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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

森のくまさんは肉食獣

作者: 紺堂悦文

 



 きみのお父さんが、お母さんが、そしてぼくたちがとても小さかったころ、この町の外れの森にはくまさんが住んでいた。

 森のくまさんは人殺しだ。子どもをさらって食べてしまう。

 大人たちはそう言って、いつもぼくたちを脅かした。






 ……さて、どこから話そうか。

 突然だけど、僕は森のくまさんを見たことがある。会話をした事も。

 僕の住む家の近くには山に続く森があって、くまさんはそこに住んでいた。


 森の中の小さなボロ屋、くまさんの家はそこだった。大きな頭に小さな目。ずんぐりとした体に毛むくじゃらの手足。大人たちが言ってたみたいに、その人は本当にくまみたいだった。

 腰にはいつも()き出しの(ナタ)を下げていて、遠くから見かけただけで僕はその場を逃げ出した。




 ある日、友達と些細(ささい)な事で喧嘩した僕は、森の中で遊んでいた。

一人でボールを追いかけていた僕の足が、突然地面に埋まり込んだ。


「いたいっ! ……なにこれ」


 それは小さな落とし穴だった。

 足を抜こうとしたらまた痛みが走った。…引っ張られるような痛み。


「……ひも?」


 その紐は僕の足に絡まっていた。

 簡単な作りのその罠に、僕はとことん混乱した。今ならすぐに(ほど)けるけど、僕は子どもだったし、なにより怯えていた。

 …これは、森のくまさんが子どもを捕まえる為に作った罠かもしれない。いや、そうに違いない。

 漏れそうになる悲鳴を抑えて必死でその紐をほどこうとすると、いつの間にか、すぐ近くに人が立っていた。


「あ……」


 見事なヒゲが顔を覆っている。

 ずんぐりとした体と、黙って僕を見ている小さな目。……腰で光っている剥き出しの鉈。


「ひぃっ」


 くまさんだ。

 森のくまさんは子どもをさらって食べてしまう。

 怯える僕の目の前で、くまさんは腰の(ナタ)に手をかけると一気にそれを引き抜いた。


「や、やめて…やめてっ!!」


 ズドンと鉈が振り下ろされた。

 僕は、自分が死んだと思った。


 ……けれど僕は生きている。変わらずこの町に住み続け、大人になってから小さな君に、この話を聞かせている。






「…イノシシ用の罠に珍しい獲物がかかっているな」


 その鉈は僕の足からだいぶ外れた場所に打ち込まれていた。落とし穴の近くの小枝から伸びている紐を切ったんだ。

恐ろしい輝きのその武器を、一度振ってからくまさんは腰に戻した。


「すまなかったな。…足は痛むか?」


 僕はブルブルと首を振ったと思う。


「そうか…。だが怪我をしていたら良くない。私の家に来たまえ」


 僕は逃げようとした。それはハッキリと覚えている。けれど、すぐにまた転んだ。


「…足を痛めているようだな。手当をしよう」


 くまさんは転がってる僕の事を軽々と持ち上げてそのまま背負った。その背中がとても大きかった事も、やっぱり僕は覚えている。







 ……その家の中は外観とは全く違い、綺麗に片付けられていた。


「そこに座っていなさい」


 くまが座っても平気な様に作られているゆったりとしたソファー。そこに僕はちょこんと座らされていた。……狭い家だった。ソファーの上から家の全てが見渡せる。くまさんは僕の為に台所でお湯を沸かしていた。


 どうしていいのか分からなかった僕は、静かに家の中を観察していた。本棚がいっぱいある家だった。難しい言葉の本がいっぱい並んでいた。

 …資本論、経済論、第三世界の富と貧困。

 …宇宙の成り立ち、神話大系、神との対話。

 一般小説から専門書まで、色んな分野に渡るその蔵書は、今思い出すとかなりのインテリジェンスを感じさせる。

 けれど、その時の僕が一番印象に残したものは、その本棚の一つに収められていた、僕もよく読んでいた漫画だった。


「…さあ、この上に足を出したまえ」


 くまさんに(うなが)されて小さな台に足をのせる。暖かいタオルで優しく足を拭いてから、くまさんは包帯を巻いてくれた。


「少しひねっただけだ。すぐに痛みは引くだろう。しばらく休んでいくがいい」

「くまさんは、ぼくを食べないの?」

「……食べて欲しいのか?」


 僕はまた首を振った。


「男を食べる趣味はない。……おっと失敬。子供に言う事ではなかった」


 くまさんは台所からポットを持ってくると、食器棚から美しい陶磁器のカップを二つ取り出し、良い匂いがするお茶を注いでくれた。


「しかし、くまさんと呼ぶのはやめたまえ。私は人間だ。それとも君の言うくまさんは、税金を納めたりするのかね?」

「じゃあなんて呼べばいいの?」

「そうだな…。ロビンだ。ロビン・クリストライプだ」


 くまさんは自分が森のくまさんって呼ばれてる事を知ってたんだ。その悪意に少し斜めからのインテリジェンスで返した。僕はその時気付かなかったけれど。


「ロビンって呼べばいいの? …僕は」

「待て。お前の名前は聞かない。

 そうだな、…お前の事をピギーと呼ぼう。可愛い子豚(ピギー)だ」


 これがロビンとピギーの出会いだ。







 ……くまのロビンと子豚のピギーはすぐに仲良しになった。

 ピギーは友達と喧嘩したばっかりで仲直りも出来ていなかったから、余計ロビンと仲良くしたんだ。そんなに友達が多い方でもなかったしね。


 ロビンは家に居ない事が多かった。

 そういう時、僕は森に行った。山の方に入り込みそうになる頃、いつもロビンが僕を見つけてくれた。


「ピギー、山を甘く見るのはやめたまえ。…お前みたいな子豚はすぐにティーガーの餌になる」

「ティーガー?」

(ティーガー)さ。お前なんて丸呑みにされてしまうよ」

「この山には虎はいないよ」

「おっと失敬……そうだったな。危険なティーガーは町に居るものだった」


 ロビンは僕と出会うと猟を中断したり、そのまま僕を連れて山の中に入ったりした。そこで僕は色んな事を教わった。

 獲物を追う方法、罠の作り方、食べれる野草やキノコ、動物の解体まで教わったんだ。

 僕は子供的な、「うわ、かわいそう」を持っていなかったし、ロビンは知性的だったけど、大人としての常識は軽んじている人だった。

 けれど、彼は折に触れて時々こんな事を言った。


「ピギー。君の父と母には言うなよ」


 ロビンは自分が大人たちにどう言われているのかも知っているし、常識を軽んじているだけで「知らない」訳ではなかった。

 ただ、自分の中の教えの方が大切な人だったんだ。


 一度小さなウサギを生きたまま捕まえた。それを僕が(さば)いたんだ。

 僕はロビンほど道具を上手く扱えない。ウサギは痛そうに泣いていた。


「ピギー……よくないなぁ。肉を傷つけるなよ」


 そのままその場で血抜きをして、プリプリの肝臓を切り分けてから生で食べる。

 濃厚な血の匂いと滋養が口の中に広がるんだ。レバ刺しなんて目じゃないよ。

 最近は生のレバー食べるのも大変だろ? 牛じゃなくていいなら君にも今度ご馳走するよ。


 ロビンの家に着くと僕は真っ先に汚れた下着を洗濯機に放り込んでからシャワーを浴びる。そういう時、ロビンは猟の成果を確かめたりしている。

 すぐに食べるもの、保存するもの、町に売りに行くもの、洗濯……まあ色々とやってたよ。

 そして僕がシャワーを終えると、良い香りのお茶を出してくれるんだ。


 僕とロビンは色々な事を話したりする事もあれば、特に何も喋らずその場に居る事も多かった。

 大抵は僕が難しい本を読もうとして、結局漫画を読んでたよ。ロビンの家には子供が好きそうな漫画もいっぱいあったからね。









「……大丈夫だよピギー。それは病気ではない。誰しもに訪れる事なんだ」


 僕は、心も体もどんどん変わってゆく歳だった。

 昨日までと一日一日変わってゆく自分自身に、戸惑(とまど)っている頃だった。

 ロビンは僕に色んな事を教えてくれた。彼は僕の先生で、父親で、友人だった。

そして、僕が両親にさえ秘密にしていたその大切な交流に、ある日乱入者が現れた。








「……ピギー。ところで後ろからの追跡者は君の友人か?」

「え?」


 振り返ると、大きな木の(かげ)からこちらを(のぞ)いている奴がいた。

 フリルのついたピンクのスカートが木の陰からはみ出している。僕はすぐにそれが誰なのか見当(けんとう)がついた。


「誰だ? 出てきたまえ。…その可愛い足を切り落とすぞ」


 ……ロビンが声を出すと、可愛い女の子が震えながら木の陰から出てきた。僕はその子を知っている。

 ピンクのスカートと青い長袖シャツ。

 長い髪の毛の下のくりくりとした目で、その子は僕たちを見ていた。


「……あんた、最近そいつとばっかり遊んでるでしょ。いいつけるわよ」


 可愛い顔をしてるのだけれど、うざったい前髪を垂らした陰気な少女だ。

 喧嘩したまま仲直り出来ていなかったその女の子は、突然僕を脅迫した。


「おやおや。子豚の匂いにつられてやってきたロバか。これまた幸が薄そうなロバだ。馬と呼べるほど肉がついていないな。……ヤオリューロウにでもしないと食えん」

「ロビン、ヤオ…、なにそれ?」

「中華の前菜(アスピック)さ。ロバの肉を血とゼラチンで煮こごりにするんだ。…うまいぞ」


 少女を脅かす様に、歯を()き出しにしてロビンが笑って見せる。

 陰気な少女は一瞬だけ(ひる)んだけれど、すぐにロビンを(にら)み返した。


「……おやおや、鼻息だけは馬並みだ。それで君はなにをしているんだ。答えたまえ」

「私がどこでなにをしようが私の勝手よ!」

「……仰る通りで(イグザクトリィ)


 少女はキョトンとしていたが、僕は笑ってしまった。ロビンの家で読んだ漫画に出てくる有名なセリフだったからだ。


 結局その日は一日中、少女は僕たちの後ろをついて回っていた。








 陰気なヤオはいつの間にか、僕たちの交流に加わっていた。


「ねえロビン。この漫画の続きはどこにあるの? あと早くお茶を出しなさいよ」

「……ふう。 ヤオ、君はたまには私を(ねぎら)おうとは考えないのかね?」


 ベッドの上でお菓子を食べながらお茶を催促(さいそく)するヤオ。

 けれどいつもロビンは大きな体を動かして、ヤオの言う通りにしてやっていた。


 その日はロビンの家で夕食を食べ終わり、食後のお茶を楽しんでいた。

 僕の家はあまり規則がない家だった。放任主義ってやつさ。そんなに頻繁(ひんぱん)じゃないのなら、電話一本入れればお泊りも許された。


 …ヤオの家はどうだったのかな?

 彼女はしょっちゅうロビンの家にいたよ。僕よりもロビンと一緒に居る時間が多くなっていた。

 彼女は複雑でね。真夏でも長袖を着てる変わった女の子さ。食事をする時には血走った目で我先にと食べる。……誰も取りゃしないのにね。


 それに、たまに頭を撫でてやったりすると「痛い」って言うんだ。ヤオの頭はブヨブヨとしていて変な形だったな。まあ、今となっては詳しい事は分からない話だ。

 ……続けるよ。



「ロビン、あんたは くまの癖してお菓子を食べるのね」

「おや、くまがお菓子を食べてはいけないのかな?」

「いけなくはないわ。けど、くまはお肉を食べるでしょ?」

「もちろん食べる。しかし、誤解があるようだな。ではお菓子が好きなロバの少女に教えて差し上げようか」


 時々ロビンはこんな風に語り始める時がある。

 そういう時、僕は食い入るようにその話を聞いていたし、ヤオも大人しくしていた。


「くまは恐ろしい生き物だ。その手で君たちの頭を撫でれば数メートルは吹っ飛ぶ。胴体はその場に残してね」


 ロビンがそのたくましい上腕二頭筋を(ふく)らませる。ぱんぱんに()れ上がったそれは、いつも猟で凄まじい威力を発揮する武器だった。優しいロビンがぼくにそれを向けた事なんてなかったけどね。


「……しかし、彼らの強靭(きょうじん)な体は肉食により出来ている訳ではない。種類にもよるが草食の傾向のくまもいる。なにせ有名なくまさんは蜂蜜好きだ」

「あんたの仲間のことね」

「ヤオ(くん)は廊下に立たされたいのかな? ……さて、つまりくまは雑食だ。人間の残したお菓子なんかは大好物なのさ。もちろん私もだ」


 ロビンはそう言って、ベッドの上でヤオが食べ散らかしたお菓子をつまんで口に運ぶ。クッキーのかけらだったりポテトチップスをね。ヤオはきゃっきゃと言いながらロビンの大きな手から逃げるんだ。……嬉しそうに。





 ……あの時間は、なんと呼べば良かったんだろう。

 やっぱり今でもそれは分からないんだ。けどね、僕にとってはかけがえのないものだった。

 ヤオにとってもそうだったと思うよ。今では、確かめようもない。








 こんな事もあった。

 その日のお泊まり会ではみんなで星を見ていた。

 ロビンは本当に博識だった。いつでも僕らを楽しませた。


「あれが夏の大三角形だ。聞いた事があるだろう」

「わかんないわ。どれも同じね」

「同じ様に見えて違うのさ。なんでもね。……あの空のどこかにはそれぞれの運命の星がある。残念だがおおぐま座は見えないな」


 その言葉を聞いてヤオはうつむいた。


「…運命っていう言葉は好きじゃないわ」

「どうしたんだヤオ君。ふてくされた顔をして」

「運命っていうのは、決められたものでしょ? そこから(のが)れられないものに聞こえるわ」


 その日のヤオはずっと元気がなかった。

 いつも着ている青い長袖のシャツ、……左腕の一部を押さえる様に、ずっと触っていた。


「私にも運命があるの? その星の下に生まれると、逃れられないの?」










 ……ロビンが優しくヤオの頭を撫でる。


「いたい。触らないで」

「おっと。…これは失敬」


 その大きな手を優しく首に移す。静かにロビンはそこをさすっていた。


「ヤオ。……運命というのはそういうものではない」


 ヤオはうつむいたままだ。

 僕は黙って聞いていた。


「人間には逆らえないものがある。自分を無力に感じる時がある。……ただな、その時に自分の事を責める必要はないんだよ。力が無い己を恥じる事はないんだ」

「なにが言いたいのか分からないわ」

「運命のせいにしていい。

 ヤオ。お前が子供だから悪いのではない。力が無いから悪いのではない。運命が悪いのだ。……そして運命には波がある。抜けないトンネルはないように、お前の運命にもすぐに光が差す」


「……なんの保証もないわ」


 僕は、ロビンが何も言えなくなる所を初めて見た。一瞬だけ、ヤオの首をさする手が止まったように見えた。




「……ごめんなさい、子供みたいに。わたし、大人は嫌い。……けど、ロビンは好きよ。優しいくまだもの」


 ヤオは子供だったよ。

 そして大人を嫌っていたけれど、早く大人になりたがっていた。僕と同じ様に、みんなと同じように。


 …子供の僕は何もうまい事は言えなかった。だから、その代わりと言ってはなんだけど、僕は空気を変えようとした。




「…ロビン。こぶた座はないの? 僕の星は?」

「ピギー、残念だが私の知識にもこぶた座はないな。しかしぶたのしっぽと呼ばれるものはある」


「…ロバ座は? 私の星はどこよ」

「ロバに関連するものは一つも聞いた事がない」

「む。……ちょっとあんた、私を仲間外れにするんじゃないわよっ!!」



 あとはいつも通りさ。

 ヤオが騒いでロビンが上手くかわす。

 僕はそれを見ている。…懐かしい話だ。









 ……ん?

 トイレに行きたいのか?

 ちょっと待ってくれ。

 もうすぐ話は終わる。

 別にそのままそこでしても構いやしないよ。けどまあ五分もかからず終わる。

 終わりは突然だったからね。







 ……ある雨の日の事だ。僕はソファーで静かに本を読んでいた。その頃の僕は少しずつ難しい本も読める様になってきていた。ロビンに教えてもらいながらね。


 すると、突然夜の雨が部屋に入り込んできた。そっちを見てみると、雨に濡れたヤオが玄関に立っていた。……ぽとり、ぽとり。大粒の雨を顔から垂らして。


「……ヤオ? どうしたの?」


 ヤオは、肩を抱きながら(こご)えていた。

 その顔は、大きく()れ上がっていた。

 目の周りが青くなっていて、まるでヤオの方がくまみたいになっていた。


 ……ははははは。目のクマ(・・)とかけたんだ。面白いだろ?






 ヤオはロビンに抱きついた。

 ロビンは何かを(こら)える様に天を見上げた。そこにあるのは天井だけどね。……運命の星? 見えない見えない。


「…ピギー。君は家に帰りたまえ」


 僕は帰りたくなかった。傷付いたヤオのそばに、二人のそばに居たかったんだ。


「聞き分けのない事を言うなピギー」


 ロビンはヤオをベッドに寝かせると、僕の体を押すように玄関へと運んだ。


「…二三(にさん)日ここには来るな」


 そして、僕の目の前で扉は閉められた。












 ……二日位あとだったかな?

 母さんが僕にこんな事を言ってきた。


 ねえ、あの家の女の子知ってる?行方が分からないんですって……


 辺りはもう暗い。けれど僕は弾かれた様に外に飛び出した。噂になっているという事は、警察が動き出す。この町で一番怪しいのは森のくまさんと呼ばれるロビンだ。


 通い慣れたその家に行く途中、森の中に人だかりが出来ていた。

 夜の森に赤い光が回っている。くるくると、くるくると。……真っ赤な回転灯が、夜の森を切り裂いている。


「ちょっと君っ、戻れ! 戻りなさい!!」


 町には色んな奴がいる。

 危険なティーガーも、陰気なロバも、可愛いこぶたも、ひ弱なウサギも、整列する羊たちもいる。

 制服をきた(イヌ)がご主人さまの命令で僕を捕まえようとするけれど、僕は捕まらずにその家まで辿(たど)り着いた。


 ……部屋の中は、そうだな。

 一言で言うと、解体現場だ。

 僕は何回も見たし自分でやった事もある。

 詳しく言おうか? けどそれはやめておこう。どうせ君もすぐに分かるさ。


「……ピギー」


 部屋の中心ではロビンが犬に押さえられていた。訓練された猟犬は、集まれば熊とだって戦えるんだ。


 そこに現れるはずのないこぶたを見つけて犬は気が(ゆる)んだんだね。ロビンは一瞬の隙を突いて犬達を振り払い、僕の所まで辿り着いた。


「貴様っ! その子を離せっ!!」

「……近寄るな。お前らがここに来るまでにこの子の首を折る事はたやすいぞ」


 まあ、こんなのは茶番だよ。

 ロビンは僕にそんな事はしない。

 ロビンは僕と話したいだけだったんだ。それに、僕もロビンに聞きたい事があった。


「ピギー、済まない。駄目だ。駄目だったんだ……」

「食べたの?」


 ロビンは泣いていた。

 いつもロビンが綺麗に刈り揃えていた清潔なヒゲは乱れていたし、嗅いだことのない口臭が僕の鼻を打った。殴りつけられる様な腐った肉の匂いだ。


「おお……ヤオ……、しかし仕方ない事だった。運命の前に、人は逆らえない。無力な己を責める事は出来ないのだ。分かるだろピギー……!」

「うん。わかるよ」


 ドアの外から半狂乱の声が聞こえた。

 何度か聞いた事があるヤオの母親の声だ。

 ははは。笑わせる。あいつは散々ヤオを殴りつけていたくせに。





「……トンネルを抜ける事を待っていた。私の衝動が消える日を。しかし、トンネルを抜けてみたら、そこもまた闇の底だった」

「わかるよ」

「私は悪くない!! そうだろう!? ピギーッ!!」

「うん。そうだね」


 僕を追ってきたんだろう。母さんの声が聞こえた。こっちの半狂乱は納得できる。

 町の外れの森の中に住んでた前科者が、自分の子供を人質に取ってるんだ。そりゃ泣き叫ぶよ。


「おおピギー、 優しい子だ。……ヤオも優しい子だった。ヤオは逃げる事も出来たのに逃げなかったんだ。自ら望んで私の聖餐(せいさん)の食卓に上がった。……そうだよな!? ……そうだろう!? ピギー!!」

「そうだよ。そうに違いない。ありがとう、ありがとうって言ってるよ」

「おお……ピギー、ヤオッ……!!」




 制服を着た犬は言葉を失っていた。

 自分達の論理に当てはまらない奴を見たら、人間はあんな顔をするんだね。もうロビンは僕の体を離して床に這いつくばり泣いていた。


 僕はその背中をさすってやってたよ。運命に逆らえなかった、可哀想な人間の背中を。







「……か、確保!! 確保ッ!!」


 驚いた事に犬が動き出したのはたっぷり三十秒は経ってからだった。

 けどね、ああいう時はまず僕の事を保護するはずだろ? けど犬は僕には触らなかったよ。なんでだろうね。


 扉を開くと人だかりは増えていた。

 ロビンには見えていたかな? 闇を切り裂く赤い光が。ロビンが待ち続けていた救いの光だ。

 彼はきっとこうなる事を望んでいた。自分では止められない衝動を、誰かが止めてくれないか待っていたんだね。


 赤い光はとんでもない数になっていた。

 その光の中で、ロビンは最後に振り返った。


「————————————————」


 僕にはその言葉がはっきりと聞こえた。

 やかましい音の中で。

 なんて言ったのかって?

 それは後で教えよう。











 ……ん? 漏らしたのか?

 本当にそこでする事はないじゃないか。けどまあ仕方ないね。生理現象は我慢できない。排泄したい気持ちも、眠気も、性欲も、食欲も。……誰だってそうだよ。僕だってそうだ。


 震えがひどいな。寒いのか?

 ……よしよし可愛い子豚(ピギー)。僕の毛皮で温めよう。けど、もう少しだけ聞いてくれ。



 町の外れに住んでいた森のくまさんは、過去の罪を償う為にみんなから離れて一人で住んでいた。

 けどね、今は凄い時代だよ。どこまでだって追跡されるんだ。世間を騒がせたあいつも、そいつも、みんな君の隣に住んでいる。知らないのは君みたいな、かわいい子どもだけなんだよ。

 森に住んでいる変人から幼い頃の僕たちを守る為だと思っていた噂話は、全部本当の事だったんだね。






 さて、この物語の主人公であるピギーは、いつしか(たくま)しい男になった。

 柔らかくて可愛い子豚は町の中でティーガーになったのさ。



 ……今でも思い出す。

 小さなウサギ……泣いてるウサギを(さば)いた時の興奮を。あの時はじめてを迎えた僕はパンツの中がドロドロだった。

 洗濯機の中に僕が下着を放り込んだ後、ロビンはこっそりとその下着を舐めていた。僕はそれを見て暖かい気持ちになった。


 ロビンは僕に色々な事を教えてくれた。

 精液が出ることは病気ではないという事を。

 動物を殺す時に興奮する人間もいるという事を。


 獲物の見つけ方を、(さば)き方を、食べられる所と食べられない所を。そして、運命には逆らえないという事を。


 覚えてるかい? くまは雑食なんだ。

 けどね、一度人を食ったくまはそれからは人を求める様になる。なんだって食えるんだ。他のものでも生きられるんだよ。それでもくまは人を求め続ける。なんでだと思う?





 …ははは。ピギー。なんでだろうね。

 けどまあ確かな事は一つだ。

 僕は悪くない。





 偉大なるロビンの教えの中で、これが一番崇高な部分だ。

 そういう奴だっているのさ。

 長いトンネルを抜けたらそこが闇の底だって事もあるのさ。


 …ロビンはもうすぐ帰ってくる。

 それまで僕は待ち続ける。遊びながら待ち続ける。僕の狩場は広大だ。危険なティーガーは町の中にいるものだからね。




 ……なあピギー。そんなに震えるのをやめたまえ。すぐにどうこうしようとは思っていないんだ。

 さあ、急いで君のおしっこを掃除しよう。これから君はしばらくここで暮らすことになる。病気になったらいけないし、私はこれから仕事がある。羊のフリも楽じゃないんだよ。






 さて、それではこの物語を締めくくるのは、やはり彼の最後の言葉だろう。私もそれを信じて彼を待ち続ける。

 ……ありがとう、ありがとう。

 聖餐(せいさん)で食された可愛い子たちの声に包まれて。






 偉大なる先生であり、父であり、我が親愛なる最大の友人は私にこう告げた。

 この言葉で今日は終わりにするよ。



 ……また会おう。ピギー。

 すぐに新しい友達を連れてくる。





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