女神と天使
今回の物語は、宮野統君(兄貴)と女神がデートをするという設定ですが……。羨ましいですね。恥ずかしい話、私自身、デートというものをしたことが――。
学校にいる間、僕の頭の中には二つのことしかなかった。一つ、どうやって遊園地デートをばれないようにサポートするか。二つ、アイちゃんに欠けているものは何か。女神には何が欠けているのか。女神と言えば、天使を見たとか言っていた人がいたっけ。女神と天使は、どんな関係なのか?しまった。三つになってしまった。
休み時間、兄貴が隣の席に座った。何の声もかけずに、いきなり座ったので、はじめのうちは誰が座ったのか分からなかった。
「なあ、女神に興味があるって奴が隣のクラスにいるんだが、証人になってくれないか。」
僕は目を細める。兄貴のどこか得意げな顔は消えない。物好きな人がいたものだ。いくら話を聞いたって、あの魅力は分からないだろうに。しかし、別段やることもないので兄貴についていく。
教室を後ろのドアから出ていき、隣の教室に前の扉から入る。高校の昼休み特有の賑やかさと騒々しさは、僕らの教室と変わらなかった。
「よう、松本。証人連れてきた。」
そこにいたのは、肩ぐらいまでの長さの黒髪の女子だった。松本の雰囲気は、女性というより少年といったほうが近い。女子には、なおさら女神の魅力は分からないだろうに、と思ってみたりする。
「で、女神とはどこで会ったの。」
松本は単刀直入に、僕の方を見て尋ねてきた。僕に尋ねられても困る。僕は苦笑いをする。松本の眉間には皺が寄り、僕は自分が悪いわけではないにもかかわらず、戸惑う。
「駅だ。」
兄貴が答えた。駅?そんな話、聞いてないぞ。
「駅?そんなところで会ったの?」
「ああ、嘘はついてない。なんだか困っている顔をしていたから、声をかけたんだよ。そしたら、迷ったって言うからよ、道を教えてやったんだ。」
兄貴は誇らしげだった。松本は怪訝そうな顔をしていた。おそらく、僕も同じような顔をしていたはずだ。そんな漫画みたいな出会いだったのか。ところで、女神は漫画を読むのだろうか。読まないから、こんなやつに引っかかったのではないか、と思ってみたりする。
「本当なの?」
松本は、再び僕を見る。いや、僕も今日初めて知ったんですけど。松本はふうん、とつぶやいたきりになってしまった。
「俺は、その女神と今度デートすることになった。」
松本は、またしても眉間に皺を寄せた。明らかに疑っている。何か勘違いしているのではないでしょうか、松本さん。
兄貴は、誰にも聞かれていないにもかかわらず、次々と女神の魅力を語り始めた。兄貴が口を開くたびに、松本の眉間の皺が一本ずつ増えていっているような気がする。とてもじゃないが、いたたまれない。
「女神と言えば、天使を見た人がいるらしい。」
兄貴を救うためではないが、気がついたら口走っていた。兄貴と松本がこちらを見る。兄貴は怪訝そうな顔をしていたが、代わりに松本の顔が明るくなった。嫌な予感がする。
「ねえ、天使を見た人がいるって本当?」
松本が身を乗り出してきた。そんなに興味がありますか?困ったな。
「そういう話があるらしい。」
そういう都市伝説があるらしい。
「くっだらない話すんなよ。それより、その彼女なんだけどさ―」
「どんな感じだった?」
兄貴の軽い声色とは裏腹に、松本の声は真剣だった。まずい、食いついてきた。これ以上の情報は持ち合わせていない。
「えっと、割と控えめな感じで―。」
「その話じゃない!」
その話であってほしかった。兄貴は目を丸くしている。松本の勢いは、中途半端なものではなかった。
「質問を変える。どこで見たの?」
勘弁してくれ。変なことを口走った自分の口を恨む。松本は、真剣な眼差しを背けることはない。何か言おうと口を動かすが、言葉がなかなか出てこず、口だけ無駄に運動している。
「いや、ただ、見たとしか……」
「なんだ、役に立たないわね。」
すいません、お役に立てなくて。この罪悪感と敗北感はなんだ?松本は振り返ると、そのまま席を立った。
「何だったんだ。」
女神と天使は同じようなものなのか?そして、松本が興味があったのは、女神ではなく天使の方だったのか?そんなことを考えていると、よそを見ていた兄貴が口を開いた。
「先に戻っていてくれ。用事がある。」
そう言うと、兄貴は誰かを追うように教室を出て行った。まさか、松本が女神に興味を持つまでトークを続けるつもりなのだろうか?
「だから、一体何なんだ。」
そうつぶやいてみても、それを聞いている人は、この騒々しい教室にひとりもいない。