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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

狂愛もの

首輪をあげる

作者: AIR





 篠並ささなみ律也りつやは苛ついていた。

 眉間にシワを寄せ、本来であれば見る者すべてを魅了する端正な顔立ちも、今はただ視線が合わさった相手を萎縮させるだけのもの。

 通りすがりの生徒たちはみな、彼に目を付けられないようにと、側に寄ることはおろか、なるたけ顔を伏せてそそくさと離れてゆく。


 ―――ああ、不愉快だ。

 不愉快で仕方がねぇ。


 赤銅色に染められた髪は、まるで彼の今の心境をていに表しているかのようだ。

 年がら年中癇癪を起こしてるとはいえ、律也が何故こうも機嫌を損ねているかというと、ここ最近の要因はただ一つ、“あの女”の存在だった。


 “あの女”とは、今まで散々好き勝手やって、大人たちをも竦ませた、不良少年の代名詞である律也の、首輪・・を持つ少女のことである。


 中学という青春のステージで、唯我独尊の暴君かのように振る舞ってきた彼は、最後の一年の秋、クラスに転校してきた彼女と出会い、何がどうしてか、制約の意味を含めた“首輪”をかけられてしまった。

 それからは面白くない日々の始まりだ。

 様々な制限を強いられ、律也はひたすら鬱憤の溜まる毎日を過ごさなければなず、暴れ回りたいと疼く本能との格闘。

 言うなれば飼い殺しの状態で、ストレス発散の捌け口さえ見つからない。


 うぜぇな、うぜぇよ、と。

 今日も今日とて彼は、滾る己の衝動を必死に抑えることに努める。

 全く以って、こんなのは性に合わない。

 ああ不服だ。

 すべて壊してしまいたいのに。




 ―――そんな彼を遠巻きに見つめる、一つ年下の女子生徒がいた。


 彼女の名前は稲葉いなば汐里しおりと言い、先輩である律也をずっと慕っていた。

 以前までの暴力的な性格が鳴りを潜めているのは良い変化だとしても、今のような我慢の極限に身を置く律也は見るに堪えないと、汐里は心を痛めている。

 そも、汐里が律也を好きになったきっかけというのは、彼の野生的なまでに真っ直ぐな性根と、実に活き活きとした在り方だった。

 それらが失われてしまった今、アイデンティティの喪失と言ってもいい、とにかく彼が不憫でならなかった。


 どれもこれも、あの女のせい。

 数週間前に突然やって来て、何らかの方法で律也を羽交い締めにしてしまっている。

 きっと脅されているのよ、汐里はそうであると信じて疑わない。

 あの律也を縛ることのできる人間など、いるはずもないのだから。


 寒心に堪えない汐里は、いよいよ業を煮やし、ならば自ら律也を救えば良いのだと思い至る。

 汐里は自分の容姿に自信があった。

 超絶美人とまではいかなくとも、甘い言葉と思わせぶりな態度をとれば、ほとんどの異性が自分に夢中になる、それくらいの風貌は兼ね備えている。


 律也に言い寄り、彼を柵から解き放とう。

 すれば、律也は元の、汐里が好きになったあの頃の彼に戻ってくれるし、もしかしたら事が上手く運んで、彼と付き合えるかもしれない。


 思い立ったが吉日と言わんばかりの手早さで、その日のうちに汐里は律也に接触した。

 狂犬と謳われる彼に小細工など通用しないだろうと、面と向かって、単刀直入に話を切り出す。



「律也先輩。私、貴方を助けたいんです。……あの女から、解放されたいんじゃありませんか?」



 教師でさえ彼と対面する時は逃げ腰になると、今まさに身をもって汐里は理解することができた。

 恐ろしく整った顔が、こちらを向いた時は無表情で、思わず肝が冷える。

 すぐに眉根を寄せて凍りつかせるように射抜かれたけど、汐里は決して怯む心をおくびに出さないよう取り繕った。


 毅然と構える汐里に、律也は目を細める。

 その瞳には、目前の女子生徒に対する興味と、……わずかな期待が、浮かんでいるように思えた。




 結果からいえば、汐里の画策、首尾は上々と言える。

 思いの外、律也が興味深そうに汐里の話を聞いてくれたためだ。

 喧嘩っ早いと揶揄されていた彼が、自分の話に相槌まで打ってくれたことに、汐里は天にも昇る気持ちだった。

 尚更、律也を救い出したいという感情が高まりもした。


 汐里の父親は地方で有名な市議会議員だ。

 その後ろ盾があれば、一介の中学生相手など、恐るるに足らず。

 結局律也がどんな脅しネタをあの女に握られているかは教えてくれなかったが、教師たちからも贔屓される汐里にとっては些事。

 この箱庭でどんどんあの女を追い詰めていけば良いのだから、なんであろうと構うことではないだろう。


 それから少しずつ、あの女の周りを崩していった。

 彼女のクラスメイトたちには彼女をイジメさせるよう仕向け、教師に言ってそれを助長させたり、彼女の家庭に圧力をかけたりもした。

 いっそのこと、あの女を犯罪者に仕立て上げた方が都合の良いことに気づいてからは、そういった方向で動きを進めている。


 でも―――なかなかどうして、経過は良好ではなくなった。


 あの女、いつまで経っても音を上げないのだ。

 それどころか、イジメられ、家計も圧迫されて火の車なはずなのに、まったく意に介していない様なのである。

 屈辱的な表情や、慟哭、絶望に満ちた顔が見たいのに、汐里が目にするのはいつだって、冷めきった瞳のすまし顔。

 免罪を被せる計策も成果が出ないはで、汐里の納得がいかないのも当然であった。


 そんな、恒常的な日々が二週間も続いたある日、汐里は律也に呼び出された。

 場所は旧校舎二階の教室。

 放課後ということもあり人気のないそこは、秘密話をするにはもってこいな空間であるが、こんな改まった呼び出しは初めての経験なので、もしかしたら告白されるのではないかと、汐里は俄に期待していた。


 軽い足取りで約束の場所に辿り着き、手前の教室に繋がる扉を開こうとすれば、瞬間、汐里のすぐ横を大きな塊が吹き飛んだ。


 バリーン!!と、窓ガラスを突き破り、教室から汐里のいる廊下に向けて、何かが投げ出されたのである。



「……え、な、何……?」



 それは人間だった。

 制服を着ているためにかろうじて男子生徒だと分かるが、その身なりは汚く、頭からは血が流れている。

 何が起こったのかてんで理解できない汐里は、ひどく慌てふためき、声にならない声を上げた。



「ああ、遅かったじゃねぇか」



 と、そこで教室の扉から出てきたのは、汐里が愛してやまない、彼だった。

 流血して、今にもぽっくり死んでしまいそうな人間がこの場に倒れているにも関わらず、律也のイントネーションは、普段の会話時と何一つ変わらない。

 汐里が異質だと気づいたのは、しばらくしてからだった。



「せ、先輩……。それ、誰です……?」



 乾いた唇にやっとのことで言葉を乗せる。

 汐里の言う“それ”とは、今、律也が髪を持って引きずっている傷だらけの女子生徒のこと。

 原型が分からないほど腫れ上がった顔に、どこか、見覚えがあった。



「あ?可哀想になぁ、オトモダチの顔も覚えてねぇのかよ、鳥頭は」


「あ……ぅ……」



 僅かに漏れた悲痛の声に、律也が引きずっているのは、汐里のたった一人の親友、真由まゆであることを察した。

 そして、床に倒れているあの男子生徒が、汐里の親の権力に屈した、使いパシリである子だというのも。


 何で。

 どうして。

 すぐ目の前の惨事に、汐里の脳はキャパオーバーを示している。



「律也先輩、どうして……!」


「名前で呼ぶんじゃねぇ。気色悪い」


「っ」



 汐里は律也とそれなりに仲を深めたはずだった。

 会えば楽しく談笑とまではいかなくとも、彼の懐に入ることは許されていたのに、どうして今、拒絶されているのか?

 お願い誰か、これは悪い夢だと言って。



「俺はな、権力を武器にするやつは好きだが、盾にするようなやつは嫌いなんだよ。お前みたいな、あからさまに笠を着て調子に乗るやつは特に。

 折角、憂さ晴らしになってくれると期待してたのに、余興にもなんねぇ。だからせめて、壊される時だけは、俺を楽しませてくれるよなぁ?」


「わ、私は先輩の味方だよっ?私だけは、先輩のぜんぶを分かってあげられる……」


「うぜぇ。夏菜子かなこに手ぇ出した時点で、テメェに弁解の余地なんざねぇよ」



 ―――カナコ。

 その名前に、汐里は心臓が押しつぶされそうな感覚に見舞われた。


 律也が、引っ張っていた女子生徒を無情にも床に投げ捨てる。



「愉しく、死ね」



 その頭を、愉悦に塗れた笑みを浮かべながら、一切の手加減なく蹴り落とした。

 恍惚とした表情。

 まさしく、その有り様こそ、汐里が取り戻したいと願っていた彼の輝きだった。


 鈍い音が空気を振動して伝わるのと同時に、汐里は弾けるように律也から逃げ出す。

 怖い。

 怖い。

 人を殴ることに何の躊躇もなく、それどころかどこか愉しげで。

 あれは完全なる、“捕食者”の眼だった。


 嫌だ、私は死にたくない……っ!!



 脚をもたつかせながらも、懸命に階段を下り、一階の出入口から外へ出ようとした時。

 【多目的室】と書かれた教室に、明りが点いていることに気がついた。


 反射的に、誰かがそこにいるんだと思い、汐里は一目散にその教室へ逃げ込む。



「すみません!助け………」



 これまで無我夢中で律也から逃げることに専念していた汐里だったが、室内にいる人物を見た途端、冷水をかけられたように頭の芯がスッと冷えた。


 そこにいたのは、“あの女”だった。

 紫吹しぶき夏菜子。

 汐里の、大嫌いな人間だ。


 夏菜子は慌ただしく教室にやって来た乱入者を軽く一瞥すると、再び、手に持っていた本に視線を戻した。

 その言動だけで、お前にも、お前の置かれている状況にも興味ない、そう告げられたかのようである。

 冷静さを取り戻していた汐里は、夏菜子の素っ気ない態度に怒り心頭に発し、だがそれよりも救済を求める方が先だと、なんとか今が危機的状況であることを失念せずに、言葉を紡いだ。



「た、助けてっ!ねえ、本なんか読んでないで助けなさいよ!私は殺されたくなんかない!」



 身振り手振り訴えるが、やはり、夏菜子の反応はない。



「律也先輩がおかしいの!どうにかしてよっ!!」



 汐里の目に生理的な涙が浮かぶ。

 ここでようやく、夏菜子は汐里を視界に入れた。

 だがそれは、SOSを求める生徒を見たというより、うるさく喚き散らす生徒を見るような、鬱陶しげなものだった。



「な、何よ……。あんたを追い詰めた私が恨めしいってわけ?謝る……そんなのいくらでも謝るわ!なんならその生活苦から救ってあげてもいい!だから、私を助けてよっ!」



 汐里にとって不本意だが、今の場に頼れる人間は、憎かろうが忌まわしかろうが夏菜子一人しかいない。

 プライドを捨て、汐里は懇願する。

 しかし夏菜子の表情は相変わらずだ。



「ねえ」



 鈴のような、透き通った声。



「一つ、聞きたいんだけど、私を追い詰めた、って何?」



 は………?

 唐突に発せられた夏菜子の言葉に、汐里は耳を疑った。

 この女はまさか、自分が凄惨な目に遭う羽目になった黒幕である、汐里の存在を知らなかったというのか。

 あれだけ律也と共にいることをアピールしていたのに。



「あ、あんたがイジメられる要因を作ったのが、私なのよ……」


「イジメ?私はそんなものを受けた覚えはないけど」


「は、嘘っ!?なんで……!?」



 そんなはずはないと、汐里は胸中で叫ぶが、続く夏菜子の台詞にことごとく打ち消された。



「私が他の誰かから傷つけられること、リツは嫌うから」



 先程、律也の口から彼女の名前が出た時と同様の衝撃を、汐里は三度みたび味わった。

 汐里の見えない、これまで知ることさえかなわなかった、律也と夏菜子の絆のようなものを窺い知ってしまったみたいで。



「……多分、貴女が好きになったリツは、狂気的な一面を曝け出している時のリツ。怖いけど、魅力的。惚れどころも、惚れた相手も悪かった」


「っ、あんたに何が分かるのよ!律也先輩は……」


「だってそのリツに殺されそうなんでしょ?まさしく飛んで火にいる夏の虫だね。律也と関わろうとした時点で、それは自滅の道」



 分からない分からない。

 律也のことも、夏菜子のことも、汐里は結局何一つ分かっていなかった。

 救い出してあげたいなんて恩着せがましい口振りで、それなのに根底にあるものを得心していない。

 汐里が思っているような、律也と夏菜子の関係への見解がずれた瞬間だった。


 目頭が熱くなり、無意識に夏菜子に近づいた刹那、垣間見えた彼女の鎖骨から胸元あたりに痣のようなものを発見し、不意に「それ……」と呟いてしまう。

 夏菜子は、ああ、と言った。



「リツの痕。あの人、私が思い通りにならないと噛み付いてくるから」



 どこまでも淡々と語られる内容に、おそらく嘘偽りはなく、そして言葉通りの意味なのだろう。

 汐里の全身を駆け巡った戦慄に、果たして夏菜子は気づいているのかどうか。


 是認した。

 律也は夏菜子に脅されているのではなく、自ら夏菜子に縛られているのだと。


 恐怖した。

 間違いなく夏菜子に異常なまでの執着を見せ、汐里には彼女がイジメられていると認識させていた、彼のおぞましいほどの計画性に。


 悲嘆し、慨嘆した。

 自分の見る目の無さも、彼の手のひらで踊らされ、捌け口に宛てがわれたことにも。


 なんて―――



「虫如きが、夏菜子に近づいてんじゃねぇよ」



 なんて自分は滑稽だったのだろう。










 一人の女子生徒が暴力を存分に振るわれる様を、夏菜子はただ何もせずに傍観に徹していた。

 巻き込まれたくないと、自分の保身に走っている酷薄な人間なのだと誤解されるかもしれないが、実は彼女の意は多少異なる。


 確かに保身もあるものの、それだけではない。

 ここで夏菜子が女子生徒を庇うと、さらに女子生徒への暴力が激しくなることを、これまでの経験で嫌というほど味わってきたのだ。

 夏菜子が他に執心を見せるのが気に食わない、彼はそう口にしていた。


 夏菜子は、律也に出会った当初、すぐに彼のことを、絶対に関わり合いたくない人種だと認識した。

 手が早いというのもあったが、何より奥底に淀む狂気は尋常ではない。

 関わったら最後、骨の髄まで食い千切られてしまうのだろうと漠然と思った。


 しかしどうしてか律也に気に入られた。

 これは律也自身、よく分かっていないことだが、他人は壊すもの、との観念が思考の大多数を占める彼にとって、夏菜子は傍に置いておきたい唯一の人間だった。

 それが恋だとは認めたくない律也であるものの、夏菜子に執着しているのは曲げようのない事実であるし、これから先も手放す気にはなれない。

 自分から離れてゆくのなら、いっそのこと殺してしまおうとさえ思える程に。


 夏菜子が嫌々ながらも律也の傍にいるのは、脅されたというのもあるが、一番の理由は彼に“首輪”をつけるためであった。

 誰構わず破壊してしまう彼に、夏菜子はおのが身を捧ぐ代わり、交換条件として必要最低限、他人に暴力を振るわないことを誓わせた。

 ただし、汐里のように相手側からモーションをかけてきた場合は適用外。

 自己防衛という大義名分を手に入れられるからだ。


 おかげで彼の暴力による被害者は極端に減ったが、律也にとっては、了見する毎日は非常にストレスの溜まるもの。

 おまけに手に入れたはずの夏菜子もなかなか自分に靡かず、傍を離れようとはしないけれど、反抗的な物言いばかり。

 いくら組み敷いて啼かせてやっても、本当の意味で自分のものになることはないので、律也はいつも気が立っていた。


 そこで現れたのが、自称・自分の理解者。

 出会って第一声が自分を救いたいだの何だので、思わず鼻で笑ってしまいそうになったが必死に堪え、憂さ晴らしに付き合ってもらうことにした。

 だが、自分以外の人間が夏菜子を貶めようとする様はどうにも気疎く、ストレス解消どころかさらに苛々が増すだけだった。

 それらをぶち壊した時は、爽快以外の何物でもなかったが、それもたった一瞬のことで、すぐにつまらなくなる。



 また獲物を探そう、今度はもっと、壊しがいのある輩を。


 夏菜子を傷付けていいのは自分だけ。

 夏菜子を見ていいのも、彼女と話していいのも自分だけ。


 夏菜子は学校で孤立している。

 他でもない律也がそうさせたからだ。


 彼女を一目見たその瞬間から、律也は途方もなく劣情にかられた。

 こちらを何とも思っていない、簡単に自分を足蹴にするような冷めた瞳がえらく気に入り、壊したい感情とは別に、支配したい欲に縛られた。




 夏菜子を捕らえたあの日。



『お前、俺のものになれよ』


『……いいよ』



 彼女は言った。



『首輪をあげる』と。





 なあ。

 首輪をつけたなら、最後まで責任持って、きちんと飼えよ?

 途中で投げ出すようなら殺してやる。

 俺はお前のもので、お前は俺のものだ。


 死ぬまでずぅっとな。








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