第五十八話 ~ライフェンブラーという少女~
さて。壮麗門の中に入ったからといって、俺がやることは大して変わらない。
自身の肉体に埋め込んだ眼の記憶を基にして、OBの痕跡を探る。
「………」
そう、探るつもりであったのだが―――なんとまあ、これはこれは。思わず口元を歪めてしまった。ヴィヴィに似せた肉体でこれをやると、あいつ自身になったみたいに錯覚するが、まあそれはさておく。
「やはり、貴族の中に紛れていた………」
………死者の眼球に捉えられる情報は、片方の目の正常な視界に上乗せされる形で表示される。片目だけで見れば勿論、片方だけの情報を認識することになるが、両の目を開いている限りは双方の情報を同時に処理しているわけだ。
その目が移すのは、第一外縁内部の至る場所に存在する、OBの痕跡であった。薄まった匂いが視覚化されたものもあれば、足跡が映っている場合もある。
壮麗門の外に出ている痕跡もあり、研究の素材集めとしてこの街を利用していたのは間違いがなさそうだ。
最も濃い痕跡は、ライフェンブラーたち街の意思決定を行う主要な貴族が会議の際に集まる、王の笏と呼ばれる建物の中へと続いている。
「いや、引き返している痕跡もある………恒常的に出入りしている………?」
―――ああ。そうなると………。
頬に汗が伝うのを自覚する。直観ではなく、経験則から来る………もの凄く嫌な予感だ。それが、俺の背中をずっしりと覆い、重りとしてのしかかり始めていた。
ライフェンブラーという貴族は。あの女は、たかだが錬金術師程度に騙されるような存在ではない。掌で踊らされるなど、まずありえない。という事は。
「見た顔と、見ない顔だな。………ご苦労、衛視諸君。君たちは元の仕事に戻れ、私の話の邪魔になる」
「ラ、ライフェンブラー卿!?」
「し、しかし………御身が危険では………!!!」
「そこの娘が本気を出せばお前たちではどうせ太刀打ちできない―――いや。待て、見ない顔が二つ………か?」
「流石に、鋭いな。久しぶり、ライフェンブラー」
「………そういうことか。いい、元の業務に戻れ。旧知の仲だ」
最初から、待たれていた。俺か、或いは俺以外のOB狩りを行う命核解者が来ることを。
きっとライフェンブラーはOBに裏切られていることを認識したうえで、泳がせていたのだ。理由は、分からないが。
敬礼をした後に壮麗門へと去っていく衛視を見送り、声の方に視線を向ければ、冷たい視線で俺たちを射抜く少女の影が。艶やかな金の髪を靡かせる彼女が、王の笏のバルコニーから俺たちを静かに見下ろしていた。
「………悪い冗談だな。それは変装か、オルトルート」
「まさか。立ってるんだ、分かるだろ?」
「あのような女を好くこと自体、気色の悪い趣味だとは思っていた。だが、姿と性質まで真似るとは」
「おいこら、人の初恋馬鹿にすんな」
しなりと垂れるのは、二房の金色の髪。その長い髪を揺らしつつ、二階相当のバルコニーから身を翻したライフェンブラーが俺たちの前に着地した。
………相変わらず、ヴィヴィや師匠、そしてナフェリアに劣らない美人だと思う。
「おとなしく私に惚れていれば良かったものを」
「………ほれ………えっと、先生と、この方は………どういう、関係で………?」
「………言葉にすると、いろいろと難しいんだよ。説明は、まあ………また今度するから………」
ナフェリアが静かに首を傾げていた。うーん、まあそうなるよなぁ。
俺とライフェンブラーは実はかなり長い付き合いである。いや、近年はあまり親交がなかったにせよ、最初に出会ったのは師匠よりも先だ。
俺がヴィヴィに出会う前から、そして師匠に会う前から俺はライフェンブラーという貴族を知っていた。
「あんたに恋愛感情があるとは思ってないよ。惚れていれば無償で奉仕されるからってだけだろ?」
「当然だ。人に恋するなど下らない。………それよりも、随分と遅かったな………命核解者共。待ちくたびれたぞ」
人よりもやや長い両の耳を揺らしつつ、腕を組んだライフェンブラーがそう言った。
なお、俺の肩に止まっている師匠はずっと黙ったままである。いろいろと、心の中にあるんだろう。俺とライフェンブラーの因縁は大したものではないが、師匠とライフェンブラーの確執はかなり根深いものである。そっと師匠を俺の髪の中に隠しつつ、ライフェンブラーに対し小さな小瓶を放り投げた。
「”万麗華”から精製した栄養剤だ。それを使えば一つの土地を丸ごと巨大な無限農場にできる。必要だろ?」
「ああ、ご苦労。あの錬金術師より余程役に立つ代物だ。貴様らはあいつを探しに来たのだろう?」
「………なんで引き入れたんだ。錬金術師の危険さは分かってるだろう?」
「奴は命核解者と名乗っている。まあそれ自体はどうでもいい―――奴の持つ先端医療技術はこの街に必要だからな。多少の人命と、死者の尊厳を代償としても、街を存続させるためには手に入れるべきだ」
まあ、そもそも―――と前置きをして。
「奴を引き入れたことはこの街の意思だ。ライフェンブラーという貴族がそれに対し何かを講ずることはない。私個人の意思としては別だがな」
「だろうな。あんたは命核解者も錬金術師も魔術師も、等しく嫌いだろう?」
良くも悪くも、ライフェンブラーという貴族に個人の意識は存在しない。あくまでも街の意思決定機関である王の笏での裁定者であり、滅多なことがなければ王の笏に対し問いかけることがあってもその決断を否とすることはないのである。
そうなると、俺たちとこうして接触するのは貴族リリアス=エルフィー・ライフェンブラーとしてではなく、個人のライフェンブラー・フィロソフィアとしてのものであるとも推測ができた。
「俺たちが探しているアウト・オブ・バウンズ………OBの居場所は?」
「さあな。秘密主義者だ、多くの貴様たちと同じく。だが―――探し出すというのであれば、協力してやろう」
「そりゃどうも」
ライフェンブラーの能力は常人のそれよりも遥かに高い。古代より血を繋ぐエルフの末裔である彼女は身体能力も思考能力も、普通の人間よりもずっと優れているのだ。
二階バルコニーから飛び降りて無傷な時点でその辺りは嫌でも理解できるけどな。バルコニー、結構高い位置にあるんだけどなぁ。
「では情報の共有と行こう。ついてこい、オルトルート。それと………」
「あ、ええと………ナフェリア、です………」
「ナフェリアか。ようこそ、王の笏へ。オルトルートにとっては久しぶり、そこの少女にとっては初めてだろう。案内してやるほどの暇は生憎と持ち合わせていないがな」
遊びに来たわけじゃないので案内は要らんがな。
………さて、まあ色々と予想外のことがさっそく発生してしまったわけではあるが。それでも、OBの情報に近づいているのは事実である。
それにしても、既に俺たちが侵入することを把握されていたのであれば、あれだけ頑張って魔術を使用したことが無駄な時間を過ごしただけになってしまっている気がしないでもない。
ああいや、決して………少なくとも俺にとっては無駄ではないんだが、な。
死者の眼球が疼き、暴れそうになるのを自覚する。それを手で押さえつつ、改めて確信した。
―――OBは近い。故にこそ、決戦に備えておくべきだろう。




