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忘却の抱擁

 夢を見た。

 高校選びで父親と大喧嘩した。確かに学力的には安パイどころの話ではない、彼からすればレベルの低い学校。だが、そこには巨大な図書館があり、自由な校風があり、けして勉強をおろそかにはしない若々しい教師たちと老練なスタッフが揃っていた。そしてなにより、リョウとイッペイが、中学に入って初めて徹夜で勉強して、狙っていた学校だった。

 友達と一緒の学校に行きたいなどと、子供のたわ言だと一蹴された。十年後を見据えれば、高校三年間をお友達ごっこで過ごすことがいかに愚かか、わかるはずだ。そう言われた。

 生まれて初めて殴られた。

 お父さんは知らないんだ。

 この楽しさが。リョウやイッペイが、僕をいろいろなところへ連れて行ってくれる。酒を飲む時の禁忌のときめき、女に声をかける時のどきどき、リョウの父親の車をかっぱらって乗り回す爽快感。

 中学までは、父親の言うことには従ってきた。だが、もういい。一度反旗を翻したら、もう怖いものなどない。

 僕は自由だ。

 リョウの手がハンドルの上で滑るのが見える。ひどくスローモーな動きだったが、心の片隅で、タカシはそれが一瞬の出来事だと理解していた。

 後部座席のタカシがフロントシートの背にぶつかった。なにがどうなったか理解できないまま、頭が左の窓に押し付けられて、メリッという不吉な音が、頭の中で響いた。

 直後、同級生の中でも小柄な体が、まるで体重を失ったように右へ飛び、背中と後頭部がなにかを突き破った。

 痛みはない。ただ、衝撃だけを感知した。

 目が回る。視界いっぱいの夜空、次いで建物のようなものが見えて、気付くと血まみれのアスファルトを見つめていた。視線だけを動かして、ひっくり返っている車を目で捉えた。

 これは、なに?

 死という言葉さえも出てこない。起こったことがなんなのか、理解できない。

 ただ涙が出て、意識がぶつりといきなり途切れた。



 悲鳴をあげて、タカシは体を起こした。

 全身を汗がびっしょりと濡らしている。体の震えが止まらない。涙まで浮かべて、タカシは自分を抱きしめるように腕に力を込めた。

 悲鳴を聞いて目を覚ましたリョウが、静かに友人の異常を見つめ、やがてそっと頭を抱いてやった。

「またあの夢か」

 あっちの世界での、最後の記憶。

 ババが部屋から出てきて、タカシの様子を見ると、さすがに年長の落ち着きを見せ、暖炉に火をおこしていた。

「最近、見なくなってたのにな」

 タカシを抱くリョウの手はやさしい。友人がどれだけ悪夢に苦しめられてきたか、彼はよく知っている。

 タカシは思うのだ。実は、この世界は全部自分の夢で、現実の彼は病院の集中治療室にいるのではないか。ほんの一日で一年間の夢を見て、そして自分は死ぬのではないか。あの時のように、前触れも理解できず突然ぶつりと意識が途絶える。

 この悪夢は、お前はもうすぐ死ぬのだと、本能が告げるために見せているのだ。

 アケイオデス対策に寝ずの番をしていたのであろう男たちが、小屋の入り口でババになにか言っていた。その向こうから、ソナラが走ってくるのが見える。

「タカッ」

 ソナラが叫ぶなりタカシの体に飛びついて、続いてニナが小屋へ飛び込んできた。

 不思議だ。いつもは異なる表情のために違って見える顔が、今は同じに見える。髪の長さの違いがなければ、区別できないかもしれない。

「どうした、なにがあった?」

 誰にというわけでもなく尋ねたニナへ、ババが「悪い夢を見たのよ」 とやさしく微笑んだ。「とても怖い夢を」

 そうか、とニナはうなずいて、集まっていた男たちに短く謝罪の言葉を述べた。

「タカ、どうしたの、どこか痛いの、どこ?どこ?」

 タカシは無理矢理にでも笑おうとした。

「平気だよ、ちょっと、怖い夢を見たんだ」

 声が震えていた。

 リョウが部屋の隅の荷物から布を取り出して、タカシへ放った。汗だくになっていることを忘れていた。

「怖かった?あたしもね、凄く怖い夢、見るよ」

「そう?」

 顔の汗を拭って目を開けると、目の前にソナラの体があった。

 逃げる間もなく、今度は彼の頭をソナラが抱いた。タカシの人生で、家族以外の女性のやわらかい胸に顔が触れるのは初めてのことだ。

 一瞬だけ思考が停止し、それから羞恥心が顔から火を吹かせ、幸福感が胸に満ち、いけない気持ちが下半身を刺激した。

「駄目だって言ったろ!」

 彼女の体を引き剥がすために、凄まじい精神力と集中力が必要だった。今ならフォースが使えそうだ。暗黒面には落ちなかったぞ。

「昨日、男に抱きついたら駄目だ、って、教えたろ」

 ソナラは首をかしげている。

「でも、怖い夢みた時は、ニナちゃん、こうしてくれるの」

「ニナとソナラならいくら抱き合ってもいいよ。だけど男には駄目だ」

「んー」

 不満そうにふくれっ面を作るソナラに、タカシはさらになにか言おうとして、む、と言葉を飲んだ。

 リョウが笑っている。ニナまで笑っている。ババまでもが笑っている。

 膨れ上がる恥ずかしさ。

 ソナラとニナは外にいたらしい。駆けつけてきたところを見ると、タカシの悲鳴を聞いて急いで戻ったのか。そのわりに、彼が起きてから二人が戻るまで少し間があった。近くにいたのではあるまい。

 いったいどこまで自分の悲鳴が響き渡ったのか。なにを叫んだのかも覚えていないタカシは、たかが夢でそれほどの大声を張り上げた自分が情けなくなった。

 まだふくれているソナラに、「でも」 とタカシは声をかけた。

「ソナラ、ありがとう。落ち着いたよ」

 一転して喜びの表情を浮かべたソナラが両手を広げた時、さすがに今度はタカシにも逃げる余裕があった。

「お似合いだぜ、タカちゃん」

 リョウがまだ笑っている。彼は彼で、友人の悪夢による恐慌がいつもより早く去ったのを、心から喜んでいるのだ。

「だが、勘違いするなよ」

 ニナは笑いながらソナラを戸口へ促した。

「この子は誰にでもやさしい。病人けが人を見る度に心を痛める。今のを愛情表現だと勘違いして、大恥をかくな」

「わかってるよ」

 ついでに言うと、自分の体に染み付いた彼女の父親の匂いのおかげだ、ということも、じゅうぶん理解している。自分がモテたことがないのも知ってるし、恋が成就したことがないのだって、心の一番奥にしまわれている記憶を探ればわかるのだ。

 だいたい、僕はソナラに恋してるわけでもなんでもない。

 小屋を出て行く二人の美女を見送ったタカシは、ババが差し出してくれたカップを受け取った。暖かい薬草入りの茶だった。


 

 外はまだ暗いが、体内時計が早朝だと告げている。用意はあらかた済んでいるが、それでも支度をすれば、出発にはいい頃合いになるだろう。

 リョウとうなずきあって、着替えをしている最中に彼女たちは戻ってきた。

「もう着替えか。気が早いな」

 二人は一つずつ桶をぶら下げていた。ニナの桶は大きく、ソナラのそれは小ぶりだが、花で満ちているという共通点があった。

「うん、この時間に出れば、明日の夕方には国境に着けるから」

「国境?なにを言ってる」

 ニナが怪訝そうな顔をし、タカシへ桶を差し出した。

「今日のお前は荷物持ちだ。そっちの馬鹿は山狩り」

 タカシとリョウは顔を見合わせ、はい?と間抜けた声をあげた。

「アケイオデスのことでこんな大騒ぎになったのは、誰のせいだ?きちんと償いはしてもらわないと、な」

「責任?」

 事態を知らないリョウが変な顔をする横で、タカシは肩を落とした。

 体よく利用され、逃げることができない。女郎蜘蛛の巣にかかった気分だよ・・・・・・

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