5.ありふれた「スライム」と「モンスターチェンバー」と「ヒトゴロシ」
ギルドの建物を出てすぐのコンビニにはリュックも売っていて、シオンはまず赤いリュックを買った。買い占める気かってくらいがっつり食料を買い込み、リュックにぎゅう詰めにしてる。水とお茶のペットボトルも1本ずつ買い込む。ダンジョンを本格的に攻略するならぜんぜん装備不足なのはわかっていたけど、今回はファーストダンジョンアタック。まずは小手調べだ。ギルド前から無料のミニバスが5分置きに出ているので乗り込んだ。いちばん奥の席に座る。ボクたちが乗り込むとぞろぞろとなんだか大勢の冒険者が乗り込んできて、通路がぎゅうぎゅうになった。チクチクチクチク無数の視線が突き刺さるけど、ボクから出ている『構うなオーラ』のせいか話し掛けてくる輩はいない。バスはドームの横を通り、防壁の門を通って警戒地区へ入っていく。冒険者タグが自動反応してくれるのだろう、ノーチェックで入ることができた。倒壊した建物、荒廃した家々が車窓を過ぎていく。程なくして瓦礫すらない荒れ地に出た。出現から2年も経ち、普通なら生命力の強い雑草が繁茂していておかしくないのだけど、見渡す限り綺麗さっぱりの更地だ。ギルドが管理して除草しているわけではなく、ダンジョンゲートから漏れ出す魔素のせいらしい。道の舗装は完璧に維持されていてバスはほとんど揺れなく進んでいく。正面にゲートの構造物が見えているはずだけどぎゅう詰めの人のせいで見えなかった。
「よう。君たち。新人さんだろ。ダンジョンは意外と危険なんだ。初めてならちゃんとしたパーティに属したほうがいいって習わなかったかい。俺達のパーティはベテラン揃いだ。どうかな。いっしょに組まないか?」
しまった。風景に見とれて『構うなオーラ』の放出が疎かになっていた。話し掛けてきたのはボクたちの前の座席に座った20代後半くらいの茶髪兄さん。身体を捻るようにして背もたれから身を乗り出してる。鏡の前で小1時間、髪の毛に時間をかけるタイプだな。一緒のパーティになったらその晩に夜這いを掛けられるだろう。気色悪りー。想像力が発達しすぎたボクは夜這い時の茶髪兄さんの台詞まで一気に想像できてしまい、咄嗟に声が出ない。ボクに代わってシオンがにこやかに応えてくれた。
「お誘い嬉しいんですけどー、ウチら超がつく素人さんなんで最初は地下1階で経験値稼ぎだけしようって決めてるの。ベテランさんたちの時間を地味作業で無駄にするのも心苦しいし、亡くなったおばあちゃんの遺言で知らない人について行っちゃだめっていわれてるしー。なので今回はお言葉だけありがたくいただきますねー」
「いやいやいや。ぜんぜん時間の無駄だなんてことはないよ。遠慮しないでいいんだから」
しつこい。おばあちゃんの遺言をしれっと無視しやがった。イラッとしたので言葉が出てくる。
「あまりプライベート情報をいいたくないんですけど。ボクたちもうパーティ組んでて、他のメンバーと合流待ちしてるだけなんです」
ボクの真顔の睨めつけはクールビューティを通り越して氷結プレッシャーを発するはず。なんだけど‥‥このお兄さん、最初からボクたちをペーペーのルーキーと決めつけてるみたいで動じない。いるんだよねたまに。自分の勝手な思い込みで頭カチカチになってる奴。人のいうことは鼓膜で弾かれる。
「じゃあ、今回だけ俺達がコーチするってことでどうだい?」
しつこいを通り過ぎてウザい。
「なら、バスを降りたら簡単なゲームをしましょう。それでボクたちに勝てたらお兄さんたちのパーティに入ってもいいですよ」
車内がザワッとする。そこでバスが停車した。降車が始まり、ボクたちが最後に降りる。バスロータリーみたいになった広場だった。正面にダンジョン構築物の威容が仰ぎ見える。せっかくのワクワク風景を、茶髪兄さんのパーティ4人が立ち塞がるように邪魔してた。さらにはバスに乗り合わせていた別パーティの人たちも構造物に入らず、遠巻きに見物している。しかたない。本当は模擬戦でもやって圧倒的優位を示してやりたかったけど、やりすぎると恨みを買うしなあ。
「じゃあ。簡単なゲームです。冒険者って、咄嗟の危険にも素早く対応しないといけない状況がいっぱいありますよね。なんで機敏さのゲームします」
ボクはパンツのサイドポケットから小銭入れを取り出し。手の平に中身を開ける。500円玉が2枚。100円玉が6枚。10円玉が4枚。500円玉を戻し100円と10円の10枚を手の平に乗せて示す。
「これを自分の頭の上に放り投げて、地面に落ちる前に何個掴めるかを競います。見物している皆さんの中に、ボクたちをスカウトしたいと思っている方がいたら参加してください。最後にボクがトライして、ボクより多くコインを掴めたチームに参加しますよ」
結局、茶髪兄さんを含めて5パーティが参加することになった。茶髪兄さんに声を掛けたけど、トップバッターは辞退される。進み出たのは装備の感じからしてそこそこ経験者揃いっぽい社会人パーティのお姉さん。彼女がトップバッターを務めることになった。全員が見守る中、やや膝を曲げて立ったお姉さんが無言の気合でコインを放擲する。自分の身長ほど上空に高く、力を込めて放り投げた。その分コインが空中で広がった。ハッと息を詰め空中のコインを両手で掴む。掴みきれなかったコインが地面で鳴る。
「4枚。これ難しいわ」
そういってコインを返してくれる。地面に散ったコインを拾い集めて次の人に渡す。まだ未成年っぽい高校生チームか。代表の小柄な男の子が受け取る。
「やあっ!」
気合を入れて投げたけど2枚しか掴めなかった。次は40代くらいの髪の薄いおじさんチーム。結果は3枚。続く30代のスポーツマン集団が4枚。そして茶髪お兄さんチームがラストだ。お兄さんがコインを受け取ろうとするのを金髪ロングのキャリアウーマン風女性が押し留め、彼女がコインを受け取る。コインをぎゅっと握りしめ膝を緩ませ、自身の顔の前あたりに軽く投げあげた。ふわっと密集して舞うコインを右手だけの高速ジャブで握りつける。世界クラスのシャドーボクシングを見てるみたいだった。チリーンチリンと2度、コインが地面で跳ねる。
「ウォーミングアップが足りなかったわ。8枚ね」
観客から「ウオー」っと歓声があがる。
「女子キックボクシングですかー。やるなあ」
シオンが地面からコインを拾いあげながら聞いた。立ち姿勢の違いからキックボクサーだとわかったのだろう。
「この姉さんは2026年クイーンズチャンピオンシップ、ミニマム級のチャンピオンだ」
茶髪兄さんが鼻息荒くいった。意外とまともなパーティだったんだね。でも、いまのところ他のパーティに参加してるヒマがない。
「では。ラスト。ボクの番ですね」
無造作に放り投げた。頭上1mの位置まであがったコインが重力に負け、流星雨のように降ってくる。それをボクは目じゃなく耳で見た。手の動きの最適解を出し、そのとおりに腕でなぞる。周りの人にはゆるっと舞っているかのように見えたかもしれない。最適なタイミングで最適な位置に腕を置き、素人には見えないだろう速さで指を動かしコインを摘む。それを両手で10回。コインが地面で跳ねる音はしなかった。すべてボクの手の中にある。
「はい。10枚全部取れました。確認してください」
クイーンズチャンピオンシップのチャンピオンお姉さんにコインを渡す。お姉さんがポッカリと口を開けたままコインを数えた。
「10枚‥‥」
コインを受け取り小銭入れに戻す。
「なのでパーティ参加はなしということで。10枚以上取れるようになったら、また勝負してもいいです。では、みなさん。失礼します」
「じゃねー。またねー」
上品に一礼して構築物へ進む。みなさんあっけにとられてたみたいで、追いかけてくるパーティはなかった。
「10枚以上って‥‥ミナト、最大で何枚取れる?」
「16枚くらいかな」
「残酷ー。ヘタに期待持たせて」
「真剣に受け取って練習したら敏捷ステータスがあがるでしょ。真面目に頑張る人の生存率をあげるってことで」
ダンジョン構築物。荒野のど真ん中に聳え立つ。圧倒的な存在感があった。乾いた砂の匂い。確かに蟻塚の雰囲気がある。アントニ・ガウディに匹敵する芸術的な蟻さんだ。中に入ると1本の柱もないがらんとした空間が広がってる。内壁は見たこよもない文様に覆われていた。すがすがしいオゾンの匂いが身体を包む。魔素による酸素分子のオゾン化が起きてるということ。構造物上部にある無数の穴から差し込んだ光が未知の作用で屈折し、真上から落ちる青い光に変化する。深海底を歩いてるような感覚。光が照らし出すのは、フロアの中心に鎮座する黒体と呼ばれる物体だった。立体感ゼロ。物体というのは間違っているな。空間に球として開いた穴だ。広大なフロアに人気はない。シンとした重い静けさが漂っていた。ボクたちがゲームを始める前に入場した人たちは、さっさとダンジョン内へ転移してしまったのだろう。この構造物の内部空間で時間を無為に消費する人は少ないのだそうだ。人間の手に寄らない構造物の内部に佇めば、ジワジワと侵食してくる人外の異質さにいたたまれなさを感じるからだろう。
「このゲートはミナトの魔法陣で作る転移ゲートと似てるね」
シオンが中を覗き込みながらいう。
「この世界だと魔法陣を組むのが重労働だから解析できないけど、基本の術式は同じだと思う。とりま他の人たちが来る前に0階層のセーフゾーンへ降りちゃおう」
「うい」
シオンを先頭に黒体内へ踏み込む。黒体の表面を通り過ぎるときヒヤッとした冷気を感じただけ。それ以上の違和感はなく、黒体内の通路に足を踏み入れていた。真っ暗。足元の通路だけは漆黒が薄れてグレーに見える。12歩進むとまたヒヤッとした感覚に襲われ、急に薄明るい空間へ出た。シオンが息を呑む。
「うわー。きれー。凄ぉい。クリスマスかここ」
まるでクリスマスイルミネーションだった。青く明るい広大な空間の地面も壁も天井も、まるで銀河の星々かと思うくらい無数の光がゆるゆると波打っている。
「これがダンジョン?」
ボクもつい呟いてしまう。ボクたちは巨大な池の中央にある円形の中島に立っていた。振り向けば、後ろにはボクたちが出てきた黒体が鎮座している。幾何学的な真円の池と中島だった。池は直径200m。中島は直径100m。中島の縁のあたりに霞草みたいな茂みが点在していた。手近な茂みに目を凝らす。枝分かれした無数の透明な茎が絡み合い、茎の先端が切り落とされたみたいになって切り口から光を放射している。
「なんていうか。光ファイバーで作った茂みって感じだね。これが壁にも天井にも密生してるから明るいわけか。でも、植物っていえるのかなこれ?」
「ここにカフェかなんかないのかなー。ラテマキアートかなんか飲みながら小一時間ぼんやり眺めたくない?」
「ここでぼんやりしてたら後ろから来た人たちに追突される。先へ進むよ、シオン」
中島から4方に白い橋が伸びている。正面に伸びる橋がいちばん幅広かった。プラスティックみたいな橋を渡り、地面に足をつく。足裏が奇妙な弾力を返してくる。
「真っ白だから地面は石膏とかかなと思ったけどー、柔らかいんだ。石じゃないのね。木でもないしー。粘土ほど柔らかじゃないし。なんだろ。絨毯の感じかにゃ?」
「大理石床みたいに足が滑る感じはないから、移動は楽だね。戦いになっても踏み込みとかしやすそうだ」
池からは16方位に水路が伸びている。水路は先々で枝分かれし、この階層全体に網目のような水路ネットワークを成していた。ここでの居留に水の心配はないな。巨大な空洞空間の所々に、真っ白な石膏柱のようなものが伸びていた。手近な1本を観察する。根本には根の盛りあがりみたいな瘤が見えるし、天井近くでは枝分かれも見えた。樹木なんだろうか。先は天井に届いている。天井は遙か30mくらい上。白樺にある斑点もないし、葉の代わりに枝先から光を放射してるし。そんなオブジェみたいな樹木モドキの間を、真っ直ぐに道が伸びていた。道の先に集落が見える。道の両側にプレハブやコンテナハウスらしき建物が密集していた。活気が伝わってくる。この第0階層は南北に長い楕円形で、長軸で1kmほどの大きさ。北側の焦点位置に池と中島があり、南側の焦点位置に第1階層へ降りる階段があったはず。道は1本道で、南北に伸びる通りを辿って南下すればいい。なので必然的に集落を通ることになる。
「なんか看板出てる。串揚げだって。いい匂いしてる。食べようかミナト」
「いやいや。予定外の邪魔ばっかりで時間を無駄にしてるんだから先進むよ」
「ちぇー。あ。『貸しテント』てのもあるけど。ん。なんですとぉ。『貸しトイレ』だって。1回500円だとー。ぼったくりじゃん」
「ダンジョン内では排泄しても数時間でダンジョンに吸収されるはずだけど。吸収されるまで剥き出しで放置ってのも恥ずかしいし。シオン、いまのうちに使っておく?」
「ウチはいいよ」
「おっけー。じゃあ、先進もう」
店の人たち。簡易テーブルで飲み食いする人たち。店を物色する冒険者たち。通り過ぎる人たち。ギターを弾いて歌う人までいた。集落は平日の竹下通りくらい賑わっている。ボクたちが物見遊山の観光客みたいにキョロキョロしながら通りすがると、いろんな視線が向けられた。ナンパかもしれないし勧誘かもしれない。なにか怪しげな物を売りつけようとしてる輩の目線かもしれない。変な物を売りつけられる前に1階層へ降りたほうがいい。あれもこれも見たがるシオンを急かして先へ進んだけど1回だけ足を止めて買い物をした。
「なにここ。『鉱石採集セット』?」
「地下1階層の奥の方へ行くと露鉱してる魔鉱石が見つかるんだって。地球上では存在を確認されていない鉱石で希少性もあってそこそこ高値で売れるみたい。『放課後探索』の主な稼ぎになる」
「ウチらも鉱石掘るの?」
「いまのところお金はあるからね。買うのはこれ」
壁のフックに吊られていた砕石道具を取る。
「ハンマー?」
柄も金属で長めのハンマーだ。鉱石採取するならこれと鑿がセットになるのだけど、ボクが買うのはハンマーのみ。シオンの分も一緒に買う。
「これでなにすん‥‥あ。音か」
「そ。ダンジョンといえば耳が命でしょ」
立ち止まっていると優男に声を掛けられそうになった。死人を見る目で見てやり、丁重にお断りして先へ進む。おちおち立ち止まってもいられない。集落の階段側に警察の派出所があった。SWAT並みの重装備でハンマーアックスを装備したお巡りさんが5人くらいたむろしてる。集落を抜けると人通りは半減した。それでも平日の渋谷公園通りくらいの人通りがある。階段へ向かう人がほとんど。ボクたちも人波に逆らわず先へ進む。
「ねー。ミナト。あっちの遠くに見えるおっきな雪見大福みたいなのなに?」
「ん。あれは通称イグルーだね。人工物じゃなくてダンジョンのセーフゾーンには必ずある天然の造形物なんだってさ。中にはベッド2個と囲炉裏に使える盛りあがりがあって泊まれる。そこらの茂みが天井から生えてるみたいな光ファイバー照明もあるし、仕組みはわからないけど通気性があって、内部温度は一定に保たれるって。水路が分岐した支流が中に流れ込んで、そこから外に出るんじゃなく地面の中に吸い込まれていくので天然の水洗トイレになってるらしいよ。ないのはお風呂だけ。集落でやってる宿はお風呂やシャワーが付いて併設の食堂で食事もできるから便利だけど、イグルーならタダで寝泊まりできる」
「なんか至れり尽くせりのダンジョンだね」
前方に密集した光ファイバー藪の塊が見えてきた。6本の白木も密集して伸び出し、天井で光のドームを形作っている。上から放射された光が6束のスポットライトのように地面を照らす。地面が5段分の階段状台座になっていた。階段を登ると10m四方のステージになっている。中心に1辺3mの開口部があった。これが下層への階段部。人々は慣れたもので躊躇いなく穴の中に入っていく。ボクたちも穴の縁に達し覗き込んだ。なんの変哲もない白石の階段が螺旋状にくだっている。一定間隔で壁に光ファイバー植物の束が伸び出していて明かりに不自由はしない。1歩脚を踏み出す。硬い石の感触はなく、膝に優しい柔らかな踏み心地。1段の高さは20cmだった。降りること50段。距離にして10m。薄暗い通路に出る。0階層とは違い、砂色の石材を積んだ遺跡型の通路だった。ところどころ石が割れ崩れ、奥の土が露出してる。先に降りたパーティのメンバーが魔石ランタンを灯そうとしていた。魔素のコントロールに慣れていないようで、なかなか発光しない。
「この世界でもダンジョンで魔素はぼんやり光ってるね」
シオンがいう。ボクたちは明かりを用意していない。強化された暗視能力と魔素の微弱発光で視覚的には問題ないと考えていたからだ。予想通り問題はなかった。それにボクたちは視覚だけで視るわけじゃない。シオンがチッと舌を鳴らした。ややぼやけていたけど、走ることもできる程度にはクリアなエコーロケーションイメージが得られた。ステータスの感覚値をあげていけばより鮮明になるはず。シオンが壁に耳を付け、ハンマーで壁石を叩く。さっきより遥かに鮮明に、壁の向こうを走る別の通路まで透過してイメージできた。
「いい感じー」
シオンは天真爛漫に喜んでいたけど、ボクは危ない人を見るみたいな周りの人の視線に皮膚がピリつく。
「シオン。シオン。この通りは人目が多すぎる。この先に広場があって起点になるからみんなこの道を通るんよ。脇道に移動していろいろ試そう」
「ミナトの人見知りも治らないよねー。オッケー」
ボクたちはそそくさと脇道に入り、降りてきた人たちが通る本道を避けた。
「この辺まで来ればいいかな」
道は入り組んでいるけど、第1階層は探索され尽くして階層マップが公開されている。ちなみに第2階層も無料。第3階層と第4階層は5万円で売り買いされていた。ボクはお金を惜しまず、全部ダウンロードして丸暗記してる。分かれ道を4つ通り、チェンバーとか小部屋とかいわれる空洞が設置された直線通路に出た。北に向かって真っ直ぐ伸びた長い直線通路。手前側にドアがひとつだけ見える。ドアは木製で古びてはいたけど腐ったり壊れたりはしていない。
「ここに入る?」
シオンがドアを指さした。
「うん。入る前に中をスキャンしよう」
シオンがオッケーといいながらドア横の壁に耳をつける。ハンマーで撫でるみたいに軽く壁を叩いた。
「あ。天井になにか柔らかいものがプルプルしてる。スイカくらいの大きさ。これがスライムかな。あとはなんもないよ。がらんどう」
「スライムだろうね。中心近くに梅干しサイズの赤い核があるって。それを潰せばやっつけられるみたい。身体や衣服の1部にでもくっつかれると強力な粘着力で剥がせなくなるから要注意。そのまま放っとくと、粘着された部分が消化されて‥‥溶かされちゃうから怖いね。グロいだろうね。火に弱いらしいから、もしくっつかれたらライターとかキャンプ用着火器具とかで炙ると嫌がって外れる。ベルメトリン系の殺虫剤も嫌がるみたい。嫌がるだけだけどね。ライターも殺虫剤も用意してないけど、動きが鈍いからなんとかなるでしょ」
「めっちゃいいかげんー」
シオンが笑いながらドアを押し開けた。最悪ここでスライムにくっつかれても、第0階層まですぐだから戻って露店で殺虫剤でもライターでも買い求めればいい。フェムトマシンを急増殖させてくっついたスライムを捕食させるって手もあるけど、スライムを身体の1部にするのは気色よいイメージじゃないので最終手段にしたい。すたすたとシオンが部屋に入っていく。一瞬だけ上を見たけど天井は高いし暗い。暗視能力が高まっていても、そんな場所に潜んでいる半透明なスライムはさすがによく見えない。シオンはすぐに視線を外して、舌打ちの囀りを始めた。おかげで後に続いたボクもエコーロケーションの恩恵にあずかれる。硬い石の天井に1カ所だけ柔らかな部分が感じられる。
「下を通ると落ちてくると思うよ。振動感知と熱感知だろうといわれているけど、ダンジョン外へ持ち出すとすぐに死んで溶けちゃうから研究はあまり進んでいないみたいだね。エラプションが起きたらダンジョン外で生息できるようになるけど、魔物が溢れるフィールドになっちゃうから研究どころじゃなくなる」
「エラプションってなんだっけ。あ。ダンジョンブレイクのことか。ウチ昔からカタカナ英語って苦手なんよ。ダンジョンブレイクでよくない?」
確かに。市役所に公式文書を提出するわけじゃないからそれでいいか。などと話しながらシオンがスライムの下を通る。完璧な未来位置予測のタイミングでスライムが落ちてきた。そのまま歩けば頭をスライムが直撃する。シオンの頭まで10cmの距離になったとき、シオンの身体がぶれた。同時にシュンって風切音とともに、まだ空中にいて自由落下中のスライムが真横に吹っ飛ぶ。ボクには視えていたけど、スライムには捕食できたと思った対象が突然消えて急に横から殴られたとしか思えなかっただろうな。シオンの動きは忍者級だ。
「コンバットナイフじゃ核まで切れないかもー。10cmくらいは斬れた感じだけど、そこでぐにゃっと抵抗があって刃が包み込まれたみたいな感触よ。にゃろめー。スライムのくせになかなかやるじゃん」
シオンがコンバットナイフを背に戻し、代わりに無音で魔剣を抜いた。シュリーンとかシャキーンとか音が出るのはハリウッドの映画だけ。実際はほぼ無音で抜ける。
「うん。ミナトの予想通りね。ダンジョンの中だと魔力の通りがダンチ。ほら刀身が光り出す」
刀身をボクに見せている間にも、スライムはモニュモニュとシオンの足元に近づこうとしてた。移動のたびに身体が歪むため、中心部の核が引っ張られてクニュクニュ動く。そのゼリー状の身体を青い光の筋が通り抜けた。核ごと真っぷたつにされたスライムが地面に伸びる。この世界では魔物が死ぬと10秒で分解が始まるらしい。デジタル効果みたいな赤い光砂になってスライムが分解していく。5秒で完全に消え、その場所に赤い魔石の結晶を残した。
「魔剣ならバッチリ。刀身に曇りもつかない。さすが魔剣ねー」
魔剣は刃で斬るんじゃなく刀身が纏った魔力による空間のズレで斬るから、斬られた相手の体液や脂が刀身に直接触れない。ボクは魔石を摘みあげた。
「これ1個でいまの相場ならだいたい1万円だそうだよ。シオン。経験値どのくらい獲得したか見て」
「うん。あらあ。ダンジョンだとサクッと開くよ」
シオンの前にステータスパネルが浮びあがって見えた。ボクもステータスを開いてみる。確かに軽い。地上だと魔力消費100くらい必要な重さに感じたけど、ダンジョン内なら魔力消費0.1でスルッと開く感じ。
「えーと。講習で教えてもらった通り、獲得経験値が10になってるよ」
「ボクの方もだ。経験値はパーティ全体に人数割じゃなく均等付与されるってことか。じゃあ、経験値の閾値がどうなってるかだね。ルキナの世界みたいに最初は1000ポイントでステータス覚値1に相当だろうって思うけど。レベル2になる閾値が5%アップになって1050になるなら、ルキナの世界と同じってことがわかるんだけどね」
「じゃあ、この階層でスライム100匹討ち取る?」
「それとももっと下層に降りて、ゴブリンとか経験値の高い魔物を倒すかだよね。ちょっといろいろ検証したいってのもあるし、今日は小手調べのつもりだから地道にスライム100匹倒して検証かなあ」
「そーだね。ウチもあんまり遅くなるとママたちに心配かけちゃうし。今日はラインを1時間毎に送んなきゃだし。1階層ならさっと地上に戻ってライン送ってまた潜れるしね」
「あそっか。あとどのくらい潜ってられる?」
「えーと。ダンジョン内時間って地上の6倍だったよね。ダンジョンに入るときにちょっと早めだったけど送っておいたの。だから次はダンジョン内時間で6時間経ったところで地上に1度戻ればいい。なんだけど‥‥6時間を測る道具がないのよー」
シオンは携帯を取り出した。画面は真っ黒。腕の時計も電気式だったみたいで止まってる。ボクはジャケットの胸ポケットから昔風の懐中時計を取り出す。さっきシオンがフィールドジャケットなんかの衣装を試着している隙に買っておいた、ダンジョン仕様の時計だった。完全機械式手巻き時計なのでダンジョン内でも問題なく動作する。
「ふっふっふ。持つべきものは抜かりのない相棒だろ。6時間あれば小手調べには十分だ。ここは廊下よりは安全だろうから、ちょっといくつか魔法を試してみるね」
「りょ。ウチもちょっと気になることがあるから調べてみる」
シオンが北側の壁に歩み寄る。シオンの「気になること」っていうのが気になったけど‥‥壁に貼り付いて立つシオンを横目で見ながらボクはまず最初に詠唱魔法を唱えてみた。
「燦然たる軌条。太陽の雫。白陽の波動。闇を祓い標となりて導く。光灯れ」
立てた指先にビー玉ほどの光球が生じ、サラサラ乾いた白い光を発する。消したり灯したり、押しやったり手の平で弾ませたり。ひと通りのことはやってみて問題なく使えることを確認する。その間に、シオンは壁のあちこちに耳を押し当てハンマーで壁を叩いていた。ボクは次に魔法陣魔法を試す。光魔法は魔法陣がシンプルだ。光の玉自体は作り出せるのだけど、それを動かそうとすると問題が発覚する。どうにも狙いが定まらない。魔法陣は厳密な方程式みたいなものだから要素を代入すれば完璧な動作をさせられるはずなんだけど、どうにも狙いがぶれてしまう。どうも魔法陣の方向指示と角度判定になんらかの不具合があるようだ。光魔法と圧縮魔法を合成して閃光弾を作る閃光魔法陣も制御が難しくて、最初に生成した閃光光球はあらぬ方向へ吹っ飛んでいき壁にぶつかって線香花火かってくらいショボく消滅した。
「うーん。魔法陣形を研究しなくちゃいけないみたいだなあ。いまのままだと大雑把なうえに制御不能じゃん」
独り言をいいながら指と手の動きを加味して閃光魔法陣を描き、2発目の閃光光球を生成したら今度は手の平から離れたとたんに大破裂した。
「きゃうっ。なによミナト。眩しすぎるし。目がチカチカするー」
文句をいわれたボクも目がキンキラズクズクして涙が滲む。
「ねー。ミナト。ちょっとこっち来て、この壁の反響音聞いてくんない?」
魔法の研究は後回しにしてシオンの立つ壁際へ移動した。壁に耳をつけシオンが叩くハンマーの反響音に耳を澄ませた。硬い石ブロック、柔らかい土、土の中の砂利、ミミズのような生き物、その遙か向こうに別の硬いものの存在が感知できる。
「シオン。もう1回。やや強めに」
「りょ」
コーン。硬い石壁の中を通る音の速度は空気中の10倍以上になる。反響音が瞬間で戻ってきてボクの脳内に空間イメージを形作った。
「部屋3つ分向こうかな。別の部屋があるみたいだ。立ち塞がる壁と床の1部を感じた」
「やっぱ部屋よね。でもさっき見たとき廊下の向こうにドアなかったでしょ。並行して別の通路が走っていて、そっち側に入口があるのかな。でもミナトがさっき見てた地図にはそんな通路とか部屋とかなかったじゃない?」
「確かに。探索され尽くしてネットに無料で公開されたくらいの情報なんだよね。うーん。もしかして未発見の隠し部屋かなあ」
「調べてみよー」
ボクたちは部屋を出て通路を先に進んだ。念の為に詠唱で光球を出し目でも確認できるようにした。部屋3つ分の距離を進んでも通路に扉らしき造作はない。ただ、舌打ちによる簡易なエコーロケーションですら、壁の向うに空洞があるらしき感知があった。
「シオン。わかる?」
「うみゅ。感じる。壁の向こうに空間があるね」
「精密に聞いてみよう」
ボクは壁に寄り耳をつけた。シオンも壁に貼りつく。せーのでシオンのハンマーが壁を叩く。
「わぁお」
「部屋だ。隠しドアの機構もある」
「それに‥‥なによーこれ。スライムかな。むにゅむにゅずるずる。壁にも床にも天井にも。スライムだらけじゃん」
「スライム部屋の奥にももうひと部屋あるみたいな‥‥。これってモンスターが落とすキーで開くっていうお宝部屋じゃないかな?」
「お宝。すごっ。でもスライム気持ち悪ぃー」
シオンが壁から耳を外した。
「モンスターチェンバーってやつか。お宝部屋の手前に難易度の高いモンスター集団のいる部屋があるって動画でいってた。こんな狭い部屋で100匹近いスライムが同時に襲いかかって来たら。骨も残さず消化されて、死ねるなあ」
「えー。じゃあ、お宝はー?」
「うーん。スライムごときで諦めるのもなんか癪だよね」
「そーだよ。いったん地上に戻って殺虫剤を大量に買ってくるとか。どお?」
「殺虫剤はあまり効かないって。忌避剤程度。ゴキブリを冷凍しちゃう系のスプレーで動きを鈍らせて、核を潰すって方法は動画で見たけど。こんだけ大量だとなあ。いっそ液体ヘリウムを1トンくらいぶち撒けて、部屋全体をカチコチにしちゃうか」
「火炎放射器を買ってきて丸焼きがいいんじゃない?」
シオンが脇にノズルを抱えて振り回す真似をする。
「確かに。スライムは火に弱いか。それなら火炎放射器はいらないな」
「なんでいらないの。チャッカマンくらいじゃ火力足りないし」
「ここに天然の火炎放射器がいるでしょ」
「天然の火炎放射器ってミナトのこと?」
「大魔導師ミナトって呼んでいいよ」
「さっき光魔法ですらワチャワチャしてたじゃない」
「あれは魔法陣魔法だからさ。詠唱魔法なら方向制御に難があるくらいだもんね。ドア開けて、巨大火の玉投げ込んで、ドア閉める。ってアバウトな攻撃ならほとんど制御いらんから最適でしょ」
「まあ。そうね。ピンポイントで1匹を狙い撃ちするってわけじゃないし。でも。隠しドアってどうやって開けるの。鍵持ってないし。無理やりこじ開ける?」
「鍵穴が巧妙に隠されてるし、鍵の仕組みもそこそこ複雑だけど‥‥鍵開けはできるよ」
「よし。じゃあ。ミナト案でいこう。だめなら火炎放射器購入ね。アマゾンで売ってるかな?」
売ってないと思う。後で調べたら家庭用の草焼きバーナーの大型タイプなら売ってた。アマゾンってなんでも売ってるのね。軍隊で使うほどの超強力な対人兵器はさすがに売ってなかったけど。ボクは隠しドアの隠し鍵穴の前に膝を突いた。石材のヒビみたいに見える鍵穴カバーをハンマーの角で軽く突くと、碁石ほどのカバーがポロッと落ちる。鍵穴が見えた。鍵穴のすぐ横に耳を当てハンマーで静かに叩いてエコーイメージを得る。角度と場所を変えてコツコツ叩き、立体的で精密なイメージを脳内に構築した。鍵穴に手のひらを当てる。そして神頼み。じゃなくてフェムトマシンにお祈り。手の平から滲み出したフェムトマシンが流体金属みたいに鍵穴へ流れ込んでいく。イメージで得た鍵構造のままに鍵穴で硬化して鍵になった。手の平を捻じるように鍵を回す。カチッと鍵が外れた。鍵が外れると同時に鍵穴の直上でカモフラージュされていた取手がカコンと飛び出す。
「よしと。鍵は開いた。じゃあ。シオン。ボクが火の呪文を詠唱するから、合図したらドアを大きく開けて。火の玉が部屋に入ったらすかさず閉めてね。ドアとかにくっついてて部屋の外に溢れ出したスライムのやっつけも任せた。ボクは火の玉に魔力を流し続けて部屋の中で渦巻かせる。集中しなくちゃならないからよろしくね」
「りょーかい」
「瞋恚の焔。顛動する赤光。灼熱の軋轢。浄化の凝縮。焦熱の拡散」
詠唱1回じゃなく、手の平で火の玉を捏ねるように3回連続させ、バスケットボールほどの超高温火球になったところでシオンにアイコンタクトし頷く。シオンが大きく扉を開いた。火球を投げ込む。ドアの内側にびっしりスライムがへばりついていた。そのうちの1匹がボロっと剥がれ落ちる。シオンが閉めるドアで上手に引っ掛け、外に出すことなく部屋の中へ押し戻した。狙いとは30cmも離れたけど火球は部屋の中心部で巻きが解け火炎の渦となる。そこでドアが閉まって火は見えなくなったけど、ボクの頭の中には完璧な炎のイメージが保持されていた。脳と火炎球の量子もつれ状態。ボクがイメージの火炎を撹拌するように渦巻かせると、部屋の中の火炎の渦が同じ動きで拡大する。ついには部屋全体を席巻する巨大な火炎渦巻きになって、すべてのスライムを沸騰させた。部屋の酸素は一瞬で消費され尽くしたけれど、魔法の炎は酸素にだけ依存しているわけではない。20秒で集中が乱れた。
「ちょっと待ってね。開けるのはボクがやるから。バックドラフトが起きたら炎が噴き出すかもしれないから、絶対正面に立たないで。ドアからちょっと離れて壁の前にいて」
「バックドラフトってなんだっけ?」
「部屋が密閉に近い状態で内部で火事が起こると、室内の酸素が急激に消費されるわけ。すると酸素が足りなくて不完全燃焼した高温の有毒ガスが充満してたりするわけね。その状態で不用意にドアを開けたら外の空気が流入するでしょ。そしたら大量の酸素を供給された不完全燃焼ガスが一気に燃焼するの。で、爆発的な炎になってドアから噴き出したりするわけ」
「こわー」
シオンがズズッと身体をずらす。ボクはドアで身体を護るように立ち、ドアの取手に手をかけた。取手もドア自体も熱々にはなっていない。炎自体は20秒で霧散したから部屋の中に可燃物がなければ延々燃え続けたりはしてないはず。スライムは水っぽいから可燃物じゃないと思うし。
「シオン。ハンマー1回お願い」
シオンがうなずいて壁を叩いた。
「動きなしね。スライムは全滅したみたい。あ。ほら見て。獲得経験値が990になってる。さっき1匹倒した分があるから、この部屋に98匹のスライムがいたってことか」
ボクもステータスを開いてみた。確かに獲得経験値は990になってた。
「あと1匹か。それで覚値がつくかどうか検証できるな」
部屋が完全密封されてたら酸素が消費された分部屋全体が陰圧となり、ドアに通路側からの大気圧がかかる。軽く取手を引いてみる。重さは感じず、ドアに隙間が生じた。空気が吸い込まれる様子もないし爆発的に炎が噴き出す様子もない。
「どこからか空気が供給されているみたいでだ。陰圧になってない」
隙間から熱で膨張した空気が流れ出す。慌ててドアを閉じた。
「入んないの?」
「ちょっと待って。密室環境だといろいろヤバいかもだから」
「火傷する?」
「いや。有毒ガスが発生してる可能性がある。一酸化炭素や二酸化炭素やシアン化水素や塩化水素なんか。燃えた物がスライムだけならそんなに大量発生してないかもだけど。念には念をで。一酸化炭素なんかは無味無臭で、ひと息吸った瞬間に意識なくなって昏倒するから」
「まじか」
「部屋は密閉されてないみたいだから空気を撹拌して換気する。また合図でドア開けて。魔法をぶち込んだらすぐ閉めて」
「おっけー」
シオンがドアに貼りつきボクが前に立つ。
「流れたゆとう空なる波動。駆け抜ける力。遙か高みへ。すさび荒れ、渦を成す大いなるうねり。吹け」
風魔法だ。この魔法も詠唱魔法にすればアバウトでも使える。風刃にできるほど精緻性を保てないけど部屋の空気の吹き飛ばしくらいはできる。シオンに合図した。扉が開く。風魔法をぶち込む。轟っと唸りが生じた。回転による圧力で、部屋の中の一酸化炭素が気路を通ってどこか外へ拡散するはず。十分換気できたろう頃を見計らい、ドアを開け放して光球を部屋に流し入れた。慎重に覗き込む。部屋の空気はまだ温かい。深呼吸してもぶっ倒れない。めっちゃ焼け跡臭かったけど、発生した一酸化炭素やら二酸化炭素は拡散したみたい。酸素量も回復したようだ。ゆらゆらと進んでゆく光球の光で、床一面に散らばった魔石が宝石みたいにキラキラ輝く。
「おっほー。魔石だー」
シオンが飛び込んで魔石を拾い始める。
「96個しかないよ。残り2個。どっかに吹っ飛ばしちゃったみたいだ」
シオンが恨みがましい目で睨めつけてきた。そんなこといったって一酸化炭素中毒でご臨終しちゃったら、せっかく換金した魔石のお金も使えなくなるんだし。
「それより、奥の部屋。ドアが焼け落ちないでついてる。頑丈だな。お宝部屋だからかな。期待できそう」
「お宝。お宝」
シオンがなにも考えずにドアを開いた。罠とかモンスターとか用心って習わなかったのかねえ。幸い中から矢が飛んでくることもなく、もう1個光球を作って飛ばす。狭い立方体部屋の中心に、支柱の細い台座に乗った宝箱がひっそりと鎮座していた。箱の装飾文様がキラキラ光を反射して豪華。
「不用意に開けようとするなよ」
「えー。こんな浅い階層で見つかる宝箱に罠なんてないでしょー」
「用心に越したことないってね」
台座の前に片膝を突き、支柱の根本の床を叩く。振動が支柱から台座へ、台座から箱へと伝わり脳内で3D映像が展開される。
「ほら。爪楊枝みたいな発射機構があるじゃん。毒針発射罠だろこれ」
針が小さすぎて殺傷能力があるようには見えないから、毒針なのは間違いないだろう。
「ほんとだー。さすがー臆病なる事、兎のごとし。慎重戦士ミナトだねー」
シオンとビビとルキナが陰口ならぬ『面と向かって口』でよくいってるから慣れっこだ。
「うるさいぞ。脳筋シスターズ。備えあれば憂いなし。毒針の射出経路から身を外して‥‥開ければいいのさ」
シュッと毒針が発射された。でも、誰もいない空間を飛んで壁に当たっただけ。
「なにっかな。なにっかな♪」
シオンが歌いながら覗き込む。他に変な機構がないか確認してボクは箱の中身を取り出した。
「うーん。手甲みたいだ。人差し指から小指まで4本の指を入れるリングと手首に嵌めるリングが薄布で繋がってる。シルクみたいだけど‥‥柔らかい金属だなこれ。目に見えないほどの金属糸で織りあげられてる。手に着けると手の甲のところにこの宝石みたいなパーツがくるんだけど‥‥」
「ウチが試す!」
シオンひったくる。
「呪いの装具で手から離れなくなったりしても知らないぞ」
「そんな物騒なものがこんな浅い階層から出るわけないじゃん」
シオンのいうことにも一理ある。ダンジョンの浅い階には弱いモンスターしか出ないっていうのも、ダンジョンが誰かの手によってデザインされている証拠だろう。その誰かが、初心者殺しみたいなレベル違いのトラップを仕掛けるのは一貫性がない。シオンがなんの不具合もなく手甲を着けた。つと離れて軽いシャドウボクシングを始める。
「手が軽くなった感じもしないしー。やっぱ魔力必要かな」
シオンが足を止め手甲を着けた左手を前に伸ばす。フンスって鼻息とともに魔力が注ぎ込まれた瞬間、手の甲の宝石が輝いた。直径にして1.5m弱。シオンの身体の大部分を覆うサイズの光盾が生じる。シオンが手首をまっすぐ伸ばしていたせいで、シールドのエッジがシオンの顔に被る展開となる。ルキナの世界で使った魔道具の防御盾はエッジに切断効果が生じた。この魔法シールドが同じ効果をもたらしてたら、シオンの顔面に大きな傷がついていただろう。
「きゃ」
集中が乱れ魔法シールドが消えた。
「あう。失敗したー。顔‥‥切れてない?」
「ドジだなあ。切れてないよ。エッジに切断効果はないみたい。間違いなく顔にかかってたけどね」
「よかったー。びっくりしたー。気合込めすぎたー」
さっきの気合の半分くらいで魔力を流すと、直径60cm程度のラウンドシールドが発生する。シオンはエッジを目の前に持ってきて指先でつんつん触っていた。
「よし。次はもう1匹スライムを見つけて100匹討伐完了させよう。それでステータス覚値が1ポイントつくかどうか検証。それから次の105匹を倒して必要経験値の増加が5%かどうか確認だ」
「地味ー」
「この検証は今後に思いっきり影響するから地味でも面倒でもやらなきゃ。それに‥‥」
「それに‥‥なに?」
「この隠し部屋ってほとんど知られてないんじゃないかなって思って。YouTubeにもそういう動画はなかったし、かなり希少なモンスタードロップで鍵をゲットしなきゃ開けられない部屋だし。もしかしたらほとんどの部屋が手つかずで残ってる可能性が高いんだよね」
「えー。じゃあ。お宝ごっさりってことじゃん。元気出たー。行くぞミナト!」
お宝のアーティファクトを売って得られる金がシオンの目当てじゃない。お宝を発見して開けるときのワクワクが好きなんだと思う。ボクも結構ワクワクしてるので気持ちはわかる。北へ伸びる通路を辿ると二股の分岐があり、左の分岐の真ん中くらいで次の隠し部屋が見つかった。通路を徘徊しているスライムは見つけられなかったのでこの部屋に充満してるスライムをあえて1匹だけ倒すことにする。頭脳労働はボクの仕事だから、こういう肉体労働はシオンにやらせよう。隠し部屋の鍵を解錠し、シオンもドア前のポジションについた。ボクがドアを一瞬だけ開く。ドアの内側に貼りついたスライムがうぞうぞ蠢いてた。落ちる暇など与えず、シオンの魔剣が1匹の核を正確に突く。突いた剣が引き抜かれた瞬間、阿吽の呼吸でドアを閉めた。10秒待つ。スライムが昇華するはず。
「よし。討伐数100。獲得経験値1000。で‥‥ステータス覚値が1ついた。期待通りだな。次は次のレベルアップに必要な経験値が5%ずつあがっていくかどうか」
シオンと場所を交代して、再度火炎魔法をぶっ放す。ラッキーなことに、この部屋には102匹のスライムが棲息してたみたい。経験値が2020になってたけど覚値はついていない。手順通り風魔法で一酸化炭素を飛ばし、宝箱を開ける。中には小型のサバイバルナイフが入っていた。もちろん魔剣だ。ボクが使える小型ナイフを買ってなかったのでこれは重宝しそうだ。ありがたくボクがもらう。次の隠し部屋を発見する前に通路で2匹のスライムを発見し仕留めた。これで経験値2040。まだ覚値は増えない。第1階層には第2階層へ降りる階段が4カ所にあった。ボクたちがなんとなく進んでいる方向にもひとつ。西階段と呼ばれている階段がある。人の通行量がダントツに多いのは北階段だった。北階段には降りてすぐに水場のある空洞があり、拠点として使い勝手がいいためだ。西階段はセーフゾーンへあがる階段から距離もあり、いまどきは使う人がほとんどいないルートのようだ。隠し部屋は西階段まであと4ブロックっていうところにあった。適当にグダグダ歩いただけで3つの隠し部屋を発見してる。この率でいくと第1階層全体でまだ1000近い隠し部屋が残っていそうだ。前と同じ手順でドアを解錠し、ボクが引き開けシオンが1匹だけ突く。めでたく経験値が2050になり、覚値がもう1ポイントついて2になった。必要経験値の増加もルキナの世界と同じ5%ずつアップって考えてもよさそう。残りのスライムを焼き尽くして経験値は89匹分。2940になった。宝箱は魔石を使った暗視ゴーグル。魔石をセットすれば外界でも使える装備だけど、エコーロケーションが使えるボクたちには不用品だろうな。これは地上に戻ったら売り払おう。
「なんだかんだで3時間経ってる。こんなにまとめてスライムをやっつけられるなんて思ってなかったんだよね。もっと長丁場を想定してたんだけど、当初の目的は達成しちゃったよ」
「じゃあ、いったん戻ろうよ。お腹も空いたし。地上時間であと30分したらママへの連絡もあるし」
「おっけー。でもダンジョン時間だと3時間。ちょっと時間がある。2階層への西階段がすぐそこだから、ちょっと2階層を眺めてから戻らない?」
「いいよー。じゃあ2階層でコンビニ飯食べちゃおう」
苦笑しながら先へ進む。2階層への階段は田舎の無人駅くらい人の気配がなかった。
「時間帯によるのかしら?」
「北階段は水場のある空洞があるし、東階段はひとつしかない第3階層への階段に近いし、南階段の周辺は緑化地帯でダンジョン産植物の採集ポイントだそう。この西階段は特徴がないから過疎ってるみたいだね」
そんなことを話しながら階段を降りていく。2階層に到達しようとしたとき、ガツッと斧が肉体を斬り裂く音とともに生々しい悲鳴が響き渡った。
「ひ‥‥人殺し!」
シオンが吹っ飛ぶように駆け出す。




