伝説のサブライ
牢は意外に広い。
ニナに聞くと、元々国境警備のための砦であったこの街には、隣国との小競り合いで得た大人数の捕虜のための牢があり、武神の子に対する配慮として、その大きい方の牢が当てらたのだろう、という話だ。
一人、男リョウが怒っていた。
「二人とも、ちょっと来い」
隅にタカシとニナを呼んだリョウは、パンパン、と軽く二人の頬を叩いた。
呆然とするタカシ、食ってかかる、かと思われたニナも悄然としている。
「誰が、お前らのどちらかの犠牲で逃げ出して、幸せになれると思ってんだ、コラ」
「でも」
「でもじゃねぇ!じゃ、あれか、俺が一人犠牲になったら、タカシは大喜びするのかよ!?」
タカシはしばらく黙ってから、リョウを見やった。
「たとえば、危機一髪になったら、リョウは間違いなく自分を犠牲にして僕らを助けようとする」
リョウはうッと唸った。痛いところをつかれた。
「僕とニナは、同じことをしただけだ」
リョウは考える素振りをしてから、言った。
「だけどな、ほれ、あれだ、さっきのは危機一髪じゃねぇだろ。時間はある、四人みんな揃ってる、なんとかなるッ。お前はな、簡単に投げ出そうとしたんだよ!てめーの力でカタつける度胸がなくて逃げ出したんだ。ニナも同じだッ」
リョウは考えて喋るタイプではない。ほとんど本能のままに喋っている。だが、きっとそれは正しいのだろう。タカシは思った。
ニナが、拳をリョウの胸にたたきつけた。
「なんだよ?」
「・・・・・・軍が到着しても、包囲には時間がかかる。私たちの存在のために攻撃をためらうなら、攻撃より包囲を優先するだろうが、それでも一日では終わらない。まだ、王国軍の包囲は終えていないはずなんだ」
「なんだよ」
「包囲されたらもう逃げ出せない。さっきの会見が、最後のチャンスだった」
またもリョウは気圧され、少し考えた。
「それでも、俺はお前を置いて逃げるなんてしねぇぞ」
「馬鹿が・・・・・・」
彼女の様子を見て、まさか、とタカシとリョウが顔を見合わせた。驚愕だ、いや前人未到だ。
ニナが泣きそうだ!
「なら、お前は街の人すべてを救えるというのか?」
「・・・・・・はえ?」
リョウの本能が不可解な声を出した。
「戦闘が始まれば、この街の、なんの関係もない人たちが犠牲になる。たくさんの人が死ぬんだ。敗れれば死ぬとわかってるから、反乱軍にただ命じられているだけと知りながら戦い、敗れて殺されていくんだぞ。老人も子供も殺され、女は犯され、子供だってどうなるか・・・・・・」
「でも、ニナ、この街はただ砦として利用されているだけにしか見えない。街の人は無関係なんじゃ・・・・・・」
「タカシは知らない!攻城戦のむごさをッ。兵糧攻めで飢えるか、荒れすさんだ兵士の慰め者になるか、それを避けるには協力するしかない、でも、負けたら、略奪と・・・・・・」
だから、とニナは膝に顔をうずめる。
「だから、せめて三人だけでも・・・・・・誰も救えない私は、一人で残って、一瞬一秒でも敗北のその時を遅らせるために、ここで戦おうと思っていたんだ。ソナラは戦えないし、二人はこの街とは関係ないから」
戦うために残る。
タカシはうつむいた。さきほどのニナの悲壮な顔、あの理由はそれだったのか。
お前に、と彼女はリョウに迫る。
「できるのか!?街の、たくさんの人たち救う手段があるのか?せめて救える者だけでも救おうというのは、私の偽善なのか・・・・・・」
ソナラが、そっとニナを後ろから抱きしめた。
ニナはハッとし、次いで、不思議と表情を和らげた。
「大丈夫、大丈夫だよ、ソナラ」
「うん」
うなずいて、ソナラはニナを抱く手に力を込める。
もしかしたら、と場違いな感想をタカシは抱いた。
ソナラは、天使かもしれない。
古今東西の宗教はあらかた調べて神はいないと結論づけたタカシだが、この時のソナラの姿は、神々しいとしか表現できなかった。
小さな窓から入る陽光が、二人を照らしている。美しい少女が、同じく美しいが猛々しい女性を後ろから抱いている。ニナの表情に安らぎが浮かぶに及んで、タカシは、小さな竜がソナラになついている理由を知ったように思えた。
ああ、彼女は安らぎをくれるのだ。
「・・・・・・カタナの話は、あのへっぽこ親父から聞いたか?」
ニナが、しばらくして言った。
タカシとリョウが顔を合わせる。
ソナラが顔を輝かせた。
「あのね、昔、サブライがいたの」
「サブラウ者、サブライ。我々の足では届かない遠い国から来た者だ」
もう一度、タカシとリョウは顔を見合わせた。
サブライ。さむらい。侍?
「悪い竜を倒したんだよー」
「その勇者が持っていた二本の聖剣をもとにして造られたのが、カタナと呼ばれる双剣だ。大小二本のカタナを持って、サブライは悪竜を討ったという」
ニナは恥ずかしげに笑った。
「ソナラへ聞かせる、おとぎ話だよ」
タカシとリョウにとってはおとぎ話ではすまない。
昔にもいた?二人同様、この世界へやって来た同国人がいた?
「タカシとそっち、お前たちは」
「おい、とうとう悪態考えるの面倒臭くなったか?」
「サブライだ」
牢に入って何度目だろう。タカシとリョウは顔を見合わせ、焦った。
「ちょっと待ってよ、なんだよ、それ」
「たしかに国は一緒だが、しかしな」
「やはり同じなんだな」
ニナは静かに言った。
「サブライと同じ、遠い国から来た。あのくらげ親父も言っていた」
「くらげか、なんでもアリだな」
「私も、信じてる。お前たちは、サブライだ」
「剣が同じなだけだ」
リョウが言い、タカシはうなずく。自分がそんなに大層な人間だとは思えない。
「そんなことない」
ソナラを背中から降ろし、胸に抱いて、ニナは力説する。
「お前たちからは、不思議な力を感じる。腕力とか知力とかじゃない、目に見えない、けど感じる力。お前たちはサブライなんだ。だから、お願いだ。かつて、悪竜を倒し民を安らかにしたように、この街の人を救ってくれ」
ニナは気が違ったのか?
タカシは思わずにはおれない。
僕は一年前までただの高校生だった。入学したてだったから、受験戦争の記憶はいまだ鮮明だけど、本物の戦争は知らない。そんな人間になにができるだろう。
「タカシ、おばさんやマルを助けてくれ。この街には、たくさん、知っている人がいる。ソナラの花を買ってくれる人がいる」
タカシは緊張した。うんと言ったら最後、絶対に逃れられない。本来、彼はこの街とは関係のない人間だ。
「花なんて、本当は売れるものじゃないんだ。ローデシアの圧政は事実で、だから、街の人も少なからず貧しさにあえいでいる。その中にあって花を買ってくれる。それは二束三文だが、貴重な金を出してくれる。花を売りに街へ来た時にはなにもなかった窓に、帰る時には花が飾られているんだ。ソナラの花が」
ソナラの名前に、タカシは唸った。
ツボをついてきたな。ソナラの名前を出されると弱い。
なんていう考えは、次の瞬間には消えていた。
ニナは必死の顔で、悲しげに言う。
「みんなが花を買ってくれるのは、ソナラの笑顔のおかげ。それは知ってる。利用してるみたいでイヤだった。でも、この街の人は、ソナラの笑顔を認めてくれる。笑い返してくれる。毎回ソナラの花を買いに来てくれる。タカシ、リョウ、みんなを、なんとか助けられないか」
ほとんど初めてではなかろうか。ニナがリョウの名を呼ぶのは。タカシは、それほど真剣なんだと思い、リョウは有頂天になった。
二人の間で一致する意見がある。
男は、女の前では蛮勇をふるわねばならないのだ。
特に、とタカシは顔をうつむかせる。仲間の助命のみを願った自分の小さな覚悟と、街の住民すべてを思った女性の悲壮との、大きさの違いを見せ付けられれば、なおのこと。
「リョウ、僕を助けてくれる?」
命がけになるけれど。
「誰に聞いてんだ。俺は武士だぜ」
早くも侍気取りだ。まあ、剣道道場に通い、愛読書は週間漫画時代劇の彼にしてみれば当然の帰結か。
「誰かいないか!」
牢の入り口へ向けて、タカシは鉄格子越しに叫んだ。