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無力の味

 ニナがマルを手放したタイミングは、絶妙だとリョウは思う。

 人質の生命を優先するあっちの世界と異なり、この世界では、人質の価値が低い。貴族や要人の身内ならともかく、一市民の命などは、犯罪者の捕縛か殺害のついでに考慮するという程度だ。だから、不自然でない程度早めにマルを手放さなければ、兵士の誰か、緊張に耐えられなくなってぶち切れたやつに、殺されるおそれがあったのだ。

 芝居とは思えない形相でマルを兵士の一人へ向かって放り投げて、ニナは走り出した。

 これで、あの親子に嫌疑がかけられる可能性は減っただろう。ニナに出来るのはここまでだ。

 リョウもニナの後に続き、包囲の一角を崩して走った。

 絶体絶命もいいとこ。正直生きて帰れる自信はない。

 立ちふさがる敵をなぎ倒しながら、ひたすら走る。走っていなければ、たちまち囲まれてなますに斬られるのは目に見えている。

 幸いなのは、敵が弱いことだ。街道で出会ったのと同じ程度の腕しかない。よくこれで軍だなんて言えるもんだ、とリョウは不思議でならない。ただの筋肉達磨だ。

 ニナの剣技の方が、はるかに強い。

 彼女の戦いを初めて見たが、細い腕のくせして剣を軽々と操る姿は凄まじい。すかし、かわし、受け流し、はじき返して、必殺の一撃のみを相手へ与える。リョウから見て、熟練した剣術の達人としか思えない技だ。

 この女、相当な数の修羅場をくぐり抜けていやがる。リョウは確信した。今まで感じたことのない薄ら寒さまで、前を行く女剣士に感じ始めていた。

 ようやく兵士の一群を突破して、しかし、すぐに二人の足は止まった。

 前方から来るもう一群。さきほどの兵士と違い、整然と隊列を組み、先頭の男に付き従って行進してくる様は、リョウの目にも精鋭を思わせた。

「記録官!」

 後ろから二人を追ってきた雑兵の中で、装備からして指揮官と思われる男が叫んだ。

 前方の一群は止まった。

「私は、丁重にお連れするよう言ったはずですが」

 記録官と呼ばれた先頭の男が、どこか優雅な足取りで近づいてくる。一人装飾のついた鎧を着込み、緋色のマントを背中に垂らして。

 ニナは脱出口を探って左右を見回すが、左右に家屋がひしめきあい、どのドアも巻き添えを恐れてか、かたくなに閉じている。

「やべぇ・・・・・・」

 リョウが思わずつぶやいた。

 男の歩く姿を見た瞬間、背筋を冷たい雫が流れていった。腹の底が寒くなる。

 わかってしまった。

 一見優雅なその歩みは、達人のみに許される隙のない挙動だ、と。

 こいつは強い、と。

 これが、ニナの言っていた、相手の強さをはかるということか。自分より強い者を探り出す、獣の本能なのか。

「しッ」

 中央突破あるのみ、と心に決めたように、ニナが駆け出した。剣を立て、男へ斬りかかる。

 いつ抜いたのかわからない剣で、男はニナの刃を受けた。

「なるほど、筋がいい」

 男には笑う余裕があった。端正な顔に浮かぶそれは、美しいと表現してもいいだろう。

「さすが、武神の娘」

 その言葉がどのような効果を生んだのか、ニナの背中がびくりと震えた。瞬間、男の剣が彼女の剣を空中高く弾き飛ばしていた。

 言葉にならない怒号をあげて、リョウは走った。ニナが斬られる。一瞬で血の上った頭には、それしかない。

 カタナは大上段。リョウの知識の中で、最も実戦に向くと言われる一太刀。

「キエエェエェッ!」

 渾身の力を込めた一撃。剣で防がれれば鋼を断ち、鎧を着ていれば装甲を破り、敵を真っ向から一刀両断にする一撃。

 だが、気付いた時、リョウの剣は空を舞っていた。

 なにも持っていない両手を不可思議な感覚で見つめ、リョウは目の前のやさ男を見た。

 理解できない。全力を傾けた一撃が無駄に終わったことを、心が受け入れようとしない。無防備な自分に気付いていない。

「やめろッ!」

 必死に叫ぶニナの声が聞こえる。

「やめろッ、殺すな、そいつはモルグの息子だ、モルグ・バートレットのッ」

 モルグの息子?とんでもない。俺は・・・・・・

「そいつ斬れば、戦争になるぞ!記録官ごとき下官が、隣国との軋轢を」

「知っていますよ、ニナ・バートレット」

 男のやさしい微笑みに、ニナの背筋が凍った。

「私は、違う・・・・・・」

「ずっと前からあなたの素性は知られていましたよ。さあ、来てください」

 ニナが、思わずリョウの腕を握る。

「あなたの妹も、我々がお迎えしましたから」

 逃げられない。ニナは悟り、唇を噛み締めた。



 タカシには、歯軋りする以外、自分を責める方法がない。

 かつて国境警備隊の指揮官の居館であったという大きな家屋に連れ込まれ、広い部屋に案内されてからも、そうだ。左右を屈強な兵士が数人でかため、豪華な椅子に座らされて、身動きすることすら許されない。隣に座ったソナラの肩を抱くことしかできない。

 ソナラは泣いていた。頬がまだ赤い。

 さきほど、記録官という官職の、あのメッシという名の男が、彼女の頬を容赦もなく叩いた時も、彼にはできることがなかった。ただ兵士に取り押さえられ、目の前でソナラの泣く姿を見ているしかなかった。彼女がマエラおばさんという名前をしぼりだすのを、ただ見ているしかない。

 僕は弱い。タカシは泣きたかった。泣きたいほど、弱い。

 細長いテーブルの向こうで、太った男がニヤニヤ笑っていた。司令官だろうか、豪奢な服を身にまとっている。

 その男がなにか言っているが、気にしなかった。ソナラの背中を、一生懸命に撫でた。

 大ぶりなドアが開いて、入ってきたのは、メッシという記録官と、リョウとニナだった。

「リョウ・・・・・・」

 反射的につぶやいて、タカシは顔を下げた。

 ソナラを任されていながら、無様に囚われた自分。勇敢で、向こう見ずだが約束を違えたことのない友人を、直視することができない。

「揃ったな」

 太った男が言った。

 リョウとニナは黙ってタカシたちの隣に立った。座ろうとはしない。かたくなな表情は、なにがあったのか。二人とも、腰の剣から手を離さない。

 メッシというやさ男が、さらに後方に立って言った。

「ご注文通り、お連れしましたよ、レナート閣下」

 その名前に反応したのはニナだ。

「レナートだと?この街の管理官が首謀者か。道理で、手際がいいはずだ」

「お褒めに預かり光栄ですな、武神の子供よ」

 レナートは決まり文句で返し、ぶよぶよの顔でにたにた笑った。

「馬鹿を言うな。私は、モルグの娘などでは・・・・・・」

「調べはついている。武神の娘どもがどこに潜伏しているのか。素性を伏せ、この国の内情を調べようとでもしたのか?」

「馬鹿な」

「それとも、単純に、妹の素性を隠したかっただけかな?」

 レナートが顎をしゃくると、メッシが、やれやれ、というように手を伸ばした。

 ソナラのうなじへ手を伸ばすと、止める間もなく彼女のワンピースは下まで咲かれた。

 ソナラが甲高い悲鳴をあげ、ほとんど条件反射的に、タカシがメッシへ殴りかかった。

 タカシの拳は呆気なくよけられ、軽く腹を突かれてもんどりうって倒れる。くそッ、と起き上がった時、彼は鋼のきらめきを見た。

 ニナのやいばがメッシの剣で止められる。と同時に彼の首筋へリョウの切っ先が向かい、ほぼ同時に周囲の兵が音を立てて剣を抜いていた。

 無数の剣に囲まれて、メッシは笑う。

「刃引きした剣でなにをするつもりだ?」

 リョウは笑った。

「よく見ろよ」

 短い刀身を見たメッシの目が、ほんの一瞬だけ細まった。

 血を求めるかのような、鋭利な輝きがそこにあった。

 メッシを二本の剣が狙い、その周囲から無数の刃がリョウとニナを狙う。時が止まったかのような静寂と、身がしまる緊張感。

 タカシは、背中をあらわにしてうずくまるソナラを、そっと抱いた。

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