第五十三話 ~師匠とライフェンブラー・”フィロソフィア”~
ライフェンブラー。
このフェツフグオルにおいて、頂点に君臨する貴族の名前。自身を裁定者と名乗る、無駄に美人な少女。
「ライフェンブラーの本名は、ライフェンブラー・フィロソフィア。このフィロソフィアって名前、聞いたことあるか?」
改めて仮宿の木製の椅子に深く座りなおしたナフェリアに対し、そう問いかける。
フィロソフィア。古き言葉で愛と知を意味するこの単語を苗字に持つ存在は、この世界にはそうはいない。なにせ、これを苗字として備えている人間は現在、たった二人しかいないのだから。
「………ええと、いえ。ないです………勉強不足で、ごめんなさい………」
「ああいや、全然いいんだ。寧ろライフェンブラーの苗字を知っている人間の方が少ないからな」
遥か過去からこの街に住むあのハーフエルフの少女は、この街でライフェンブラーとだけ名乗っている。そもそも第一外縁から出てくることのない、引きこもり気質な人間だ。その名前自体、第二外縁以降では通りが悪い。ナフェリアの家は名家に分類されるところの筈だが、それでもかかわりは少ないどころか全くないといって差し支えないだろう。
「ライフェンブラー・フィロソフィア。エルフの血を半分引く、叡智を帯びた知性の怪物。その正体は………そこにいる師匠の、娘なんだ」
「………。………、―――っ?」
ぐるぐると。ナフェリアの表情が変わっていき、最後には師匠の顔をまじまじと見つめるほどになっていた。浮かぶ表所はまさに困惑と、話の信憑性への疑念だった。
まあ、そうだよなぁ。普通に考えればこの師匠が一児の母だとかいろいろな意味で思わない。
とはいえだ。この人、性に奔放なところがあるのは周知の事実。過去には名の知れた著名人ともかかわりがあったようだし、それらの逸話を考えれば子を一人くらい成していてもおかしくはないのだ。
………そう。生まれた子が、普通の人間であれば。
アリストテレス・フィロソフィアの胎から生まれたのは、半分を森と生きる亜人の血を半分宿した存在だった。命核解者と長命な寿命を持つエルフの仲の悪さは知っての通りだが、なぜそのセオリーを破ってライフェンブラーという例外が生まれたのか。それだけは、付き合いの長い俺でも知らない。
「アリス師匠………えっと、素朴な疑問………なんですが、良いですか………?」
「ああ、言ってみろ」
「………親子なら、なんで………嫌われて、いるんですか………?」
「遊びすぎたからだ」
「師匠、それは半分しか合ってませんよね」
正確に言えば。
「師匠はライフェンブラーを養育しなかった。つまりは、この街に捨てていった………ですよね」
「………ふん」
「その時のことを後悔しているなら、不機嫌にならないでくださいよ………」
別に師匠に恨みがあってこのようなことを言っているわけではない。俺は師匠に対して感謝しかしていない。何も出来なかった糞餓鬼に知恵を授けてくれたのだから。
街に捨てていったというのは、師匠が自身で言ったことだ。皮肉気に、悔し気に。恐らく、ライフェンブラーのこの街に置いていくしかない状態になっていたのだとは思うが………師匠は敵が多いし、不老を求めて多くの人間から狙われる立場だ。子連れのまま世界中を旅すれば、その危害は己ではなく娘に行くとわかっていたんだろう。それでも、たった一人の娘を置いていったことだけは心残りであり、胸に突き刺さった棘としていつまでも残り続けているのである。
因みに俺はライフェンブラーと直接の面識がある。話したこともある。彼女自身は、己が街に置いていかれた理由を察してはいるだろうし、納得もしているだろう。そもそも性格的に気にしてもいないとは思う。そのあたりの人間としての感性がゆがみ切っている所、親に似ているからなぁ。
だが、それはそれ。親心として、師匠はライフェンブラーに負い目を感じていて、それを認めたくないからこうして不機嫌になっているのである。
………それともう一つ。ライフェンブラーが師匠のことを嫌っているのは、殆ど同族嫌悪に近いものがある。お互い、似た者同士過ぎて付き合うのが難しいのだ。しがらみが被されば尚更に。
「とまあ、ここまでは師匠とライフェンブラーの感情と関係の話。ここからは、それがどう今回の潜入工作に関わってくるかなんだが」
「………半分………遊びすぎたから………えっと、その複雑な関係性が原因で………アリス師匠が、何度か街に危害を加えたから………とか、ですか?」
「おお、すごいなナフェリア!大正解だ!」
「シュフェリアの黄金塔倒壊に比べたら些事だ」
「それは言わないでください」
俺だけが原因じゃないって。
「こほん。まあ、ライフェンブラーという娘に会おうとした師匠が第一外縁の壁を抜いたり上空から落ちてきてクレーター生み出したり壁の下にどでかい穴掘ったりといろいろとやらかしたもんだから、その当の本人から指名手配を受けてるんだよ」
「………え、えっとー………」
「多くの手段を用いても、結局すべてが拒絶されたがな。それ以降、会うこと自体を辞めている」
「それは距離の詰め方を大いにミスったからです。普通にやってくださいよ、普通に」
「今更普通など、手に入るものか」
「………ま、そんな訳でいろいろと二人の関係性ってやつは拗れちゃっててな。会うに会えない、近づくのも気が引ける、そんな状態なんだ。第一外縁に生身のまま入れない理由はそれが主だよ」
「な、なるほど………」
他人の人間関係にはあまり首を突っ込まない質だ。師匠とライフェンブラーはまだ物理的にも精神的にも復縁できる余地が残されているので、無理強いやら強硬策やらは取る必要はない。
………なんだかんだ、師匠は人付き合いが得意じゃないからな。その辺りは弟子の俺が面倒見ないとってやつだ。同じくらいの天才とか頭ぶっ飛んだ人とか、そういう手合いとは仲良くなれるんだけどな。ナフェリアとは仲良くやれているし。
「………親子関係、家族。そうですよね、そういうのって………複雑、ですよね。分かりました、私………頑張ってみます。アリス師匠のために」
「そうか―――助かるよ、ナフェリア。さー、師匠。お礼言わないとですよ?」
「感謝する、ナフェリア少女」
「よしよしよく言えましたね師匠ぐはっ!!」
脇腹に師匠の手刀がぐさりと刺さったところで、趣旨説明は終了だ。ここからは実務的な話になるが、時間に猶予があるという訳でもない。手短に済ませるべきだろう。
即ち命核解者の原点でもある、古き魔術の用法―――錬金術の手法について。
今回の魔術使用に際し、錬金術を用いるのはこれが俺たちにとって最も理解が近いものだからだ。どんなものでも扱い方の分からないものは習得まで時間がかかる。道具でも技術でも研究であってもそれは変わらない。
畑違いの研究にとりかかるときと、今までの研究に近いものを行う時では研究の進み方が全く違うからなぁ。
「それじゃ、ここからは魔術のお勉強だ。必ずナフェリアにとって血肉になることだからな。………しっかり、学んでくれよ?」
「………はい………!!」
少しばかり、俺の欲望も混じっているが、それはさておき。
この世界に備わる古き神秘、古からの呪法について語るとしようか。




