邂逅 ⑧
「あれ?」
学食入口のショーケースとメニューを見比べていた時、山下君が小さく呟いた。その大きな漆黒の瞳が印象的な彼の視線は、入口から受け渡しカウンターを越えて窓際の席に釘付けだ。
「なに?どうしたの?」
彼の視線を追いかけて僕も急いで学食内の窓に沿うように配置されたカウンター席に目を走らせると、そこには一人の青年が座っていた。肩幅が広く胸に厚みがあるのが水色のシャツ越しでもわかる。座っているので確かなことは言えないが、背も相当高そうだ。
しかし、不思議だ。僕はこの横顔を知っている気がする。その全体のフォルムを凝視しながら短い時間で必死に思い巡らせてみる。おかしいな、僕の友人知人にこんな頑強な体格をしたものは一人もいない筈なのに、どこか既視感がある。
「…………………やっぱ、そうだよ、あいつだよ」
突如、山下君がそうやってきらきらと目を輝かせながら僕を見たので、ああ、山下君の知り合いなのか、そりゃあ、僕が思い出せないはずだ、と勝手に頷きながら曖昧な笑みを彼に向けた。
しかし、どうやら山下君はそれを僕の同意と受け取ったようで
「だよね、ナギも気付いたっしょ」
と肩に腕を回してくる。この山下君の言葉を僕なりに解釈してみると、つまりは僕も知っている人だということか。
(でも、おかしいよな。今日初対面の山下君と共通の知人だなんて、偶然にもほどがある……………)
そう言おうとして薄い口唇を少しだけ開いて息を吸った瞬間、山下君が僕の耳元で声を落としながら、まるで秘密を打ち明けるように叫んだ。
「三好だよ、あの三好………奏一郎!」
三好奏一郎は高校球児だった。
群雄割拠の東京で都立高校が決勝まで勝ち進むことは極めて稀だ。そのような期待薄の中で、彼の高校は決勝に進んだ。東東京大会のベスト8に残った頃から、彼等への応援は在校生や最寄りの商店街の一回戦から声援を送っていた人々などに加え、東京中の都立高校生や今まで高校野球に興味のなかったライト層などをぐるりと巻き込み灼熱の7月の太陽に負けない程の熱を帯びていた。特に四番バッターの三好奏一郎の活躍は輝かしく、準決勝でサヨナラホームランを外野へ放った時は、僕もリビングのソファから柄にもなく飛び上がって雄叫びを上げた。
そうだ、思い出した。
あの三好だ。
決勝も白熱したシーソーゲームで最終回まで手に汗握る接戦だった。結果、三好の高校の甲子園出場は夢と散り、前の年も東東京の代表になった強豪私立が切符を勝ち取った。
山下君のように東京都民じゃなくても知っているほど、あの1ヶ月の熱狂は凄まじかったのだ。
食券機でカツカレーを選んだ山下君はトレイを持って小走りに受け渡しカウンターまで進むと
「ナギぃ、早く早く」
と満面の笑みで僕を呼ぶ。その笑顔はこれから起こる期待に満ちていて眩しい。だが一方でどこか嫌な予感もする。とにかく今は遅れを取るまいと、僕はメニューもろくに確認しないままA定食のボタンを押すと、出てきた食券とトレイを持って“定食”と書かれたカウンターに並んだ。
(へぇ、今日のA定食って和風ハンバーグなんだ)
と呑気にボリュームたっぷりのハンバーグの皿とサラダの小鉢、中盛りのご飯、味噌汁、デザートのカットフルーツの盛り合わせを受け取ると、味噌汁がこぼれないよう細心の注意を払いながら、箸をとり、セルフサービスのドレッシングから和風胡麻を選んでサラダにかけた。
山下君はどこにいるだろう、とそう広くもない学食を見回せば、先程の嫌な予感が的中したようで、窓側のカウンターに、あの夏よく見た背中の隣にもう一人見知った人が増えていた。
(そういえば三好は四番バッター、ファーストで背番号は3だったなーーーーーーー)
彼等に近付こうとした瞬間、脳天を殴られたような衝撃があった。
思考が停止し、一瞬で息が止まる。
脚もすくんで動かない。
背中にぞくりとした龍が駆け上る。
「3」という数字があの広い彼の背中にまだ貼り付いているような気がして、僕は目を逸らすことができない。
トレイの上の味噌汁が小刻みに揺れて溢れそうになっているのが見なくてもわかる。
どうしよう、どうしよう。
どうしよう、どうしよう。
どうしよう、どうしよう。
どうしようの五文字だけを口の中で繰り返し、そして徐々に五文字すら唱えられなくなっていく。
ああ、ああ、ああ
ああ、ああ、ああ
………………………………痛い。
瞬きを忘れて一点を見つめていた両眼が悲鳴をあげて、ようやく僕は目を閉じた。
吐きそうだ。




