第五十九話 ~取引~
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「貴族の責務として、客人にもてなしはしなければな。オルトルートは兎も角として、そこの少女に関してはきちんと出迎えよう」
「………俺にも気を使ってくれてもいいとは思うけどな」
「この私が、お前に気を利かせるとでも?」
「へいへい。だと思ったよ」
王の笏。その机の上に足を乗せてそうぼやく。
多くの貴族たちが集い、その知恵を働かせる街の中枢たる大議事堂。その中にいるのは、師匠を含めても四人だけ。この議事堂を占拠できる人間はこの街でも限られるが、その中でもこの少人数で占拠する例というのは限られてくるだろう。
「ナフェリアだったか。いい目をしている、そこの馬鹿に愛想を尽かせたら王の笏に来るがいい」
「弟子を悪魔の巣に勧誘すんな」
「変人の巣にいるよりはマシだろう」
「誰が変人だ!!」
命核解者である俺よりもずっとライフェンブラーの方が変人である。………まあそれはさておき。
溜息をつくと、改めてライフェンブラーに向き直る。
「俺とお前はもう立場が違うんだ。だから有意義な話をしよう―――OBについての情報交換だ。現状、奴について掴んでいることは?」
「奴は貴族としてこの街に潜入してきた。貴族の地位を与えたのはフェツフグオルだが、最初に貴族の権利を要求してきたのは奴だ」
「どう考えても怪しいだろ、なんで許可したんだ」
思わず半目になりながら、ライフェンブラーに対してそう問いかける。
まあ、なんで許可したかなんて聞く必要はない気もするが。この女は腐っても師匠の娘だ。その精神性は大きく普遍的な人間から乖離している。
―――リリアス=エルフィー・ライフェンブラーの名は、この街で拾われたライフェンブラーという育ての親を持たない少女に与えられた名前である。そして、ライフェンブラー・フィロソフィアは師匠、即ちアリストテレスの娘としての意味を持つ。
こいつには二つの名前があって、そしてその二つを同居させても問題ないだけの頭脳を保持している。立場の使い分けをいとも容易くやって見せるのが、ライフェンブラーという女なのだ。
「この街の総意だ。即ち、王の笏の意思ともいえる。私はあくまでも裁定者だ、決定そのものに干渉するのは正しい事ではない」
「つまり王の笏全体が認めたからってことか」
「ああ。まあ、その総意には何かしらの絡繰りがあることは間違いないだろうがな」
「………命核解者なら、そして錬金術師ならその辺りを操れてもおかしくはない、か」
口元に手を当ててそうぼやくと、机の上に置いていた足が叩き落とされた。
ばちーん、と。割といい音を立てて。俺じゃなかったら足の肉抉れてるレベルじゃないですかねそれ。
「痛いんだが?」
「マナーがなってない」
「わざとだよ」
「ふん。野良犬め」
そんな俺たちのやり取りを不安そうに眺めていたナフェリアの前に、紅茶が置かれる。分かってはいたことだが、俺の前には無い。
「あ………ありがとう、ございます………」
「いい、最低限のもてなしだ。さて、相手は錬金術師か。古き時代の神秘を操るモノ………とはいえ、腕前はさほど優れているわけではなさそうだが」
「あ?そうなのか?」
「相手を改竄するのではなく、自身の印象に手を入れた。これは出来ることに明確に限りがある証拠だ。そしてこれは奴が活動するためには現実に準拠する拠点が必要になり、その拠点には魔術的な防備が施されているとしても、捜索が不可能な段階にはないという事になる。どうだ、今までも捜索してきたのだろう?事例があったのではないか?」
「………まあ、そうだな」
簡易拠点には魔術的な鍵と錠が設定されてはいても、攻略不可能ではなかった。あれはようは魔術による壁でしかない。魔術の腕前がすぐれている人間の拠点というのは、そもそもとして見つけられないのだ。
例えば物理現象にすら作用する結界。或いは、現実世界から逸脱した異界に拠点が作られている等々………そう考えれば確かに、OBたる錬金術師は魔術師としての腕前はそこまで優れているわけではないのだろう。
「それで、だ。オルトルート、奴に対しての情報を与えてやったのだ。対価は支払ってもらわねば困るが」
「対価取るのかよ………ぼったくりだろ………」
「対価を支払わないのであれば情報共有はここで終わりだ。命核解者よ、勘違いして貰っては困るな。これは街とお前たちとの取引だ」
大した情報貰ってないだろ、おい。
溜息を吐きながら、髪の房をくるくると指で巻く。対価か………ライフェンブラーは師匠に負けず劣らずの頑固者だ。一度決めたこと、そして要求したことは絶対に翻さない。
つまり、決定的な情報が欲しいのであればそれ相応の支払いをしなければならない。
「とはいってもなぁ………ライフェンブラー。俺に金はないぞ」
「お前のような貧乏人から金を毟り取るとでも?」
「分かってはいたけどマジでお前俺に対してだけ失礼すぎるからな?」
「借金塗れの間抜けに言われたくない」
「ぐ………ぬぬ………」
なんでそこ、筒抜けているんだろうか。いや、まあ………金の流れくらい全部把握していてもおかしくはないんだが。
王の笏ならばそれが出来る機能を持つし、ライフェンブラーの頭脳ならそれを把握できる。
「そんなに難しいことは要求しない。この騒動が終わってからでいい、お前の身体を貸せ。王の笏で下働きさせてやる」
「………俺、他のところでバイトしているんだけどなぁ」
「取引を優先してもらわねばな」
「俺のだって契約なんだけど」
ハナさん達にごめんなさいするしかないだろうなぁ………。
「それで?」
「分かったよ………対価を支払ったんだ、もっといい情報をくれるんだろう?」
「ああ。だが待て、その前に契約書に記名しろ。何枚もあるぞ」
「分かった分かった面倒くさいな」
契約書に名前を書くと、ライフェンブラーが満足そうに頷いてそれを自身の懐にしまい込んだ。契約書の中身あんまり深く読んでなかったけど、俺に不利な条件を勝手に入れ込んでないだろうな………?
若干の不安を残しつつも、ライフェンブラーが話を始めるそぶりを見せたので黙る。
「奴、お前たちがOBと呼ぶ存在は恐らくあと一度―――この王の笏を訪れるだろう。奴はこの街そのものに執心があり、私のことも狙っていたようだからな」
「お前なんでそんな奴と一緒に居られんの………?」
「どうせ手出しはさせないのだ。問題にもならないな。さて、王の笏の大多数の貴族連中は奴の認識阻害を看破することは出来ない。魔術的な耐性も、命核解者を敵に回す経験も殆どないからな。それ自体はどうでもいいとして、その前提であるが故にOBは王の笏に堂々と乗り込み、当たり前のように去っていくだろう」
「つまり、俺たちはそこを襲えばいいわけか。殆どの連中の認識を弄れている以上、無警戒な部分があるから」
「そうとも。オルトルート、今のお前はなかなかに見目の麗しい姿をしている―――あいつの容姿をほめるようで癪ではあるが、まあ若干ヴィヴィとは違うからな」
あ、差異に気が付くんですね。あいつの身体を素体とした以上、誤差は殆ど一卵性の双子レベルだというのに。
それよりも急に俺の容姿を褒めだしたライフェンブラーに強く警戒する。変なことを言われても断れるように、しっかりと頭を回しておく。
「そこの少女、ナフェリア。君も同じく美人だ。故に協力してもらいたい」
「え、わ、わたし………ですか?」
「おい。弟子を巻き込むな」
「危険な事ではない。危険に陥るのはお前だけだ、オルトルート」
「あー。まあそれなら………いや良くないけど」
一瞬納得するところだった。
「………俺たちに何をやらせたいんだよ」
「侍女だ」
「はい?」
「だから侍女だ。侍女に扮せ。そうすれば王の笏の会議中だろうが普段の生活の中だろうが常に王の笏の中で警戒し続けられる。OBがいつ来るか、そこまでは推測しかできないからな」
「………」
やばい、ライフェンブラーのやつ正論しか言ってない。というか俺たち側にそれを拒否できる材料がない。だとしても、はいそうですかと納得することが出来る条件ではないのだ。
王の笏の侍女をやれって?寄りによって?この第一外縁、貴族街の侍女に扮せって?
「おいライフェンブラー!!本当に、ナフェリアに危険は及ばないんだろうな!」
「保証しよう。具体的に言えば私の影響範囲内に置いておく」
「………あー、もう………分かった」
口でライフェンブラーに勝てるわけがない。そして根回しの良さではもっと勝てる筈が無い。
こうなることは確定していたのだろう。ならば潔く諦めたほうが効率がいい。
手を挙げて降参のポーズを取ると、ライフェンブラーが満足そうに頷いた。
「よし。では今からこの王の笏の侍女として活動して貰おう。さあ働け、命核解者」
こうして、俺はOBを追うために少しの間、王の笏の侍女に扮することになった。
―――実に不安であり、不快である。だがOBに限りなく近づいていると思えば………なんとか、我慢は出来る、はずだ。
ええい!!頑張れ、俺!!!具体的に言うと貴族たちの股座を蹴らないように!!!




