狂犬の活躍
ようやく横棒(――)の打ち方を覚えました、パソコン素人の篠田です。長い話になりそうですが、よろしくお願いいたします。
今の季節、ローデシア王国北部は夜の訪れが早い。日が傾いたと感じた途端に夕闇が迫り、気付けば空は紺色に染まっている。青はすぐ黒になり、満天の星が太陽の代わりに地上を照らして輝くのだ。
峠を走る二人の少年も、足の向く先は星明りだけをを頼りにしていた。街道とは名ばかりの荒れた小道は、歩くだけでも、ちょっとした不注意で足をくじくかすっ転ぶ物騒な場所だが、今は運を天に任せて、山肌に沿ってくねくね曲がる道筋を、全力で駆けていた。
道は急な登り坂で、場所によっては走るというよりよじ登るという格好になる。当然、体力の消耗は激しく、小柄な方の少年が、走り始めて六度目の転倒で頭から豪快に地面へ滑り込んだのを機に、根を上げた。
「もう、もう駄目、もう走れないよ」
もう一人の少年は、大人と比べれば華奢ながら引き締まった体躯を緊張させ、背後を睨み、次いで木々の間の闇を見透かすように身構えた。首から下を隠す、身にまとったぼろ布の中で、腰に下げる二本の剣が、鞘をからませ音を立てていた。
「振り切ったと思うか?」
「一本道だもの、先回りなんかされてないはずさ」
今まで駆けてきた道を見下ろして、二本の剣から手を離した少年が吐息をついた。
山肌に沿って通る峠道は蛇のように曲がりくねっているため、まるで見通しはきかないが、今にも追っ手があらわれるという気配もなさそうだ。
小柄な少年は名をタカシという。目の荒い麻の服の上へ、防寒用の大きな皮衣を羽織っていた。
一方の二本差しはリョウ。彼の皮衣は薄くて袖がなく、防寒対策に大きなぼろ布をマント代わりに身にまとっている。
「大丈夫か、タカシ」
タカシは、背負っていた大ぶりな巾着様の袋を下ろし、腰の短剣を抜いて地面に寝転がった。
「こんなに必死で走ったの、ラオウの授業以来だよ」
漫画のキャラクターそっくりの体育教師を思い出して、リョウが思わず吹き出した。
「変なこと思い出させんなよ」
「吐くまで走らされたんだ」
「あいつ言ってたろ。体力ねーから吐くんだ。だから吐くまで走って体力つけなきゃなんねぇ。ラオウの言うことはもっともだ。あの高校で唯一まともな教師だったな」
リョウもぼろ布の下でごそごそやって荷物を降ろし、剣はぶら下げたまま座り込んだ。
「なあ、タカシ。星がきれーだなぁ」
今度はタカシが吹き出した。
「久しぶりに出たね、その口癖。こっちに来て何度目?その話」
「きれいだからきれいだ、って言ってんだ」
タカシもつられて空を見上げた。
街道の上空は、木々の枝葉に左右を挟まれた星の道のように見えた。光の濃淡が模様を作っていて、星の道を横切る一際輝く帯は、この世界でも天にかかる川と呼ぶらしい。
そうして星を眺めていると、全身の汗が体温を奪い、火照った体が急速に冷めていく。タカシは思わず身震いして、「行こう」 とリョウをうながした。「寒くなってきた」
「今からたきぎ集めんの、面倒だな」
街道はまだ星明りが差すものの、森は深く一歩入れば闇に閉ざされる。
「曇りでなくてよかったよ」
タカシは慰めるように言い、立ち上がって荷物へ手を伸ばした。
その手が、びくりと痙攣した。
リョウが慌てて立ち上がる。
木々の向こうから音。急な下り斜面の向こうから、何者かが低木や下ばえを蹴飛ばして登ってくる。
「しつけぇやつらだ、この暗闇で森に入るかよ、ふつー。タカシ、走れるか?」
「無理でも走るよ。頑張るよ」
タカシの様子を横目に見て思案し、リョウはマント代わりのぼろ布を地面へ落とした。
「座って休んでろ。すぐ終わらせる」
「でも、モルグは、戦うな、って」
「いいかげん逃げ回んのも飽きてきた。だいたい、こんな盗賊だらけの物騒なところだなんて聞いてねぇぞ。逃げるのはもう無理だ」
木々を押し分けるようにしてあらわれたのは、寒い時期だというのに薄手のぼろをまとっただけの、五人の男だった。胸元に覗くあばらや痩せきった手足は、ゾンビを思い起こさせてタカシには不気味で、疲労のためであろう荒い息も、舌を垂らした肉食獣の息吹きのように思えた。手に持つ汚れた刃物は、なにものの血を吸ったのだろうかと想像するとゾッとする。
リョウは、腰にぶら下げている大小二本の剣の、長い方をすらりと抜いた。細く長い片刃のつるぎが、星明りを反射して白く光った。
「来いよ、ガリガリ君」
タカシも渋々と短剣を抜いた。扱い方は一応習っている。
「タカシは下がってろ」
襲い来る剣をどこかやさしげにはじき返して、リョウは見間違いようもなく、満面に笑みを浮かべて舌なめずりした。
タカシはなにもすることがない。
リョウは実に楽しげだ。相手の剣を受け流すと、自分の剣でぶん殴る。昏倒した相手をついでのように蹴り飛ばし、次の獲物を自ら探して踊りかかる。どちらが襲撃者かわからない傍若無人の暴れ方だ。
そんなリョウを眺めて、タカシは短剣を収めた。
倒れた相手をよく見ると、痩せさばらえたただのおじさんだ。冷静に考えると、こんな体の衰えている大人、五、六人集まったところで、リョウの敵ではない。
地面の荷物をまとめていると、不意に背後に気配がして慌てて振り返った。
「あ」
そこに立つ人物を見て、敵か味方か咄嗟に判断できず、タカシが呆然としていると、相手は軽く両手を見せて害意のないことを示し、リョウの獅子奮迅の戦いを眺めた。
「イヤなやつだ」
ぽつりと漏れた言葉に、タカシは思わず相手の顔を見つめた。リョウのことを言ったのか?
「なにがだよ」
タカシの怒りに相手は答えず、五人全員を地面に沈めて「俺は強い!」 と星空へ吠えているリョウへ近づいていった。
「弱いものいじめがそんなに楽しいか?」
思いもよらない第三者の声に、リョウはびっくりした。かけられた言葉が非難だと本能的に察して、むかっ腹を立てる。
「どういう意味だてめ・・・え・・・・・・」
相手の姿を見て、語尾がかすれた。
星明りに照らされた金色の髪は珍しいものではない。毛皮の服だってポピュラーなものだ。ごつい剣も見慣れている。問題は相手の性別だ。
こんな山の中になんで女が?
いや、正確には、女だから驚いたわけでもない。
こんな山の中に、なんでこんな凄い美人が?だ。
短い髪を揺らして顔を傾け、形のいい唇が開く。
「今の戦いぶりからして、この程度のやつら、剣など抜かずにあしらえたはずだ。剣を抜くなら、腕の一本でも切り落とせば、相手の方から逃げ出すだろう。それを嬉々として加減もせずに殴り倒すとは。それも逃げ道を遮ってまでして全滅させる。悪趣味なやり口のように思えるがな。飢えた小男をいじめてよく笑っていられる」
「て、てめッ、てッ」
見たこともない美貌と、初対面での辛らつな批判という、受け手としてはあまりに印象のかけ離れた情報に、対応しきれないリョウの脳がフリーズしかける。なんだこのきれいな姉ちゃん、ナニ言ってンだ、ワカラナイ・・・・・・
「お前がリョウで、そっちがタカシか」
いまだフリーズ状態のリョウの分まで律儀に二倍驚いたような、タカシの驚愕はそれほど大きかった。。
「な、なんで知ってるの?」
なぜ知っているのか、も謎だが、タカシにはもっと大きい驚きがある。
この世界では、「タカシ」という名は発音しづらい響きのようで、いつも初対面ではなかなか正しく呼んでもらえない。それなのに、会ったこともないこの美人の発音は、完璧だ。名を呼ばれただけなら、懐かしい故国を思い出してしまいそうだ。
「なにを驚く。お前たちのことは、手紙に書いてあった。昨日辺りには来ると思っていたのに姿を見せないから、どこかでのたれ死んだのだと思っていた」
のたれ死んだ。美しい顔がこの手の言葉を使うと、どこか倒錯的な響きを帯びるのだと、タカシは初めて知った。
「様子を見に少し下りてきてみたら、弱々しい追い剥ぎをいたぶるやつがいる。手紙に書いてあった人物評と、ちょっとばかり違うな」
「あの、もしかして、あなたは」
「私がニナだ」
聞いていた話では同い歳のはずなのに、大人びた落ち着きのある顔が言った。