恐竜と出会った少年
薪を片付け終えても、まだ日は高かった。
タカシの仕事ぶりを、ニナは今度こそあからさまな呆れ顔で見ていた。
「よく働く。なるほど、正当な報酬が約束されて当たり前だ」
そんなに凄いことなのか?モルグの元ではいつもやらされていたことなのに。確かに近所のおばさんには、と言っても直線距離三キロは離れたご近所だが、感心されたことはあるけれど。
「クニの話はあまりしたくないんだ」
タカシが言うと、ニナは不思議そうな顔をする。
「なぜだ?少なくとも、ここよりマシな、誇れる国だろう」
「そんなことないよ」
短く言って、タカシは小屋へ戻った。荷物の確認のためだ。明朝には帰ろう。そう心に決めていた。
最低限の食料は、分けてもらうしかない。見たところ、この山には獲物になる動物が少ないようだ。途中調達は難しいだろう。国境まで行くには、一度は野宿をしなければならない。
帰りの支度をするタカシの後ろで、ニナがなにか言いたそうにしている。その彼女が、ふとドアを見やった。
直後に、ドアが叩かれた。
「誰?」
誰何の声に合わせて、ドアが開く。
少年、というより子供は、右手でかごを差し出した。
「母ちゃんが、これ」
「ああ、サブリ、ありがとう。どうしたの、こんなにたくさんのパン」
いかにも固そうな黒いパンの詰まったかごを受け取り、ニナは少し驚いている様子だ。
「お客さんに、って。昨日、ソナラが大喜びしてた、って」
つまりは、ソナラを喜ばせることは、かご一杯のパンに匹敵するということか。
ああ、とニナはうなずき、サブリと呼ばれた少年の頭をやさしく撫でた。
「ありがとう。母ちゃんに言っておいて。ソナラ特性のブローチをプレゼントするからって」
「僕は?」
「今度、剣の腕を見てあげるよ」
子供は「やった」 と嬌声をあげて飛び出していった。これは、ニナの剣技が子供たちに認められているということか?それとも、単に美人なお姉さんに見てもらえるのが嬉しいのか。
それより、タカシは気になることを訊ねた。
「あの子、左腕が」
「ないんだ」
さらりと言って、ニナはパンを一つ、つまみ食いした。
タカシは頭を働かせる。
こんな山の中にある、外界と閉ざされたような小さな集落。
「・・・・・・ここは、そういう人のための村なのか・・・・・・?」
途端にニナに睨まれた。
「そういう人って、どういう意味?」
タカシは言葉を詰まらせた。
「体や心の不自由な人の村、っていう意味なの?」
ニナの追求は止まらない。
タカシは両手を上げた。
「そうじゃない。そんなんじゃないよ」
しばらくタカシを睨んでいたニナは、やがて視線を地に落とし、つぶやいた。
「やっぱり、あの男の言うことなんてでたらめだ。リョウもタカシも、やっぱり変わらない」
なぜ怒っているのか判然としないが、少なくとも、パンを一切れ、と要求するタイミングを完全に逸したことはわかった。
一方リョウは。
さて、と立ち止まり、寒いなりに一生懸命照っている太陽を木々の隙間に見上げて、途方にくれていた。
ババさん、どこ行った。
腰の曲がった老婆を、見つかるわけもないと思いながら、木々と土と岩の隙間に探す。
はぐれてからどれくらい経つだろう。彼は、すでに自分の位置など皆目見当もつかない樹海のど真ん中に迷い込んでいた。
山菜探しに熱中しすぎた。地面を睨みながら草を摘み、場所を変える。気付いたら、ババの姿が消えていた。
失敗。
だいたい、自分とタカシの役割が逆だ。単純な体力仕事は俺、複雑な探し物はタカシだ。なのに、なんでこうなる。
ニナだ。あのアマが仕組みやがった。
ちょっと憎悪とは違う感情で毒づき、リョウが自分なりの方向感覚で正しいと思える方向へ進もうとした時。
不意に足の裏へ違和感を感じた。
地面が震えている。
地震か?と地震多発地帯に住んでいた者の本能が警戒する。
地響きが近づいてくる。近づいてくる、以外に適切な表現を思いつかない。こいつは地震じゃない。
ばきばきと音を立てて木々をなぎ倒しながら、彼の前に姿を現したそいつは、巨体をぐんとのけぞらせた。
青銅色の肌が陽光を反射して輝いた。
「ティッ、、ティティッティティティティッ、ティティッティーッ」
リョウの声が上ずった。
動物園にだってこんな巨大な生物はいない。しかし、どこかで見た。絵か。違う。動く姿を見た。映画だ。なんていう映画だっけ。
「ジュッ、ジュジュジュジュラッ、ジュラッ」
映画のタイトルを思い出そうとするが、咽喉元まで出てきて先が出ない。
巨体の持ち主は、ぐういん、と鼻面をリョウへ近づけた。
生臭くて暖かい息が届く。
本能が全力疾走の逃走を命じているが、金縛りにあったように体が動かない。尿意を覚える。
でっかい鼻がんぶふーと空気を吸い上げると、リョウは体を前に引っ張られてたたらを踏んだ。直後には、んばはーという吐息によって、彼の体はのけぞった。
食われる。
リョウの本能はすでに悲鳴をあげていた。なのに、手足が動かない。
心はほとんどパニックだ。
その巨大な口が開いて、舌が出てきた。
べろりと舐められ、リョウは思い出した。
学校のスキー合宿で北海道に行った時、焼肉を食いたいなー、と思いながら牛を見ていた俺は、こいつと同じ目をしていたに違いない。
目を閉じた。完璧に自分の人生をあきらめていた。巨大な胃におさまる自分を想像した。
と。
不意に、巨大な顔が遠のいた。ぐいいん、という感じで身を起こした巨体は、もはや一人間など関心もないというふうに、森の奥へと、ずしんずしんと歩いていった。
リョウは、恥ずかしいことに腰を抜かして、その場にへたり込んでいた。
タカシに話したら、信じてくれるだろうか。いくらあいつでも、この話は疑ってかかるに違いない。
俺は、生きたティラノサウルスに出会ってしまった。