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掌編集  作者: 山彦八里
ホラー
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だから、あなたは見つからない

実家に帰省した乙黒由宇は奇妙な出来事に遭遇した。

 その夜はひどく蒸し暑かったことを覚えている。


 夕方から降り続ける雨が瓦屋根に当たって硬質な音を立てる。

 山から吹き下ろす風もそよ風とは言い難い。南部鉄の風鈴がやかましく鈴の音を鳴らし、その隣で我が物顔で唐辛子の束が揺れている。

 早く止んでくれないと洗濯物も干せやしないと、縁側に腰かけていた私は憂鬱な気分で溜め息をついた。

 畳が湿気るので雨戸を閉めてしまいたいところだが、こうも蒸し暑いとそうもいかない。下宿のエアコンが恋しかった。


 私、乙黒由宇おとぐろゆうは県外の大学に通う20歳の女子大生だ。

 本来なら長い夏休みを下宿でぬくぬくと過ごすご身分だったのだが、おばあちゃんが熱中症で入院して手が足りないとのことで、こうして中国地方の片田舎にある実家に戻ってきている。

 正直、山と田んぼしかない地元で過ごすのは気の進まない話で、盆とお墓参りだけしてさっさとエアコンの元に帰りたいのが本音だ。山に囲まれた盆地であるこのあたりはとにかく暑い。

 ペットの犬と猫と金魚と、あと天井裏に住んでるアオダイショウがいなければ、おばあちゃんのお見舞いだけしてとっとと下宿にとんぼ帰りしていただろう。いや、やっぱり帰りたい、主に最後の天然ペットのせいで。


 ともあれ、いつまでも雨雲を睨んでいても埒が明かない、と重い腰をあげる。

 居間の時計を見れば21時。共働きの両親が帰ってくるのはまだ先だが、そろそろ夕ご飯の準備をしなければならない。

 昼に「ちょっと田んぼの様子を見てくる」って行ったきり帰ってこないおじいちゃんのことは不安だけど、まさか用水路に落っこちたりはしてないだろうと信じたい。


「って、あれ?」


 ちょっと目を離した隙に、いつの間にか雨は止んでいた。

 これなら先に洗濯物を干してもいいかもしれない。また降ってきたら目も当てられないが、その時はその時だ。山の天気に期待するだけ無駄だ。


 そうして視線を下ろした私は、そこではじめて軒先に立っている少年に気が付いた。


 雨宿りでもしていたのか。年の頃は7つか8つ。緑色の浴衣を着て、縁側に立つ私を無言で見上げている。

 不法侵入なんてあってないようなご近所環境だが、こんな時間に子供ひとりというのはいただけない。

 私は膝をついて少年と目線を合わせて、そこでふと疑問に思った。

 少年の顔に見覚えがないのだ。

 このあたりには片手で数えるほどしか子供がいない。盆と正月に顔を合わせる程度の付き合いだが、そのくらいは私も覚えている。

 あるいは帰省組かもしれないが、そこまで検索範囲を広げても該当する人物に心当たりがない。


「ぼく、なにかご用?」

「おかあさんをさがしてるの」


 迷子か。なにかの帰りではぐれた別地区の子かもしれない。

 このあたりは暗くなると街灯もないので、はぐれた子供が合流するのは難しいだろう。


「そうなの。お母さんの名前はわかる?」

「なまえ?」

「……えっと、ぼく、名字はなんていうの?」

「みょうじ?」


 これは本格的に110番案件かもしれない。

 私はポケットからスマフォを取り出して110番を押し、ふと少年に目を戻せば――手を伸ばして軒先に吊るしていた唐辛子をぱくついてた。


「ちょっ、吐いて吐いて!!」


 スマフォをほっぽり出して少年に詰め寄るが、当の少年はむしゃむしゃと唐辛子を咀嚼しながらけろりとした顔だ。


「だ、大丈夫なの? 痛くない?」

「いたい?」


 こっちの動揺を知ってか知らずか、少年は無表情に首を傾げた。

 ぶっちゃけ不気味だった。

 少年が食べたのは母が趣味の料理で使う唐辛子だ。無茶苦茶辛い。前に冗談で口にして半日ほど味覚が消し飛んだので間違いない。

 どこの子か知らないけど、ちょっとまずい子かもしれない。正直、あまり関わりたくない類ではある。

 辛さとは痛みの一種だ。この歳でそれを感じないというのは体になにかしらの問題がある可能性がある。

 親御さんが気付いていればいいけど、そうでないなら事情を説明すべきだろう。


「あの、ぼく?」

「――――ひっ!?」


 だが、私が次のアクションを起こすより先に、向こうの暗がりを見た少年が悲鳴をあげて逃げ去ってしまった。

 なんだなんだとサンダルを引っかけて外に出て見る。



 ――そこには、首のない鳥を片手に持つ、返り血を浴びた老人が立っていた。



 私は思わず悲鳴をあげようとして――


「どしたぁ、由宇ちゃん?」

「あ、おじいちゃん」


 ほっと安堵の息を吐いた。

 暗がりから灯りの下に歩み出てきたのは間違いなく私のおじいちゃんだった。

 ちょっと猟奇的に色づいているが、田舎ならこういうこともある。


「あの、さっきまでここに子供がいなかった? 7,8歳くらいで緑色の浴衣着た」

「いんや、見ちょらんが?」

「……そう」


 たしかに、辺りを見回しても少年の姿はない。雨で半分泥になっている地面を見ても、おじいちゃん以外の足跡はない。

 狐にでも化かされたのだろうか。私は寒気を感じながらも、ひとまず少年のことを脳裡に追いやった。


「あ、田んぼは大丈夫だったの?」

「うむ、どうもこの前の土砂崩れで用水路に土が溜まっちょる。じゃけえ、雨があがったら泥掻きせにゃならん」

「そっかー、頑張ってね」

「われも手伝えや」

「ですよね。で、それどうしたの?」


 指さしたのはおじいちゃんが持っている猟奇的ガジェットの首なし鳥だ。

 毛色は茶褐色、首がないため全長はやや測りずらいが、カラスより明らかに大きい。

 都会ではちょっとみないタイプの鳥だ。


「雉じゃ。この毛色はメスな」

「獲ったの?」

「いんや、夕に草刈ってた時に草刈り機に巻き込まれての」


 首がすぽーんと跳んで血がぶわぁっと噴き出したから何事かと思ったわ、なんて言って呵々と笑う御年96歳の我がおじい様。元気過ぎる。


「血抜きはしてあるけえ、焼いて食おか」

「たしかバーベキューコンロがまだだしっぱだったから、それで焼こっか」


 幸い炭もまだ残っている。私は家の裏手からバーベキューコンロを引っ張り出し、丸めた新聞紙を放りこんで炭に火をつける。

 その間に、おじいちゃんは沓脱石の上に雉を寝かせると、手早く羽毛を抜き、皮を剥ぎ、腹を裂いて内臓を取り出していた。

 あっという間に準備が整い、私はじゅうじゅうと焼ける雉肉を眺めていた。

 おじいちゃん曰く、雉はあまり焼くと風味が飛ぶが、野生の鳥はきっちり焼かないと腹を下すらしい。

 なので見極めはおじいちゃんに丸投げし、私は待ちの一手だ。時おり滴り落ちる脂で大きな火の手をあげる網をじっと見つめる。


「もうええよ」


 両面をしっかり焼いたのを確認しておじいちゃんが許可を出す。

 私はいそいそと箸をとって焼きたての雉肉にかぶりついた。


 ……なんというか、あまりおいしくない。


 雑味があるというか、鶏肉っぽくないというか、全体的に筋っぽい。

 雉はおいしいと聞いていたのでちょっと期待外れだ。

 私の表情を見てなにかおかしいと感じたのか、おじいちゃんも雉肉を口に入れ、くちゃくちゃと噛み締め、


「これは人肉の味じゃな。満州で食ったのによう似とる」


 私はその場で吐いた。


「な、なんで、これ雉じゃ……」



 ――『おかあさんをさがしてるの』



「いや……そんなまさか」


 だが、その予感は私の中でどんどん膨れ上がってきている。

 ひとりでは到底抱え込んでいられず、私はおじいちゃんに先ほど見た子供のことを話していた。



「……鳥は痛みを感じん」


 話を聞き終えたおじいちゃんはぽつりとそう告げ、肩を落とした。


「雌雉はよく子供を守る。あそこで逃げんかったのは子供を逃がす為か。むごいことをした」


 そして、人肉に変じたのは子供を狩らせぬ為か。コレを食べて再び雉を狩ろうとは思うまい。誤解とはいえ、向こうからすればそう思うのも仕方のないことだ。

 私が呆然としているうちに、おじいちゃんは雉肉を炭に放りこんで焼き、残った骨と羽毛を庭の隅に埋め、石をひとつ置いた。

 お墓、なのだろう。


「由宇ちゃんも手合わしとき」

「……うん」


 肉を埋めなかったのは野犬に掘り起こされるのを防ぐためらしい。後日、そう聞いた。

 その時の私は色々と限界で、おじいちゃんの指示通りに動くだけで精一杯だった。

 その後は両親に事情を話したり、心配したおじいちゃんが檀家をしているお寺さんに連絡して、念仏をあげてもらったりして日々は過ぎていった。


 今でも蒸し暑い夜はあの日のことを思い出す。


 結局、緑の浴衣を着た少年が再び現れることはなかった。

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