理不尽で造られた世界
闇の中を確かな足取りで歩くニナの後を、タカシは追った。昨夜の再現のようだ。
「あの男からは聞いたか」
唐突に訊ねられて、タカシは「え」 と声をあげた。「なにを?」
ニナの言うあの男とはモルグのことだろうが。
「ソナラのことだ」
「あの子のなにを?ルウオのこと?」
ニナは立ち止まり、哀れむようにタカシの顔を見た。
「思っていたより頭が悪いのか?そんなわけないだろう」
「じゃあなんだよ。僕らは、二人の名前ぐらいしか聞いてない」
ふんッ、とニナは鼻を鳴らした。
「そういう男だ。イヤなことからは目をそらして、耳を閉じて、なにもなかったことにしている。現実を直視せずに逃げている卑怯者」
「あのさ。昨日は静かにしてなきゃと思ったから黙ってたけど、今は言わせてもらうよ。モルグのこと、悪く言うのはやめて。僕らの恩人だし、なんでも知っていて凄い人だ。尊敬できると思った人と会ったのは、僕の人生であの人が初めてだった」
「そうやって、ずいぶん多くの人を手なずけていたようだがな。私に言わせれば、あの男の心底が見えていないだけだ」
「いいかげん怒るよ」
「怒ってどうする?私を殴るか?リョウならともかく、お前の拳なぞかすりもさせない自信があるのだがな」
あざ笑われている。それも、男性が女性から受ける最大の侮辱だ。体力と腕力を否定された男など、なんの価値もない。
タカシが黙り込むと、さすがに言い過ぎたと気付いたのか、ニナがためらいがちに振り向いた。
「タカシとリョウは二人で一人前だということだ。力仕事はあの馬鹿力に任せておけばいい。肝心な時に、お前があのうすら馬鹿を抑え込む。あの男の手紙にも書いてあった。それぞれは半人前だが、二人でいればたいていの困難は乗り越えられる」
慰めになっていない慰めだが、モルグの高評価は嬉しい。と感じた直後、これは果たして高評価か?と胸中で疑問がしこりとなった。
「この村は、棄民の村だ」
またも唐突に新たな話題を振られて、タカシはけつまずきそうになった。
「なに?」
「棄民、国に見捨てられた民の村だ」
ニナの背中を眺めていると、ふと懐かしい感慨がわいた。
モルグも、こうして歩きながら話して聞かせるのが好きだった。
「昔は山の民と呼ばれる人々だった。一箇所に定住せず、山を住処として国中を渡り歩いた。その彼らを、王は疎んじ、強制的に山の中へ村を作らせて住まわせた。表向き、難民と変わらぬ民の救済と言って、その実、山の民の誇りをへし折ったのだ」
似たような話をモルグから聞いたことがある。しかし、実物を見るのは初めてだ。
彼は今、ニナの語る歴史を実体験しているのだ。
「アケイオデスのいる山だろうが、関係はない。村には名前はなく、山の民のすべての村は一言で総称される。欠損者の村」
「欠損者」
「欠損者のことも知らないのか、まさか?」
「いや・・・・・・」
モルグの授業を思い出す。授業と言っても、作業をしたり狩りをする最中にしてくれる、様々な話だ。
「生まれつき体に異常のある人が、差別されるって聞いた」
「見たことは?」
「いや、ないけど。そんなにいるわけじゃない、って」
「手紙に書いてあった通り、なにも知らないのだな、お前たちは」
その声に怒りを感じ取って、歩きながらタカシは身構えた。
「どういうこと?」
「無知であることより、無知であることを平然と受け止めているお前の態度は、罪だ」
知らないんだからしかたないじゃないか、と言いたい言葉は我慢した。
なにか、ニナの怒りの源泉に近づきつつあるような予感がしたからだ。
「生まれつき体に異常のある者、五体が満足でない者、気のふれている者、彼らは欠損者と呼ばれて偏見の中で生きる宿命を帯びる。一定の年齢に達した時、肩の後ろに焼印を押され、一生烙印を背負って生きていかなければならない」
たしかにそう聞いた。モルグの話とも寸分違わない。それが?
「烙印を押された者は、すでに一級の国民ではない。一等下の、征服した民族と同様か、それ以下の扱いが待っている。仕事にもつけず、石を投げられても正当な訴えを起こすこともできない。人は『うつる』 から、などと陰口叩いて近づくことすらせず、欠損者の見たものは穢れると言って、食べ物を平然と捨てる」
タカシは言葉を失った。
ちょっと考えられない。少なくとも彼の常識からすれば、理不尽極まりない。彼女の言葉が真実かどうか疑ってしまうほどに。
ニナは続けた。
「しかし、山の民は違う。五体の欠損などなんら人の尊厳を損なうものではないと知っているからだ。どんな不幸な出生であろうと、己れの力で克服できると知っている。だから、欠損者たちは山の民が強制定住させられた地に、集まる。そして、いつの頃からか、山の民の村は、欠損者の村と呼ばれるようになった」
なんと言えばいいのか、タカシはしばらく考えて、だけど、と心の中で強い反発を感じた。
五体の不満足な者を差別し排斥するような人よりも、人の根源的な尊厳を知っている人の方が、はるかに人間らしく、かつ理性的だ。困難が大きいほど人は努力して克服し、己れの足りない部分を補っていくらでも成長する。とモルグも言っていた。
「昼間、言っていたな。そういう人の村なのか、と。私は、ちょっと感情的に反応しすぎた。お前の言う通り、そういう人の村なのさ。国から棄てられた上に、国の民からも見捨てられた棄民の村」
「そういう人,なんて言わないでよ」
苦しげに、タカシは呻いた。
同じだ。故国の、あの世界の、闇を知らずに平然と生きてきた頃と同じだ。自分は、なにも見ていない。一年もの間、この世界に生活しながら、そんな激しい差別思想があることすら知らなかった。
情けなさと不条理への怒りで涙ぐんでいるタカシを、ニナはまじまじと見つめていた。
「・・・・・・泣いたところで、なにが変わるものでもない」
「わかってるよ」
ぐいっ、と目頭を拭ったタカシへ、ニナはやさしく微笑みかけた。
「悪かった。ちょっと試してやろうと思っただけだ。そんなところも、手紙に書いてある通りだな」
「なんて書いてあったの?」
そう訊ねたのは、もちろん興味があったからだが、それ以上に、悲しい話から逃げたいという、弱い自分もいたのに違いない。今の話から山の民の歴史がどの程度遡れるのかまではわからないが、人がただ自分と違う人間を蔑視するという話は、聞くに堪えない。
ニナは、珍しく楽しげに笑った。
「年齢にそぐわない気の小さな弱々しい子供だ、と」
・・・・・・もうニナにはなにも言ってほしくない。なにも聞きたくない。
「恥じることなく旺盛な知識欲を披露して、観察力もあり、洞察力に・・・・・・おい、タカシ?」
タカシは耳を塞いでいた。