手にする代わりに人間性を捨て去った彼はデモンズスライムとなって人間を次々に喰らった。だが、喰らえど喰らえど彼の飢えは満たされなかった。薄れゆく視界と意識の中で襲った人間の中には彼を陥れた王家の人間の恐怖に引きつった表情、そして彼が愛した王女の哀し気な顔もあった。薄れゆく意識の中で彼女は何かをクリスに告げようとしていた。それが憎しみの声であったのか謝罪の声であったのかは今となっては分からなかった。
全てが終わって自我を取り戻した時に彼はもはや人間に戻れなかった。人気がなくなった廃墟となった城の中で途方に暮れた彼は一人で佇んでいた。そんな彼を襲ったのは外部から現れた数えきれない魔術師たちによる多重結界だった。煩わしい、この程度で縛り付けられるものか。彼は力を解放してその束縛を解き放とうとした。だが、できなかった。その時になってはじめて彼は自らの身体に何者かによる束縛が与えられていることに気づいた。一体何者だ。そう思いながら周囲を見当たすと数多くの魔術師の中に一人だけ若い女の姿があることに気づいた。あの女だ。あの女が何かをしている。クリスはそう判断して攻撃を加えようとした。だが、攻撃を行う前に魔術師たちの結界魔法は完成した。クリスが闇の中に堕ちていく様子を見て女は満足そうに笑った。
夢の最後はいつもここで終わりだった。永遠にも続く闇の中でクリスは解放されることなく佇み続ける。暗く冷え切った闇の中の永遠ともいえる孤独。その中でクリスが願うのはただ一つ。早くこの夢が終わりますようにという切実な願いだ。だが、今日の夢はそこで終わらなかった。
闇の中で一条の光が差し込んだかと思うと光り輝く手がクリスの前に差し出された。
『ずっと孤独だった苦しみは俺も知っています。だから俺は貴方を見捨てない。大事な仲間を見捨てやしない』
『――っ!』
それは晴彦であった。彼は優しい微笑みを浮かべながら、闇の中にいるクリスを迎えに来たのだ。クリスは一瞬差し出された手を握ることを躊躇した。だが、そんなクリスを晴彦は黙って待っていた。クリスは躊躇ったのちに晴彦の手を握り返した。その手はとても暖かく力強いものであった。
◆◇◆◇◆◇
さて、喧嘩を売ったのはいいものの今のままでは勝算が全くない。そんなわけでゼロスペースでの修行を行っているわけだが、あの偽物に勝てるイメージが全く涌かなかった。何なんだろう、あの強さは。本当に俺と同じ能力を持っているというのか。明らかに5割増しは強くなっているだろうが。
「…AIが悪いのかな」
「ほう、マスターは私が悪いとおっしゃいますか」
「そうはいっていない。ポンコツなりに頑張っているよ、お前は」
「…聴覚機能の故障でしょうか、今、ポンコツって言いませんでした」
「ああ、言ったよ。もう一度言おうか、ポンコツさん。どうかしたか」
「ポンコツマスターが私の事をポンコツって言った―っ!!」
「ええい、ポンコツをポンコツと言って何が悪い!!」
そう言って俺とインフィニティによる醜い悪口合戦が始まった。
「ポンコツって言う方がポンコツなんですよ!分かっているんですか、このポンコツ!」
「やかましいわ!元祖ポンコツが!そんなことばっかり言ってるとお前の名前もインフィニティからポンコニティに改名するぞ、このポンコツスキルが!!」
「だったら私もマスターの事をポンコツさんと呼ぶことにします!!」
がるるるっ!!まるで喧嘩している犬のように俺とインフィニティは犬歯を剥き出しにして睨み合った。暫く睨み合った後に馬鹿らしくなって言い合いをやめた。
「やめよう。こんなことをしている場合じゃないわ」
「そうですね。こんなじゃれ合いをして現実逃避している場合じゃありません」
俺の言葉に賛同してインフィニティも肩を落とした。何となく意気消沈した俺はインフィニティに尋ねた。
「なあ、あいつに勝てる自信あるか」
「正直なところ、今のままでは50%に満たないと推測されます」
「はっきり言うな」
「あの個体はマスターが使用を禁じているスキルをフル活用していますから」
そうなのである。あの個体、仮にブラック晴彦と呼称するが奴は俺が使用を禁じている物理吸収などのデモンズスライムのスキルも積極的に使用していた。あれが一番大きな差だ。奴に勝つためには体重が増えるのも覚悟して物理吸収を使うしかない。俺の思考を読み取ったインフィニティが尋ねる。
「よろしいのですか」
「ああ。仕方ないさ。体重は後で戻せるがクリスさんはかけがえのない仲間だからな」
俺がそう言った瞬間、ゼロスペースの休憩所から何者かが出てきたのが分かった。それは睡眠休憩を取っていたクリスさんだった。
「随分と臭いことを言ってくれるなあ、晴彦君」
「あらら、聞いちゃいましたか」
「聞こえたとも。全く赤面しそうになったよ。だが、君らしいとも思った。そんな君に良い提案があるんだが聞いてもらえるか」
クリスさんの顔はいつにも増して自信満々なものだった。そんなクリスさんの提案は驚くべきものだった。




