彼の懊悩と影の視線
さすがに牢からは開放されていたようで、以前に与えられたのと同じ家屋に戻ると、ソナラはタカシの知らない女の子と遊んでいた。
小石を転がす遊びのようだが、はたで見ているだけでは今一つルールがわからない。
「マル、来てたのね」
ニナは、妹の友人にもお姉さんという顔で対するらしい。どうせなら、とタカシとリョウは顔を見合わせ、お互い同じことを考えていることを知った。
自分たちにも、もっと女らしいところを見せてくれればいいのに。
「マル、マル、紹介するね」
珍しく、ソナラが率先して友人たちを引き合わせた。喜びに満ちた顔は、友達の輪が広がることへの期待だろうか。
「タカとリョー。とっても頭がよくて、凄い強いの」
「的確な表現よ、ソナラ。つけくわえると、とっても弱くて、凄い頭が悪いの」
おいこらてめぇ、というリョウの言葉は黙殺された。
「マル、初めまして」
タカシができるたけにこやかに笑って見せる。だが、戦闘の緊張が抜けていない上に、重なる芝居の疲れで、顔の筋肉はこちこちだ。
マルは、タカシの皮衣の裾を凝視していた。
少女の視線を追って、タカシは硬直する。
腰のべったりと付着した血。五十人の騎兵の誰かの血だ。敵の返り血。
リョウまで気付いて二人がかりで腰の辺りを隠す素振りを見せると、ニナが首をかしげ、ああ、と手を叩いた。
「気にするな。小競り合いならそこらに戦争は転がってる。子供だからって、血を見ることに慣れていないわけじゃない」
なんて教育に悪い世界だろう。
マルの手を取って、ソナラはにっこり微笑んだ。
「大丈夫だよ、タカ、怪我してないよ」
やさしいやさしい、とマルの頭を撫でるソナラ。いつもは見せない、お姉さんのソナラ。
「その子は」
タカシはなにか訊ねようとして、なにを訊ねようと思ったのか、忘れた。
「ええと、友達?」
僕の間抜けめ。
「うん。マルだよ」
「マル、この血はね、お兄ちゃんが怪我したわけじゃないんだ。心配してくれてありがとう。やさしいマル」
ソナラの頭も一緒くたにいい子いい子してやって、タカシは背後の凄い強い二人を振り返った。
「部屋に戻るよ。なんだか、ひどく疲れたんだ」
階段を上がる前に、タカシは、みんな、と沈んだ声をあげた。
「もう一度確認するよ。いいんだね、モルグの名声が落ちて、ゴンドーヌでの地位も落ち、下手したら実刑の可能性だって・・・・・・」
「馬鹿野郎。もう決めたことじゃねぇか」
「そう、だけど」
「それに、もう走り出してしまった」とニナ。 「手紙を送ったのだろう?すでに引き返すことのできないところまで来た」
そうだね、とタカシはつぶやいた。
「ごめん、やっぱり疲れてるみたいだ。眠くて」
「なんなら夜伽の相手でもしてやろうか?」
夜伽ってなんだ?・・・・・・!!
「そういう冗談は金輪際やめてよね!」
どうやら、ニナは山奥の村でタカシをおちょくるツボを覚えたらしい。
「ヨトギってなんだ?」
悩むリョウをニナはひとしきり笑った。
五十人の人間が死んだ。
みんな敵だった。だから、いいんだ。殺しても。
こうしないと、みんな殺されちゃうんだ。
でも、敵と味方の違いって?
街の人の命と、敵の命の違いって?
兵士は戦争を職業とする人たちだ。国と国が争えば、非戦闘員たる民間人に被害が及ばないように、戦闘員同士が戦って、決着をつける。
だから、戦闘員は、殺すか殺されるか。
だから、兵士の命は軽いのか?
国の運命を決する戦いに投げ出す命が、軽いはずはない。民間人は逃げても笑われないが、兵士は逃げ出すことを許されず、背後の国と人を護るため、戦う。その命が軽いはずない。
くそ、なんでこんなことを考えるんだ。今まで、一度だって思ったことはないのに。
軽いとか重いとか。兵士なんて、駒にすぎない。三国志でも信長の野望でも、ゲームの世界ではただの数字、減れば補給するだけ。
だけど、現実に一万二千の敵がいて、街にはそれ以上の、顔も知らない人がいる。
この世界では、攻められた街は略奪に合うと聞いた。自国の民なんだから、さすがに皆殺しはないだろうけど、攻城戦になればたくさんの非戦闘員も死ぬ。
非戦闘員ってなんだ?僕のような素人ですら、五十人を殺す作戦を立てられた。剣を持てば、女性だって子供だって戦闘員だ。
わからない。この世界は、わからない。
僕はなんだってこんな苦労をしているんだろう?
見も知らぬ無関係な人のために。無理に無理をして、嘘をたくさんついて、他人を欺き、それでも平気な顔して笑っていなくちゃならない。
僕はなにがやりたいの?
ソナラにいいところを見せたいの?ニナに認められたいの?
そんなことのために、僕は五十人を殺した。そして、もっとたくさんの人間を殺す。見も知らない人のために、見も知らない多くの人を死地へおもむかせる。
他人のために?
笑い話だ。今、自分で認めたじゃないか。
他人のためなんかじゃない。二人の女に、いい顔をしたいから。独善的な男の欲望。
・・・・・・耐えられるだろうか?僕の心は、折れてしまわないだろうか。
眠れない、と思っていたのもベッドに入ってしばらくの間だけだった。
ひどく深い眠りに落ち、それなのに目が覚めているという不思議な感覚。
体だけが眠り、頭、というより精神が起きている。金縛り状態という話を聞いたことがあるが、それとも違う、不可思議な状態。
全身が覚醒した時、すでに外は暗く、友人は隣のベッドで眠っていた。
リョウを起こさないよう静かにベッドを抜け出したタカシは、梯子のような急な階段を降りて、かまどのある部屋へ向かった。
本格的なかまどは、この世界では大きな家屋にしかない。もっと南の暖かい地方では違うと、モルグは言っていたが、北方では暖炉を調理の用に使うからだ。
水を飲んだタカシは、ふうと深く吐息をついて、踵を返した。
「うわあッ」
闇に浮かぶ金髪に、思わず声が出た。
「ソッソッソナラ、なにしてんの」
「タカ、駄目ぇ」
左手を前に突き出した格好で、ソナラがプッとふくれる。
なんだ?タカシは少し考えた。
なるほど、そっと近づき、驚かせようとして、寸前にターゲットが振り返ってしまったというわけだ。タカシは納得すると同時に、吹き出していた。
「ゴメンよ」
謝ったが、ソナラの不機嫌が直らない。彼女の右手のランプを受け取って、タカシは苦笑してソナラの頭をこねくり回した。
「ごめん。だけど、全然気付かなかった。足音消すの、上手だね」
見ると、靴を脱いで裸足になっている。
ここまでするほどのやる気だったのか。タカシは笑いたいのをこらえて、彼女の手を取った。
いやん、とソナラが彼の手を振り払う。
ショックだった。
今まで一度としてタカシに抵抗しなかったソナラが。いや、好んで手をつなごうとさえしていた彼女が。
嫌われてしまったのか?お父さんの匂い効果が薄れてきたのか?
ソナラはむくれた顔で、じっとタカシを見上げている。その目がなにを要求しているのか、いろんな意味で経験の乏しいタカシにはわからない。
「ソナラ」
途方にくれて彼女の名をつぶやくタカシの背後、ずっと向こうの闇の中で光る、四つの目。
「そこで抱きしめてやれよ、タカシ」
「殴るぞ」
「押し倒せ」
「殺すぞ」
「やっちまえ」
「・・・・・・」
物陰に隠れて事態を見守る二人の間で、白刃がきらめく。
「ごめッ・・・・・・そこまでするか?」
リョウの抗議を無視して、ニナはタカシの背中を見つめ、軽く舌打ちした。
まったく、鋭いのか鈍いのか、タカシはよくわからない男だ。
ソナラが、一度なついた人を相手にぐずることは、ほとんどない。よほど体調が悪い時か、ニナやババを相手にした時くらいか。
要は甘えだ。
普段けして表に出さない、甘えたいという欲求だ。
普段でも散々甘えているように見えるが、あれは彼女の自然体であって、すべてをさらけ出しているわけではないと、ニナだけは知っている。
かまってほしくて、ぐずって見せる。
ソナラにとって、安心してそれができるのは、今までニナとババだけだった。
一人増えたことに、ニナの心に若干の嫉妬がにじんだ。