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アリスは言い様のない切なさにため息をつく。
そして言われた通りに再びアシュフォードの部屋に足を踏み入れた。
ーーベッドの上で静かに寝息をたてるアシュフォード。
しかしアリスが静かに椅子に座ると、待っていたかのようにその両の目が開いた。
「・・・起きてたんですか」
「眠れなくてね」
それだけ言い交わすと二人の間にしばしの沈黙が流れた。
特にアリスは何から話せばいいのか分からないようである。
「・・・迷惑をかけた」
沈黙を破ったのはアシュフォードだった。
顔の向きは変えず、上を見るようにしたまま一言、そう口にした。
「ーー『血砂病』・・・だったんですね」
そしてアリスが辛そうな面持ちでそう告げると、アシュフォードは黙って頷いた。
「やっぱり・・・気がついていたんですね」
「どうしてそう思う?」
「あれだけの血を吐くんです。
・・・もっと前から症状が出てたはずです。
この病気については少し知識があるので」
「・・・最初に異変を感じたのは2、3ヶ月ほど前だ。
小さな空咳から始まり・・・それがいつまでも止まらないな、と感じる頃には胸が痛みだしていた。
この病気の事は、風の噂で耳にはしていたがーー」
アシュフォードの告白に、アリスは手を合わせるようにして顔を覆った。
ーー『血砂病』。
それは徐々にこの世界を蝕みつつある一種の風土病である。
原因は『紅砂』。
砂漠の砂の赤みの原因である紅砂は人体に毒となる金属成分の正体であり、多量に吸い込むと命に関わるというのは前にも話した通りだが、
血砂病というのはその紅砂を一度にではなく、呼吸器を通して少しずつ肺に蓄えることによって発症する病である。
肺に溜まった紅砂はゆっくりとだが、肺を蝕みはじめ、
初期は痰のでない空咳から始まり、胸の鈍痛、身体のだるみなどを経て、末期には吐血や激しい咳、それに伴う呼吸困難に苦しめられて死に至る。
一度に多量に吸い込んだ場合はこの末期症状が急性症状として現れるが、これは血砂病とは呼ばない。
紅砂が原因で死ぬ者は大抵がこの急性症状によるものであること、
またこの世界の情報伝達の未熟さが手伝って、
血砂病に関しては未だ認識が薄いところが多い。
そしてこの病気は不治の病である。
つまり現状、この病を発症したら待ち受ける運命は一つなのだ。
「・・・マリアにも黙っていたんですね」
「とても言い出せなかった。
・・・今回の事で少なからず知られはしてしまったがな」
吐血して倒れたのである。
血砂病の知識が無いにしてもただの病気でないことぐらいはわかるだろう。