第六十話 ~侍女オルトルート~
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「ほう。似合っているではないか。あの女より可愛げがあるぞ」
「全くもってうれしくない言葉だな。嫌がらせになるの分かっていってるだろ」
「えと………似合っています、よ………先生?」
「ありがとうな~ナフェリア」
「なんだその対応の差は。実に気に入らん」
積み重ねてきた信頼の差だよ。あと性格の差でもある。まあそれはさておき………鏡の前でくるりと一周回る。
翠の髪が揺れ、それと同時にフリルとレースで彩られた白と黒のエプロンドレスが空気に乗って踊りだす。
足元はそれほど高くはないにせよヒールであり、肌を覆うのはガーターベルトで止められたストッキング。そして頭には純白のメイドキャップが載せられていた。
因みにエプロンドレスの後ろは大きく開いており、そういう構造上現在の俺はノーブラである。
スカートの下のパンツも、いわゆる夜伽用のそれであり、物凄く着心地が悪い。
「………ナフェリアはきちんとお前預かりになるんだろうな」
「当然だ、私は己の言葉の責任は取る。私の手元にある侍女に手を出そうなどと思う愚か者はいない」
「ならいいけどな」
―――貴族外縁と呼ばれるこの第一外縁。フェツフグオルにおいて最も高貴な人間が集まるこの王の笏に使える侍女は、第二外縁や場合によっては第一外縁に居を持つ貴族の血筋であることが多い。
貴族の次女、三女といった存在が何故この場所にて侍女をやっているのかというと………まあ、ある意味では就職のため、というのが正しかったりする。
これは侍女にということではなく―――貴族と肉体関係を持ち、愛人になるという意味だ。
外縁都市は国家から逸脱した特殊な位置にあるが、貴族制度にはそこまで大きな差はない。貴族はある程度の特権が認められており、そして貴族の常として本妻の他に愛人を持つことも当たり前のこととなっている。そして、王の笏にて働けないいわゆる能力の低い貴族たちであっても自身の娘が王の笏にて働く有力な貴族と愛人関係を持てれば、多大な資金援助が行われるのだ。
差は少ないとはいえ、国家の貴族制度よりも外縁都市の貴族制度の方がややシビアで能力主義なところがある。使えない奴は都市の頭脳である王の笏の議会から簡単に追放され、更に第一外縁や第二外縁に住むことが出来るほどの暮らしが維持できなくなれば第三外縁以降に追いやられ、貴族としての権利を奪われるのである。
まあ、王の笏からの追放はまだ貴族として終わったわけではないが、もしもその貴族の家が王の笏以外に事業を持たなかった場合、貴族の権利を維持するために残された手段は娘を王の笏の侍女として送り込み、有力貴族に愛されるのを祈って待つしかないということになる。
………大陸の東に存在する大国の後宮制度と呼ばれるものに近い構造だな。
王の笏の侍女が皆、容姿端麗なのはそういう理由だ。フェツフグオルがその疑似的な後宮制度を採用しているのは、優秀な貴族の血を絶やさないためである。ライフェンブラーのような長い寿命を持つ存在ならいざ知らず、人間は百年もたたずに死ぬからな。
血も知識も才覚も時によって劣化するにせよ、種をばら撒いておけばどこからか次代の芽は開くと、そう考えての事なのだろう。
「侍女に扮するのだ、間違っても貴族を蹴るなよ」
「一応は気を付ける」
「迫られたらおとなしく食われろ」
「それは無理」
そんなことしてきたら万物融解剤をぶっかけて骨すら残さず溶かす自信があるぞ。
一応、精神はまだ男の物なんでな。
「侍女の住む寮は王の笏の内部だ。一人部屋を準備しておいた。鍵は閉めるなよ、夜這いを行う貴族がいる」
「猿がよぉ………」
後宮制度をまねたものであるため、夜の時間は性の時間だ。具体的に言うと目を付けた相手の元に貴族が這い寄るのである、シンプルに死んでくれ。
なお、本来の後宮とは違い、フェツフグオルは王の笏にて働く貴族に限定しても、それなりの数が存在している。
帝や皇帝が一人だけいて妃を探すというシステムとは違い、侍女は無数に要るとはいえ運が悪ければ同じ相手を同時に狙うという事例が発生するわけだ。そういう場合、先約がいますという場合は扉の前に一輪、花を飾る。
フェツフグオルの貴族はその家の紋章に花を採用しており、自身の家柄の花を扉の前に差すことで唾を付けたことを他の貴族に知らせているのである。うん、死んでくれ。
「最近は貴族が数人一度に一人の侍女の元に集まることも多い。そういう流行りなのだろう」
「あー最悪だなぁ………」
「侍女の方も嫌がってはいないようだが」
「趣味があってんだなぁ………俺には無理」
「オルトルート。その一人称はどうにかしておけ。良家で育った侍女の中でその口調は目立つ」
「分かってるよ………」
それくらいの切り替えは普通にできるわ。
なんとも憂鬱な気持ちを抱えつつ、ライフェンブラーの私室から出る。王の笏の有力貴族となると、このように部屋が与えられ、寝泊まりすらできるようになるのだ。長い事このフェツフグオルの裁定者として君臨しているライフェンブラーの私室はもっとも大きく、壮麗な装飾が施されている。
とはいえ、ライフェンブラーを含めて貴族たちにはこの第一外縁の中に自身の邸宅が存在しているので、わざわざ仕事場であるここに止まろうという人間は少ないらしいが。
というか、なんでライフェンブラーの私室に侍女服が置いてあるんだろうな。趣味で自分で着てるのか?似合わないことこの上無さそうだが。
扉を閉める前にそういえばと思い立つと、扉の中に顔を突っ込んでライフェンブラーに問いかける。
「それで、ライフェンブラー」
「様を付けろ」
「………ライフェンブラー、様。私の仕事は何でしょうか?」
「基本雑用だ。そうでなければOBの行動についていけないだろう」
「という事は廊下や窓の掃除を?」
「ついでに各貴族の私室の清掃も行え。存外に汚れていてな」
「おい、ついでだからって人を便利に使うんじゃねぇ」
「なんだ嫌か。その仕事が嫌だというならば、貴族共に翠の髪の侍女はいつでも襲っていいと通達するべきか?身体を売るのもこの王の笏では仕事の一種だ」
「本当に性格悪いよな、あんた」
昔から変わらずというべきか。
「あー………掃除すりゃいいんだろ、分かったよ」
「どうせやるのだから素直に頷け。時間の無駄だ」
「ぐ………ぐぬぬぬ」
歯軋りをした後に、溜息を吐く。こいつのペースに乗せられても何もいいことがないんだった。
ライフェンブラーから視線を外し、ナフェリアの方を見ると微笑みかける。
「ナフェリア、一応気をつけてな。何があるか分からないから。もし他の貴族に変な事されそうになったら、そこのクッソ底意地の悪い性悪年増貴族に助けを求めるんだぞ?」
「おい今日の夜覚悟しておけよオルトルート」
知らんわ。
「性格は死んでるけど、一応優れた人間であることは間違いないからな、そこの金髪ロリ」
「おい」
「先生も、気を付けてください………ね?」
「おう」
手を振って、部屋を出る。
まずは侍女の待機部屋に行って、仕事するための清掃用具を取りにいかないとか。それに加え、OB捜索という本題もこなさなければ。
………頑張るとするか。頑張って、それでさっさとこの王の笏から出るとしよう。ここは俺のいる場所じゃないから。
丈の短いエプロンドレスのスカートを翻しつつ、俺は歩き出した。




