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次の日、訓練が終わった頃にはワンコさんの呪いの克服経験値もかなり蓄積されていた。このまま順調に行けば明日にも剣狼の呪いを克服できるはずだ。とはいってもかなり魔力も消費してしまったことだし、今日はここまでにして休むことにした。
ゼロスペースを出ると入った時同様に外は夕焼雲だった。夕飯をどうしようかなと思案してみると食材切れであることを思いだした。どうしようか考えているとワンコさんが荷物持ちに付き合ってくれると言ってくれたのでお言葉に甘えてスーパーに向かうことにした。
スーパーはタイムセールがすでに始まっており、夕飯の食材を求める主婦でごった返していた。ダイエットメニューを作ると言ってもできるだけ食事は楽しみたいのが藤堂流である。この日はトマトをくり抜いて豚ひき肉とチーズをふんだんに使ったトマトの肉詰めと同じくピーマンの肉詰めを作ることにした。ピーマンの肉詰めは照り焼きソースにする予定である。後は山盛りのキャベツの千切りを添えるつもりだ。
こう見えて引きこもり前は料理が好きで最近は料理にはまっているんだよな。俺の料理の腕前についてはまた今度語ることにして、買い物を終えた俺とワンコさんは買い物袋を下げながら帰宅することにした。
道すがら、先を歩いていたワンコさんが振り返って話しかけてきた。
「ハル君さ。ありがとうな」
「へ、何がです」
突然に礼を言われても何について言われているのか見当もつかなかった。我ながら間抜け面をしていたのだと思う。そんな俺を馬鹿にするでもなくワンコさんは続けた。
「実はさ、昨日の剣狼とハル君のやり取りを途中から聞いていたんだ」
「え、マジですか」
言われて驚いてしまった。てっきり熟睡していたものと思っていたら格好悪いにも程がる。どの辺りから聞いていたのだろう。俺がそれを尋ねるとワンコさんは申し訳なさそうに答えた。
「刀の霊の正体を先代の剣狼と見破ったところからかな」
「ほぼ最初からじゃないですか」
「そうとも言えるね」
情けない顔をしながら俺が笑うとワンコさんも苦笑で返してきた。まあ、しょうがないよな。格好よく見せようとして失敗するのもいつものことだ。前にワンコさんが腕を欠損した時の治療の時だって黙って去ろうとしていたのに爆睡して発見されてしまったのだからな。そんな俺の様子をワンコさんは楽しそうに眺めた。
「ハル君はずっと私が疑問に感じていたことを解決してくれたんだ」
「ずっと疑問に思っていたことですか」
「そう、なぜ先代の剣狼が私とハル君に呪いをかけたのか。優しかったお爺様が変わってしまったのかという疑問だよ」
「あの霊の正体が分かっていたんですか」
俺の質問にワンコさんは頷いた。そうなら言ってくれればよかったのに。そう言うと彼女は申し訳なさそうに笑った。
「最初からではないよ、あくまで途中から気づいたんだ。というのも私は幼少の頃にお爺様に頭を撫でられたことがあったからね」
「剣狼さんにですか」
「ああ。私にとって祖父は戦時下の英雄、いわば神様みたいな存在だった。一緒に住んでなかったから滅多にしか会えなかったが、亡くなる晩年までは遊びに行くたびに優しく接してくれたものだ。大きな手で私の頭をわしわしと撫でてくれた日の事を昨日のように覚えている。」
「そうだったんですね。面識があったのか」
「だからこそ違和感があったんだ。姿が若く見えるとはいえ面影は祖父のものなのにあの幻影は厳しすぎたからね。まさか私の成長を促すためにわざと厳しく接していたとは想像もできなかったよ」
「俺も人の事を言えませんが不器用だったんだと思います」
「ハル君が確認してくれなかったら私は一生気づくこともなく、祖父の事を恨んでいただろう」
ワンコさんはそう言った後に俺のすぐ側まで歩み寄った後に買い物袋を地面にゆっくりと下ろした後に俺の買い物袋も下ろさせた後に手を取った。俺より小さくてひんやりと冷たい手だった。この子もやっぱり女の子なんだな、そう内心で驚きながらも恥ずかしくなった俺は赤面した。
「ハル君。いつもありがとう。私の事を考えてくれて。必ず剣狼に勝つよ」
夕焼に照らされながら宣言したワンコさんの顔は自信に満ち溢れていた。俺はその顔がとても綺麗なものに見えて見惚れてしまった。そんな俺に無粋なインフィニティが声をかけてくる。
『マスター、心拍数が急上昇しています。体温も上昇していますが…駄目だ、聞こえていない。おーい、マスター…』
インフィニティの声をしばらくの間は無視しながら俺はワンコさんと手を繋ぎ続けた。
◆◇◆◇◆◇
次の日、いよいよ残り一回の変身でワンコさんの呪いが克服されそうになった瞬間、弾かれるようにワンコさんの手から剣狼から何者かの気配が離れた。その邪気は姿なき黒いオーラとなって宙を舞った後に一つの形となって俺たちの前に現れた。それは蜘蛛と狼をモチーフにした漆黒の鎧を身に纏った騎士だった。狼のようなフルフェイスの兜からは表情を読み取ることはできない。さらに背中に生えた八本の巨大な蜘蛛の触手は仏像の副腕を思わせた。
騎士は腰の刀を抜くとワンコさんの方へ突き付けた。
『仕上げだ。鎧を身に纏って俺に打ち勝て』
騎士の言葉にワンコさんは黙ったまま頷いた。そして心の中に浮かんできたであろう変身のためのキーワードを叫んだ。
「剛魔合身っ!!」
その瞬間、剣狼の鞘から放たれた凄まじい数の蜘蛛の糸が帯のようにワンコさんの体中を覆いつくす。だが、彼女はそれに抗わなかった。長きに渡る特訓の成果で蜘蛛の力すらも自身の力であると受け入れたことで完全に力のコントロールが可能となったのである。その腕が、足が、体全てが蜘蛛の外骨格に覆われていく。骨格に頭部までが覆われた後に凄まじい熱風が周囲一面に吹きすさんだ。危うく飛ばされそうになるのをこらえた後で熱風の間から垣間見たのは純白の鎧を身に纏った半人半獣の騎士となったワンコさんの姿だった。
ワンコさんの変化を漆黒の騎士は満足そうに眺めた。ワンコさんはそれに頷くと刀を引き抜いて騎士に切り掛かった。二人の騎士は自らの刀だけではなく背中の副腕も使って激しく打ち合った。副腕の一つ一つが刀と遜色ない威力の一撃である。そう垣間見えた。絶え間なく続く金属音と火花の中でワンコさんは次第に押されていった。だが、彼女は諦めなかった。漆黒の騎士の一刀がワンコさんの顔すれすれに当たり、兜の一部が吹き飛ぶ。兜を破壊されてその素顔があらわになっても彼女は全く怯むことがなかった。
「私は打ち勝つ。この戦いに勝ってハル君と対等に戦える存在になるんだっ!」
瞬間、凄まじい熱と闘気をワンコさんは纏った。その奔流は縦向きの闘気の竜巻となって漆黒の騎士の身体の自由を奪う。その竜巻の中心目がけてワンコさんは高速で駆け抜けていった。全く見切れない斬撃が駆け抜けていった後に体中を切り刻まれた漆黒の騎士は満足そうにしながら消滅した。
戦いが終わった後に全ての力を使い果たしたワンコさんはその場に崩れ落ちた。凄まじい蒸気の熱が上がっているが、その顔は満足そうであった。そんな彼女の頭上から何者かの声が響いた。
『よくやったな。今日から貴様は三代目剣狼を名乗るがいい』
それは倒されたはずのワンコさんの祖父の声であった。祖父の祝福を受けながらワンコさんは満足そうに笑った後に意識を失ったのだった。