うつくしすぎた花嫁
ある時代ある国のある場所に、アニタという一人の美女がおりました。
どのくらい美女かというと、
男たちは老いも若きも彼女を一目見ればみんなたちまち恋に落ち、
女たちも嫉妬するどころか、
アニタの髪型や服をこぞって真似して彼女にあやかろうとする始末。
だからアニタはみんなが大好き。みんなもアニタが大好き。
うつくしすぎるアニタはみんなのもの。
アニタは国の宝物。そのはずなのに――――
いま、アニタはなぜか罪人として法廷に引き立てられ、
裁判官や検事や弁護士やたくさんの傍聴人に囲まれて、ぽつんと立っているのです。
生まれたての小やぎのように白く細いアニタの手首には、つめたい手錠がかかっています。
「あの、私なにか悪い事をしましたでしょうか」
えんりょがちにアニタが聞きます。
裁判官はアニタのうつくしさにもじもじしながら、オホンオホンと咳払いして。
「被告人アニタ。君はうつくしすぎるという罪をおかした」
えらそうに言うのです。
「まあ、私のうつくしさは罪だったのですね」
アニタは驚いて言いました。
「罪も罪、大罪だとも。死刑になる事も覚悟したまえ」
裁判官は青ざめるアニタの表情にみとれながら、たいそう恐ろしげに告げました。
「あの、私がうつくしいと誰が困るのでしょうか。
誰かが悲しんだり、怒ったりしたのなら、私いますぐ謝りに行かなくてはなりません」
「おお! なんという! 自分のおかした罪すらわかっていないのか!」
裁判官はおおげさに天をあおぎます。
「よいか、アニタ。
君を見た男たちはみんな君に恋をしてしまった。
誰もが君を手に入れたくて仕方がないのに、君は誰のものにもならないんだ。
何人の男が眠れぬ夜に枕を涙で濡らしただろう。
君を見た女たちはみんな君を真似してしまう。
君が着ていた服はたちまちに服屋から消え、すべての女の手には行きわたらない。
流行遅れとあざ笑われて何人の女が唇を噛んだだろう」
「……ああ、なんてこと。私はみんなを傷つけるつもりなんて、これっぽっちもないのに」
「あのハゲ、もっと言い方ってものがあるだろう」
泣き崩れるアニタに同情して、傍聴人たちが一斉に裁判官をなじります。
「静粛に! 静粛に!
これより被告人アニタのしかるべき処罰を決定する。そのための裁判だ」
裁判官が木槌をガンガン振り下ろしながら叫びます。
「裁判官、たしかにアニタに罪がないとは言いがたい。
けれど死刑はあまりにもかわいそうです」
弁護士がすっと手をあげて言います。
「しかるに、アニタを太らせてしまってはいかがでしょうか。
柳のようにほっそりした美女でなくなれば、
一目惚れする男も理想にする女もいなくなるのでは」
「意義あり! 太ったところでアニタのうつくしさが地におちるとは思えない!
むしろブクブク肥えたアニタこそ肉感的でうつくしいと言い出して、
男たちは美女の条件はデブと言い出し、女たちはアニタを真似して国中の食料を食い漁りかねない!」
検事が弁護士に意見します。
「ではアニタを真っ黒に日焼けさせてしまってはいかがでしょうか。
透けるように白い肌さえなくなれば、
アニタの神秘的な魅力は煙のようにかき消えてしまうのでは」
「意義あり! 色黒になったところでアニタのうつくしさが色あせるとは思えない!
むしろこんがり焼けたアニタこそ健康的でうつくしいと言い出して、
男たちは肌が真っ黒でなければ女じゃないと言い出して、女たちは先を争うように浜辺に寝転んで太陽を浴びるだろう!」
こうして、裁判は平行線。
誰もアニタに罪がないとは言わないけれど、
誰もアニタに対する罰を決められません。
「あの、でしたら。こうしてしまってはいかがかしら」
鈴の音のような声で堂々巡りをさえぎったのは、他ならぬアニタです。
「私が誰のものでもないから、みんなの目に止まるから、悲劇が起こるのです。
でしたら私が誰かのお嫁にいってしまえばどうでしょう。
その人だけを愛して、その人の傍にだけいればよいのですから、
私はほかの誰の目にもふれずに暮らしていきますわ」
裁判官も検事も弁護士も傍聴人も、みんなポカンとアニタを見ます。
「だが、誰がアニタの夫になるというのだ。
君に吊り合う男でなければ、みんな首を縦には振らないぞ」
「裁判官さま、あなたはこの場で誰よりもえらいのでしょう?
でしたら、私の旦那さまになってくださいませんか?」
「冗談じゃない!」
絶世の美女のお願いを、裁判官はこともあろうに一蹴します。
「儂はアニタを手に入れるためではなくて、裁くためにここにいるのだ。
みんなが愛する君を嫁になんてもらったら、
儂は国中から職権乱用となじられて失墜してしまう。
儂は君に吊り合う男なんかじゃ断じてない!」
アニタは困ってしまいました。
「でしたら、この国の王さまなら私をお嫁にもらってくれるでしょうか。
王さまはこの国の誰よりもえらいのでしょう?」
裁判官と検事と弁護士は、アニタを連れてお城へと早馬をとばしました。
そして早急に王さまに事の次第を話します。
「冗談ではない!」
せっかくの縁談を、王さまは金切り声で却下します。
「余はそなたらが思うほどしたわれている王ではないのだ。
みなが愛するアニタを王位をかさに手に入れたなど知れてみろ、
たちまちに暗殺者が差し向けられて余は殺されてしまうだろう。
余はアニタにつり合う男などでは断じてない!」
王さまにまで断られてしまって、アニタはいよいよ泣きそうです。
「でしたら、したわれている殿方ならよいのですね。
この国で一番とうとい大司教さまに頼んでみましょうか」
裁判官と検事と弁護士は、アニタを連れて聖堂へと急ぎました。
そして可及的すみやかに大司教に事の次第を話します。
「冗談ではございません!」
聞くやいなや、大司教はぴしゃりと言い放ちます。
「私めはそもそも神につかえる身、結婚など言語道断です。
ましてやアニタさまは国の宝とまで呼ばれる美女。
傍におられては目の毒です、私めを堕落させるおつもりですか。
私めはアニタさまに吊り合う男などでは断じてございません!」
大司教にまで断られ、ついにアニタの宝石のような目から涙がポロポロこぼれます。
「では、でしたら。一体どなたが私に吊り合うと言うのでしょう」
「貴方さまの伴侶にふさわしいのは、もはや神より他にはいないかと」
大司教はおごそかに言います。
「どうしたら神さまの所へお嫁に行けますの?」
大司教は、あきらめ顔の裁判官と検事と弁護士を見やったあと、しばらく押し黙って、
おもおもしく唇を開きます。
「この国でいちばん高い岬から飛び降りてごらんなさい。神は貴方さまをすぐにお迎えにきてくださるでしょう」
アニタは言われた通りに、この国でいちばん高い岬へとやってきました。
ここちよい潮風がアニタのつむぎたての絹のようにみずみずしい髪を揺らします。
そうして、かろやかに走り出したかと思えば、
蝶が舞うように、愛しい人の腕に飛び込むように、
荒れ狂う波間へと身を躍らせました。
アニタが神さまの所に行ったその年は、信じられないくらいに魚がたくさん取れました。
きっとアニタがお嫁にきてくれて神さまが喜んでいるのでしょう。
以来、毎年いちばん波が高くなるこの季節に、この国の人びとは海に花を投げるのです。
神さまのお嫁さんになったアニタが、花に囲まれてしあわせに暮らせるように。