なくなった世界
1. 「性」が溶けた朝
2050年2月25日、午前7時。
世界は一変した。
目を覚ますと、誰もが自分の姿に静かな衝撃を受けた。
鏡に映る体には、もはや「男性」を示す力強い肩幅も、「女性」を示す柔らかな曲線も存在しない。
肌のきめ、骨格、筋肉のつき方、すべてが驚くほど中性的に均一化されていた。
誰もが、特徴はあるものの、どこか普遍的で、性別という明確な区分けが溶解したかのような姿に変わったのだ。
街へ出れば、その光景はさらに圧倒的だった。
高層ビル群の合間を縫うビジネスパーソンも、公園で遊ぶ子どもたちも、皆が同じく、性別の境界線を失った身体を持っていた。
世界中から「男性」「女性」を示すあらゆる記号が、跡形もなく消え去った瞬間だった。
この未曾有の事態に、当初は深い混乱が予想された。顔が同じになった時でさえ、社会は一時的に麻痺したのだ。
しかし、この「性」の消失は、奇妙なほどに自然に人々に受け入れられた。
まるで、何年も前からこうなることが決まっていたかのように、人々の意識に深く根付いていく。
テレビやラジオのニュースは、冷静にこの変化を報じ、科学者たちは「人類の集団的意識が新たなステージに進んだ証拠」と、もっともらしい説明を繰り返した。
この変化に対する反応は、SNSに如実に表れた。最初に現れたのは、
「#ノーモアジェンダー」といった、
既存の性差への皮肉めいたハッシュタグだった。
しかし、すぐに「#私の新しい体」といった、変化を受け入れ、新たな自己を模索するポジティブな投稿が増え始めた。
「#ユニセックスライフ」
「#ボディポジティブ革命」
といったタグと共に、これまで性別に縛られていたファッションやメイク、振る舞いについて語り合う声が溢れかえった。
人々は戸惑いながらも、どこか新しい自分に解放されたような表情で、新たな自己の姿を共有し始めたのだ。この不可解な受容の裏で、静かな淘汰が始まっていた。
2. 「愛」が紡ぐ生命の奇跡
そして、この新しい世界で一番の驚きは、命の生まれ方だった。
性別の概念が消えたことで、子どもが生まれるプロセスも、まるで魔法のように変わった。
深く愛し合った次の朝、隣のベッドには、小さな赤ちゃんがすやすやと眠っている。そんな光景が、当たり前になったのだ。
「父親」「母親」といった、性別の役割に根差した言葉は、もはや意味をなさなかった。
新しい命の親となるのは、
ただひたすらに**「深く愛し合う二つの存在」**。
肉体的な繋がりや、特定の性別を持つことによる役割は一切関係なく、純粋な心の結びつきこそが、新しい生命を生み出す鍵になった。
愛が深ければ深いほど、その愛から生まれた命は、周囲の者たちからも祝福された。
出産に伴う痛みやリスクといった、旧来の概念は完全に消え去り、愛を育む行為そのものが、最も神聖で神秘的な創造の瞬間となった。
子育ても、性別による固定された役割からは完全に自由になった。
どちらが「育児担当」で、どちらが「生計担当」といった区分けはもう存在しない。
かつて**「夫」や「妻」と呼ばれた役割も形を変えた。
社会は、新しい時代の「愛する結びつき」にふさわしい呼び名を模索し始めたのだ。
そうして生まれたのが、太陽のように温かく照らす「ソル」と、月のように優しく寄り添う「ルナ」という呼称だった。
これらは性別を問わず、それぞれのパートナーシップにおける役割や、互いへの想いを込めて自由に選ばれた。
ソルとルナ、つまり愛し合う二人が、それぞれの得意なこと、情熱を傾けられることを持ち寄り、共同で新しい命を育んでいく。
ある結びつきは、繊細な手仕事でベビー服を作り、別の結びつき**は、歌と物語で子どもの感性を豊かに育む。愛する者たちの手によって、育児は無限の多様性を持ち始めた。
3. 社会の根源的再編と国際情勢
性別の消滅は、社会構造の隅々まで、深く、そして劇的な変革をもたらした。これはもはや、革命に等しかった。
まず、社会システムの再構築が急速に進んだ。私たちの日常に直結するインフラから変わった。
分かりやすいところで言うと、公共施設のトイレだ。もう「男性用」「女性用」の区別がなくなった。
全てのトイレが、広々とした個室ブースを持つユニバーサルトイレへと統一されたのだ。
駅や商業施設、オフィスビルでも同様に、ユニセックスのロッカールームが当たり前になった。
これにより、これまでの性別を起因とするトラブルや、特に女性が標的になりがちだった性犯罪の問題が激減した。
性的な対象としての区別が薄れたことで、公共空間における安心感はかつてなく高まったのだ。
デジタルインフラもこれに対応し、個人認証システムは急速に進化を遂げた。
顔認証が有名無実化した後、虹彩、声紋、指紋、そして歩行パターンといった多要素認証が標準となった。
さらに、個人の嗜好や行動パターンをAIが学習し、個人のオンライン活動を安全に識別するシステムも導入された。
これにより、デジタル空間でのなりすましや詐欺が大幅に減少する一方で、個人のデータ管理に対する意識はかつてなく高まった。
性別に紐づくすべての職業や、服装、振る舞いの規範が音を立てて崩れ去った。
かつての「男性がやる仕事」「女性がやる仕事」といった区分けは、完全に意味をなさなくなった。
企業は、個人の能力や情熱、スキルだけを見て人材を評価する。力仕事には身体能力の高い者が、繊細な作業には集中力のある者が就く。
まさに真の適材適所が実現された世界だった。
ファッション業界も大激変した。「男性服」「女性服」というカテゴリーはもうなく、デザインは完全に個人の表現の場となった。
素材の質感や色使い、シルエットのユニークさ、そして何よりも着る人の内面をどれだけ引き出すかが重視されるようになった。
「あなたの個性を最も表現する服」が、最高の価値を持つ時代が到来したのだ。
国際情勢にも大きな影響が出た。
ジェンダーの概念が消滅したことで、これまで世界中で続いていた性差別や、それによって生まれる紛争の一部が、奇妙なことに解消され始めた。
性別による差別や不平等がなくなったことで、世界の労働力は効率的に再配置され、経済は新たな局面を迎えた。
各国は、以前よりも個人の能力を最大限に活用できるようになり、技術開発や文化交流が加速した。
一方で、新たな問題も浮上した。
例えば、これまで「男性」と「女性」という明確な区別があったことで成り立っていた伝統文化や宗教の儀式が、その意味を失い、軋轢が生じた。
それでも、世界全体としては、性別の枠を超えた新たな国際協力の枠組みが模索され始めた。
人種や国籍といった他の違いは残っているが、「性」という大きな隔たりがなくなったことで、人類全体の連帯感が、少しずつ、しかし確実に生まれつつある。そんな不思議な世界になった。
4. そして、世界は
ガラス張りの、地球をはるか下に見下ろす空間で、二柱の存在がホログラムスクリーンを眺めていた。
スクリーンには、性別という概念が消え、愛し合うことで新たな生命を育む人々の姿が映し出されている。
彼らは笑い、愛し合い、時に戸惑いながらも、新しい世界のなかで、確かに生きている。
「ねぇ、見てよ! あの結びつき合った者たち、昨日生まれたばかりの子に、さっそく詩を読んであげている! 愛って、こんなに形を変えるんだね」と一柱が、まるで子供がおもちゃで遊ぶかのように、無邪気に指をさした。
もう一柱は、つまらなそうにあくびをしながら、微笑んだ。
「ふぅん。肉体的な繋がりがなくなっても、彼らは愛を見つけるんだね。生命が生まれるって、本当に面白いことだ」
彼らの視線の先で、地球は静かに、しかし絶え間なく変化を続けていた。
その変化の先に何があるのか、彼ら自身もまだ、その全貌を知っているわけではなかった。