6. flying
サントゥール島のいたるところに咲くスイートピーの花が甘い香りを放ち、妖精のようにそよ風に揺れていた。
そのやわらかな色彩が早朝の光の中に彩りをあたえている。
ミライは宿屋の窓から差し込む陽光に身じろぎした。
黄土色の目を薄く開くと、左手首に目をやる。昨夜リジュに巻いてもらった氷のうは溶けて、すっかり痛みもひいていた。
ミライはむくりと起きあがり、包帯を取り外してみると赤みも消えている。
(すぐに冷やしてもらったおかげだね)
ミライは左手首にそっと触れると微笑んだ。隣のベッドを向くと、カコは昨日のままぐっすりと眠っている。
「カコちゃん……」
ちいさな声でつぶやいて、ミライは物憂げな表情で昨夜争った女性リノの不敵な笑みを思い出す。
ミライはミュゲの村を立ってから、ミュゲの村がいかに安全で親切な人たちばかりだったかを強く感じていた。
しかしそんな中で出会い、親切に助けてくれたリジュを思うと胸が苦しくなるのだった。
彼はどんな答えを出したのだろうか――
ミライはわがままは言えないと思いながらも、考えてしまうのだった。
◇ ◇ ◇
太陽がのぼり朝を迎えた町は活気づき、商店街も賑わっていた。
ミライとカコは身支度を整えて宿から出てくると、リジュが宿屋の壁にもたれて町の景色を眺めながら待っていた。
リジュはふたりに気づいて、こちらを向く。
「おはよう。少しは疲れ、とれたか?」
「おはようございます! リジュくん――はい、おかげさまで」
カコは花のように微笑む。ミライもカコのうしろから顔を出して、はにかんだ。
「おはよう、リジュくん。昨日はありがとね」
「……もう大丈夫なのか?」
リジュの心配そうな声に、ミライはちいさく頷く。
カコはそのふたりのやりとりをきょとんとした顔で眺めていると、豪快な足音を響かせてジュノが外階段を降りてきた。
「よぉ! おはよう、お嬢ちゃんたち! 今日も元気か!?」
「あっ、はい! お、おはようございます!!」
「おはようございます! ですわ!!」
ジュノのお腹に響くようなハツラツとした声にふたりは背筋を伸ばして思わず大きな声で挨拶を返す。
リジュはその光景に、クスッとうしろで笑っていた。
「事情はリジュから聞いたが、あまりお話ができなくて残念だったよ……
今度いつ、こ〜んなに若くて可愛いらしい女の子をおがめるかもわからねぇってのになぁ! またきてくれよなぁ」
ジュノは寂しさを本気でにじませながらふたりを見て言った。
ミライとカコはその大仰な姿におかしそうに同時に笑い合う。
「と、そうだそうだ! ちょっとそっちのミライちゃんに渡すもんがあってな。受け取ってくれるかい?」
「え……?」
ジュノの大きな手がミライに差し出されると、そこにはロケットペンダントがあった。
ミライはそれを不思議そうな様子で受け取り、開いてみると息を呑んだ。
黄土色のつぶらな目を大きく見開き、驚愕の表情でジュノの顔を見る。
「おじさん……これ、どうして……? そんな、こんなことって……!」
「すまねぇな。名前を聞いた時点で気がつけばよかったんだが、そんな簡単なものでかんべんしてくれ……
きっと焼けちまって写真なんて残ってないだろ?」
ミライはペンダントにはめられたちいさな写真に見入ると、見る間に顔を赤くして目からはポロポロと涙がこぼれる。
そこには――ミライの父、エアの笑顔が写っていた。
カコはミライの様子に驚きながらその写真を覗き込む。
その時、ミュゲの村のミライの家に泊まった際にベッドの中で見た彼女の寂しげな横顔を思い出した。
(そうだったのですねミライちゃん……! お父さまは、もう……)
カコは胸がいっぱいになる。
こちらにもその感情が伝わってくるほどの感激に満ちあふれたミライの姿を、カコは目に焼きつけていた。
「まさかエアのひとり娘がこんなに立派になっていたとはなぁ。
この光に透けるような若草色の髪……あいつにそっくり。真っ直ぐな、その目もな」
ジュノはうれしそうにミライの頭をクシャクシャとなでた。
「おっ、おじさんが……お父さんの親友だったなんて……! わたし、全然、覚えてなくて……」
ミライはしゃくりあげながら、たどたどしく声を絞り出した。
「リジュが昨夜、教えてくれたんだ。
あいつは騎士団でのエアと面識があったからミライちゃんの持ってるエアの剣『フォルブランニル』も知っていたし。
それに――3歳の時に一度会ったミライちゃんを、おぼろげに覚えていたみたいでな」
ジュノの言葉にミライは驚いてうしろで見守っていたリジュに振り返る。
リジュはそれに気づくと、涙でくしゃくしゃになったミライの顔を見てやさしく微笑んだ――
リジュはミライの母親の幼馴染である、エリナの息子だったのだ。
それからジュノは、ゆっくりと語ってくれた。
レナンディ家とユーダリル家はミライの母レインとリジュの母エリナが幼馴染だったのもあるが、
当時黒の騎士団の同僚で団長と副団長の関係であったエアとジュノも大親友でとても仲が良かった。
まだミライとリジュが生まれる前から両家の親交は深かったという。
ふたりが生まれてからは3歳の頃にはじめて風のやどる森の感謝祭があり、
それをきっかけに集まってパーティをしたのだった。
しかしそれが、両家が一同に集う最後になってしまったのだ。
「今はのんきに弓の店をやってるけど、あの頃はエアも俺も騎士団の仕事が忙しくてな〜!
その合間をぬってこの島でパーティをしたのさ。ほら、その写真ちょっと顔が赤いだろ?
――あいつこんななりの俺より酒が強くてさぁ! ふたりで飲んでる時に、エリナに撮ってもらったんだよ」
ジュノは懐かしそうにニカッと笑い「ミライちゃんとそっくりな顔してすげーだろ?」と自分のことのようによろこぶ。
ミライはジュノの姿を見て、心からうれしそうな表情であふれてくる涙を拭った。
「あの日は本当に楽しかった……エアもいたし、エリナもいたし。
ミライちゃんなんて、はじめて会ったリジュとすぐに仲良くなって遊んでたんだぜ?
あの頃のリジュはものすごい人見知りで泣き虫だったのに……なぁ、リジュ?」
ジュノがいたずらっぽく言うと「余計なことは話さないでくれ」とリジュはジュノを軽くにらむ。
その意外な事実にミライとカコはリジュを見てクスクスと笑った。
ジュノは、澄みわたる青空を仰ぎ見た。
「あれからもう13年か――エアもエリナも早くに死んじまって……
あの頃には戻れねぇが、思い出はずっと俺の中にある。
俺が力尽きるまで……心の中で生き続けるんだ。もちろん、ミライちゃんの中でもずーっとな」
そう言うとジュノはミライのちいさな肩を支え、彼女の泣きぬれた顔を覗き込む。
黄土色のつぶらな瞳は、すっかり真っ赤になっていた。
「ミライちゃん、達者でな。これからはなにかあったらリジュに言え。
それでもダメなら、俺のところに戻っておいで?」
ミライは思わず頷いたが「えっ?」とリジュに振り向き、またジュノを見た。ジュノはニコニコと笑っている。
ミライが戸惑っているとリジュは「しかたないな」とでも言いたげな顔でジュノを一瞥し、
ミライの手をとって引き寄せた。
「戻ってくるってなんだよ、親父」
「いいじゃねーか、俺にもこんな可愛い娘が欲しいぜ」
「残念だったな、オレで」
ふたりは軽く言い合うとリジュはミライの手をそっと離して、ふたりに向き直った。
「――そういうわけで、これからオレはふたりの力になりたい。だから……旅の仲間に加えてくれないか?」
ミライとカコは口に手を当てて顔を見合わせる。
声にならないよろこびを含んだ、かがやくような笑顔をリジュに向けた。
リジュはそれにちょっと目を見張りながらも「これから、よろしくな」と照れくさそうに言ったのだった。
◇ ◇ ◇
それからジュノは「大陸に渡れば水の精霊と地の精霊がやどる場所があるはずだ」と教えてくれたので、
三人は大陸の玄関口『純潔の港町スリジエ』に向かうことにした。
港の船はもうすぐ大陸行きが出港する頃だった。
三人は急いで乗り込むと、デッキへのぼる。港の端ではジュノが大きく手を振ってくれていた。
「カコちゃんもがんばれよぉ! グラウンド王国の住人だってお嬢ちゃんと同じ人間なんだ! きっと力をかしてくれるぜ!」
「はい、おじさま! わたくしがんばります!!」
「おぅ! そのいきだ!」
ジュノはひとつガッツポーズをしてみせ、カコも大きく手を振り返す。
三人はジュノが見えなくなるまでゆっくりと、ゆっくりと――遠ざかる島を見つめていた。
船は波しぶきを白く立てて、徐々に速度をあげていく。
ミライは胸もとからロケットペンダントを取り出しもう一度写真を見ると、
まだ少し赤い目をギュッと閉じて胸もとへしまった。
しばらくデッキで外を眺めていた三人は食堂へ降りていって早めの昼食をとった。
食べ終えたあと、ぼんやりと窓の外を眺めているリジュにカコが尋ねる。
「そういえばリジュくん……弓のお店の方は大丈夫でしたの? おじさまとふたりで切り盛りしているようでしたが」
「それは大丈夫。親父、あんな性格だから古い友人も多いんだ。店を手伝ってくれるやつは誰かしらいるよ」
リジュは「それに……」と、続ける。
「弓の職人になることは、生きていればいつでもできる」
その言葉にカコは目を潤ませた。
「うれしいですわ……ありがとうございますリジュくん!
わたくし、もっとこの王国の方々を信じていきたいですわ! おふたりのように」
カコは希望に満ちた顔でふたりの顔を交互に見ると、ミライはちょっぴり寂しげな表情で頷く。
リジュは黙ったまま、そんなミライを横目で見ていた。
◇ ◇ ◇
船は途中コスモスの港を経由して南に航路をたどり、お昼過ぎに港町スリジエに入港した。
スリジエの町は家の壁や町の中心へ続く石畳がすべて淡いもも色をしており、
町全体の雰囲気も穏やかでやさしい印象だった。
ミライは一番乗りで町に降り立つとその夢のような色の町に顔をほころばせて、
あとから降りてくるカコに「なんだか可愛らしい町だよ! カコちゃん」と声を弾ませて言う。
カコもミライの横に並ぶと目をかがやかせた。
「まぁ、本当に! 町全体がおとぎ話の世界みたいですわ!」
「この町の名前の由来であるサクラの花の色だな。変わった手法でこの色を出しているらしい」
「サクラの花?」
カコのあとから降りてきたリジュにミライが尋ねると、リジュが頭上を指さす。
そこには淡いもも色の花がたわわに咲いた大木があり、それは町のいたるところに植わっていた。
そよ風がさぁっと吹くとサクラの木から雨のように薄い花びらが舞い、一枚の花びらがミライの鼻先に乗っかった。
ミライはそれをひょいとつかむと、光に透かしてみる。
「わぁ……きれいな花びら」
ミライはそれをうっとりと眺めた。
「リジュくんはこの町にきたことがあるのですか?」
「ああ、王都からサントゥール島に帰る時に必ず寄る港だからな」
カコの問いにリジュは歩き出しながら答えると「とりあえず大陸を渡る準備を整えよう」と言って、ふたりをうながした。
三人は町に入ると商店街の通りに出て店をまわる。
まずはくわしい世界地図を購入したが、この地図にも目ぼしい目的地はなかったので、
大陸に点在する町や村をたどりながら精霊のやどる場所を探していくことにした。
その中でもスリジエの町からは『太陽の村エリオント』が一番近く、
三人はその村までに必要なものも合わせて購入していった。
その最中――カコがリジュと少し離れたところで品定めをしているミライに小声で尋ねる。
「そういえば昨夜リジュくんとなにかあったのですか? なんだかリジュくんが心配そうにしていましたが……」
カコは今朝リジュと挨拶をした時のことを言っているようだった。
その問いにミライは「あ、えっと……」と口ごもると、カコから目をそらす。
「昨日の夜ね、目が覚めちゃったから外を散歩していたんだけどちょっと転んじゃって……
そこに偶然リジュくんが通りがかって助けてくれたんだよ」
「……そう、ですか」
カコはふに落ちない顔だったが、ミライはニッコリ笑いかけた。
ひと通り買い物を終えた三人は店を出ると、店の前に広がる浜辺の周囲に黒山の人だかりができていた。
この町に似つかわしくない、不穏な空気が漂っている。
「どうしたんだろう……?」
ミライはつま先立ちで向こう側を覗こうとしたが、ほとんど見えない。カコも同じように見てみるが首をかしげる。
「リジュくん、見えますか?」
「あれは……!」
その中の状況に気づいたリジュは顔色を変え、荷物を置いて人がきをかき分けて行った。
次第に人だかりのざわめきは悲鳴に変わり、人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
リジュは人がきから脱出し、走りざまに背負った弓を構えて矢を放った。浜辺から人間ではない恐ろしい叫び声が響く。
カコは開けた視界からその正体に気がつくと目を疑った。ミライもリジュを追って走り出し、剣を抜く。
浜辺には――白い大蛇のような生物がうごめいていた。
全長は計り知れないが、胴まわりは差し渡し一メートルほどある。
「乱襲牙!」
ミライの剣がきらめき、素早い突きの連続攻撃を受けて大蛇はまた叫び声をあげる。
大蛇は口のような部分からなにかを取り落とすとミライは見事にそれを抱きとめた
――それは5、6歳ほどに見えるちいさな男の子だった。
大蛇は長い首をもたげミライに噛みつこうとする。
「烈風閃!」
リジュが放った矢は強烈な風圧を保ったまま、その首をちぎり飛ばした。
ミライは男の子を抱えて急いで浜辺をあがり、リジュは大蛇にとどめを刺す。
大蛇はズシリと重々しく砂にうずまり、ついに動きが止まった。
「きみ! しっかりして!」
ミライは男の子の肩を揺さぶった。目立った怪我はなさそうだったが、
意識を失い顔は青白く憔悴しきっている。
そこにひとりの若い女性が駆け寄ると「ワカバ!」と男の子にすがり、震える声で何度もその子の名前を呼んだ。
するとワカバはゆっくりとまぶたを開く。
ミライは女性にその男の子を渡すと、女性は涙を流しながら抱きしめた。
リジュは弓を背に戻し、その大蛇を一瞥するとうしろで固まっているカコに振り返る。
「カコ……どうしたんだ?」
「なぜ『白い魔物』がグラウンド王国に……?」
カコは激しく鼓動する胸を抑えるように背を丸め、震える声で言った。
「シー王国にしかいないはずの生物です。
グラウンド王国で言う黒い影と同じ…… “人を襲うためだけに存在するもの” ですわ」
(これが……白い魔物)
リジュは息を呑んだ。
「本来なら明るい場所に弱いはずなのに……どうして?」
そうカコが言うと、リジュはもう一度その白い魔物を眺めた。
よく見るとまるで巨木のようなゴツゴツとした体をしている。
しかし蛇と違うのはその “首の数” だった。
一本の胴体から四本の首が伸びていて、先端は丸くそこを裂かれたように赤黒い口のような部分がある。
その口の中には、人間など簡単に噛み砕いてしまいそうな鋭く太い牙が何本も生えていた。
リジュは顔をしかめると「そうだ、さっきの子どもは」とミライのところへ駆け寄る。
そこでは、正気を取り戻して泣きじゃくるワカバを抱えた女性――ワカバの母親がミライにお礼を言っていた。
「本当にありがとうございます、ミライさん! 命の恩人です――そちらの弓術士の方にも、どうお礼をすればいいか……」
「無事でよかった。怪我はありませんでしたか」
「ええ、かすり傷くらいで大丈夫みたいです。あっでも……こちらのミライさんが」
ワカバの母親が心配そうにミライを見ると、リジュはミライの右ひざが切れて血が出ているのに気がつく。
白い魔物が首をもたげた時に牙がかすったようだ。
「少し深そうだな……立てるか?」
「うん、大丈夫だよ」
カコもやっと我に返りミライのもとへ駆け寄ると、よろりと立ちあがるミライの手を取った。
「ミライちゃん……」
「えへへ、ちょっとヘマしちゃった」
ミライは照れくさそうに笑って、手にしていた剣を鞘に戻した。
◇ ◇ ◇
「いたたたたぁー! しみる〜!」
「ミライちゃん! もう少しの我慢ですわっ」
救った親子と別れたあと、ミライはちいさな宿屋の女主人に部屋でひざの手当てをしてもらっていた。
本来ならすでにこの町を発っている予定だったが、宿に泊まってミライの怪我の様子をみることにしたのだった。
ミライはヒィヒィ言いながら、手足をバタつかせる。
「それにしても大変だったねぇ。
まるで見たことのない生き物だったからおばさんびっくりしちゃった。
そこにあんた、突っ込んでいくなんて」
「お、おばさん……もう少しやさしく……いててて」
女主人のおばさんは太い働きものの指で豪快にひざをテキパキと手当てしていく。
カコはそれに目を見張り、リジュは苦笑していた。
しばらくして「はい! できた」とおばさんはパンッとひとつ手をたたき、
薬箱を抱えて座っていた丸椅子から立ちあがった。
「ちょうど近くのお医者さんが外来に出てたからこのくらいしかできないけど、
この程度であれば切り傷によく効く薬も塗ったし明日には傷もふさがるよ――
一泊サービスしてあげるからゆっくりしていきなさい」
「えっ! いいんですか?」
「だって町を救ってくれたんだからそれぐらい安いもんよ。
あんたとそこの男の子があの怪物をやっつけてくれなきゃ、きっと大変だったわ。
駐在の黒の騎士団も他のいざこざのために出払ってたしね」
するとミライは目をかがやかせた。
「すごい! わたしこの町の騎士さまになれたんだね……!」
「バカなこと言っちゃだめだよ、命は大切にしなくちゃ! 腕は立つみたいだけどね、騎士は命がけの仕事なんだから」
「おばさんの言う通りだ。無茶しないでくれよ」
「むぅ……リジュくんまで」
ミライはぷくっと頬を膨らませて、ふてくされる。
おばさんは部屋から出ようとしたが「あっ」と思い出したようにもう一度ドアを開けて顔を覗かせた。
「あんたたち、いいこと教えてあげる」
おばさんの言葉にミライだけはベッドに突っ伏してうなだれた。
「夜サクラ祭り?」
カコとリジュは揃って言う。
「そう、この時期が一番スリジエの町のサクラがいきいきと咲き乱れるのさ。
ちょっとした露店もあるし、風情があって最高よ。せっかくだし少し行ってきなさいな」
おばさんは「ただし! ミライはだめだよ」と念を押すと部屋を出ていった。
「なんでこんな時に怪我しちゃったんだろう……」
ミライは顔をまくらにうずめて、こもった声でつぶやく。
カコもしょんぼりと肩を落としてミライを見るが、頭をふるふると振ると
ミライのそばで勇ましい声で言った。
「ミライちゃん……わたくし、ミライちゃんの分まで全力で満喫してまいりますわ!」
その力強い声にミライは顔をあげてカコの手を握った。
「カコちゃん、うれしい……!」
ふたりは目を潤ませながら、ひしと抱き合う。その光景を黙ってうしろで見ていたリジュは呆れた表情を浮かべていた。
「そういうことだからリジュくん! カコちゃんをよろしく頼むね」
「……そういうことなんだろうな」
ミライはカコから離れると、そっと座り直してからリジュに手を合わせた。
太陽が西の彼方に沈み、あたりが夜に変わりはじめた頃――
荷物を整理し終えたカコはドアの前にスタンバイしていた。
「さ! リジュくん、まいりましょう!」
海色の目をキラキラさせて、わくわくとした気持ちが体からにじみ出ている。
宿屋の外からは人々のざわめきと、楽しげな音楽が聞こえてきていた。
「ミライは安静にしていろよ」
リジュは手入れをしていた弓を置いてミライに言って、カコを連れて部屋を出て行った。
ミライはニッコリ笑ってふたりの背中を見送る。
ドアがパタンと閉まり、ひとりには大きすぎる部屋には祭りの音だけが響いていた。
ミライはパタリとベッドに倒れる。
胸もとからロケットペンダントを取り出して、写真をじっと見つめた。
夜の闇に浮かぶように灯りに照りあらわされたサクラの花は
露店の賑わうスリジエの町の目抜き通りをそぞろ歩く人々を包み込むように咲き乱れている。
道の脇を流れる小川には花いかだが流れ、サクラの花びらは目の前をかすめていく。
カコはその幻想的な光景にうっとりと見とれていた。リジュも隣でしばし、サクラを見あげる。
「なんて美しいのでしょう……ため息が出てしまいますわぁ」
「そうだな。この町のサクラは本当にすごい――あ、カコ。離れるなよ」
上を見あげたまま歩き出そうとするカコにリジュは言うと、カコはハッと我に返り「はい!」と返事をした。
「ミライちゃんの分まで楽しまないとですわ! おみやげも買って帰ってお話してあげなくては!」
カコが鼻息も荒く意気込む。リジュはそんなカコを微笑ましく眺めていた。
「ふたりは本当に仲良しだな」
「もちろんですわ! わたくしとミライちゃんは、はじめての同い年の女の子のお友だちですもの」
「うらやましいな……オレのまわりは昔から大人たちばかりだったから」
満面の笑みのカコに、リジュは少し寂しそうにつぶやく。
「まぁ! そうなのですか――それならもしセイも一緒にこれていたら、リジュくんとお友だちになれたかもしれませんね」
「セイって……カコの王子って言ってた?」
「ええ、わたくしよりひとつ年上ですが、リジュくんならきっと仲良くなれますわ」
カコはリジュの顔を覗き込んでうれしそうに微笑み、またサクラの花を見あげる。
白く美しい頬をばら色にそめ、シー王国にいるいとおしい彼のことを想った。
「元気にしているかしら――セイにもこの美しい光景を見せてあげたかったですわ……」
うっとりと、少し憂いをおびた声でカコは言う。
「カコはすごいな、シー王国のために好きな人を残してここまできて――怖くなかったのか?」
するとカコは、身を乗り出しながらリジュに振り向く。
「なにをおっしゃいます! もちろん怖かったですわ……でも今はミライちゃんとリジュくんがいますから♡」
「……そうか」
リジュはフッと口もとで笑う。
それにしても――彼女は重い使命を負っているはずなのに、こんなに天真爛漫なのがリジュには不思議だった。
(これも性格ゆえなのかな……でも)
その明るさの中にふとした瞬間よぎる物悲しげな表情には隠しきれないなにかがある気がする。
リジュは考えながら、雑踏を眺めた。
そんな彼の隣をカコは露店を興味深く覗きながら歩いていたが──
急に「あっ!」となにかに気がついて駆け出す。
リジュも急いでカコのもとに駆け寄ると、そこは飴を売る屋台だった。
「見てください! このもも色の飴……なんだかミライちゃんのようでとっても可愛らしいですわ!」
カコはずらりと並んだ串に刺さったサクラのかたちの飴をさし示した。
屋台の灯りの中で透き通るもも色の飴は、キラリとかがやいている。
「いいんじゃないか? きっとよろこぶよ」
リジュは言うとポケットからガルを取り出し、屋台の店主に指で「3」を示して飴を三本受け取る。
カコに一本渡してやってふたりはまた歩き出した。
カコは礼を言い、その可愛らしい飴を見つめる。
「あの、リジュくん?」
リジュは飴をくわえながら、カコに顔を向けた。
「ミライちゃん……わたくしをいつも気遣ってくれますけど、なんだか少し無理をしている気がして。
リジュくんは、ミライちゃんの様子をどう思います?」
「…………」
リジュはカコから目線を前方に移し、そぞろ歩く人々の頭をぼんやりと眺める。
笑い声、陽気な騒ぎ声、時には叫び声や楽しげな話し声。
サクラのトンネルにこだまする声は、どれも明るく響いた。
リジュはくわえていた飴を手に戻す。
「きっと本人は気づいていないだろうけど……
無理ばかりしているよ、ミライは――
オレが森でふたりとはじめて会った時にはすでに、自分すら手に負えないように見えた」
「そうでしたか……」
カコは心配そうに視線を落とし、リジュの端正な横顔を見つめる。
「それに今はエアさんのいた “あかし” を親父からもらって、思いふけっているみたいだな」
リジュが静かに言う。
「そういえば、おじさまが言っていた “焼けてしまって写真なんて残ってない” というのは……?」
「ミュゲの村は一度、壊滅しているんだ」
「……!」
カコは言葉を失った。
リジュが言うには――それはまだ自分が10歳の頃だったという。
ミライも同い年であったその年、ミュゲの村では不審火があとをたたなかったらしい。
ついにはその火の出どころが悪く風も強かったある日、火は人の手に負えないほどに広がり村は全焼した。
しかし助け出された住人のほとんどはミライの父、エアのおかげだったという。
「親父の話では、たまたまエアさんはその日ミュゲの村に休暇で帰っていたそうだ。
それで住人を救助してる最中に亡くなったらしい……
だからミライの家には恐らく、家族の思い出の品はほとんど残っていないはずだ――
エアさんの愛剣、フォルブランニルぐらいしか」
「だからあんなにも……写真をもらって感動していたのですね」
カコは悲痛な面持ちでうつむく。
「でもミライちゃんのお父さまは……なんだかミライちゃんのようですわ。
勇敢で、人のために身を賭して」
「そうだな……親父いわくそっくりらしいよ、見た目も雰囲気も。
オレはやさしい人って印象だったけど、エアさんはいつも明るくて人望も厚くて
困っている人を見過ごせない正義感にあふれる人だったそうだ。
エアさんがいたから自分は騎士を続けられたんだって……よく懐かしそうに話してる」
その話にカコは、また飴を見つめる。
「今のお話で少しわかりましたわ。ミライちゃんの笑顔の本当の意味……
たくさんの想いが、詰まっているのですね」
リジュはゆっくり頷くと飴をくわえた。
カコも飴をペロッとなめると、あまい味が口に広がり顔をほころばせる。
カコはミライの笑顔を思い浮かべながらサクラの舞う夜空を仰ぎ見た。
「うふふっ……でもこれからはわたくしと、ミライちゃんと運命の糸で結ばれたリジュくんがいますもの♡
なにかあっても助け合えますわ」
カコは手を組み合わせてうっとりしながら言うと、リジュは銀色の目を丸くして顔を赤らめ目をふせた。
「そ・れ・と……昨夜はおふたり、わたくしが寝たあとなにかあったのですか?
ミライちゃんに聞いたら、なにか隠してるみたいで気になっているのですが」
「……なんて言ってたんだ?」
「お散歩中に転んで、リジュくんが助けてくれたと言っていましたけど」
リジュは(やっぱり隠していたのか……)と思いながら、なめ終えた飴の棒を口からとった。
「カコにも話しておきたかったんだ。実は昨夜――」
と言いかけた時、人々の間から見慣れた姿が見えた。
カコはリジュが固まっているのに首をかしげ、その視線の先を見ると「あっ!」と声をあげる。
そこには目抜き通りの突き当りにあるベンチに座って、昼間助けたちいさな男の子――ワカバと遊ぶミライの姿があった。
ワカバはミライのひざに座って手持ち花火をしている。
ふたりは大急ぎで人々の間をすり抜けて、ミライのもとへ走った。
「ミライちゃん!?」
駆け寄りカコが叫ぶと、ミライは顔をあげた。
「あっ、ふたりとも……!」
ミライは明らかにバツの悪そうな笑顔でふたりを交互に見た。リジュはムスッとした顔でため息をつく。
「……安静にしてろって言ったはずだぞ」
「えっと〜……その……」
ミライはワカバを膝の上からおろしたが、彼は相変わらずミライのそばで花火をしている。
と、そこにワカバの母親が小走りでやってきた。三人はそれに気づくとワカバの母親は頭を下げる。
「すみません、どうしても外せない用があって――
ミライさん、ありがとう! もう大丈夫です。ワカバ、行くよ」
「うん! お姉ちゃん、またね!」
「まっ、またね〜……」
ミライはワカバと母親にちいさく手を振って、その様子を見ていたふたりの顔を恐るおそる覗き込んだ。
リジュは腕を組んで眉根を寄せ、カコは手を組み合わせて心配そうな表情をしている。
「もしかして、頼まれたのですか?」
「う、うん……そうなの。ちょっとの間だけ預かってほしいって宿に訪ねてきて。
それでワカバくんがお祭りに行きたいみたいだったから、つい……」
ミライは「ごめんなさい!」とふたりにペコッと頭を下げる。
カコはミライの手を取って、頬をぷくっと膨らませた。
「もう……ミライちゃんはお人好しすぎます!――でも、よかったですわ」
「え?」
不思議そうな表情のミライに、カコはニコッと笑いかけた。
「こうやって、みんなで見ることができましたもの! 美しい、このサクラを」
三人はサクラのトンネルを見あげた。淡い色の世界が夜空一面に広がる。
ひとときそうしていると――ミライの視界の端に透き通ったもも色のものが映った。
黄土色の目を瞬き手もとを見るとリジュがサクラのかたちの飴を手に、頬づえをついて隣に座っていた。
「おみやげ。カコが選んだんだ」
ミライはそれを受け取り、ふたりを交互に見つめた。
「どんなときも……ひとりで無理をしないでくださいね、ミライちゃん」
カコも隣に座って、やさしく微笑んだ。ミライは目を潤ませてギュッとまぶたを閉じる。
「ありがとう、ふたりとも」
サクラの木々は、あとからあとから、三人の上に花びらの雨を降らせていた。




