おいでよ、マッチョの森
人類が火星に入植してから早56億7000万年。
太陽は既に没し、星の息吹も絶えた赤き地で、人類は尚もしぶとく生き残っていた。
そればかりか彼らは、そろそろ解脱しようぜ派とタコ足プレイをまだ楽しみたい派に分かれて泥沼の闘争を続けていた。
そんな中、古き良き(自称)二足歩行スタイルを貫くマッチョたちは両派の争いを他所に、竹林に籠って延々と筋トレを続けていた。
人々は彼らを『竹林の七筋者』と呼んだ。
◇
「ンハー!! キレてますよ!! キレてます!!」
竹林に入って僅か30秒、高らかに響く鳴き声を耳にして、グイードは早くも後悔していた。
周囲を見回すと、未熟な竹の子を守るように思い思いのポージングをとる竹の姿が目に入る。
「みつかったら筋トレさせられる……!!」
焦りと共に手近な竹の子を取ろうとするが、貧弱な火星ボーイでしかないグイードでは鍛え抜かれた竹の葉を揺らすことすらできない。
天高く伸びる竹がグイードを見下ろし、見せつけるようにポージングを変える。
知識のないグイードでも本能で理解させられるほどの見事なダブルバイセップス。
しかし、今さら二足歩行に戻ることは親から受け継いだ八本足が許さない。
「こんなハズじゃ……」
後悔が喉まで出かかって、危ういところで呑み込む。ここで折れたらマッチョだ。
グイードは竹の子を商う齢15の竹の子取りだ。
いつか竹取りに成ることを夢見て、親元を離れ、竹の子を取って暮らしてきた。
しかし、先日までグイードが竹の子を取っていた竹林が戦場になった為、已む無く――主に生理的な理由で――近付きたくなかった七筋者の竹林へと侵入したのだ。
しかし、この竹林はグイードの予想を超えて逞しく成長していた。竹の子をとったところで正直、食べる気にはなれない。
「見せ筋!! 見せ筋!!」
「ッ!?」
そのとき、突如として鳴き声が変わったことにグイードは気付いた。
あれはマッチョ語で「侵入者」の意味だと竹取りをしていた祖父に教わった記憶が脳裡をよぎる。
この場合の侵入者とはもちろん自分のことだ。
慌てて手元の火星タンポポを確認する。
急速に濃度を増していくワセリンに反応してタンポポは既に半ばまで燃え尽きている。
七筋者が、近付いているのだ。
「どうする……どうする、俺……」
無意識に、護身用に懐に忍ばせたレーザー銃に第三触手が伸びる。
だが、ワセリンで全面コーティングされた筋者相手では跳弾の危険がある。これはあくまで奥の手だ。
「こういうときは……そう、まずは話し合いだ。たまたま竹林に踏み込んじゃっただけだって言えば……」
己に言い聞かせるように、グイードはうろ覚えの知識を反復する。
筋者は決して未開の蛮族ではない。むしろ低重力下で効率的な筋トレを追求する知識層と言える。
グイードの暮らすシティともプロテイン本位制で取引が行われている。まだ目はある筈だ。
そうしてグイードが覚悟を決めた次の瞬間、タンポポが遂に燃え尽きた。
同時に、彼を囲むように、ズン、と重い着地音が7つ響く。
軟体の触手の接地音ではない、ましてや実体のない解脱者の奏でる音でもない。
骨と肉の詰まった重低音。この火星の低重力では考えられないほどの重み。
「マッチョ?」
そこに、7人のマッチョがいた。
でかい。5メートルはあるグイードが見上げなければならないほどにでかい。
肩幅に至っては考えるのも億劫になる。
それが7人。しかもワセリン。マッチを胸筋で擦って火が付けられそうだ。
「アー、アイムノット・マッチョングリッシュ」
しばしの放心から立ち帰り、これだけはと祖父に教わったグイードのマッチョ語が火を噴く。
果たして伝わったのか、7人のマッチョたちはそれぞれポージングを変えた。
「オウ、見せ筋?」
「ノーノー!! アイム・マッチョインザシティ!! ユア・ネイバーマッチョ!!」
次いで、できればこれもと祖父に教わったマッチョ語が二の矢となって放たれる。
まさか役に立つ日がくるとは思わなかった。
グイードは今すぐこめかみにレーザー銃を突きつけたくなる周囲360度のマッチョドームな圧迫感に耐えて、スマイルらしきものを浮かべた。
「マッチョ?」
「キレてない」
「見せ筋?」
「ノットマッチョ・そもそも」
七筋者はそれぞれ自慢のポーズをとると共に議論を交わす。
明らかに語彙が少ないが、彼らはそれをポージングによるボディランゲッジで補っているようだ。
あるいは、そちらが主言語なのか。見上げるだけのグイードには窺い知れない。
しばらくして議論がまとまったのか、マッチョたちはマッチョドーム包囲を解くと、ひとりを残して背後に引き下がった。
残ったひとりは眼鏡をかけたマッチョだった。
如何にしてか顔筋も鍛えたようで眼鏡がめりこんでいるが、一応知的な雰囲気は辛うじて感じられる。
「あー、キミは、シティの子ども、だね?」
「あ、はい。交易共通語が通じるんですね」
「はい。ワタシは、シティへ買う、行きます」
「!!」
グイードは内心でガッツポーズをとった。
少なくともいきなり筋トレという事態は避けられたのだ。
「アナタ、竹の子とり、ですね。ワタシ、売ってる、アナタ、見ました」
だが、その安堵も次の瞬間には崩れ去った。
迂闊だった。何故こうなることを予想していなかったのか。
あるいは、心のどこかで56億7000万年も前の二足歩行スタイルを維持する彼らを見下していたのか。
今となっては後悔ばかりが押し寄せてくる。
グイードは8本の足を畳んで火星土下座を敢行した。
「すみませんでしたー!!」
「謝る。いい」
「へ!?」
思わず顔をあげると、むきむきと盛りあがったマッチョの顔筋がにこりを笑みのような形に蠢いた。
「戦争、近くで起こった、知ってます。竹の子ほしい、違いますか?」
「あ、いえ……違わない、です」
「困ったときは助け合う。これ、竹林の掟」
そう言って、マッチョは全身の筋肉をもりもりと盛り上げると、手近な竹の子をぶちんと引き抜いてグイードに手渡した。
「竹は成長早い。少しあげる、大丈夫」
「あ……」
「でも、今度から、言う。勝手、駄目、筋トレ」
「あ、ありがとうございます。もうしません」
「筋トレ」
「き、筋トレも、します……」
どさくさにまぎれて筋トレを約束させられてしまった。
しかし、自主筋トレで済んだだけまだマシだろう。
グイードはもう一度礼を言って竹林を後にした。
七筋者は彼がいなくなるまでずっと手を振っていた。
手を振っているように見える筋トレの可能性も否めなかったが、兎に角、見送ってくれていた。
◇
夜、粗末な下宿に戻ったグイードは貰った竹の子を桶の水に浸け、ようやく安堵の息を吐いた。
「……筋トレしよう」
それでも、少年は筋トレをした。
腹筋、腕立て伏せ、スクワット。
どれも5回もできなかったが、それでもできる限りをした。
グイードは約束を守り、そのまま床に伏せて泥のように眠った。
翌日、グイードが目覚めると、シティ中がマッチョな竹林で覆われていた。
否、それは最早、林ではなく、森だ。マッチョの森だ。
ただあるがまま、望むがままに成長する、大自然のマッチョだ。
飽和限界に達したワセリン濃度にあちこちの火星タンポポが火を吹き、人々が逃げ惑う。
ついでに、竹林に七筋者はいなくなっていた。夜逃げしたのだ。
グイードは竹の子取りから竹取りのマッチョに転職した。
「竹は成長早い」
そう告げたマッチョの笑顔を思い浮かべながら、グイードは今日もマッチョな竹に斧を打ちこむ。
その二の腕には、いつしかコブの兆しが垣間見えていた。
お題:マッチョの森
三題噺:タンポポ、火星、竹の子