第十七話 ~死臭を嗅ぎ取るモノ~
というわけで”蒼煙の森”を抜けた俺たちは、すっかりと元の景色………といっても、街周辺に比べればもちろん歪ではあるのだが………に戻った森の中を慎重に進んでいた。
”骸追い”に関しての情報は既に与えてある。それをどう活用するか、それが大事なのだ。
識るということはどんな場面においても重要なものである。知恵は決してなくならず、その身に刻み込んだものは必ず人生のどこかで役に立つ。
多くの事を知るために人生を過ごすのは、人として正しいことなのだ。
ああ、そうそう。そろそろ”骸追い”の詳しい生体について説明しようか。
先も言った通り、彼ら”骸追い”は集団で行動する原生生物だ。広大で人の介入する余地の少ない深部の森であっても、この星の上にある自然であるという点で必ず生態系が存在しているのだが、”骸追い”はその中では下部に属する原生生物である。数が多いのはその表れと言えるだろう。
水の王である鮫などを始めとして、生態系の頂点である頂点捕食者は基本的に少数精鋭である。
それはさておき、”骸追い”は鼠と土竜が混ざり合ったような見た目をしている生物である。
眼は完全に見えないわけでは無く、暗視能力は高いが、光の下ではほとんど何も見えないといった感じだ。黒い宝石のような質感をしているため、運よく死骸から眼球を摘出できれば高く売ることも出来るが、まあそんなことはほとんどない。名前の通り、骸を喰らうため同族が死んだらその死骸もきちんと食べてしまうためだ。
「………先生、これは。足跡、でしょうか………?」
「ああ、”骸追い”のものだな。間違いない」
「近くに糞が………乾燥してますね。結構前に通ったのでしょうか………」
”骸追い”は死肉を喰らうという性質上、雑食である。そのため、糞は匂いが強い。ナフェリアはそれを見て、さらに糞の中に含まれている水分を見ておおよそどれ程前にこのあたりを”骸追い”が通過したのか、あたりを付けたようだ。
海星にも似た、五本の指があるその足跡の先を見る。
「基本的には、原生生物とは戦わない、出会わないのが探索での最善手だ。もちろん原生生物が目的なら話は別だが、今の俺たちは目的地への到達が目標だからな。さて、ナフェリア。この痕跡からどう考える?」
「………私たちの目的地は北西の方角。足跡は東に向かって伸びてます。このまままっすぐ行けば………いいえ。そもそも、彼ら”骸追い”は何を追いかけて………」
「改めて言うが、”骸追い”は見た目にもわかる発達した嗅覚で、広範囲を知覚する。いいな、彼らは鼻がいい」
”骸追い”の鼻は、本当に土竜にそっくりだ。
体毛のない肌が露出した鼻部分に、高精度に動く触手が存在している。これは手のように何かを掴むことも出来るが、流石に”骸追い”側からしても高精度感覚器を手の代わりにするのは最終手段だな。
土竜類の生物は、嗅覚で感じたもの―――つまるところの匂いで立体を認識することができる。俺たち人間は視覚情報………光と二つの眼球で世界を立体的に捉えるが、土竜は二つの鼻の孔で匂いから世界を立体化するのである。
まあ、人間の場合は目よりも耳の方が例えとしてわかりやすいかもしれないが。
その土竜と同じ能力を、”骸追い”はさらに高性能にして保持している。深部の森の掃除屋である彼らの唯一無二の能力だ。
「だが、生態から考えればその嗅覚は………一体、何に対して向けられる?」
「―――あ………。そうか、”骸追い”が移動するのは捕食のため………匂いで彼らは死臭を感知する………」
そうだ。生物が腐る匂い、腐臭を始めとした死臭を”骸追い”は感知する。
「ここでもう一つヒントだ。死臭は、腐臭とは違う。まだ生きている生物の体内で発生した死の匂いもまた、死臭の一つだ」
それは例えば、腐敗を始めた臓器の発生させる匂い、アンモニア臭。或いは、致死の病である癌が発生させる腐敗臭。
肝機能障害があれば、鼠の臭いがするし、糖尿病を患っていれば汚物から甘い匂いがする。
存外、生きている存在でも病によって特徴的な匂いが発生するものなのだ。それは人間には感知できないが、嗅覚の発達している”骸追い”にはそれが分かる。
………いや、まあ。匂いに特化した研究する命核解者や、魔術師。御伽噺の存在である魔法使いならばそれらを感知することも出来るだろうが、多くの人間はそんなことは出来ない。
人間の感覚器についての研究とかだと、命核解者でも本人の形質、特異体質が必要になってくるしな。人間を超える圧倒的な嗅覚を持つ人間なんてそうはいない。
「もうすぐ死ぬ生物の匂いを感知して、追いかけている………?なら、”骸追い”の足跡を見ることは彼らを回避するための最善手にはなり得ない………」
ああ、やっぱりナフェリアは優秀だ。
「そっか、ここで見るのは”骸追い”の足跡では無くて………他の原生生物の足跡っ!それも、寿命間近なのが見て取れるほど弱っているもの………!」
飛び出したナフェリアは、先程見た足跡を再度確認する。
すると、多くの”骸追い”の足跡に潰され、見えにくくなっているがその中にいくつか別種の足跡が混じっているのが分かった。
「先生、この足跡は………?」
「”殻犀”だな。非常に大型で少数の群れで活動する原生生物だ」
名前の通り、皮膚が発達変化した外殻のようなものを持つ犀に似た生物が”殻犀”だ。
”殻犀”の場合、その外殻よりも頭部中央にある刃のような角の方が厄介で、身体を覆う外殻のどれよりも硬く、助走をつけた突進を止められる生物はそうはいない。
原生生物の中でも戦闘能力が高い部類だが、先程であった”脳食い”と同じように縄張りから出ることは少ないため、人類への脅威度は少ない。
ちなみに、”骸追い”は唾液に胃の消化液と似た性質があるため、”殻犀”の硬い外殻も時間をかければ溶かして喰らうことが出来る。代わりに顎の力は普通の生物並だが、これは様々な生物の死骸を効率よく食うために噛み砕くのではなく溶かして栄養を食うことに特化したためだといわれている。
「この”殻犀”のうちの一頭、とってもふら付いています………これが向かっているのは、北の方角……北西に向かうと感知距離に入る………でも、なんで”骸追い”は東に………?」
「群れの背後を取るためだろうなぁ。距離を取って、さらに縄張りに入らないように気を付けて………”殻犀”や他の原生生物に見つからず、自分たちが安全に捕食できる地点で寿命を迎えてもらうのが目的なんだろう」
ここを”殻犀”が通っているということはここは”殻犀”の縄張り内だ。彼らは”骸追い”に比べると探知能力の発達はほとんどしていないため、自分から向かっていかなければ出会わないし仮にあっても速攻で逃げればこちらを襲うことは無いが、餌が欲しい”骸追い”に関しては”殻犀”からしても明確に敵対者だ。
縄張りを侵犯しているのが見つかれば、”殻犀”と戦闘になるだろう。そして、”骸追い”の戦闘能力はこの深部の森では低い部類だ。戦いを避けようとするのは、自然も同じなのである。
………ただでさえ、溶かして喰うという性質上”骸追い”は捕食に時間が掛かるしな。代わりに何でも食うが。
「で………では。”骸追い”に出会わないように、西に一旦逸れてからのルートで行くのが一番いいでしょうか………どうでしょう、先生?」
「ああ。それでいい………よくできたな、ナフェリア」
「あ………えへへ………」
頭を撫でると、さあ出発だ―――もちろん、まだ気は抜けないが。
「と、そうだそうだ。これは探索だからな。気を配りながらも、探索物はきちんと手に入れていくんだぞ?」
「………あ、そうでした………すいません」
慌てて付近を捜し、研究材料を見つけようとしているナフェリア。ははは、可愛い弟子だなあ、全く。




