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生命の抱擁

 試行錯誤の末にようやくソナラの機嫌は回復した。

 いろいろやった。褒めたり知らん振りしたりスキンシップを試したり。どれが効いたのか、タカシにはわからない。謎だ。

 居間とでも呼べばいいのか。この世界の家屋の間取りはてんでバラバラなものだから、それぞれの部屋の呼び方もよくわからない。ともかく一階のテーブルが置いてある部屋で、タカシとソナラは椅子に腰かけた。

 テーブルの上で、ランプの中の炎が揺らいでいる。

「眠れないの?ソナラ」

「それ、タカだよ」

 意外な言葉を返されて、タカシは戸惑った。

「僕は・・・・・・あんまり早くに寝ちゃったから」

「ニナちゃんがね、様子見てきて、って」

 ニナが?どういうことだろう。というか、なぜこんなにタイミングがいいのだろう。一歩間違えればソナラに驚かされて大声を張り上げるところだった。大声にびっくりしてソナラも慌てふためくところだった。

 その時、チッという小さい音を聞いた。あれは、舌打ちだ。

「あー」

 ソナラが声をあげて、ぱっと両手で口を押さえた。

「・・・・・・ニナに言われたってことは、内緒だったんだね?」

 困った顔でソナラはうなずいて、じーとタカシの目を見つめる。

 タカシは苦笑した。

「わかった、ソナラがそれを言ったこと、秘密にしよう」

 階段の上か。音の元を探って見当をつける。ニナと、そして、きっと親友もいるだろう。

「僕は元気だよ。なにも心配することなんてない。ニナには、そう伝えておいて」

 ソナラがまだじーとタカシを見つめている。

 ランプの火が揺らめいて、壁にうつる二人の巨大な影を操っている。

「タカ、マルがね、ありがとう、って」

 なぜここでそんな名前が出る?

 昼に会った子供を思い出して、タカシが首をひねると、ソナラが口に当てていた手をどけた。

 満面の笑顔。嬉しくてたまらない、それ以外の感情を知らないかのような顔。

「タカのこと、たくさん話したの。リョーのことも、ニナちゃんのことも、たくさん。そしたらね、ありがとう、って」

「僕はなにもしてないよ、ソナラ」

「そんなことないよ。この街の人のために、タカもリョーもいろいろやってる」

「そんなんじゃないんだ、ソナラ」

「無理して、ヘロヘロになって、泥だらけになって、それで、それで」

 そんなんじゃない。

 タカシの気分が落ち込んでいく。すでに底にいたと思ったのに、まだまだ落ちるところがあったのか。

「マルのおばさんも言うよ。ありがとう、って。ライくんも、ノートンくんも、テイラーおじさんも、カッソも、イーシィも、チャラも・・・・・・」

 名前が次々出てくる。彼女の知り合いだろう。花を買ってくれる人だろうか。

「スージィも、角っこのおじさんも、アイクお兄ちゃんも、ナッシュも、リリィも、エルマもエリヤもロートもヒジリもスカーシャもカントドのおじさんも」

 誰一人として見知らぬ人物の名。タカシにとって、ただの記号の羅列。

 そんなの聞いたって、意味はないんだ。タカシは心の中で叫ぶ。僕はこの街のために、義憤にかられて立ち上がったんじゃない。

 ただ二人にいい顔がしたかっただけだ。認めたくないけど、大好きな二人に、僕のことを好きになってほしかっただけだ。卑しい、利己的な、最低の動機だ。その、一人の男の卑しい動機が、たくさんの人を殺すんだ。

 瞬間、ニナやリョウの存在は忘れていた。ただソナラの声がわずらわしかった。

「もうやめてくれッ」

 自分でも思いがけず声が鋭くなってしまい、タカシはそのことに驚いて、ハッと我に返った。

 ほとんど恐れるようにソナラを見て、タカシは絶句する。

 さきほどまでの笑顔が消えていた。あるのは、無表情。

 今度こそ嫌われた。彼女なりに精一杯励ましてくれていたのは、今になって振り返るとわかる。なんでもそうだ。過ぎ去ってからわかる。それじゃ、意味はない。

 僕は、この子の真心を踏みにじってしまったんだ。

 すぐに走り去る足音が聞こえるだろう。もう笑顔を向けてはくれないだろう。何人の敵を殺したって、もう、二度と・・・・・・ 

 うつむいた視線の先に、ソナラの足が見えた。まだ靴を履いていない足の甲が、ランプに照らされて赤く染まっていた。

 花畑のことを思い出す。あの時も、彼女は夕日に照らされ赤く染まっていた。

 そうだ、僕は彼女のためになら、恐竜の口にだって手を突っ込める。

 不意に頭を触られて、タカシはびくりと震えた。制止の声をあげる前に、豊かな胸が額を包んでいた。

「タカ、ボロボロだよ」

 抱かれたことより涙声であることに恐怖をいだいて、タカシは顔を上げた。

 ソナラの目はすぐ近くにあって、赤くきらめく涙を流していた。

「帰ってきたとき、ボロボロだったよ」

「つ、疲れてたんだ」

「そんなタカ、見たくないよ」

 無理だ。タカシは心中つぶやいた。僕なんかがうまくやるためには、無理と無茶と無謀をごり押しで通さないと駄目なんだ。リョウやニナほど強くないから。それをしかたないなんて言いたくないから、身を削ってでも努力しないといけないんだ。

「も、やめよ、ね、ね、タカ、リョーと逃げて」

 ランプの中で、油に混じった不純物が燃えて、バチッと音がした。

 必死に訴えてくる瞳を見返して、タカシは身内に突然激しい怒りがこみ上げてきた。

 彼女を泣かしたのは自分だ!たくさんの名前を胸に秘めながら、街を捨てて逃げろとまで言ってくれている。疲れた顔を隠す努力もせずに、ボロボロになった素振りすら見せてベッドに逃げ込んだタカシを気遣って。泣かしたのは自分だが、彼女が泣くのは僕のためだ!

 これほど自分が許せないことはない。

 ルウオの口に手を入れた時、ぐだぐだと理屈をこねたろうか?ただ、目の前の笑顔を曇らせたくなかっただけじゃなかったか。

 どこの馬鹿が言ったのだ、利己的とか独善とか。くだらない!ただ一個の笑顔のために命をかけるだけのことで、なにをうだうだと!

「ソナラ」

 タカシは彼女の胸に顔をうずめた。

 ソナラの泣き顔を見たくない、というのもある。ただ。

 細いからだに両腕を回し、しっかり抱きしめて、生命を感じたかった。彼女の心臓の鼓動を感じていたかった。

「友達の名前、もう一度、教えて」

「・・・・・・マル、ジュヒョ、ナラナ、ガント、ナミ、パライ」

 それは延々続いた。

 怒りが溶けるにしたがい、タカシの目に涙が浮かんだ。

 ソナラの友達の名前。死ねば、きっとソナラが悲しむ人の名前。街の人という総体ではなく、一人ひとりが血肉を持った人の名前。

 一つ一つを胸に刻んでいく。

 僕は。

 ソナラの笑顔を消さないために、この人たちの命を守る。

 答えはすぐそこにあった。

 ソナラの笑顔を守るためならば、どんな嘘もいかな詐術も躊躇わない。心が折れるなら折れろ、命を投げ出したっていい。

 威勢のいい決意のはずなのに、涙は後から後からあふれ出てきた。まるで、今までの情けない自分を流しきるかのように。

 しまいには床に崩れ落ちて、ソナラの腕の中で泣いた。

 彼女は、彼の頭を撫でながら、まるで歌うように友達の名を語っていく。

 ランプの中でバチッと音がした。



「だから、大丈夫だって言ったろ?」

 リョウは、羽交い絞めにしていたニナの体を離した。

 タカシが床に崩れ落ちた瞬間、なにを勘違いしたのかニナが剣を握って飛び出そうとしたのだ。

「ふん」

 ニナはバツが悪そうに捕まっていた肩を回し、階下の二人を一瞥してから、行こう、とリョウをうながした。

「もう、タカシも大丈夫だろう」

「ケケケ」

「なに笑ってる?」

「タカシを妹に取られて妬いてんじゃねぇか?」

 リョウとしては会心の攻撃のはずだった。だが、ニナは平然と、「どういう意味だ?」 本気のクエスチョンマークで切り返してきた。

「いや、だから・・・・・・」

「ねぇ、タカ」

 階下から、ソナラの声が聞こえる。

「あたしね、なにもできないでしょ。だから、だからね、あたし、タカとリョーのお嫁さんになったげる」

 瞬間、殺気がはじけた。

 いつの間にか後方へ跳んで逃れたリョウが、青い顔で首筋を撫でる。

 血が出ていた。

 跳躍が一瞬遅ければ、確実に首は落ちていた。

 抜き身の剣を向けて、ニナは鬼より怖い顔で迫った。

「貴様、ソナラになにをした」

「ちょっ、待て、なんでそーなる、なんもしてねぇよ、するわけねぇだろッ」

「嘘をつくなあ!タカシならともかく、なんでイソギンチャクの貴様ごときに嫁するソナラがいるものかぁ!」

「いーから、落ち着け、落ち着け、って、な、な、な」

 彼女の瞳の中に、バカボンのほっぺたのぐるぐるがあるように見えた。



 これより二日後のことになる。

 北方の大国ゴンドーヌ共和国の辺境で、さらに人里からも離れた場所に建つ一軒の小屋。

 大柄な男は、手紙を受け取り、配達人をねぎらった。

 タカシは、万が一の時のために、と教えた秘密の連絡法を、しっかり覚えていたらしい。

 手紙の内容は、想像ができる。

 男は、神妙な面持ちで手紙を開いていった。

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