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4. 風のやどる森

 ミライたちはさわやかな潮風を体に受けながら、穏やかに過ぎていく船からの風景を楽しんだ。


しかし思いの外すぐにサントゥール島に着いてしまい、


ふたりは急いで船の出口へ向かう。


ごった返す出口で大人たちに埋もれながらその人々に押し出されるかたちで、


ミライとカコはサントゥール島の港に降り立った。



「降りるのは大変でしたけれど……気持ちのいい時間でしたわぁ」



「潮風が気持ちよかったねぇ。船からの眺めっていいものだね!」



 ふたりはのんびりと感想を言い合うと、港からすぐの町の様子に驚く。


たくさんの人が見慣れない道具を使って、みな一心にものづくりに励んでいたからだ。



 特に目につくのは、鍛治屋、工房、工場などだった。


どの場所からも金属音や機械音、なにかを削り出す音、さまざまな音が町中に響いている。



「わぁ〜、なんだかすごいところだね! いろんな人がいろんなものを作ってる」



「本当ですわ! あの船員さんがおっしゃっていたとおりこの島はものづくりが盛んなのですね。


ここに風の精霊がいるなんて……」



「確か町の東側の出口から、北東に行ったところだって話だったよね」



「ええ、そうでしたわね……さっそく向かいましょう!」



 ふたりは町の中央通りを抜け東側の出口に続く静かな細い道を進むと、


ほどなくして町の終わりが見えた。


その先を望むと、遠くからでも目につく独立したひとつの森が待ち構えるように広がっている。



「きっとあの森だね」



「はい、ちゃんと精霊に会えるといいのですが……」



「とにかく行ってみよう! 足もとに気をつけてね」



 ミライはカコの手を引いて、森をめざして歩き出した。







◇ ◇ ◇







 森へ足を踏み入れたふたりは、ある程度整備されていた道を頼りに進んだ。



 緑に埋め尽くされたモザイク模様の頭上からは木漏れ日が差し、


空気はほのかに湿り気をおびて腐葉土の香りが漂っていた。


それに森の中には風がたえず吹いている。強く、弱く、ふたりの体に吹きつけてくる。


そのため森は、葉が擦れ合うざわめきが常にしていた。



 そんな中一番不思議だったのは森を包む “光” だ。



「ミュゲの村の森は薄暗いのに、この森はなんだか明るい気がする。葉っぱが光っているみたい……」



「本当ですわ。もしかしたらこれも、精霊がいる影響かもしれませんね」



 ミライはささやくとカコは答え、ぐるりとあたりを見渡す。



「でもわたくし、感動してしまいます。


シー王国にはこんなに木々が密集して生える場所は滅多にありませんし、


木もこんなに立派に育ちませんから……とても神秘的ですわ」



 カコはシー王国のことを思い出しながら言う。


ミライはそんなカコのちいさな手を強く握りなおして微笑むと、また前方を見据えた。









 それから数時間歩き続けたが、道は相変わらず先へ伸びてる。


特に起伏もなく迷う分岐もなかったが景色が一向に変わらず、


精霊がいそうな場所は見当たらなかった。



「どこまで続くんだろう〜? さすがに疲れてきたよ」



「はい〜……わたくしもヘトヘトですわ」



 ふたりは近くにあった太い木の根本にへたりこむと、持ってきていた水筒の水を分け合ってホッとひと息つく。



「こんなに広い森だったなんて……詳しい人に案内を頼むべきだったかなぁ?」



 ミライは額の汗を手の甲で拭った。



「でもわたくしたちのような女の子が頼っても……あの船員さんのように、怪しまれてしまいそうですわ」



「それもそうだね。でもこのまま歩き続けても日が暮れちゃいそう……夜になる前には町に戻りたいのになぁ」



 ふたりが頭を抱えていると、不自然に空気が動く気配があった。


ミライはそれを敏感に感じとり顔をあげる。するとそこには――見慣れない形の黒い影が出現していた。



「なに……あれ」



 しかもミライが今まで見てきたものの中でも、特に大きい。


それは実態もなく、ふたりを覆い闇に取り込もうと怪しく広がりながらジリジリと迫ってくる。



「どうしよう、こんな霧みたいな黒い影……剣じゃ斬れない!」



 ミライはカコの前に立ちふさがるが、声は震えていた。それに気づいたカコは両手を組み合わせる。



「わたくしがやりますわ!」



「カコちゃん!?」



 カコは祈りはじめたが、時間がなかった。ミライはとっさにカコを抱き伏せギュッと目をつぶる。



 ゆっくりと影が、ミライの足に触れようとした――その時。



疾風はやて!」


 その声とともに、風をまとった一本の光が素早く黒い影を射抜く。


その瞬間風が渦巻き、黒い影は消し飛んだ。



 ミライは恐るおそる顔をあげると、スタッと木の上から何者かが降りてきた。立ちあがり、持っていた弓を背に戻す。


その人物はミライたちと同年代にみえる少年だった。


端正で中性的な、美しい顔立ちをしている。



 少し癖のあるやわらかそうな髪は、寒い日に広がる空のような群青色をしており、風にみだれていた。


少年は切れ長の涼やかな銀色の目をこちらに向ける。



「大丈夫か?」



 少年は短く言うと、カコも顔をあげた。



「あ、ありがとう! カコちゃんも怪我はない?」



「はい、わたくしもなんともありませんわ! ありがとうございます」



 ミライは「よかったー」とホッと胸をなでおろす。少年は不思議そうに、なおもふたりを見ていた。



「見慣れない顔だけど、なんでこの森に入ってきたんだ? ここは黒い影も手強いし、ただの森じゃないんだ」



 少年は心配そうな表情をしていたが、語気を強めて言った。



「だから入ってきたんだ。わたしたち」



「え?」



 ミライは立ちあがり言うと、少年は切れ長の目を見開く。カコもゆっくりと立ってスカートをパタパタと叩いた。



「きみ、この森詳しい? もし知っていたら案内してもらいたいのだけど……」









 それからふたりは少年の言う比較的安全な場所に移り、正直に目的を説明した。



「エレメントジュエル……人目につかないところで精霊が守ってるっていわれる、あの宝石のことか?」



「まぁ! 知っていらっしゃるのですね!」



「ああ。それを手に入れれば、精霊の力を使うことができるという伝説を聞いたことがあるよ」



「そうなんだ!」



 少年は頷くと「あっ」とつぶやく。



「でもそれが目的ってことは、もしかしてふたりもあいつの仲間なのか?」



「どういうことです?」



「オレは人があまりいないからいつもこの森で弓の鍛錬をしているけれど……最近見かけるんだ。


この森をうろつく、不審な動きをしているひとりの女を」



 少年はふたりの顔を交互に見て、目をふせた。



「でも、ふたりはそんな雰囲気の人間じゃなさそうだな」



「もちろんだよ! だってわたしたちはシー王国を……もが」



 ミライが言いかけたが、カコが両手でその口をふさぐ。少年はきょとんとした。



「どうした?」



「なんでもないですわ!」



 少年は自分もそれらしい場所しか知らないからそこまでならと案内をしてくれることになった。


その道すがら三人は自己紹介をした。



 少年は、リジュと名乗った。


このサントゥール島の実家で弓づくりの職人見習いをしているという。


年齢は16歳でミライたちと同い年だったが、背も高く顔つきも年齢より大人びてみえた。



 普段はこの森に売り物の弓の耐久検査や自身の弓術の鍛錬、狩りをするためにきているらしい。



「でもさっき助けてくれた時の技、すごかったね! あんな霧みたいな黒い影も見たことなかったけれど」



「あれは光を使った『閃術せんじゅつ』というものなんだ。


あれを使わないと、この森にいる霧状の影や大きくて濃い影には太刀打ちできない」



「えっ!? 今、 “光を使った” って言いましたか?」



 カコがリジュに驚愕きょうがくの声をあげると、ミライもハッとした。



「そっか! とすると……リジュくんのあの技と、カコちゃんの技は同じもの?」



 リジュも驚いた様子でなにかに気づき、カコを見る。カコも「しまった」という顔でリジュの言葉を待った。



「カコもオレと同じ技を使えるのか?」



「使い方は違いますが……原理は同じだと思います」



「…………」



 リジュは怪訝な顔をした。



「カコは、何者なんだ?」



 カコはギクリとし、立ち止まった。ミライは心配そうにカコを見守る。リジュは続けた。



「光を使った技、閃術は……ルネという刻印を武器や体に刻んで発動させる殺傷性の高い技術だから、


専門的に訓練した王国の限られた人にしか使えないはずだ。


オレは家の事情でこの技を使えるけど、カコもそういう人なのか?」



 リジュの声は特に責めている様子ではなく、ただ淡々としていた。


すると押し黙ってしまったカコに、ミライは見かねて言う。



「カコちゃん……わたし、もう言っていいかな?」



 ミライはリジュの銀色の目を見て、ニコリと微笑んだ。



「リジュくん、きっといい人だよ……そんな気がする。


カコちゃんもわたしを信じてくれたから、話してくれたのでしょ?」



「ミライちゃん……」



「リジュくんも、聞いてくれるかな? びっくりするかもしれないけど、本当のことだからね」



 リジュは静かに頷くと、ミライはカコを交えて今までのことを話した。


カコがシー王国のお姫さまだということ、シー王国の現状、自分たちの真の目的。


リジュはその内容に言葉を失っていたが、真剣にふたりの話に耳をかたむけてくれた。



「……これで、全部だよ」



「そういうことだったのか……」



 リジュは言うと、森の奥へと続く道の先を見据える。森は相変わらず緑が揺れ、ざわめいていた。



「話してくれてありがとう。できる限り、オレも協力するよ」



 リジュはふたりに振り返って笑いかける。カコもパッと笑顔になった。



「信じていただけてうれしいですわ……ありがとうございます!」



 その直後カコは「ミライちゃんもありがとう!」と叫んでミライに抱きつくと、彼女は照れくさそうに笑った。







◇ ◇ ◇







 それからしばらく三人は道を進んでいたが、心なしか森は静かになってゆっくりと青く黄昏がせまっていた。



 リジュはその気配を感じとり、立ち止まる。



「これ以上先には進めないな」



「え? まだおひさま出てるのに?」



 ミライが不思議そうにリジュに振り向くと、カコも立ち止まった。



「オレが知っているそれらしい場所まで行くと、このままだと夜になってしまう。


ふたりも疲れていそうだし、まだ日が出てるうちに野営の準備をした方がいい」



「そっか! 忘れてた。町にはもう戻れないもんね……」



「キャンプですね! わたくし大好きですわ!」



 カコがぴょんぴょん飛び跳ねてよろこぶかたわらで、ミライは肩を落としていた。









 三人は整備された道を外れ、ふたりはリジュのあとをついていく。ほどなくして、ちいさな小川が見えた。



「まぁ! こんなところに川が流れていたのですね」



「この森の湧き水が集まって、いろんなところで小川を作ってるんだ。このあたりだと、ここが一番近い水場だ」



 カコがその清冽せいれつな流れに見とれていると、ミライが手を叩いた。



「よかったぁ。水筒のお水、もうなくなりそうだったし……」



「最悪食べられなくても水さえあれば大丈夫。あとは……」



 リジュは、あたりを見まわした。



「火にくべる針葉樹の枝と、枯れ葉が必要だな」



「しんようじゅ?」



 ミライとカコが揃って首をかしげると、リジュは「えっと……」と頭をかく。



「……もみの木は知ってるか? 葉が針みたいに細くて、それが房になって生えてるんだ。


特にその木が朽ちている根本に落ちてる枝がいいんだけれど、わかりそうか?」



「なるほど! わかったよ! もみの木の枝と枯れ葉だね。行こうカコちゃん!」



「はい!!」



 リジュの言葉にミライが元気よく答えて、目をキラキラさせたカコを連れ走り出す。


リジュは慌てて「オレも探すから、遠くに行かないでくれよ!」と叫んだ。


リジュはふたりの背中を見送ると、元気な女の子たちだなと、ひとり苦笑していた。









「おまたせリジュくん! 枝と枯れ葉、取ってきたよ……ってうわ!」



 ミライとカコが小一時間ほどして小川のほとりに戻ると、リジュは一羽のウサギをさばいているところだった。


ミライとカコは思わず後ずさる。



「おかえり。うん、それくらいあればオレの見つけた分も合わせて足りそうだな。ありがとう」



「それは……今狩ってきましたの?」



「ああ、さっきしとめてきた。今日は野営する予定がなかったから持ち合わせが少ないんだ。


だから、ふたりの分が足りないと思って」



 リジュは「町に戻る予定だったんだろ?」と続けると、ふたりはコクコクと頷く。



 手際よくウサギを解体したリジュは黙々と作業をした。


集められた太い枯れ枝にナイフをあてがい叩きって薪を作ると、


今度は長くて太い枝を円錐状に組んで枯れ葉を全体に屋根になるように包む。


その中にも枯れ葉を敷き詰めると、中はとてもあたたかな天然のテントになった。



 ミライとカコは、そのテキパキとした姿に感嘆の声をあげた。



「リジュくんすごい……!」



「ですわぁ……!」



 その一連の作業が終わると、あたりはすっかり夕暮れ時だった。



「――日暮れに間に合ったな。あとはふたり分の食器を作ろう」



「えっ! 食器、作れるの?」



「ああ、普段店でも作ったものを売っているんだ。今回は一度使うだけだし、それよりは簡単なものだけど……」



「リジュくんはなんでも作ってしまうのですね〜!」



 リジュは枝を適当な長さにナイフで伐り分け、削り出して簡素なカトラリーを作る。


それからリジュは、ふとミライの腰に差してある剣に目を止めた。



「ミライは、剣士なんだな」



「うん! そうだよ。それがどうかした?」



 ミライが尋ねると「少し借りてもいいか?」とリジュが言い、ミライは剣を抜いて差し出した。



 リジュはそれを受け取ると切れ長の銀色の目が動き、まだ細い近くの若い木に狙いを定める。


おもむろに剣を構え、空気をも斬り裂くような速さで横一文字に剣を振るった。


すると若い木はまわりの木の枝を巻き込みながら、ゆっくりと倒れていく。



「リジュくん剣も使えるの!?」



「……それなりに心得はある。悪いな、こんな使い方をして。今日は斧を持ってきてないから助かったよ」



 そうミライに言いながら若い木をさらに剣で伐り分けると、リジュはミライに剣を返した。



(さっきの構え……素人の構えじゃなかった……)



 ミライは黙々と作業をするリジュの横顔を、驚きのまなざしで見つめていた。







◇ ◇ ◇







 あたりはとっぷりと暮れて風もおさまり、もう宵の口だった。



 カコはこれから火を起こすというリジュの隣に座り、見学していた。


ミライはリジュの正面にくべられた薪を挟んで座り、ふたりの様子を見ている。



「グラウンド王国では摩擦で火が起こせる。いろいろな方法があるけれど、このやり方はその中のひとつの手段だ」



 そう説明しながら、リジュはあらかじめ持っていた一見羽毛の束のような


木片を幾重にも薄く裂いた火口ほくちを取り出した。


それに金属の棒をあてがうと、金属の棒をナイフですばやく擦る。


すると――まばゆく細かな火花が飛び散り、火口に火がついた。



「まぁ! すごいですわぁ!! グラウンド王国ではこうやって火を起こすことができるのですね!」



「ナイフで火が起こせるなんて、グラウンド王国に住んでいるわたしでもはじめて見たよ……!」



「ナイフ一本あればいろいろできるから、このやり方を覚えたんだ」



 ちいさな火が灯った火口をリジュは慎重に薪に移すと、持っていた折りたたみ式の筒を組み立て薪に風をおくる。


火はゆっくりと大きくなり、あたりは明るくあたたかくなった。









 ふたりはさばいたウサギの肉を焼いてもらい、ハーブソルトをふって食べた。


淡白な味だったがやわらかくふたりは笑顔でそれをたいらげ、


揃ってしあわせそうなため息をつく。



「おいしかったですわぁ! お腹いっぱいです〜」



「気づかなかったけど、すごくお腹が空いてたんだねぇ、わたしたち」



「この森は昼間はたえず風が吹くから、知らぬ間に体力を取られていたんだろうな」



 リジュは薪を焚火に継ぎ足しながら言った。



「でもリジュくんに会うことができてよかった! でなきゃわたしたち、のたれ死ぬところだったよ……」



「本当ですわぁ。わたくしなんか最初、警戒してしまって……申し訳ありませんでした……」



 ふたりは焚火を挟んで前方に座るリジュに頭を下げる。



「まぁ……ちょっと準備不足だったな。カコに関しては事情が事情だし仕方ない。


それにこの森の奥地まで行くやつは感謝祭のときでもそうはいないから、


町で道を聞いてもわからなかっただろうし――ふたりが迷うのも無理ないよ」



 ミライは “感謝祭” という言葉にハッとして尋ねた。



「感謝祭って…… “風の精霊に感謝するお祭り” ?」



「ああ、そうだよ。四年に一度あるこの島独自の祭祀さいしだ」



「リジュくんは参加したことある?」



「オレはこの島で生まれたけどほとんど王都に住んでいたから……


3歳の時以来ないな、そういえば。昨年もあったけどタイミングが悪かったし」



 ミライはその言葉を聞いて、リジュの顔を食い入るように見つめる。


カコもその様子に気がついて隣に座っているミライの袖を引っ張り、ちいさな声で耳打ちした。



「ミライちゃん……お母さまの幼馴染のお子さまは男の子って言っていましたよね? もしかして……」



「うん……でもそんな偶然があるかな……?」



 コソコソと話すふたりをリジュは見守りつつ、木っ端をナイフで削っていた。







◇ ◇ ◇







 月光が森をやわらかく照らし出し、夜も更けた頃。


ミライは木の葉のテントに入ってカコと一緒に眠っていたが、目が覚めてしまった。


横で眠っているカコは規則正しい寝息をたてている。


起こさないように、そっと立ちあがってテントを出た。



「あれ?」



 少し離れたところにある先ほど夕食をとった焚火は燃え尽き、炭になっていた。


今はちいさなランプがポツリと灯っている。



 そのそばではリジュが木にもたれて座り、清夜せいやに広がる星空を眺めていた。


リジュはミライの声に気がついて、こちらを向く。



「ミライ? どうかしたか」



「あ……その、なんだか目が覚めちゃって」



 ミライは恥ずかしそうに言う。リジュはしばらくその姿を見ていると、


かたわらに置いてあった銀のコップをちょっと持ちあげてみせた。



「……ホットミルクだけど、飲む?」



 その言葉にミライは黄土色の目をかがやかせて「飲む!」と言い、リジュの隣に座る。


リジュは銅製の小鍋にミルクを注ぎ、チリチリと音をたてる熾火おきびの上で温めた。



 甘い、温かな湯気が立つ。ミライはじっとその様子を見ている。



「リジュくんって、なんか野営のプロだよね。すごく手慣れてて……」



「プロかどうかは知らないけど……よくひとりでやってるからな」



 そう言いながらリジュは、あつあつのホットミルクを木のコップに注ぎミライに手渡す。


ひと口飲むとやさしい味が口いっぱいに広がり、体にしみるようだった。



「おいしい……!」



 リジュも銀のコップに残っているミルクを飲む。ミライのしあわせそうな顔を横目に、クスッと笑った。



「そういえばもう遅いけど、リジュくんは寝ないの?」



「ひとりなら寝るけど、いつどこに黒い影が現れるかわからないからな」



「そっか……なんだか、ごめんね」



 ミライはコップを両手で包んで、うつむいた。



「ミライが謝ることないだろ。オレが協力するって言ったんだから」



「あ、はは……それもそっか! ありがとう」



 リジュはまたミルクをひと口飲むと、ちいさなランプの灯りに目を向ける。


ミライはゆっくりとミルクを飲んでひとつ息をはくと、夜空を仰いだ。



「でも、よくミライは信じることができたな」



「え?」



「カコを。すごいことだろ、シー王国を救うためだなんて」



「そうだね……でもカコちゃんを見ていたら胸がキューって苦しくなって、なにかがこみあげてきて。


とにかく助けてあげなきゃ、わたしが! って思ったんだ」



「素直なんだな、ミライは。カコは運がいいな――オレだったら見送ってたかも」



「えぇ! まさかっ!! 助けてくれるよ、きっと!」



「……ずいぶん買ってくれるな、オレを」



「だって、こうしてわたしたちを助けてくれたでしょう?」



 ミライはリジュに首をかしげて、屈託のない笑みを向ける。


リジュは「そんなもんか……」とつぶやき、コップの残りのミルクを飲み干した。



 するとリジュは、視界に入ったミライのちいさな手に見入った。


両手にはテーピングがされていて少し剥がれている。


その可愛らしい手に不釣り合いなほど手には豆ができ、ところどころ赤くなっていた。



「鍛えているんだな」



「うん、村でも鍛錬していたけれど……外に出たら黒い影も手強くて。


カコちゃんに怪我させられないし本当はもっと強くなりたいのだけど、


手が追いつかないんだ」



 ミライは照れくさそうに頭をかくと、またミルクを飲む。


ミライはリジュを見ると、思い出したように尋ねた。



「そういえば昼間……閃術は “専門的に訓練した王国の限られた人” が使えるって言っていたけど、


たとえばどんな人なの?」



 リジュは「そうだなぁ」と考え込み、目をつむった。



「たとえば……職業上、黒い影と遭遇しやすいギルドとか旅人とかそれに関係する人間だけど……


一番代表的なのは黒い影を撃退することを発端につくられた組織、黒の騎士団だな」



「黒の騎士団!?」



 ミライは身を乗り出してリジュに言うと、リジュは目を丸くしてのけぞる。



「……そ、それがどうしたんだ?」



「じゃあもしかしたら、わたしの剣で閃術が使えるかも! この剣、お父さんのおさがりだから」



「お父さんの? それってどういう──」



 ミライはいつの間にか自分の剣を抜いて、リジュに向かってかかげていた。


リジュはその紅色の石がはめられた両刃の剣を凝視すると息を呑み、言葉を失う。


その静かな様子にミライは剣の向こうから顔を覗かせた。



「どうかした?」



「……この、剣……」



 リジュはつぶやくと黙り込んで、今度はミライの顔を真っ直ぐに見据える。


真剣なその銀色の目は、なにかを確かめているかのようだった。


夜の深く長い沈黙の中──リジュにいすくめられていたミライは頬を赤らめる。


耐えかねたように目をそらし、小首をかしげた。



「リジュくん……?」



 ミライが呼ぶと、リジュもハッとして急いで目をそらした。



「あっ! ごめん……うん、できるかもしれないな。この剣なら」



 リジュの返事にミライは飛びあがった。



「本当!? わたし、使えるようになりたい!」



 その勢いで今にも自分を引きずっていこうとするミライに、リジュは「でも今はだめだ」とそれを制した。



「え? なんで」



「 “光を使った技” だって話しただろ? 


オレはこの闇の中でも少ない光をひろってできるけれど、鍛えていないとむずかしいんだ」



 ミライはあきらかに不満そうな表情をしていたが、リジュは即座に続ける。



「明日の早朝。それまで眠れなくても、体を休めておいた方がいいぞ」

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