朝から捕まり十七年。
十七年前 十四歳の僕
早起き失敗 朝寝坊
遅刻寸前 猛ダッシュ
そんなとき 出会ってしまった お婆さん
近所で有名なその人は 「一度捕まったらおしまい」で
とにかく話が長いらしい
しかもその話は 常に意味不明の理解不能だとか
一人暮らし 何歳なのかは誰も知らない
不死身だという噂もある
誰からも煙たがられているその人に
「おはよう」
声をかけられ思わず返した 「あ、おはようございます」
それが全ての始まりだったのです。
「まあまあお茶でも飲んで行きなさい」
「ついでに婆ちゃんの話でも聞いて行きなさい」
「お昼ご飯も食べていきな」
「お風呂 先に入るかい」
「晩御飯が先の方がいいかい」
「まあまあ せっかくだから泊まっていきな」
待ってくれ いや 待ってください
どうしてこんな軟禁状態
いつの間にこんな非常事態
学校に遅刻するとかそんな問題じゃない
父さん 母さん 捜索願は出しました?
あの日から 一年経った
お婆さんの話は止まらない
「私が若いころ 人間は空を飛べたんだ
思い出すねえ 私も若いころはさあ
一月に一回くらい 上の方にまで飛んでいってね
オゾン層の薄くなった部分を修復してたもんだよ
それが今の若いもんは 軟弱すぎて飛べないもんだから
オゾン層がどんどん薄くなってねえ あーあー」
五年経った それでも話は止まらない
「昔はね 人間は時速二百キロくらいで走れたんだよ
ところが今の若いもんは運動不足なもんだから
新幹線なんて乗り物が作られちゃったのさ」
笑いながら話すお婆さん
愛想笑いでうなずく僕
お父さん お母さん 捜索願はまだですか?
十年経った それでも話は止まらない
「私はね 桃太郎に会ったことがあるんだ 本物だよ本物」
「どんな人でした?」
「普通の宇宙人」
「金太郎に会ったこともある」
「どんな人でした?」
「ニートだったねえ」
「浦島太郎に会ったこともある」
「どんな人でした?」
「アンチエイジングの専門家だった」
このお婆さん 意外と話が面白い
気付けば僕が家事するようになっていた
お婆さんの腰はどんどん曲がっていった
それでも話は止まらなかった
それでも話は面白かった
それでもやっぱりお尋ねしたい
お父様 お母様 わたくしの捜索願はまだですか?
十五年経った それでも話は止まらない
「今日はカレーが食べたいねえ」
「甘いのですか? 辛いのですか?」
「酸っぱ苦いの」
「甘納豆でも食べるかい?」
「わあ ありがとうございます」
「糸引いてるけど気にするな 納豆だからね」
「今日は何の話をしようかな」
「今まで聞いたことないような話がいいですね」
「どこかの婆さんが 中学二年生の男の子を軟禁しているらしい」
「……今まで聞いたことなかったですね」
父上 母上 わたくしめは捜索願を諦めます
あの日から今日で十七年
気付けばお婆さんは寝たきりになっていた
気付けば僕もおじさんになっていた
弱々しく笑うお婆さん
息も切れ切れに それでも話を止めなかった
「本当はねえ 寂しかっただけなんだ
私には 家族も親戚もいなくてさ
一人ぼっちで死ぬのが怖くてねえ
誰かに看取って欲しかっただけなんだ
だから 嘘っぱちの話を面白おかしくでっちあげて
誰かの気を引こうとしてたのさ
今まで話を聞いてくれて 本当にありがとう
最後までちゃんと話を聞いてくれるのが嬉しくてね
長いこと引き留めてしまった
学校 遅刻しちゃうね ごめんね ありがとう
――……行ってらっしゃい」
お婆さんはゆっくり目を閉じて 僕はゆっくり目を伏せて
一言も話さなくなってしまったお婆さんに
制服姿でもない 三十一歳の僕は言う
「……行ってきます また聞かせてくださいね」
いつか再び出会えた時は、とびきり楽しいお話を。