仇と技
隻腕の男は彼方へ去り、村を焼かれた少年はその後を追った。
十年前のことである。
おぼろげな面影とわずかなてがかりを懐に、少年は砂漠に落ちた針を拾った。
その夜は灰色の雲が垂れ込めた、憂鬱な空模様であった。
「ここで逢うたは盲亀の浮木、憂曇華の花待ち得たる今日の対面――」
奥座敷に踏み込んだ少年は、歌うように復讐の口上を述べる。
開け放たれた襖から届く仄かな光が少年を照らす。
襤褸の上衣、ひょろりと伸びた四肢、肋の浮いた腹。
煤で汚れた顔はひどく記憶に残りにくい凡庸さ。
十年の追跡の果て、とても戦士階級には見えない少年は仇の元に辿りついた。
少年は秘伝を継ぐ村の生き残りであった。
一人をもって一人を殺す。
その為の技、その為の秘薬、その為の人体改造を行う村の最後のひとりであった。
後の世で、暗殺者と呼ばれる存在の、おそらくは最後のひとりであった。
まさしく気鬱な夜に見る、悪い夢のような存在であった。
「……終わったはずのモノが、なにを今さら……」
吐き捨てた隻腕の男は華々しき武門の出であった。
戦で片腕を喪って尚、鍛え抜かれた肉体と技を持つ、精強なる剣の使い手であった。
男には悪癖があった。
世の者どもが名器名剣の類を蒐集するように、男は技を蒐集することを好んだ。
むろん、自らの命の緒であるそれを容易く明かす戦士などいない。
結果、男の振る舞いはどうしても暴と威を帯びた。
時に、火を放つほどに。
その結果がこれである。
「屋敷の者は?」
「よく眠っておられます」
少年が袖を振ると、微かに甘い香りがした。
眠りの秘薬だ。
男はとっさに袖を振って風を払うと、傍らに立て掛けた剣をとった。
明らかに少年がそれを扱う者であると看破していた動きであった。
「私のことを覚えておられるようですね」
「貴様の里の者は皆そういう出で立ちだったぞ、“寸児”の」
手の感触で目釘を検めながら、男は鞘を噛み、剣を抜いた。
使いこまれた反り身幅広の剣。拭ったとて消えぬ血の匂いに少年は微かに笑んだ。
「我が仇の強なること、慶び申し上げます」
「狂人が戯言を……」
少年は得物を見せていない。彼の里の秘伝は暗殺の技である。
短刀か、あるいは投擲か、それとも徒手か。尋常の戦士の技ではないだろう。
結局、彼の里がどのような技を秘めているか、男は知ることができなかった。
「――――」
状況は悪い。心中で男は断じた。
彼我の距離はおおよそ二間。
奥座敷ゆえ幅も天井も狭く、剣を振るうには心もとない。
だが、斬れる。
男は断じた。
伊達と酔狂で技の蒐集を繰り返してきた男だ。その破天荒に見合う技量とは尋常の域にはない。
踏み込んで十手、迎え撃ちて八手。
男の目には、斬り伏せられた少年の姿が映っていた。
そして、戦端が開かれる。
「言い残すことはありますか?」
「我が剣にて語って聞かせよう。あの世で自慢するといい」
言い捨てて、男は踏み込んだ。
俊足である。
一足で一間を踏みこむ神速の歩法。
利剣である。
瞬きに左右からの双払いを放つ超越の剣技。
並の戦士なら為す術なく死んでいる剣の神髄。
それを、少年は骨で受けた。
敢然と男の懐に踏み込み、初太刀を左手の尺骨で、二太刀を浮き出た肋骨で受けとめた。
当然、肉は斬れ、血が噴き出す。
いかに切れ味の落ちる剣の根元を受けたとて、衝撃は徹る。
男の隻腕にはたしかに肋骨を叩き折った感触があった。
代償に、男の剣は巻き取られた。
そういう改造を施していたのだろう。
奇怪に捻じれた肋骨に食い込み、男の剣はぴくりとも動かなくなった。
刹那、少年が手を伸ばした。
無事な右手。おそらくは秘伝を秘めた手を。
伸びる。伸びる。伸びる。
袖で隠されていた長大な腕が、肩の関節を外して伸びる怪腕が、男に迫る。
咄嗟に、男は退いた。
同時に、懐から小太刀を引き抜き鞘を畳に落とす。
体に刻みこんだ反射の技法、仕切り直しの技。
だが、それは、あまりにも遅かった。
(ああ、そうだ――――)
走馬灯のように男の脳裡に閃くものがあった。
ひょろりと伸びた少年の四肢。
すなわち、異常であるのは腕だけではない。
そのとき、少年の体がぎゅるりと捻じれた。
腰を捻り、右の手足を引いて半身になり、膝をたわめた姿はバネ仕掛けに似る。
まさしく捻じれたとしか言いようのない姿。
男は、そこにおのれの死を視た。
来る、と直観する。死がやって来る。
奇怪なる四肢が時を縮める。
「――絶招“虎灯”」
瞬間、いなずまが奔しる。
衝撃。
目の奥に、火花。
ごきり、となにかが折れる音。
気付けば、男は立ったまま天井を見上げていた。
首の骨を折られたのか、と男は知り、次いで、頭の重さに引かれるように倒れ込んだ。
男が起き上がることは二度となかった。
◇
こふ、と血を吐いて少年はふらつく。
壁に手をついて、その骨も折れていることに気付いて顔を顰める。
痛みは薬で消している。が、不快感までは消すことができない。
辛くも倒れるのだけは避け、ひとまずは肋骨を緩めて剣を抜いた。
「……本懐遂げども、絶招成らず、か」
呟く声には自嘲の色が濃い。
――絶招“虎灯”
絶招とは奥義である。
海の向こうの大国を超えて、そのまた向こう――大秦のあったあたりから伝わったものだという。
少年の身につけた絶招は、分類としては打撃関節技というべきものである。
人体の限界を超えた瞬発で接近し、相手の額を押し込む技である。
奇怪な挙動で警戒を呼び、退かせ、相手が踏ん張った瞬間――筋肉が硬直し、衝撃を受け流すことのできぬ瞬間を狙い打ち、
結論として、凄まじい速度で相手を轢き殺す技である。
しかし、少年は本来の“虎灯”に至らなかった。
修行と改造が完了する前に村を焼かれたからだ。
本来のそれは一人一殺。
すなわち、ひとりの人間を殺すのに、おのれの全てを擲つ捨て身の技である。
それが里の掟であったのだ。
「だが、まあ、すでに亡き者に囚われる必要もなし」
見開いたまま固まった男の瞼を閉じさせて、少年は己の中にわだかまっていたものを洗い流した。
暗殺者としての自分は今夜死んだ。
これからは、そうでない自分を探さねばならない。
あるいはそれは、仇を探すよりも困難であるかもしれなかった。
夜が明けた屋敷に少年の姿はなかった。
ただ、かすかな甘い香りだけがその残滓を漂わせていた。




