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小竜と少女の友達関係

 ソナラは、恐竜の首に抱きついて、困惑した顔をタカシへ向けていた。

「この子、見ちゃ駄目」

 という言葉からすると、この恐竜を自分の体で隠しているつもりなのかもしれない。

 呆然としていたタカシは、ああ、とうなずいて回れ右をした。一度見てしまった以上、視線をはずすことに意味はないが、それでソナラが納得するなら、肉食恐竜に背を向ける大いなる不安も、飲み込める。

 不思議だ。なぜそう思えるのだろう?

「その、そいつはなんなの?」

 しばらくして、困りきったようなソナラの声が届いた。

「アケイオデスの子供」

 こいつがアケイオデスか。タカシはほどけた謎に満足する前に、ぞっとした。

 子供だって?この大きさで?

 映画では小型の恐竜もいたが、こいつは間違いなく巨体に成長する部類だということか。この恐竜は大型犬ほどの大きさながら、尻尾が長いため全体長だけを見れば犬の非ではない。

 丸呑み。ニナの言葉が甦る。少なくとも、こいつの親は、人間を上半身と下半身に分けて、二口でぺろりぐらいはやってのけられるだろう。映画のワンシーンのように。

「あ、あ、危なくないの?食われたりとか」

 想像が声を震わせる。

 しばらく答えがないので、ちらっと後ろを見やると、ソナラの泣きそうな顔を見てしまってうろたえた。

「この子は友達よ。他のアケイオデスだって、怖くなんかない」

「ああ、そうだね、確かにそうだ、危なくないから、僕も背中を向けても平気なんだ。試しに聞いてみただけなんだ」

 他に言い様はないのかと、タカシは自分が情けなくなった。なんて陳腐な言葉の羅列だ。一人の少女の心中をさえ察することができない愚か者。考えろ、彼女の気持ちになって考えてみろ、僕。

「その子は、見ちゃいけないんだよね」

「うん」

「みんなが怖がるから、見られてはいけないの?それとも、ソナラが変に思われるから?」

 数秒ほど待った。

「どっちも。あのね、見られたら、みんながこの子をいじめるし、あたし、魔女って呼ばれちゃうんだって。ニナちゃんがそう言ってたの」

 魔女。なんとも古風で大時代的で、非現実的で暗黒色の言葉だ。おとぎ話の魔女から、世界史の授業で学んだ魔女狩りという単語まで、様々なイメージが頭の中に浮かんできた。

「魔女って、なに?」

「知らない」

 ニナに聞いてみよう。

 推測を進めて、タカシは続けた。

「ニナは、ここでその子と遊んじゃ駄目だって、言ってなかった?」

 そうでなければ、タカシを迎えに行かせたりしない。

「うん」

 そのことが最大の困惑理由であるかのように、ソナラの声は困り果てていた。魔女がどういう意味を持つ言葉かタカシは知らないが、ソナラにとっては人にどう呼ばれるかよりも、ニナの叱責の方が問題なのだろう。

「じゃあ、内緒にしておいてあげるよ。二人だけの秘密にしよう」

 一拍間を置いてから、後ろからやわらかいものがぶつかってきた。

 また恐竜か、と身構えたのは一瞬で、みぞおち辺りに抱きついている腕を見下ろして、タカシは赤面した。

「タカッ、大好き」

 ソナラの喋り口がいくら幼くても、体は成熟した大人と変わらない。それがこうも無防備に密着してきたら、心の中の男の部分が熱を帯びるのを抑えることができない。花とは違ういい匂いが鼻腔をくすぐり、妙な想像を膨らませてしまう寸前に、理性が彼女の腕を振りほどいていた。

 振り返って、耳まで熱くなっているのを誤魔化そうと、怒った顔を作る。

「男の人に抱きついたら駄目だ。襲われるよ」

「タカとリョウだけにしかしないよ」

 特別扱いと言われて顔がニヤけそうになるが、リョウとコンビを組まされている辺りは微妙だ。大事なお客さんだからか?

「僕やリョウでも、駄目」

 えーッと非難の声が上がり、美しい顔がぷくっと膨れた。

 かわいいなあ、と頬の筋肉が緩んだが、彼女の背後にうずくまる恐竜と目が合って、タカシは硬直した。

 つぶらなという表現とはほど遠い、黄色い猫目が彼を見つめている。瞬き一つしないのは、タカシの一挙手一投足を見逃さず、ソナラに危険が及ぶ兆候を感じ取ったなら、即座に無慈悲に容赦なく殺戮をおこなうため、だろう。そのようにしか思えない。

 凶暴な肉食恐竜。図鑑では、巨体に比して脳は驚くほど小さいと書いてあった。犬のように人に馴れさせることが可能なのか?人間を護るなんていう思考回路が、そのごつごつした頭の中に組み込まれているものなのか?普通に考えたらノーだと思うが、現実は目の前にある。お姫様を護る騎士のように、一歩下がって跪く恐竜の子供。

 間違って騎士に襲われないよう、タカシは一歩、ソナラから離れた。

「そういえば、花はどこ?明日売りに行く花を摘んでたんでしょ」

 あーッ、と今度は驚きの悲鳴があがった。それから彼女は左右を見やり、助けを求めるようにアケイオデスを振り返る。

 タカシはため息をつきそうになり、慌てて息を飲み込んだ。

「・・・・・・もういいよ。一緒に摘もう。急がないと暗くなっちゃう」

 花を摘んでは籠に放り込みながら、タカシはソナラの後をついて歩く恐竜を眺めた。

 その小さな脳みそでお姫様のしていることを理解しているのか、なるべく花を踏まないように気を使っているように見える。実際そこまで考えちゃいないだろう、とタカシは思うが、肉食恐竜の従順な姿を見ていると、凶暴性と低脳を喧伝する図鑑や映画の方が間違っているのかもしれない、とも考えてしまう。

 ふと思いついて、タカシは訊ねた。

「その子の名前は?」

 ソナラは不思議そうな顔をする。

「アケイオデス」

「いや、そうじゃなくて」

 子供だってペットには真っ先に名前をつけるだろうに。

「ソナラは、その子をなんて呼んでるの?」

「ルウオ」

 それを言ってくれ。時々ソナラと言葉が通じないような気がする。

 名を呼ばれたと思ったのか、ルウオというアケイオデスがキュアアと鳴いて鼻面を彼女の背中にこすりつけていた。

 たいした大きさの籠ではないが、それでもけっこうな量の花を乗せられる。植物の意外な重さを左手に実感して、タカシは少し驚いた。

「タカも、ルウオと友達になる?」

 夕日がソナラの髪の毛を赤く輝かせていて、それに見惚れていたものだから、たいした考えもなく「なりたいよ」 とタカシはうなずいた。

 迂闊だった。

 ルウオ、あーん、とソナラが言うと、恐竜は、大きいというより、でかいと呼んだ方が適切な口をあんぐりと開けた。夕日が牙を血の色に輝かせていた。

「ここに手を入れて」

 なんと言われたのか、すぐに理解できない。

「え?」

「舌を撫でなでしたげて。そしたら、友達だよ」

 えさの間違いじゃないのか?

「いや、や、やっぱり友達になるのは、また今度に・・・・・・」

 途端に悲しげな顔をするソナラに、タカシは心中で泣き喚きたくなった。

 わかっている。一度言ってしまった以上、流れは止められない。逃げ出すことはできない。人類史上何度も繰り返されてきたお約束、女の前では男は蛮勇をふるわねばならないという基本原理。

 ここで逃げたら、ソナラは一生タカシを敗残者として見るに違いない。

 手を伸ばした。なるべく死とか食事とかいうイメージを頭の中から排除した。

 別のことを考えよう。たとえば、そう、たとえばここにいるのがニナだったら、こんな馬鹿げたことをするだろうか。

 答えは簡単に出た。やっぱり引けない。怖いからと言って逃げ出せない。

 けっきょく僕は美人に弱いんだ。否、女性に弱いのだ。タカシは自分の弱点に気付いた。

 生ぬるい舌の表面はざらついていた。血管を血が流れる音が手のひらに伝わり、唾液が手の甲を流れていった。叫びたいほどのおぞましさと、のたうち回りたいほどの恐怖が全身を震え上がらせた。

 手を口に差し込む時ののろのろした動きとは対象的に、一瞬にして無事な右手を引き抜いて、タカシは力ない笑顔を浮かべた。確かに彼は、大仕事を完遂させた。

 気付くと、ソナラが彼の腕にしがみついている。ルウオの友達が増えて嬉しいのだろう。

「抱きついたら駄目だ、って」

「だって、お父さんの匂いがする」

 同い年だろ、と言いそうになって、タカシは言葉の意味に気付いた。

 モルグとの一年近い生活が、彼の体へ、彼女の父親の匂いを染み込ませたのだ。

 ソナラが初対面の彼らにすぐなついたのも、二人だけ特別なのも、みんなそのおかげ。

 落胆している自分に気付いて、タカシは愕然となった。

 まさか、男として意識されてるかもとか、僕はそんなことを期待していたのか?それも見事に大はずれ?

 自分を殴り飛ばしたいほど恥ずかしい。タカシは沈む夕日を力なく見つめた。

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