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忌避 ⑥

一昨日は久し振りに朝から晴れた日だった。

だからだろうか、アルバイト先の書店はいつも以上に混んでいた。本屋の客は雨を嫌う。お気に入りの本を買ったとしても帰り道でそれを濡らしてしまうリスクがあるのならば、やはり購入するには日を改めようかという気分になるのだろう。そういった人々の自重の反動が雨が上がった翌日にやって来る。僕もこの仕事に少し慣れたからだろうか、この店舗を取り巻く独特なリズムをだんだんと体感できるようになってきた。

その日は、何故かプレゼント包装が続いた。僕の働く悠誠堂書店では、書籍の購入者を対象に無料のラッピングサービスを行っている。“サービス”自体に値段がつくこのご時世に、四種類の包装紙と五種類のリボンシールから好みのものを選べる仕組みだ。価格競争のできない業界において、他店との差別化のために始めた苦肉のサービスらしいが、意外にも功を奏しているようで今ではそれを目当てに来店する客も少なくないと聞く。僕も倉橋さんの包装スピードと美しさには到底及ばないまでも、心をこめた丁寧な包みは見栄えが良いと時折お客さんに褒めてもらえることもあった。

僕は、倉橋さんがてきぱきと操作するレジの後ろの作業台で、ピンク色の包装紙を広げるとパンダが大きく表紙に描かれた絵本を対角線上に置く。一折一折、角がゆるまないように丁寧に包み進めているところで、ひとつお客さんに確認しなければいけないことを思い出した。包装紙は選んでもらったのにリボンを選んでもらうのを忘れていたのだ。

最後の一折で三角形になった包装紙の端の部分を中央できれいに折り込んで、封をするようにシールでとめると、カウンターを出て、雑誌コーナーでファッション誌を眺めながらラッピングを待つ親子の元へ向かう。ネイビーのワンピースの母親と思われる女性がいくつかの雑誌をぱらぱらと捲っては棚へ戻すといった作業を繰り返していた。その隣では幼稚園ぐらいだろうか、長い髪を両耳のすぐ下で二つに結んだ白いブラウスに茶と緑のチェック柄のプリーツスカートがよく似合う女の子が手持ち無沙汰を紛らわすように小さい声で鼻歌を歌っている。

「すみません、おうかがいするのを忘れてしまっていたんですが………」

二人を驚かせないように、真後ろではなく僕の姿が視界に入るように横から声をかける。先に女の子が僕に気付き、

「ねぇ、お母さん」

と母親のバッグの持ち手を軽く引っ張った。すると、その引っ張りに次の雑誌へ手を伸ばすことを止められた母親が弾かれたように僕の方へ顔を向けた。

「何かありましたか?」

彼女は涼やかな表情で僕の次の言葉を促してくる。

「いえ、先程リボンの色をうかがうのを忘れてしまったので」

「ああ………そうでしたか。そういえば言わなかったかも」

母親は黒光りする革のバッグを反対の手で持ち直すと腰を少しだけ落とし、

「何色にする?自分の誕生日プレゼントなんだから自分の好きな色を選んで」

娘の肩に右手を添えながら上品で柔らかな声色で囁きかける。

女の子は僕がカウンターから持ってきていたリボンの見本カードをじっと食い入るようにみると、細い指先をゆらゆらと動かした。その悩んでいる仕草が何とも可愛らしく、僕も彼女に目線を合わせるべくその場にしゃがみ込む。母親もその様子を目を細めて見守っていた。

その時、僕の後ろで先程までとは違うざわざわとした気配を感じた。しゃがんだまま首だけを回してそちらの方向をよくよく確認すると、成程、レジが混み始めているようだ。待ちくたびれたお客さんが連れに「隣のレジあけてくれないかな」と話しかける声が聞こえてくる。

(早く戻らないとな……)

そんな焦る気持ちが骨を伝って胸から頭へとむくむくと湧き上がる。

僕は再び女の子に向き合うと、未だ指先を揺らす彼女に声をかけた。

「女の子だから、やっぱりピンクかな?」

その瞬間、鋭利な針のような母親の視線が僕の視界を真っ二つに割り柔らかな脳の奥の奥を突き刺した。ついさっきまで涼やかで心地良ささえ覚えたその表情が一瞬で氷のような冷たさを湛え、彼女の固く強張らせた右手が娘の肩を強く掴む。びくりと身体を硬直させたまだ年端もゆかない女の子の指先が程なく停止した。

女の子は小さく左右に顔を動かし、目の端で母親の凍える表情をとらえると小さな手をぎゅっと一度握ってから見本カードの一点を指し示した。

「水色」

僕を真正面から見据えて、きっぱりと言い放つ。僕は背中に薄っすらと汗をかきながら

「かしこまりました。すぐにお持ちしますので、もう少々お待ちください」

と絡みつく二人の視線から逃げるように足早にカウンターへと戻った。


カウンターの中に入ると、倉橋さんの他に副店長が手早くお客さんの文庫本にカバーをかけていた。いつもならこの時間、発注作業に専念している副店長がレジ応援に入ってくれている。僕は誰にも気付かないようにゆっくり深呼吸をするが、なかなか酸素が脳内に入ってくれず、ふらふらと脳震盪の後のように肩を揺らしてなんとかカウンターの引き出しをひいた。中には五色のリボンとそれを留めるシールが並んでいたが、あの母親の視線に射られてしまった所為もあり、僕の視界はすっかり歪んで今は正しい景色を捉えられない。

(………………やってしまった……………)

片手をカウンターにつき肩を落とす。

後ろで客とやり取りをする倉橋さんと副店長の声がするが、何処か遠い彼方の出来事のように聞こえた。僕だけ見えない空気の壁に囲まれてしまったように、急に孤独感がじわじわと襲ってくる。


前世の記憶を持つということは、その時代の価値観を引きずる危険性をも孕んでいるということだ。この18年の人生で僕はわりと素直に育ってきたし、両親も先入観を植え付けないようフラットな育て方をしてくれていたと思う。

小学校の名前順は男女で分かれてはいなかったし、ランドセルの色は勿論自由で教室の後ろに並ぶオープンロッカーはカラフルだった。体操着だって、男女ともにハーフパンツ型で、それを知った母は「今の時代に生まれたかった」と悔しそうに嘆いていたことを覚えている。その時小学一年生だった僕はその発言の意味と理由が全くわからなくて、ただミシンで体操着袋に凝ったデザインの刺繍を施す母の手元をじいと見ていただけだった。数年を経て、前世の記憶ピースがまた一つ突如として落ちてきた時、それがブルマ姿の女子と運動会の予行練習をしている光景であって、成程、お母さんはこれのことを言っていたんだな、と深く首肯した。

男女差だけではなく、例えば発達の特性やジェンダー自体の捉え方など、現在18歳の僕には“当たり前”のことも、時折発現する記憶によってぐじゃぐじゃに掻き乱されることがある。それは前世という過去に引っ張られるという感覚に近い。引っ張られるだけならば、まだ良い。本当に恐れているのはすっかりその色に染まってしまうことだった。

今のところ、まだ価値観のすり替えは起きていないと信じているが、やはり言動の端々に淡い色が滲んでしまうことがある。草木染めをした白い布のように、それは一度で濃い布には変わらないが、何度も色水に沈めることで、そして僕は何度も前世の記憶を更新することで、白い面影を失っていきつつあるのかもしれない。

(女の子だからピンク………ってなんなんだよ、俺)

急いで水色のリボンで輪をつくりシールでしっかりと留める。

カウンターの角を掴んで勢いの助走をつけると、鉄砲玉のように雑誌売場へ飛び出す。

「お待たせいたしました」

頭をいつもより深く下げ、両手で絵本を差し出す。

二つ結びの女の子が「ありがと」と両手で受け取り、母親は再び澄ました涼やかな顔でレッスンバッグの口を広げて彼女に絵本を入れるよう促した。

二人が店を出るまで僕はエプロンの前で手を重ねて見送った。

後ろでは相変わらず倉橋さんと副店長の声が聞こえてくるが、申し訳ないが、今は仕方がない。


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