7=高校生活&大変。その3
濱野が廊下の奥に消えた頃、僕に背を向け立つ犬飼さんに恐る恐る話しかけてみる。
「えーっと……助かりました犬飼さん」
その瞬間、バッとこちらに向き直り、クワッと目が見開かれ、ズイッと息がかかる所まで近付かれた。
「あぁ!光栄です選介様ぁ!そんな事よりお怪我はございませんか!?ございましたら舐めましょうか!?」
舐める?何を言っているんだこの娘。
「け、怪我はありませんが……えと、少し離れませんか?」
体を反らさなければキスされるくらいまで顔を近付けられている。当たる息が生暖かい。てか、目がギラギラしていて怖い……
「いえ!離れません!えへ……えへへへ……選介様ぁ……心を抱いて下さい!」
何か……自然な流れと言うか、ナチュラルに抱きしめられましたよ僕?恍惚の表情で顔を近付けてきますよこの人?
彼女について話しておこうか。
彼女は「犬飼 心」。同級生で演劇部所属。薄幸そうな雰囲気漂う、腰まで伸びたロングヘアー。ここまで髪の伸びた生徒はこの人のみ。
それと、彼女は演劇部一の女優。喜怒哀楽も、主役も脇役も自由自在。脅威の演技力を持つ演劇界期待のホープだ。
では、何故そんな彼女が僕にここまで心酔しているかと言うと……何か自分で言うのは変だな……ま、いっか。
えー、何故心酔しているかと言うと、実は演劇部の皆さんこんな感じなんですよね。
廃部寸前だった演劇部を友人の頼みで復活させたんです、僕が。
結果、その感謝が行き過ぎて演劇部内での僕は神格化されてしまったと言う訳。最早カルト。どうやって復活させたかは追々説明するとして……
「と、とりあえず落ち着きましょうか?ね?」
「あぁ!わたくし今、選介様に抱かれてるぅ!」
抱いてませんから。逆に抱かれてますから。この娘、ちょっとロマンチストと言うか、妄想癖があるんですよね。自分の世界に入り込み易いんです。まぁ、それが演劇部一を誇る演技力の理由かも知れないが。
「ちょっ……ま、止め……落ち着きましょうよ。比較的マジで」
反らしに反らし切って海老反り状態。これ以上反らせないくらいまで腰を反らし切る。彼女がグイグイと顔を近付けてくるのだ。
「ハァ……選介様、今日も麗しゅうございますぅ……」
「それ、お姫様に対して言う台詞ですよね?」
「あぁ……わたくし、選介様のお写真だけでご飯六杯はイけます」
「とんでもない事言いますね」
なんと言うか……演劇部の皆さんこんな感じって言いましたよね?訂正します。その中でもこの娘は異常。言い方悪いですがね。狂信的なんですよ僕へのアプローチが。
「選介様……心を滅茶苦茶にして下さい……」
「だから落ち着きま……痛い痛い痛い!!」
触れれば折れてしまいそうな、彼女の細く、白い陶器のような腕。なのに僕を抱きしめるその力は男性並み。肋骨が軋むし動けない。本当、繭美にどこか似ている。
熱くなるとなかなか冷めないのも似ている。顔を更に近付けて来た。この娘、マジだ。
「え?ちょっ、それは駄目!」
「はぅあぁ……選介様選介様選介様選介様選介様ぁ!!」
なんてこった。僕のファーストは彼女になってしまうのか。背中を反らし切って呼吸が苦しい。頭がボンヤリ。もう、どうにでもなれ。
「選介様……」
キスまで約五秒。僕は覚悟を決めた。
「何してんだユー達」
話しかけたのは田中。またお前に救われたなオイ。完全に通学路での繰り返しじゃねぇか。あ、田中の奴、泣き晴らしたように目が赤い。フラれたな。
「……これはこれは田中さん、ご機嫌よう。もう少し待って下さい」
「ノー。ミスター梶尾がロブスターみたいな背中になってんぞ」
繭美とは違い、まだ諦め無い犬飼さん。その彼女を止めに入る田中。肩を掴んで強制キスを防いでくれた。あぁ、持つべきは友達だ。比較的マジで。
「邪魔すんじゃねぇ!!選介様と結ばれるのはこのわたくしなんじゃクソッタレェェェェ!!」
結ばれるって……狂信的っつーか狂愛的だな。それにしても人格が変わっていますよ。二重人格じゃないのこの娘?
そんな彼女から放たれた左アッパーは、
「オブッツェ!?」
田中の下顎に直撃し、吹っ飛ばす……なんだろこのデジャヴ。てか田中、不運続きだな。
サングラスが舞い、見事な曲線を描き地面へと落ちる田中。なんでだろう、凄く華麗だ。
何はともあれ彼女の拘束から逃れられた。チャンスだ。田中じゃ無いけど、トップスピードでランナウェイだ。
「あああ!!選介様ぁ!!お待ち下さい!!」
「す、すいませんっ!!」
彼女と僕の鬼ごっこは、朝礼時間ギリギリまで続いた。全く、今日は散々な一日の予感がする。