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「勿論あれは今でも大切に保管しているが、
それを引き取りに来た、というのはマーサが君に頼んだということか?」
「・・・いえ、私の意志です」
「君の?」
「それに・・・おばあちゃんはもういません」
「マーサが・・・いない?」
「・・・」
「まさかーー」
頬は酒によって紅潮しているというのに酷く沈んだアリスの顔。
それを見たアシュフォードはある予感を感じ取った。
『マーサ』の名前が出る度に陰りを見せるアリスの表情。
はっきり口にした『マーサはもういない』という言葉の意味。
ーーそう。
マーサは既にこの世を去っていたのだ。
「い、いつ?
マーサはいつ・・・」
取り乱すアシュフォード。
うっすらと涙ぐんでいるようでもあるアリスは、絞り出すように口を開いた。
「ーーあたしが旅に出る・・・2ヶ月前に」
「なんということだ・・・あの、マーサがーー」
衝撃の事実であった。
アリスをそうと見間違えるほど、鮮明に残るマーサの記憶。
しかしそれは最早思い出の中にしか存在しない。
放心したように言葉を失うアシュフォード。
今、こうして少し話している間も、アシュフォードはまだマーサが存命していると思い込んでいた。
しかし実際はアリスがゼニスを探す旅に出る2ヶ月前、すなわち8年も前にこの世を去っていた。
不意にアシュフォードは何かに悔しがるようにテーブルを拳で叩きつけた。
何が悔しいのか。
死に目に会えなかった事か。
死んだ事すら知らなかった事か。
それともーー。
ーーふと何かが気になったアシュフォードがアリスの顔を見た。
「アリス、君の家族は・・・?」
「・・・」
「ご両親は・・・?」
「・・・」
何も答えないアリス。
涙を必死に堪えているような表情。
アリスの祖母はマーサである。
しかしアリスを生んだ母、そして父がいるはずだ。
アリスの家族はどうなのか?
何故、アリスが少女時代にたった一人でゼニスを探すという決断を下さねばならなかったのか?
身近に頼るべき人はいなかったのか?
ーー何も答えない。
それが『答え』だった。
一体、アリスの身にどんな事が起きたのかはわからない。
しかし語るも憚るような出来事が起きただろうことは、聞かずとも分かるだろう。
これ以上彼女の過去に踏みいる事は、彼女の心を抉る事にもなりかねない。
弱々しいアリスの姿を見て、
いたたまれなくなったアシュフォードは席を立ち上がり、アリスの側に足寄る。
そしてその肩に優しく手を置いた。