第十九話 ~目的地、”聖域”への到達~
一歩の跳躍で巨大樹の葉の先端まで飛び上がる。
ナフェリアがその様子を見て眼を見開いていた。というか、下を見て若干震えていた。
まあちょっと………いや、かなり身震いするような高さだからなぁ。仕方ない、仕方ない。
「っ、うう………!!」
「あっ、ぅ、ちょぃ………」
強く抱きしめられたせいで若干首が閉まっているが、それよりも………うん。今日何回目のおっぱい圧迫だろうなぁ!
いかん、邪念だ払え払え………ヴィヴィのちっぱいをイメージするんだ………いや、それも逆に悶々としてしまうな、初恋相手の胸を想像するのは悪手だった。
「しかも割とよく見ちゃってるから尚更、細かく想像できちゃう………」
「せ、先生何か言いましたか………?!」
「いやナンデモナイ」
無駄に片言になってしまった。いや、決して動揺しているわけでは無いんですよはい。
「ん?」
「う、わ………っ?!」
巨大樹を足蹴にしながら直線にまっすぐ進んでいると、眼下で爆発が発生しているのが見えた。
眼下、といっても百メートルほどは離れているか。高く跳んでいるからこそ見えた光景だな。
その爆発の数秒後、少しだけ離れた場所に在る巨大樹がなぎ倒される。片眼鏡のレバーを上げ、レンズ状態にして倒れた巨大樹の根元を見ると、白と虹の鎧をもつ巨大な一角の獣がボロボロの姿で倒れ込んでいた。
………”殻犀”だ。
本来美しく輝いている強固な装甲は罅割れ、所々から出血がみられる。分厚い鎧に包まれた騎士のような”殻犀”だというのに、あそこまで弱るとは。
「”地龍”の尻尾に薙ぎ払われたか?」
「薙ぎ払う………か、”殻犀”の体重ってどのくらい、なんでしょうか………?」
「あー、確か大体三百から六百キログラムってところだな」
個体差はあるが、大体はそのくらいの筈だ。
「そ、それを吹き飛ばす………すごい、です、ね………」
「ああ。基本的に龍種っていうやつらは規格外の生命だからなぁ。あ、ナフェリア。喋るのは良いけど舌噛まないようにな」
「は、はい………!」
注意しつつ、さらに次々と倒れていく巨大樹を見る。
巨大樹がこれだけ成長が早いのは、明らかに原生生物によって倒されてしまうからだという命核解者の論文があったなぁなどと思いつつ、その巨大樹を倒していく主の姿を視認した。
やはり俺の推測は正しかったようだ。
口に巨大な”殻犀”の頭蓋を咥え、今しがた吹き飛ばした別の個体をゆっくりと咀嚼しようと近づくのは、あの”地龍”であった。
幸いにも俺たちからは離れた場所に吹き飛んだ”殻犀”を捕食しに行くため、獲物になることはなさそうである。
………”地龍”は凶暴だが、一度腹に何かを収めれば暫くの間は狩りを行わない。犠牲となった”殻犀”には申し訳ないが、ここはちょうどいい囮になってくれたと感謝するべきだろう。
視線をずらし、”地龍”が通り過ぎた場所を見ると、小さな黒い影が蠢いているのが見えた。
鼻の先は触手のよう。カピバラさんと同程度の巨大な鼠と言った風貌のそれは、目が体毛に埋もれている獣の群れだった。
”骸追い”だ。どうやら無事………と言っていいのかは分からないが、”殻犀”の死骸へとたどり着いたらしい。
あちらも捕食に時間が掛かるため、暫くの間は動かないだろう。
「”地龍”のせいで、周囲の原生生物は殆ど去っているか」
先ほど吹っ飛んで行った”殻犀”のような獲物になりたいと思う者もいない、というやつだな。ほとんどの生物が”地龍”から距離を取り、とっくに逃走を終えていた。
丁度いいな、今のうちに一気に移動してしまおう。
足に力を籠め、さらに距離を駆けた。
***
「ふう………!着いた着いた」
「あ、ありがとうございました、先生………」
様々なアクシデントによってナフェリアの体力も大分限界が来ていたため、あのまま一気に目的地まで駆けること数分。
随分と時間をかけて、俺たちはようやく今回のゴールである設定目的地まで到達することが出来ていた。
いや、本当に時間かかったよなあ。”脳食い”から始まって”殻犀”、そして最後には”地龍”まで出会うことになるとはさすがに思わなかった。
「ところで、ここは一体………不思議な場所、ですけど………」
そんなことを考えていると、周囲の風景を眺めていたナフェリアが疑問を零した。
うんうん、そうだよな。そう思うよな。
実をいえば、様々な不思議が勢ぞろいする深部の森の中でも、今回の目的地は輪をかけて不思議な場所なのだ。
仄かに青白い光を放つ鉱石が点在し、薄明かりを照らしている小さな空間。木の根が少しだけ露出し、地面の一角には湧き出した水によって満たされている。
―――”聖域”、と。ここは探索を行う命核解者からはそういわれている、特別な場所。
その一つが、俺たちが今身を寄せているこの洞窟の中なのである。
「ここは森の中にある特殊な場所、危険な森の中の唯一の安全地帯ともいえるところなんだ。命核解者はフィールドワークを行う中でこういう場所を自力で見つけ出し、探索の起点にしていくわけだ」
「安全地帯、ですか?………何故、森の中でそんな場所が………”地龍”を始めとした原生生物の餌食にはならないのでしょう、か………」
「ああ。ここには原生生物はほとんど来ない。ほら、周りを見てみればわかるんだが、虫すらいないだろ?」
「………あっ、本当です………洞窟なら蝙蝠とか虫とかいてもおかしくないのに、何もない………そもそも、生物の死骸なども見当たらない………?」
いい観察眼だ。
ここは正真正銘、生物が一切訪れない不毛の地。こんな場所にあえて来るような生物は人間程度だろう。
もちろん何か毒があるわけじゃない。いや、ある意味毒みたいなものかもしれないが、人間には毒として働かなかった。
さて………ナフェリアは何故ここが聖域と呼ばれ、原生生物が訪れないのかわかるかな?
この世の全ての事象には理由がある。それを思考し、研究し、調査し、把握するのが命核解者だ。といっても、この状況から答えに辿りつくのは難しいだろう。なにせ候補となる答えが無数にある―――でも、それでも。
もしも、ナフェリアがこの聖域の謎を口にしたならば。
「本物の、天才………ヴィヴィや師匠と同レベルの存在だっていう確証になる」
小さく呟いてから、ナフェリアに視線を向けた。
「さあ。ナフェリア、なんでここには生物が来ないと思う?人間以外の、”地龍”を始めとした龍種すらも訪れない聖域として存在できていると思う?今日の最後の質問だ―――これは一番難しいから、分からなければ分からないって言っていいぜ。間違えたって誰も責めない。………今日は、この質問にナフェリア自身の答えを出したら終わりだ」
「は、はい………最後の、質問ですね………!」
「あ。いや、ほんと気負わなくていいからな?」
緊張すると基本的に動き悪くなるのが人間だからな。頭も、身体もそれは同じだし、なるべく常にリラックスしててほしい。
「………人間だけは、ここに来れる………龍種すら、この場所には来ない………その、差はなに………?」
顎に手を当てて、視線を下に落として考え込むナフェリア。
あちらこちらに視線が移り行く様子は、本当に様々なことに意識を向け、思考を広げている証拠だろう。
今、この子の中では無数の思考選択が繰り返されている。
………さあ、一体どんな答えを出す?
「はい………私の答え、出ました………」
瞬きしたナフェリアが俺の目を見る。
「聞いてください、先生」




