オマケ:愛☆戦士
烈しいエレキギターのソロが杏里の耳を震わせる。
瞬きする間も惜しむような読みあいの最中、残が一瞬の隙を打ち抜くように強打の一撃を放ってきた。
かろうじて出掛を掴んだ杏里は60分の3秒でブロックをかける。
鈍い肉を打つ音とともに互いの距離が僅かに離れる。
(ガード後はこちらがやや有利。距離は近距離、大技は不利)
殆ど反射に近い思考の中で、杏里は出足の早い下段蹴りを選択。
次の瞬間、腹から顎下にかけてをアッパーで撃ち抜かれた。
いわゆる小足見てから昇竜余裕でしたというやつだ。
杏里の視線に動揺が走る。
残の攻撃は超反応や自棄ではない。これは読みの強さだ。
若干有利な状況が出来た時に、こちらがまず初手牽制から崩しにかかると読み切られていたのだ。
この短時間で完全に癖を視抜かれている。
だが、それに気付いた所でもう遅い。流れはあちら側に取られている。
カウンターヒットからの連続攻撃、既に体力は限界だ。
ならばと起き上がりと同時に超必殺技を――
「甘いな」
――発動する直前の無防備な瞬間を投げられた。
暗転直前の60分の1秒に投げを差し込まれた。
地面に叩きつけられて跳ねる体を容赦のない追撃が襲う。
そのまま杏里の操るキャラクターが地面を降り立つことはなく、きっちりと削りきられた。
筐体から「K.O!!」を告げる野太い声が流れてくるのを聞き流しつつ、アーケードスティックを握ったまま杏里はうな垂れた。
「天笠さん強すぎです。なんですかその読みの強さ」
「介護ロボ相手にしてたら誰でもこうなる。レイの野郎、ロボットの演算能力と精密動作性を遺憾なく発揮して最強CPUもかくやの勢いでボコボコにしてくるからな」
そもそもロボットにゲームの対戦相手を頼む時点で何か間違っているように思われるかもしれないが、昨今では老若男女問わず暇をつぶす為に携帯ゲームに手を出す者は少なくない。
そのため、暁重工の介護ロボはそのお相手をすることを想定して擬似知性に古今東西のあらゆるゲーム用のプログラムがデフォルトで導入されている。
未知の状況に対する即応能力――言い換えれば、主観的な優先順位を付ける思考である――では人間に劣るものの、プログラムの範囲内であれば各種ボードゲームから最新のゲームまでプレイ可能である。
元より演算能力では人間の数万倍をいくロボット達である。型にさえ嵌めればファミコン程度の処理速度しか持たない人間は相手にならない。
そんな介護ロボを向こうに回して勝ちを拾える域に残の腕はあるのだ。
杏里は苦笑するしかなかった。
せめてもの腹いせにこの前知った事実をつきつけることにする。
「野郎? あら、レイさんも今は音声に合わせて動作も女性型にしたのでは? 近々、擬似生体パーツも導入されるご予定だとか」
「うぐ、何故それを?」
こうかはばつぐんだった。
得意げだった残の顔がみるみる青白くなっていく。
「買い物に行った時にスーパーでばったりレイさんにお会いまして」
「迂闊……ッ」
尚、両親が留守にすることも多い佐藤家では家事は持ち回りである。
そのため、稔も杏里も人並み以上に家事はこなしている、新婚生活と公言して憚らない杏里はさておき。
「ところで、ひとつ相談したいことがあるのですが。私、あまり交友関係が広い方ではなくて……」
「まあ、その性格ではな」
「白砂淵さーん、天笠さんのお宅にメイドロボが――」
「用件を聞きましょう、杏里お嬢様」
「ありがとうございます」
ひとまず筐体から離れて適当なベンチに腰かけて、杏里は単刀直入に切り出した。
「義兄さんを落とすにはどうしたらいいと思いますか?」
「いや、客観的に見て、お前もう落としてるだろ、色々な意味で」
「それがそうでもないんです。体はもう落ちかけているんですが、心の方はどうにも……」
事前に義兄の好きな格ゲーを調査し、練習し、その上でゲーセンにやって来た杏里である。
懸想する相手の趣味を学ぼうとする姿にはいじらしいものがあるが、それも攻略の手詰まりを感じての次善策だったようだ。
「義妹というのも難しいものですね。接触機会の多さは強力な初期アドバンテージですが、相手に最後の一線を踏み越えさせる難易度が他の関係性とは段違いです」
「気持ちは分かるがゲームのROM入れ替えるのは勘弁してやれ。格ゲー借りたと思ったら義妹モノだった時はさすがの俺もあいつを疑ったぞ」
「儚い友情でしたね」
「まずは自分のうかつさを認めろ」
いや、あるいは外堀を埋める計略かもしれない。残はそれ以上の言及を避けた。
自分にできる範囲で冷静かつ的確に有効な手を打つ強かさが杏里にはある。
絶対に敵に回したくはない人種である。
「しかし、稔のことはお前の方がよく知っているだろう。俺から言えることがあるようには思えんが」
「聞きたいのはもっと一般的なことですので、ご心配なく」
杏里は楚々と自分の胸元に右手を載せる。
ふにゃりと変形する胸部装甲は杏里が着やせする性質である証だ。
「私も自分の性癖、もとい恋愛観がズレているのは自覚していますので。なんといいますか、男性がグッっとくる瞬間を教えていただければと思いまして」
「それを喪男の俺に訊くか、普通」
「白砂淵さんに訊いたらノロけられるだけで何ひとつ成果がでなかったので、こういうのはむしろ彼女さんの居ない人の方が有効な話が聞けるのではないかと。ええ、彼女さんのいない人の方が」
「やめてください。しんでしまいます」
的確に脇腹の柔い箇所を刺してくる杏里にさしもの残もダウンを喫した。
おかしい。こういう役割は龍之介の専売だった筈なのに。
「お前のそういうエグいところは稔そっくりだよ。これで血が繋がっていないとか驚きだぞ」
「むしろ血が繋がっていたら諦められたかもしれないんですが……」
「お、おう」
重い。重すぎる。正直逃げたい。
だが、友人とその妹の悩み事だ。
責任のとれる範囲で付き合ってやるのも友情だろう。
そう思う程度には、残と杏里の間にも繋がりはあった。
◇
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、義兄さん」
次の日、杏里はいつものように玄関先で稔を出迎えた。
帰宅時間を察知されている時点で稔は危機感を持つべきなのだが、あまりに自然な杏里の態度に指摘する機会を失ったままずるずると半年が経っている。
ともあれ、今日の杏里は一味違う。
脳内にて残のアドバイスが再生される。
『いいか、まず過度なスキンシップは一旦避けろ。警戒され過ぎている。
男だって雰囲気があった方がいいに決まっている。警戒心が先だっては盛り上がりもなにもない』
「委員会の方はもう終わりですか?」
「いえ、日曜に清掃活動に参加することになりそうです。すみませんが、家事担当を土曜と代えてください」
「わかりました。私の方は大丈夫です」
甲斐甲斐しく稔の学生鞄を受け取り、杏里はひとまず奥に引っ込んだ。
常ならここでベタベタしているところだが、ぐっと堪える。
『では、どのようにアプローチするかだが……断言しよう、稔は変態だ。
待て、目からハイライト消すな鞄をあさるな何を出す気だやめなさい。
ほらほら、さっさと正気に戻れ話が進まんぞ。
……コホン、稔が変態かはさておき、あいつの性癖についてはアタリがついている。すなわち――』
「夕飯はもう少しかかるのでゆっくりしていてください」
「……わかりました」
稔が一瞬言い淀んだのを杏里は聞き逃さなかった。
いつもならここで攻勢を掛けて押し切るのだが、杏里は逸る心を抑えて家事に集中した。
ちらちらと視線を送ってくる稔の姿を横目で確認して成功を確信する。
「杏里、その、今日の格好はどうしたんですか?」
キタ。杏里は内心ほくそ笑みつつも、外見は貞淑な義妹を装って首を傾げてみせた。
「なにか、おかしいですか?」
「い、いえ、よく似合ってますよ」
視線を宙に彷徨わせる稔のあまりの動揺ぶりに、杏里は成功を確信した。
杏里の今の恰好はYシャツ、ネクタイ、スラックスという、カジノのディーラーかなんちゃって就活生スタイルだ。
情報通り、こうかはばつぐんだったようだ。
「ふふ、義兄さんは何を着てもそう言いますね。私がウェディングドレスを着てもそう言ってくれますか?」
「モチロン。新郎が僕でなければ、ですけどね」
一時の動揺から立ち直ったのか、稔の口調にも常の調子が戻ってきている。
しかし、その視線は未だに胸部曲線にそって緩やかにS字を描くネクタイに注がれている。
(しかし、ネクタイ+スーツ萌えとは義兄さんも業の深い……)
健康的な白のYシャツ、胸部を強調するネクタイ、露骨にスタイルがでるタイトなスラックス。いつもは着やせする杏里が今日ばかりはそのポテンシャルを遺憾なく発揮している。
残の予想はこれ以上なく的中していた。
彼はクラスメイトが女性教員に注ぐ視線が日々の格好によって違うことに目敏く気付いていたのだ。残酷すぎる友情である。
(とはいえ、毎日この格好と言うのも変ですし、効果があることを掴めただけでもよしとしましょう)
性癖を直撃した義妹の格好に理性を削られながらも、稔は最後の一線で耐えている。
杏里へと伸びる腕を押さえて「静まれ僕の右腕……!!」などと言っている内は煩悩のダムが決壊することもないだろう。
服装だけでは決定打にはならないのだ。
逆に言えば、他の要素と組み合わせれば、稔をノックアウトさせられる可能性もあるということだ。
(ふふ、楽しみですね、義兄さん――)
だが、杏里の知らない事実がある。
一定の傾向こそあれど、性癖と言うのはそこまで固定化したものではないのだ。
特に服装萌えのジャンルはある程度の波――もっと言えば季節に影響される部分が大きい。
義兄萌えで性癖が固定している杏里はついぞその可能性に気付かず、残も敢えてその点には触れる必要性を感じていなかった。
一ヵ月後、渾身のネクタイ+スーツが縦セタに敗北を喫することを杏里はまだ知らない。