表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掌編集  作者: 山彦八里
読み切り短編
6/19

クラリネットを鳴らした日

 筋肉増太郎は大胸筋に誓った。必ずやあの化け物を退治すると。


 空を仰ぎみれば、巨大な、途方もなく巨大なシロナガスクジラが悠々と泳いでいる。

 時おり、ぷかぷかと浮いている合挽き肉をぱっくりと開いた口で咀嚼しながら我が物顔で泳いでいる。

 あのシロナガスクジラことブルーホエールを退治せねばならない。筋肉増太郎は広背筋に誓った。

 筋肉増太郎はマッチョだ。筋肉しかない。ブーメランパンツ一丁で街を歩き回って留置所にぶち込まれたことは既に両手足の指では数えきれない。

 そんな筋肉増太郎だが、辛うじて筋肉になっていない脳味噌にはまだ常識が僅かに残っている。陸と海を制覇した自分の筋肉でもさすがに空は飛べないだろうと。


「卑怯だぞブルーホエール!! 地上に降りて俺と勝負しろ!!」


 空に指を突きつけて吼える。が、当のシロナガスクジラは聞こえているのか、いないのか。おつまみ代わりにイギリス行きのジャンボジェット機をぽりぽりと齧りながら遊泳を続けている。

 周囲の人間は悲鳴を上げて逃げ惑っている。夕飯をハンバーグにしようと思っていた者たちも空に浮かぶ合挽き肉を食い尽されてはどうしようもないだろう。


「仕方ない。お前が来ないと言うなら俺が征こう――空にな!!」


 筋肉増太郎はついに常識を投げ捨てた。晴れ晴れとした笑顔で全身にワセリンオイルを塗りたくる。

 オイルは空気抵抗を減らすためだ。筋肉を付け過ぎて背中に手が回らないが筋肉でどうにかした。

 準備はできた。あとは空を飛ぶだけだ。


 と、そのとき、本能で筋肉を嗅ぎつけたのか、シロナガスクジラが地上の筋肉増太郎に向き直り、警戒の鳴き声をあげた。

 同時に、クジラの背中から無数のクラリネットが突き出し、思い思いに音を鳴らす。


「俺を歓迎しているのか、ブルーホエール……!!」


 筋肉増太郎は勝手に勘違いすると、ひとつ頷いて手近な楽器屋のショーウインドウを叩き割ってクラリネットを入手した。近所の少年が物欲しそうに眺めていたクラリネットだが、筋肉に不可能はない。

 そのまま鍛え抜かれた大胸筋を膨らませて大きく息を吸うと、リードもつけてないそれに思いっきり息を吹き込む。

 クジラの演奏に合わせるように慣らす。筆舌に尽くしがたい大音量と共に周囲の窓ガラスが砕け散った。

 シロナガスクジラが抗議の鳴き声をあげるが、無論、筋肉増太郎は気にしない。

 束の間のセッションを堪能した彼は叩き割ったショーウインドウにクラリネットを戻すと、クラウチングスタートの姿勢になった。

 引き絞られた全身の筋肉がぎちぎちと音を鳴らす。


 次の瞬間、筋肉が空に向かって射出された。


 摩擦熱でブーメランパンツが燃え尽き、衝撃波で空の合挽き肉を吹き飛ばし、筋肉は見事空中に屹立する。


「勝負だ、ブルーホエール!!」


 シロナガスクジラは返事の代わりに背中のクラリネットを射出した。

 驚愕の新事実。クジラのクラリネットは楽器であると同時にミサイルだったのだ。

 音の代わりに火を噴くクラリネットミサイルが筋肉増太郎に突き立つ。血の代わりにワセリンが雫と散る。


 だが次の瞬間、筋肉増太郎の筋肉は筋肉を鳴らしてその筋肉に突き立ったクラリネットを咀嚼し始めた。


「クラリネットを、食ってる……?」


 地上から二体の対峙を観戦していたひとりが呆然とつぶやく。

 驚くことではない。筋肉に不可能はない。鍛え抜かれた筋肉増太郎の筋肉は触れたもの全てを吸収し、筋肉にすることを可能にしたのだ。

 それこそが彼が陸と海を制覇した筋肉であり、シロナガスクジラが食料を求めて空へと飛び立った理由なのだ。


「うまい。うまいぞ、ブルーホエール!! お前のクラリネットは腹筋によく効くぞ!!」


 さらに一段と筋肉を増した筋肉増太郎が溌剌と笑う。

 事ここに至ってシロナガスクジラも理解した。こいつやべえと。

 慌てて尾びれを翻して逃走を開始する。

 だが、既に筋肉のブラックホールと化した筋肉増太郎の筋肉は周囲空間ごと全てを食らって筋肉に変えている。

 必死に逃げようとするシロナガスクジラが徐々に筋肉増太郎へと引きずり込まれる。

 象と蟻以上の大きさの差があった二体は、今や同等の大きさになっている。

 シロナガスクジラの背中に僅かに残ったクラリネットが悲鳴の音を発するが、その音すらも筋肉に食われて筋肉になっていく。

 そして、クラリネットの残響を僅かに残し、世間を騒がせたシロナガスクジラは周囲の合挽き肉諸共に筋肉になった。


「完食!!」


 最期に残ったクラリネットを噛み砕き、筋肉増太郎は筋肉と笑うとそのまま宇宙へと飛び立った。

 彼の筋肉に地球は狭すぎる。新たなタンパク質を求めて外宇宙へと旅立つときが来たのだ。


 嗚呼、筋肉が行く。

 クラリネット型の飛行機雲を跡に曳いて空を行く。


 夜空を見上げれば今も見えるだろう、クジラ座の隣で燦然と輝くマッチョ座の姿が。

 彼は今も宇宙を食らって筋肉にしているのだ。


三題噺。お題、シロナガスクジラ、マッチョ、クラリネット、合挽き肉

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ