邂逅 ⑨
足元からぐるりと反転していた世界が、知らず息をとめている間に再び反転して春の学食の風景に戻る。
自身の命の危機感を覚える程に速く、足先から背中、首、こめかみへと一気に走った脈が漸く速度を落とし両手の指先にも血色が戻る。
僕は細く長く息を吐いてようやく呼吸を整えると山下君の隣の席に向かった。
「…………あ、遅かったじゃん」
「あー、ちょっとメニュー迷っちゃって……」
「それ、和風おろしハンバーグ?やば、おいしそー。へぇ、今度俺もそれにしよっかな」
山下君は右手のスプーンでカレーを掬いながら、僕のA定食を見回すと、ニカッと笑顔を見せる。綺麗な歯並びが陽射しを受けて眩しい。
加えて、
「ナギ、味噌汁こぼれてるよ」
と、斜め前に腕を伸ばしてペーパーナプキンを取ってくれる。
「ありがと。あ、カツカレーも美味しそうじゃん」
「うん、うまいよ。高校の学食とはやっぱ違うのな」
平常運転に戻った僕とA定食に興味津々の山下君の間で、すっかり二人だけのまったりとした雰囲気になりかけていた時、突如として落ち着いた低い声が飛んできた。
「……………………なあ、あんた」
三好君だ。
「………この人の友達?…………なら、どっか連れてってくんない?…………さっきからうるさいんだけど。俺、一人で静かに食べたいんよ」
言葉と言葉の間に少しだけ沈黙を挟みながら三好くんはうどんを食べている。それがキツネだったのかタヌキだったのか、はたまた月見だったのかはわからないが、大盛りを注文したのかまだ随分と麺が残っていた。
(先に具を食べるタイプ………)
三好君を少しだけ観察しようと、山下君の隣の椅子を引きながら、横目で彼を盗み見た。つまりは僕もミーハーなのだ。
面長な顔は去年の夏にテレビで見たままだ。あの時はもっと日に焼けていたので少しの貫禄と時に凄みさえ感じさせたが、冬を越す間に日焼けた肌は全て脱ぎ捨ててきたようだった。それどころか、切れ長のその目許は柔和さすら宿している程で窓際の学食でこちらを見つめる目は今日の気温に反して何とも涼やかだ。
髪も坊主ではなく所謂スポーツ刈りぐらいの短さだが、引退してから伸ばし始めたのか、まだ前髪という前髪こそないものの、耳には少しだけ髪がかかり始めている。
(精悍さはそのままだけど、少し大人びたような気がするな)
勝手に今の彼を分析し、僕なりに解釈しながら悦に入る。
「なんか、一人で寛いでいるとこに山下君が声かけちゃったみたいで、ごめん」
とりあえず謝らねば、と僕は軽く頭を下げる。
山下君は特に返事をすることもなく、さっさとうどんに視線を戻して箸を動かし始める。それを不満の合図と受け取った僕は
「急いで食べて、すぐに移動するから…………」
と右肩で山下君の左肩を小突いた。
それなのに山下君は乾いた声で、はは、と笑うだけだ。
「でもさ、あの三好選手を見つけちゃったんだから、しょうがないじゃん、ねぇ、ナギ」
そう言って僕の方を向いた山下君の顔に悪びれた色は見られない。僕は箸でハンバーグを切り分けながらこっそり息をついた。
「………………結局、甲子園行けなかったけどな」
動かない僕達に諦めたのか、爆速でうどんを食べ終えた三好君が、左肘をつくと窓の向こうに広がる高い空をちらりとみて呟く。
「…………………………………俺のせいで」
一度もこちらを見ないままガタンと大きな音を立てて勢いよく立ち上がると、彼はトレイを左手で持ち上げ、右手では右隣の椅子に置いていたメッセンジャーバッグを乱暴に掴んで歩き出した。和やかな空間に響いた音に驚いたまわりの学生がこちらに注目する。
咄嗟に僕は目の合った中央付近にいた学生グループに曖昧な笑顔で会釈をしたが、山下君は返却口へと大股で歩く彼を見つめていた。
その顔に数分前まで浮かべていた柔らかな笑みはほんの欠片も見当たらなかった。




