7. you take your way
スリジエの町の早朝は淡い町全体が光にのまれて黄金色にそまる。
海岸から望む水平線は白くかがやき、港では漁から帰った漁夫が水揚げ作業にいそしんでいた。
町にはまだ、人はまばらだった。
リジュはみずみずしい光を受けながら、穏やかな海を眺める。
夜明け頃からスリジエの町に近い林で弓の鍛錬をして、帰ってきたところだった。
ひと汗かいた体に、朝のすずしい空気が心地いい。
その早朝の空気にふと、ひとすじの煙が漂う。
リジュは顔をあげると、ひとりの男性が防波堤に寄りかかって海を見ていた。
肩まであるウェーブがかかったこげ茶色の髪が風であおられる。
口もとにある煙草の火がポツリと赤く、灯って消えた。
男性は煙をふかしながら横目でリジュを見た。リジュは足を止める。
「よぉ、元気?」
男性は言うとやっとこちらに体を向けた。リジュの背にある弓を見てにやっと口もとで笑う。
30代前半ほどにみえるその男性はがっちりとした体格に野性味を感じさせる外見をしており、垂れた目が印象的だった。
リジュは驚いた顔で、少し口を開ける。
「朝から弓の練習ご苦労さん」
「ヴァルタムさん……なんでここに」
「心静かに海を見たくてね」
「…………」
「お前こそ弓づくりはどうしたのよ? 今頃島でむっつり仕事ばっかしてると思ってたんだけど」
リジュはさげすんだ目つきでその男性――ヴァルタムを眺めると
「ははっ、相変わらずだねぇ〜」と、ヴァルタムは楽しそうに笑いながら煙草を指で弾いて灰を落とした。
その煙草をまたくわえて吸い、煙をはきながら首をかしげる。
「どーよ? そろそろ決心ついちゃった?」
「……ここでは言いたくありません。ちゃんと出向きます」
「いいじゃんよ〜。俺別にそんなにお堅くないからさぁ」
「それに想像つくでしょう。ヴァルタムさんなら、オレの考え」
リジュはため息まじりに言うとヴァルタムは垂れた細い目をつむる。
「どうだかね、俺としてはここで会うのは予想外だ――
それにお前が自主的に人を助けたのもビックリ。やっぱ心境の変化かね?」
「この一年、あんたの背中を見なかったおかげかもな」
「ひっどーい! リジュくんのいじわる〜」
ヴァルタムはわざとらしく口を尖らせ、また煙草をふかした。
「ま、なんにしても報告ありがとよ。で? どっちが好みなの?」
ヴァルタムはにやにやしながら尋ねる。リジュはきょとんとした顔をした。
「あの清楚系美少女もすてきだが、俺としてはもうひとりの笑顔の可愛い元気な美少女も捨てがたいな! 将来有望! うん」
「まさか……ヴァルタムさん、あんた祭りにきてたのか」
「あんな可愛い子が嫁さんだったら仕事が面倒くさくても頑張れるわ俺。
なんか純粋で素直そうだったし、俺色にそめちゃいたいなぁ……」
リジュはこれでもかというほどにヴァルタムをにらみつけると、煙草をむしり取って足もとでもみ消す。
ヴァルタムは悲痛な声で「あー! 今日手持ち少ないのに!」と嘆いた。
「……またテキ屋ですか。こんなところまできて」
「俺の趣味のひとつなんだから大目にみてよ。ちゃんと休みの間だけにしてるしさ」
その言葉にリジュは「そんなの当たり前です」とビシッと言った。
「じゃあ、近日中には伺えると思うので」
リジュは軽く頭をさげて宿屋に戻ろうと歩き出す。ヴァルタムは新しい煙草に火をつけると、煙をはいた。
「……お前がいなくなってからのこの一年で、変な連中が多くなった。くれぐれも気をつけろよ」
リジュは一瞬振り返ろうとしたが、また歩き出した。
◇ ◇ ◇
「ミライちゃん、朝ですわ! おひざの怪我はいかがですか?」
「ん……おはよう、カコちゃん」
カコはミライのベッドを覗き込むと、ミライは目をこすって起きあがる。
怪我をしていた右ひざを見てみると傷はふさがっており、動かすと痛みもすっかり消えていた。
「あれ、痛くない! もう治っちゃった」
ミライは確かめるようにすらりとした細い足を何度も動かしてみる。
そこに宿屋のおばさんがノックをして部屋に入ってきた。
「おはよう、足はどうだい? よくなったでしょう」
「すごい! おばさん。ばっちり!」
「薬がよく効いたんだね、よかったわ――さ、朝食ができてるから降りてらっしゃい」
おばさんが出ていき、ふたりはそそくさと着替えて食堂に降りていくと入口でばったりリジュと鉢合わせた。
シャワーを浴びたあとのようで群青色の髪はまだしっとりとぬれている。
「あら、リジュくん。いないと思ったらシャワーにいってたのですね」
「ああ、朝から弓をやってきたらおばさんがすすめてくれて。そういえば、ミライの足はどうだ?」
「すごいよ! もう治っちゃった! ほら」
ミライはリジュに右足を動かしてみせる。うれしそうなミライを見て「よかったな」とリジュは微笑むと、
横からおばさんが「冷めちゃう前に食べなさいよ〜」と声をかけた。
三人は食堂に入って席につくと温かな朝食を食べつつ、これからのことを話し合った。
ミライは昨日買った世界地図を眺めながらコーンスープをすする。
「はじめて大陸に渡ったけれど……すごい大きいんだねぇ。どこに精霊がいるのか見当もつかないよ」
「うん。オレも精霊のことはシルフくらいしか知らなかったし、地元の人間でないとわからないのかもしれないな」
リジュはコーヒーを飲みながら答えた。
「でもおじさまは精霊のことがくわしかったですわね。やっぱり騎士さまだったからですか?」
「みたいだな。オレが生まれる10年前からだから…… 20年間か――その間ずっと騎士団にいて世界中をまわっていたから、自然と知識が増えたらしいよ」
カコは焼きたてのパンをかじりながら感心したように頷くとリジュは続けた。
「先を見たら途方もないけれど、まずはここから一番近い『太陽の村エリオント』をめざそう――
村といってもリゾートや観光で有名なところだから休んだり物を補給するにはちょうどいい」
リジュの言葉にふたりは「リゾート!? 観光?」と顔を見合わせる。
「楽しみですわぁ!」
「そうだね! どんなところなんだろう? わくわくするなぁ〜」
はしゃぐふたりにリジュは解せない表情で「……まぁ、ふたりがいいならオレはなにも言わないけれど」とつぶやいた。
外はすっかり日がのぼり、青空にはふうわりと雲が浮かんでいる。
三人は親切にしてもらった女主人のおばさんに丁寧にお礼を言う。
おばさんは宿屋の外まで見送りに出てきてくれて、やさしい笑顔で三人の顔を見た。
「あんまり無理するんじゃないよ、三人とも。とくにミライ!
人を助ける前に、まずは自分の体を大切にするんだよ!」
「はぁい」
おばさんに指をさされたミライは頭をかくと、カコとリジュはおかしそうに笑った。
「今度またスリジエにくることがあったらうちに寄りなさい。
あんたたちなら、いつでも泊めてあげるからね――あと、そうだ。これ」
おばさんはエプロンのポケットから一通の手紙を取り出し、ミライに手渡した。
「エリオントの村に行くなら頼まれてくれないかい? うちの息子がそこにあるホテルで働いてるのよ」
「うん! まかせて、おばさん!」
ミライはニッコリ笑うとガッツポーズをとって、手紙を荷物の中に大切そうにしまった。
おばさんもうれしそうに笑いミライの頭をなでて「気をつけて行くんだよ」とやさしく言う。
三人はおばさんに手を振って、宿屋をあとにした。
町の南側の出口まで続くサクラ並木の道は海風が強く吹き抜けていく。
サクラの花びらが地を這いながら押し寄せて、ミライはうしろを振り返った。
青い海ともも色の町並みのコントラストを見つめ、胸もとにしまってあるペンダントに触れる――
人は、いい人たちばかりではないかもしれないけれど、悪い人たちばかりではない。
ミライはリジュと話しながら先を歩いているカコの背中を見る。
(わたしも……信じていかなくちゃ。そうだよね、お父さん)
ミライは空を仰ぎ見て目をつむると、また前を向いて歩き出した。
◇ ◇ ◇
スリジエの町から出てエリオントの村までは広大な白い砂丘『イベリス砂丘』が広がっている。
三人は村がある南西に向かって歩き出したが、ミライはその砂丘を前にして力が抜けそうになった。
「うわぁ〜……ずぅっと、まっしろ! 目印もないし、道がわからなくなりそうだよ」
それに太陽の光が白い砂に反射してとてもまぶしい。
「そのための、スリジエでの準備だったんだ」
先頭を切っていたミライの横からリジュは地図と方位磁石を持ってすり抜けていく。
するとうしろからカコが「ミライちゃん! これリジュくんが」と声をかけミライに麦わら帽子を手渡した。
「わぁ、ありがとう!」
「おそろいです♡」
すでに麦わら帽子をかぶっていたカコはその帽子に巻かれたブルーのリボンをさし示す。
ミライが受け取った帽子も同じものでうれしそうにかぶると、ふたりでニコニコと笑い合った。
「この砂丘は雨が降ることが少なくていつも日差しが強い。
あまり急ぐこともないけれど、体力があるうちに村へ着こう」
リジュの声かけにふたりは頷いてミライはカコの手を引いた。
砂丘は馬車の往来が多く歩いている人は数えるほどしかいなかったが、
休憩小屋も点々とあるためエリオントの村まで歩けない距離ではなかった。
進みはじめてしばらくすると、うしろから大勢の足音が響いてくるのに気がつく。荷車を引く音もあった。
ミライは立ち止まり振り返る――ふたりもそれに気づいて足を止めた。その音はもう、すぐうしろだった。
その一団は一様に黒い服を着ていて、先頭を歩く数人はその服に加え首に銀色のチョーカーをつけていた。
リジュがミライとカコの前に出て、静かに言う。
「……ふたりとも脇にそれるんだ。先に行かせよう」
「黒の騎士団だ! すごい大勢――でもあれはなんだろう?」
ミライがリジュに言うと「たぶん、積んでるものを見ればわかるよ」と、答える。
黒の騎士団は、脇にそれた三人の前をせわしなく通過していった。
最後尾には大きな布をかぶせた巨大な荷物が縄で厳重に括られている。
荷車が重みでギシギシと音をたてていた。
布の間から中身が少し見える。カコは「あっ」と声をあげて、口を手で覆った。ミライも気がつくと、リジュの顔を見る。
「昨日の白い魔物!?」
「ああ、やっと騎士団が引きあげにきたんだろう」
「…………」
ミライとリジュは固唾をのんで一団を眺めるカコを心配そうに見守る。
ミライもあのあとふたりから白い魔物の話を聞き、めずらしく不安そうなカコを気にしていたのだ。
一団を見送り、カコはゆっくり息をはくとふたりに「……ごめんなさい、行きましょう」と力なく言った。
歩き出し、三人は無言だった。ミライはふと、いつも退治している黒い影のことを考えていた。
いつも当たり前に倒すそれは――きっとシー王国で言う今の怪物、白い魔物。
それぞれの国にそれぞれ似た存在があるということを、ミライは疑問に思った。
「白い魔物に……黒い影。なぜ、いるんだろう?」
ミライは空を見あげて「うーん」とうなる。リジュも地図から顔をあげた。
「 “人を襲うためだけに存在するもの” ……か。世界には意味のないものは存在しないというけど、
ふたつの国に似た存在があるのは気になるよな」
「そうだよね。今わたしも考えていたんだ……カコちゃんは、なぜだと思う?」
「シー王国で白い魔物は……またの名を “罪を具現化したシュヴァルツの使い” と呼ばれていますわ」
カコは寂寥感を漂わせながら言う。
「だからそれと対をなす黒い影も、同じものだと思います」
「罪……? それって、どういうこと?」
「闇の神シュヴァルツは古来からヴァイスを苦しめる人間を嫌悪し、呪い続けています。
ですから…… “人を襲うためだけに存在するもの” はシー王国の人間がヴァイスをよすがに生きる限り、
永久に続く “報い” なのでしょう……
それで白い魔物もエムブラの子孫であるわたくしを嗅ぎつけて、ここまできたのかもしれません」
ミライはしかし、納得がいかなかった。
「でも、もしそうだとしても……カコちゃんはヴァイスを救おうとしているのに」
カコはしばらくうつむいていたが、パッと元気よく顔をあげる。その顔は屈託のない笑顔だった。
「ありがとう、ミライちゃん。そうですよね……くよくよしてはいられませんわね!
――さ、エリオントの村まで急ぎましょう!」
ミライの手を引いてカコはスキップをしながら進み出した。リジュはそんなふたりを眺め、ひとりため息をつく。
(無理をしてるのは、どっちもどっち……ってとこか)
リジュは考えながらもまた、地図に目を落とした。
◇ ◇ ◇
三人はその後、休憩小屋で休みをとりながら村を目指した。
太陽が一番高いところで照りはじめた頃――ついにエリオントの村に到着した。
そこはこの砂丘のオアシスのように緑が生い茂り、入口から村の中まで続いている。
奥には高く大きな建物もうっすらと見えた。
「やっと着いた〜……って、すごいひとの数!」
ミライはエリオントの村の入口からあふれんばかりの人々に面食らった。
村を行き交う人はみな軽装で中には水着姿の人もいた。
ところどころに咲く太陽のようなヒマワリの花が、村の活気を象徴しているようにもみえる。
「この村は王国一のリゾート地だからな。いろんなところからたくさんの人たちがバカンスに集まるんだ」
リジュは言うと、カコは村を囲むように広がる海岸を見てリジュの肩を叩く。
「あれはなんですの!? みなさん海に入っていきます!」
「……あれは、海水浴だけど?」
「かいすいよく?」
カコは首をかしげ、ミライもカコの目線を追った。
「カコちゃん、海水浴知らないの?」
「はい! シー王国は寒い気候ですし、海は常に荒れていて入ることはできませんから
――不思議ですわぁ、海で泳ぐなんて!」
海岸に釘付けのカコに「じゃあ……せっかくだしみんなで海水浴しようよ!」とミライはわくわくとした声で提案した。
その言葉にカコは好奇心に満ちた笑顔でミライに振り向く。
「本当ですか!? うれしいですわぁ!」
ミライとカコは飛び跳ねながら笑い合い、リジュを見た。
「もちろんリジュくんも!」
「ですわ!」
「えっ……と」
ふたりに気圧されてリジュはたじろぐ。
彼は切れ長の目をつむって腕を組むと「でも! まずは」と語気を強めた。
「おばさんから預かった手紙、渡しにいかないか? 今日の宿もとらないといけないし」
「あっ、そうだった!! 息子さんのいるホテル探さないとね」
ミライは急いで荷物の中から手紙を取り出す。その宛名には “カイドウ・ハーナル殿” とあった。
しかし探すにも村にはそこかしこに宿屋やホテルが立ち並んでいる。
それをひとつづつ確認していくのは容易ではなかった。
「あちゃー……ホテルの名前、聞いておけばよかったね」
ミライは頭を抱えたが、
「ん〜仕方ない! ふたりとも、ちょっと待ってて」と、手近にあった宿屋に入って受付にいた女性に尋ねた。
「ハーナルさん?……ああ! それならこの村一番の高級ホテル “ホテルサンライト” の方ね」
「……え?」
少しするとミライは宿屋から出てきた。
外で待っていたふたりが「どうだった?」と聞くやいなや、ミライは恐ろしいと言わんばかりの表情で目を見開く。
「大変だよふたりともっ! おばさんの息子さん……高級ホテルのお偉いさんみたいだよ!」
ミライが聞くところによると――そのホテルは王族専用のスイートルームをもつ由緒正しい老舗ホテルだという。
それに宛名にあったおばさんの息子カイドウ・ハーナルとは、
ホテルサンライトの次期社長と目されている今話題の人物であるらしい。
「そんなすごい方だったなんて……ちゃんと会って渡せるでしょうか?」
「うん……でも会って渡したいよな」
リジュはあごに手を当てて目を伏せた。ミライはその神妙な横顔を見つめる。
「リジュくん会いたいの?」
「……ちょっとな」
リジュはふたりの顔を交互に見ると
「ホテルサンライトだったら有名だ、この村の一番奥にある。行ってみよう」と言い歩き出した。
村の一番奥、浜辺の喧騒から離れた高台にそのホテルはあった。
外観はガラス張りでまるでお城のようなつくりをしており、他のホテルとは一線を画している。
三人はその豪奢な門をくぐり、中に入った。
ロビーはとても広く陽光が高い天井から降り注いでいるため、まばゆいほどに明るい。
すれ違う人々はみな、見慣れないきらびやかな装いに身を包んでいた。
ミライとカコはそれをうっとりと眺めながら歩く。
「きれいなお洋服……みんなカコちゃんみたい」
「わたくしだってかないませんわ……あれが一張羅ですもの」
リジュはそんなふたりよりも先を行き、そのまま先頭を切って受付に声をかけた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ――あら、あなたさまは」
受付の女性はリジュの顔を見て、驚いたように言う。
「連れがいるんです……どうか一般客として扱ってください」
リジュは頼むと受付の女性は後ろからくるふたりを認め、目でリジュに合図した。
「……お泊りですか?」
「いえ、このホテルのカイドウ・ハーナルさんの母親から手紙を預かってきました。できれば直接、渡したいのです」
「少々お待ちください」
受付の女性は頭を下げ、席を立ち近くにいたベルボーイに話しはじめる。
ふたりは何度か頷き合うと、ベルボーイは受付の脇にある関係者用のドアを押し開け入っていった。
話しながらやっとミライとカコが受付に着いて、リジュが振り向く。
「あれ? もうお話したの?」
「ああ、直接渡せると思う」
「そうですか! よかったですわね」
それからしばらくすると、ひとりの背の高い男性が先ほどのベルボーイをともなって、
ロビーの奥の赤い絨毯を敷いた階段から降りてきた。
ひとの良さそうな顔がスリジエの宿屋のおばさんによく似ている。
男性は受付の近くで待っている三人を見つけて、ベルボーイに
「ありがとう、仕事へ戻ってくれ」と言い、ベルボーイはちいさく一礼してもときた階段を登っていく。
男性は三人に向き直って、会釈した。
「いらっしゃいませ、私がカイドウ・ハーナルです――母から手紙を預かってきてくれたのは、きみたちかな?」
「は、はじめまして! ミライ・レナンディと申します!」
ミライは緊張に体を固くしながら、勢いよく頭を下げる。
カコもスカートを両手でつまんで会釈をし、リジュも黙礼した。
「スリジエの町でお母さまに大変お世話になりまして……えっと……これ、どうぞ!」
「ありがとう。せっかくですから、そこで少しお話しましょう」
ガチガチのミライからハーナルは手紙を受け取るとやさしく微笑んで受付近くに置かれたソファーへ三人をうながした。
ガラス張りの高い天井から窓からたっぷりの日差しが注いで、向かい合わせに座ったハーナルと三人を照らしている。
ハーナルはふところから取り出したペーパーナイフで手紙の封を切った。
明るい日差しにうっすらと、手紙に書かれた青いインクの文字が裏から透けて見える。
四枚つづりの手紙にはびっしりと文字が書いてあった。
「少し量があるな……ちょっと待っていて」
ハーナルは言うと、手紙の文字を追いはじめた。
ホテルを行き交う人々のざわめきは途切れることなく続いていた。
その中から切り離されたように、紙が擦れ合うちいさな音が三人の耳には届く。
ハーナルはその量にしてはあっという間に読み終えて大切そうに手紙をしまった。
「……きみたちがスリジエの町を救ってくれたんだね。ありがとう」
「え?」
ミライとカコは同時に言うと、ハーナルはおかしそうにクスクスと笑った。
「私の母は気の強いひとでね……電話をしてもこちらから手紙を出しても、
心配するな! 自分のことだけ考えていればいいってそれ一辺倒なんだ。
でもよほどうれしくて安心したのだろうね。きみたちのことがたくさん書いてあった」
「まぁ……おばさま」
カコはうれしそうに手を組み合わせた。
「私もスリジエの町からきた人たちに白い怪物の事件を聞いて、心配をしていたのだけど……
なかなか連絡をするタイミングがなかったんだ。本当にうれしいよ」
ハーナルは心底安堵した様子で三人に頭を下げる。ミライはその瞬間こみあげてくるものがあった。
(大切なものを……ハーナルさんは失わずにすんだんだ)
わたしが救うことができたのだ――そう思うとミライはじんと目頭が熱くなるのだった。
それからハーナルは頭をあげ、三人に言う。
「――なので、よかったらぜひ、うちのホテルに泊まっていってください」
その言葉に三人は顔を見合わせた。
「えっ……いいんですか!? こんな高級ホテルに?」
「ええ、母からもそうするようにと書いてある。私もそれがお礼になればうれしい限りだよ」
「うれしいですわぁ♡」
ミライとカコが手を取り合ってよろこぶかたわらで、リジュは真剣な表情でじっとハーナルの顔を見据えていた。
それに気づいたハーナルは「どうかしたかい?」とやわらかく尋ねると、リジュはやっと口を開いた。
「……ハーナルさんは、スリジエの宿を継ごうとは思わなかったのですか?」
その問いにハーナルは苦笑する。ミライとカコは急にどうしたのだろうかと、リジュを見つめた。
「もちろん、本当はそうしたかったよ。私はスリジエの町が大好きだったからね……でもね、母には――
ちいさな宿を守るより、歴史ある大きなこのホテルで立派になってほしいって言われてしまったんだ」
ハーナルはハハハッと笑う。リジュは少しうつむき、ひざに置いてある手をグッと握った。
「それが正解だったのか私にはまだわからないけれど、これもひとつの道なんだと思っているよ
――こういうことは両方選ぶことはできないからね」
「……そう、ですよね」
つぶやくように返事をするリジュにハーナルはちいさな声で耳打ちした。
「でも、きみはもう自分の気持ちに正直になっていいと思うよ――それだけ人生を捧げてきたのだから」
リジュはハッと顔をあげた。ハーナルはリジュにひとつウィンクをすると、席を立つ。
「さぁ三人とも。部屋に案内するよ。こちらへどうぞ」
◇ ◇ ◇
「わぁ〜! ひ、広いなぁ……!」
「本当ですわぁ〜! なんだか、お城に戻ってきたようです!」
ミライとカコは案内された部屋に入るやいなやキョロキョロと辺りを見まわし、目をかがやかせた。
高い天井に上等な材料で作られたインテリア。
糊のきいた純白のシーツに包まれた、やわらかそうな大きなベッドが三台。
それにいたるところに散りばめられた装飾品は丁寧に磨かれ、王国一の高級ホテルであることを感じさせた。
リジュはあとからゆっくり部屋に入ってきて、大きな窓から外の景色を眺めた。
眼下に広がる白い砂浜では、多くの人たちが海水浴を楽しんでいる。
「でもまさか、泊めてもらえるとはな……」
「本当にねぇ〜。こんなに立派なホテル、入るのもはじめてなくらいなのに!」
「楽しまなきゃ損ですわ!」
カコはミライに背中から抱きつくと、ミライも振り返ってキャハハと楽しそうに笑う。
リジュもそんなふたりのじゃれ合いを銀色の目を細めて見ていると、ドアからノックの音がした。
「あら? どなたかしら」
カコがいち早く気がつきドアを少し開ける。
と、そこには三人の黒い服を着た男性――それは黒の騎士団の制服だった――を従えて、
きらびやかな服を着た少年が仁王立ちで立っていた。
その隣にはもも色を基調にした華やかなドレスを着た少女もいる。
ふたりともまだ、あどけなさの残る10歳前後の年頃にみえた。
なにやら、うしろの男性たちに
「ご迷惑になりますよ」「今は城の関係者ではないのですから……」などと忠告をされているようだった。
「えぇい! ボクにかまうんじゃない!! 友に会うのになにが悪いというのだ!」
少年は金髪のおかっぱ頭を振り乱し耐えかねたように叫んだ。
その声に、室内にいたミライとリジュもカコのうしろからドアの外を覗き込むと、
リジュはギョッとした表情になり切れ長の目を見開く。
少年もリジュに気がつき、目をかがやかせてうれしそうに頬をそめた。
「おおお! やはりそなたは……リジュではないか! ホテル中で噂になっていたのは本当だったのだな!」
「リジュさま! 会いたかったですわぁ♡」
少年は喜々とした声で叫び、隣にいた少女も頬をばら色にそめてリジュの顔を見つめ、ずいっとドアへ近寄る。
カコは驚きながらもドアを完全に開いて、ミライとカコはうしろで呆気にとられているリジュを見た。
「……コリウスさま、ルクリア姫」
リジュが言うと、ミライはドアの外のふたりを見てカコを見る。彼女も困惑した顔つきだった。
「リジュくんの知り合いですの?」
「いやいや、諸君! 申し遅れたな」
カコがリジュからの返答をもらうより早くコリウスと呼ばれた少年が部屋に入り込み、ミライとカコに向き直った。
「ボクはこのグラウンド王国の王子である、コリウス! そして妹のルクリア姫だ!」
「リジュさまぁ! ルクリアがいるというのにほかの女の子と一緒なんて許せませんわ!」
ルクリアと呼ばれた少女はいつの間にかリジュの腕に抱きついていた。
ミライとカコはぽかんとした顔で、げんなりした表情のリジュに目配せする。
リジュはちいさくため息をつくとルクリアを引きずりながらコリウスの背中を押して、部屋の外に連れ出した。
「コリウスさま、ちょっとこちらへ」
「む! なんだ、なんだ! 内緒話か?」
後ろ手でドアが閉められ、部屋にはミライとカコが残された。
「な、なんだか嵐のようだったね……」
「ええ……」
「でも、リジュくんの知り合いみたいだったけど」
「王子さまとお姫さまって……どういうことなのでしょうか?」
ふたりは戸惑いながらリジュが出て行ったドアを見つめた。
外ではドア越しでよく聞こえないが、話し声がしている。
ミライは恐るおそるドアに近づきそっと開けようとする。
カコもドキドキしながらミライの背中から顔を出すと、ミライはドアを開けた――その直後。
「久しぶりに会えたんだ! 少しくらいいいではないか!」
その声とともにコリウスが勢いよくドアを押し開け、三人は将棋倒しになって部屋側に倒れ込んだ。
「王子! ふたりとも!」
リジュは急いで駆け寄ったが、三人は目をクルクルまわしながらも怪我はないようだった。
「いたた……」と、ミライが一番に目を覚まし、抱きつかれる形で自分にかぶさっているコリウスに気がつく。
コリウスの体は華奢で軽く、色白だった。ミライはひょいっとコリウスを抱き起こす。
「大丈夫?」
「うぅ〜ん……」
ミライはコリウスの顔を覗き込むと、カコも立ちあがった。
「お怪我はありませんか? 王子さま」
カコもコリウスに声をかけ、彼はやっと目を開いた。するとコリウスは恥ずかしそうにポッと頬を赤らめる。
「女性に助けられるなんて、なんと不甲斐ない……は、早くボクをおろしてくれたまえ!」
ミライはおかしそうに笑いながらおろしてやると、
リジュが横から「コリウスさま、きちんとお礼を言いましょう」とコリウスに言う。
彼は「おお……そうであったな! 申し訳ない。怪我はないか?」と、ふたりの顔を交互に見た。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
ミライはやさしく笑いかけ、カコも微笑んだ。それからミライはリジュに向き直って、
「ところでリジュくん。どういうことなのか聞いてもいい?」と首をかしげながら尋ねる。
「それも、そうだよな……」
観念したように、リジュは言った。