肉壁・鉄柱・魔法使い/読み切り版
――拝啓、異世界より
お父さん、お母さん、お久しぶりです。お元気でしょうか。
二人がこの手紙を読むときには既に私は死んでいると思います。というか、今まさに死にそうです。
というのも、気付いたら異世界にいた私を拾ってくれた方が探索者というヤクザな商売をしてまして――
「――オイ、アオイ!! てめ、手紙書いてる場合か!?」
「ちょっと黙っててください、ロランさん。いま遺書書いてるんで」
「ほんとに余裕だなクソガキィッ!!」
ガシャガシャと耳障りな金属音に紛れて悪態が石造りの回廊に響く。
便せんから顔を上げれば、後ろを振り向いたまま器用に全力疾走するフルプレートアーマーの金髪マッチョと目があった。
つらい。否応なく現実を思い出す。背後からはコンボイじみた振動がズシンズシン迫っている。
やばい。速度が落ちていた足に喝を入れてロランさんと並んで走る。
「アオイ、あとどんくらいだ!?」
「さっきの曲がり角が五つ目なので、次を右折すれば大広間です」
「よっしゃ急ぐぞ!!」
「はい」
ロランさんが鎧をガシャガシャ言わせながら速度を上げる。
私もそこまで持久走が得意だったわけじゃないけど、全身鎧着て並走してるこの人はちょっとおかしい。異世界は怖いところです、お父さん。
とはいえ、泣きごとを言ってても仕方ないので、等間隔に灯りの設置された石畳を全力疾走。
そのまま壁を蹴る勢いで減速せずに右折すると、50メートルほど先で手を振ってる女の子が視界に入った。あそこがゴールだ。
「ふたりとも!! はやくはや――う、うしろ!!」
「怖ぇこと言うなよ、ユーラ!!」
「ロランさん、いっせーので振り返りましょう。はい、いっせーの」
「ほい――!?!?!?」
ロランさんが素直に振り向き、顔色を真っ青にしたのを確認して、私も振り返る。
背後では、ちょうど数秒前に私たちが曲がった角から赤いトカゲのような顔が覗いていた。
もっとも、トカゲにしては牙は鋭く、口からはちろちろと炎が零れ、おまけにサイズが大型トレーラー並みという非常識さ加減だけれど。
まさかドラゴンをこの目で直に見る日が来るとは思いませんでした、お母さん。
『――GRAAAAAAAAAA!!』
ドラゴンが吼える。それだけで空間全体が振動するような衝撃が全身を叩く。
吼えられるのはこれで三度目だというのに体が竦んでしまいそうになる。
足がうまく動かず、石畳の継ぎ目に爪先をひっかけて転ぶ――直前に、横合いから伸びてきた手が私をひょいっと肩に担ぎ上げた。おなかに肩甲がぶつかって息が詰まる。
「へばってんじゃねえ、アオイ!!」
「……すみません」
叱責しながらもロランさんは私を降ろさず、そのまま走り続けている。
速度が落ちないどころか、16歳女子を担いだまま落とし穴を跳び超えてしまうのだからすごい。人体の神秘だ。
激しく上下に揺さぶられながらすることもないので後方を確認する。ドラゴンは四肢を忙しなく前後させながら迫ってきている。
巨体故に曲がり角には難儀したようだが、直線ではこちらより速く、落とし穴も踏み潰してしまっている。あの大きさであの速さは反則だと思う。
加えて、その口元から零れている炎が徐々に大きくなって――
「あ、ロランさん、ブレスきます」
「まじか!? クソ、ここじゃ狭くて避けられねえ!! 肉壁頼むぞ、アオイ!!」
「わかりました」
石畳に降ろされた私はロランさんの背中を庇うように両手を広げる。
190センチ近いマッチョの大男を庇うには私の身長は30センチほど足りないけど、そこはロランさんの逃げ足の速さに期待だ。
視線の先ではドラゴンが四肢を突っ張ってブレスを撃ち放とうとしている。どうやら動きながら撃てるものではないらしい。せめてもの救いだろう。
直後、目の前の空間全てが炎に埋め尽くされた。
一瞬で服が燃え滓になる。
肌の数センチ上をなにかが通過する不思議な感覚。
大丈夫だとわかっていても怖いものは怖い。
『Grr?』
炎が過ぎ去り、赤く熱せられた石畳と立ち昇る陽炎の向こう、ドラゴンが無傷で立つ私を見て怪訝そうに唸りをあげる。炎を照り返す赤い鱗は場違いにも綺麗だと思ってしまった。
ともあれ、ドラゴンは行動に対する結果の予測は立てられるらしい。知能はけっこう高そうだ。すぐに踏み込まない慎重さもある。
そこまで観察して、私はすっぽんぽんのまま踵を返して一目散に仲間の待つ大広間へと走り出した。
素肌で感じるダンジョンの空気はひんやりとしていた。
◇
異世界から来た私ことシラキ・アオイは魔力を持たない代わりに魔力による影響を受け付けない体質、魔力無効化体質なのだという。人間では珍しく、基本的には魔神とか別次元の存在が持っている性質らしい。
この体質のおかげで魔法のブレスは私に傷ひとつつけられないばかりか、ブレスで熱せられた空気の中でも息ができるし、服が燃えても火傷しない。
なんというか、色々とファジーな体質だ。そこらへんユーライアちゃんに原因が消滅して因果が逆流する云々と説明されたけどよく理解できなかった。
もっとも、きちんと肉体を持つ魔物には物理的に傷つけられるので云うほど探索向きではない。あと回復魔法も効かないので怪我したらポーションがぶ飲みでお金かかる。本来なら探索者なんて割に合わないにも甚だしい。
それでもこうして服燃やされながらも探索者を続けているのは――
「こっちだよ、アオイ!! はいこれ代えの服」
「よくやったアオイ!! あとは任せとけ!!」
この世界に来て、右も左もわからなかった私を助けてくれた二人が仲間だからだ。
私は礼を言ってユーライアちゃんに手渡されたローブに頭を突っ込む。安物で肌が擦れるし丈が短くてすーすーするが仕方ない。ことによってはもう一回ブレスに突っ込む必要があるのだ。
「大丈夫、アオイ?」
ようやく足を止めて息を整える私を気遣ってか、ユーライアちゃんが背中をさすってくれた。
あのフルアーマーマッチョと同じ遺伝子でクリエイションされたとは思えない繊細な造作の金髪美少女が心配そうに眉根を寄せている。これだけでも命懸けの追いかけっこをした甲斐があったと思う。
「ありがとう、ユーライアちゃん。大丈夫だからもうちょっと下がろう」
「そうだね。戦闘になるとお兄ちゃん周り巻きこんじゃうし」
「いやあれは色々としょうがない。人類としてはどうかと思うけど」
「あはは」
美少女は杖片手に苦笑し、私の手を引いて安全圏まで後退する。
私たち3人パーティはロランさんが前衛、ユーライアちゃんが後ろから魔法で援護、私がマッパーしつつ魔法用の肉壁という役割分担だ。
なお、マッパーとは地図作製者の意味であって裸族ではない。ないったらないのだ。
「ッシャア!! 来いやトカゲ野郎!!」
一方、大広間の中央では命懸けマラソンの後とは思えない元気な声でロランさんが吼え、胸甲を叩いて注意を惹きつける。
回廊を抜けてきたドラゴンは仁王立ちするロランさんを見て、失笑するように鼻から火の粉混じりの息を吹き出した。
いいぞいいぞ。そのくらいの知能はないと驚いてくれないのだ。
同じことを考えていたのだろう。ロランさんがにやりと笑ったのが背中越しに分かった。
彼はそのまま大広間の中央に立つ10メートルほどの黒い鉄柱に手をかけて――石畳から引っこ抜いた。
『Gua!?』
ドラゴンがびくっと驚いたのが大広間の端まで下がった私にもわかった。
無理もない。自身の身長の5倍以上あるぶっとい柱を振り回す人間を見れば誰だって驚く。私だって驚く。ドラゴンも驚いた。
ロランさんは天性の怪力をもって生まれたらしい。あと暇があったら筋トレしてる。つまり筋肉で、その筋肉を十全に活かすには10メートル級の武器というか建材が必要なのだ。
普通の剣なんかは振っただけで折ってしまう。今回もドラゴン退治用にこの大広間まではえっちら運んで来たのだ。あたまおかしい。
「い、く、ぜええええええ!!」
ロランさんが柱を肩に担いだまま突撃する。
鎧越しにもわかるほどに全身の筋肉がみしみしと引き絞られ、アンカー代わりに踏み締めた足が石畳を踏み割る。
次いで、ぶぅんと大気を引き裂く音を立てて鉄柱が薙ぎ払われた。
打撃用に丸く膨らんだ先端が水蒸気雲を曳いているように見えたのは錯覚だろうか。錯覚だと思いたい。
鉄柱はそのまま反応の遅れたドラゴンの鼻っ柱にクリティカルヒット。首ごと持っていく勢いで真横に吹っ飛ばした。
「……いまドラゴン浮いたよね」
「浮いたね」
「人間やめてるよね」
「おおむねやめてるね」
二人して散々に評しているとは露知らず、ロランさんはとどめを刺さんと転倒したドラゴンの頭めがけて鉄柱を振り上げた。
『GRR!!』
その瞬間、ドラゴンががばりと起き上がり、トカゲっぽい動きで致死圏から逃れるように肢を撓めた。
鉄柱スイングが完全に入ったのにまだ動けるとは流石ドラゴン。
けど、既に盤面は詰んでいる。
「――【二歩の戒め】」
隣でユーライアちゃんが印を切って魔法を発動させる。
直後、ドラゴンの足元に魔法陣が展開して魔力の鎖を射出。呪文の通り、その動きを二歩分だけ止める。
たかが二歩、されど二歩だ。
阿吽の呼吸で差し込まれた妨害魔法にドラゴンは逃走の機会を逸し、次の瞬間、その頭部を鉄柱に叩き潰された。
離れた位置からでもぐちゃあと骨と肉が砕ける音が響くのが聞こえてきた。
ロランさんは念の為さらに数度叩いてから鉄柱を引き抜いた。
ドラゴンの頭部があった場所は石畳ごと陥没して何もなくなっていた。
かわりとばかりに鉄柱からぼたぼたと血が滴り、眼球っぽいのがそこらに転がっていたりしていて、ちょっとグロい。
「おーい、終わったぞー」
ズン、と音を立てて鉄柱を石畳に突き立てたロランさんに呼ばれる。
ドラゴンの死体を前にいい汗かいたーみたいな凄くいい笑顔なのはどうなんだろう。
「おつかれさま、お兄ちゃん」
「おう。ふたりもおつかれ。特にアオイはよくがんばったな。釣りだしの途中でブレス喰らったらさすがの俺でもやばかった」
「その前にちゃんと道覚えてください。あと、浅いダンジョンとはいえ、最下層から入口近くまで釣りだすのは無茶だったと思います。うまくいったからいいものの……」
「まあまあ。そういうのは帰ってから反省会するとして、今はドラゴンの溜めこんでいたお宝を回収しに行こうよ、ね?」
「そうだな。もしかしたらアオイの元いた世界に行けるマジックアイテムがあるかもしれないしな」
「む……」
それを言われると私は弱い。うぬぼれなしで言えば、ふたりが実力よりも上のダンジョンに挑んでいるのはお金とか修練とかの他に私の為という面が少なからずある。
私は肉壁性能はともかく、戦闘はからきしで、はっきり言ってお世話になりっぱなしだ。
すえた匂いのする路地裏で初めて会ったときから、二人にはどれだけ礼を言っても言い足りないくらいなのだ。
「アオイの生まれた世界、楽しみだね!!」
「話聞いてるだけでもうまそうな食い物たくさんあるしな!!」
けど、新しいダンジョンどんなのかなーみたいなノリで世界を渡ろうとするのはどうなの?
あなたたちの常識、信じていいんだよね?