第三十二話 ~偶然と邂逅~
さあ、仕事の続きだ。
配膳、注文取り、接客にお会計とやることは多い。俺はまだまだ労働自体になれていないのだから、こうして手伝いをしている時は一生懸命にやらないとである。
命核解者の研究を優先してもいいと言ってくれたのは凄くありがたい。言葉にも甘えさせてもらうつもりだ。
だからこそその分、働けるときに働かないとな。
「あ、いらっしゃいませ………ん?」
と、そんなことを思いながらお店の扉を開けた人に対して挨拶をする。そして、その後に首を傾げた。
「あのー、お客様。扉の前でじっとされてると、ちょっと困るんですが………」
扉を開けっぱなしにして立つそのお客様は、どこか異常だった。
いや、異常っていうのは若干の語弊がある。より正確にいえば異質、そして俺の目には随分と小さく見えた。………ああ、肉体的な話では無く。
「あー。おいし、そー」
「………あ、うん。料理はとってもおいしいですよ、おっちゃんの腕は確かなので………」
小さく見えたのは、精神性だった。
お客様の容姿はとても整った、作り物と見まごうばかりの美貌である。日が沈んだ後の空の色のような暗い青の髪を長く大雑把に後ろに流し、瞳は透明感を漂わせる赤色。
さらに身長は多分百七十センチはあるだろうか。俺からすれば見上げる形になる、長身の美女な訳だが、その視線の先は奥でおっちゃんが作っている料理の方に向けられ、そもそもここが何のお店なのかとかそういう思考回路自体が存在しているとは言い難かった。
………言い換えれば、幼子のような気配を少しだけ、感じ取った。
ま、それでもお客様はお客様だしな。それに、いい匂いに連れられてってことだろうし悪い気はしない。料理を作ってるの俺じゃないけど。
「んー、おっちゃん、おにぎりでも貰える?」
「………」
相変わらず頬に切り傷があるせいで見かけが怖いおっちゃんが、笹に包んだおにぎりを一つこちらに放り投げてくれた。俺も腐っても命核解者、投擲にも投擲物を受け止めるのも慣れた物なのでそれをしっかりとキャッチすると、そのまま扉の前で「あー、あー」と唸っている女性に対してそれを差し出した。
「よかったら一つどうぞ」
「………うぁ?」
「そうそう、これ食べ物なんだよ」
「ぁえもー?」
「食べ物―――あ、こらこら笹は食べないの。こら、齧るな」
いや、別に笹も食べれるけどな。食べようと思えば。
………うーむ、それにしても本当に美人さんだな、この人。ただ、俺が言うのもなんだけど服装はあまりよろしくない。一切の装飾性を欠いた、拘束衣すら思い起こさせる寸胴な貫頭衣は彼女の美しさのその多くを損なわせていた。
おにぎりの笹を解き、彼女に差し出すとかぶりつく。若干俺の指も食べられてる気がするけどまあいいか。
「まー!」
「美味しい?よかったよかった」
満足そうに唸った彼女の頭を撫でると、猫みたいに喉を鳴らした。………かわいい。
勝手にご飯あげちゃったけど、おっちゃんもこの光景見て頷いてるし、きっと問題はないでしょう、多分。
「んぁー………ん~」
「代わりに生じた問題として、これは確実に懐かれてるよなってことなんだよな」
腕に頬を擦り付けてくるのは完全にそういうことだろう。
どうしたものか、これだとバイトに戻るに戻れない。というかまだ扉の前だからなぁ、段々と扉の向こうにお客様が並び、列を為し始めているのが見える。
取りあえず店の中に入ってもらおうか………と考えていると、視界の上に影が落ちた。
「―――失礼、私の娘が迷惑をかけた」
「………いえいえ。全然、大丈夫ですよ」
「これはお詫びだ。どうか、この迷惑を忘れてくれるとありがたい」
姿は逆光でよく見えない。いや、違うな。
何かで認識しにくくしてある………命核解者の研究か、或いは魔術の領分だろう。
だが認識阻害の効果は体表面に固定されている。顔は絶対に分からないが、男であるという事実と、その服装はみることが出来た。
何のことは無い、普通の服装だ。金属の装飾が入れられたボタンがあしらわれたシャツに、丁寧になめされた革のズボン。そう、見た目は普通だが、明らかにお金がかかっていた。
ズボンとシャツの間には大きなベルトが見える。さらにそのベルトの内側には小さなナイフが納められていた。
………手には、白い手袋。それ越しに俺の手に置いたのは、数枚のナーフ金貨だった。
「いや、貰えませんよこれは。そのおにぎりは差し上げた物なので」
「―――気にするな、そして忘れたまえ。それが君のためだ」
「まぁーぁー?」
「ああ。散歩は終わりだ、ウィスクム」
「ぅあー」
「………またのお越しをお待ちしております」
男に連れられ、ウィスクムと呼ばれた女性が店から離れていく。
認識の外に離れる前に、和服の袖の内側に手を伸ばして、小瓶を持ち上げると蓋を開け、それを目に落とした。
これは目薬だ。勿論効果効能は単純なものではないが。
―――男だけではなく、女性の方も俺の認識外に消えていくのが早いのが異常に感じた。つまり、女性自体にもきちんと認識阻害の効果が使用されているのは間違いがない。
認識阻害を使っていることからただでさえ怪しいのだが、では何故女性の方は認識阻害の効きが悪いのか。それを不思議に感じたのだ。
後ろ暗いところがあり、魔術や命核解者の道具の実験として認識阻害の効果を身に纏っている人間というのはこの世界では珍しいことではない。だが、同じ効果の筈なのに効果にばらつきがあるのはおかしい。
命核解者としては単純な人となりの異質さよりも、その技術の歪さにこそ目が行くものだ。
………つまり、その効果で何か別の物を覆い隠しているからこそ、女性本人は認識されてしまっていると考えるのが自然なはず。
先程垂らした目薬は、認識阻害を看破する効果がある。大空を駆ける”陽光蜃気鳥”という怪鳥の眼球から取り出したエリクシールによって作られているこれは中程度の認識阻害を無効化する力があるのだ。
完全に解除できない強固なものも、少しであればその殻を引き剥がすことは出来る。
「成程なぁ………」
その目薬によって啓けた世界に映ったのは―――継ぎ接ぎだらけのウィスクムという女性の姿だった。
幾つかのパーツに分けられた女性の体の各部分には縫い目があり、それが軋みながらぎこちなく動いている。
非人間的なその在り方、それを隠しているからこそあの女性は普通に姿を見ることが出来るのだろう。
「ルルちゃん、どうかしましたか?」
「………いえ、なんでもないですよー。こほん、いらっしゃいませ!」
―――まあ、確証はないから何とも言えないが、探しているOBだと言われても違和感ない程度には怪しく、状況証拠もそろっていた。
だが、攻め込むも踏み込むも、準備と時間が足りない。まだ、機ではない。
何故あの女性を散歩させているのかも謎のままだ。分からないことがあるまま研究を進めることが出来ないように、不安要素を残したまま理解のできない相手に立ち向かうのは避けなければならないのだ。
それに、ここで暴れたらみんなに迷惑懸かるからな。慎重に、攻め込み過ぎず、引き時を認識する。
それがOB討伐の鉄則らしいし、ここは我慢だ。
………探す手も、あるしな。
「だけど、なぁ」
ああ、だけど、である。
俺の近しい人のこんな近くまで、その脅威が迫っているとしたら。矛先が向けられてはいないだけで、顔のすぐ横を刃が通り過ぎていたのだとすれば。
―――悠長にし過ぎることは出来そうにないな。強く息を吸うと頬をぴしゃりと叩き、まずはバイトに戻った。




