第3話(後編)
「あの……失礼ながら、ベルツ少尉にそのようなお相手がいたとは存じません」
「当然だな。先日わたしが決めた相手だ。先方も承知している。あとはベルツ少尉を第九宇宙団に戻して、本人の手続きを済ませるだけだ。これ以上煩わせないでもらいたい。行くぞ、ベルツ少尉」
「っ……」
ベルツ大佐に手首を引っ張られ、エーファは息を呑んだ。抵抗することが怖いようで、怯えと諦めがない交ぜになった複雑な表情を浮かべている。けれど、どんなに恐怖を覚えようともベルツ大佐に従うという意思はないようで、引っ張るベルツ大佐の力を中和しようと、ぐっと両足に力を入れて動こうとしなかった。
「お待ちください、大佐」
標準事務室の入り口に背を向け、ベルツ大佐の進路をふさぐ形でフレイザーは仁王立ちした。
「ベルツ少尉の異動に関して、正式な辞令は出ておりますか」
「必要なかろう。そもそも、第九宇宙団から第八宇宙団への異動がおかしいのだ」
「出ていないのですね。我々も上官から聞いてはおりませんし、何よりベルツ少尉本人も通告されていないようです。そしてお言葉ですが、先日の彼女の異動はおかしくありません。正式な手続きを経た、通常と同じ人事異動です」
「手続きの話ではない。曲がりなりにもベルツ家の人間を、第八宇宙団に置くこと自体が愚蒙な決定だったのだ」
「ここは守護星軍という組織です。その組織に所属していながら、組織が正式に定めた手順を踏まずに人を動かす方が浅慮です」
圧倒的な威圧感を放つベルツ大佐に、フレイザーは感情を抑えた声音でめげずに意見する。その度胸の据わり具合に、第八宇宙団の面々は胸中で拍手を送った。そしてそれはエーファも同じで、自分がこれまで一度たりとも逆らったり反論したりすることのできなかった絶対的な存在にフレイザーが堂々と相対していることに、胸が熱くなる。それでいて、ほっと安心するような気持ちにもなった。
「それにお言葉ですが、婚姻とは本人同士の合意があって行われるものです。たとえ肉親であれ、誰かに強制されて行われるものではありません。ベルツ少尉」
フレイザーはベルツ大佐から視線を外し、いつもの二割ほど小さく見えるエーファを見つめた。
「ベルツ大佐の言うお前の婚姻は、お前が望むものなのか」
エーファからの返事はない。父親に手首を掴まれたまま、肉食獣への恐怖で全身の動きを停止してしまった小型の草食動物のように固まっている。
「第九宇宙団に戻ることを、お前は望むのか」
フレイザーは言葉を変える。
すると、エーファは声を出せないままだったが、どうにか首を横に振って意思表示をした。
「第九宇宙団に戻ることは望まない。つまり、ご尊父の決めた相手との婚姻も望まないな?」
「はい」
エーファは、とても小さいながらもようやく声で返事もし、再度首を横に振った。
エーファのその意思が確認できたフレイザーは、ベルツ大佐に視線を戻す。その眼光は先ほどよりも鋭く、ベルツ大佐を睨んでいると言ってもよかった。
「ベルツ大佐、どうぞ第九宇宙団へお戻りください。ベルツ少尉は第八宇宙団から異動させませんし、勝手に決められた婚姻も行いません」
「詭弁だな。ベルツ少尉は生まれながらにわたしの部下だ。上官の命令に従うのが軍人だろう。婚姻も然りだ。ベルツ少尉の意思など関係がない。これは上官命令だ」
「軍人として上官として、と組織の立場を表に出すわりには、組織としての秩序を守るおつもりはないようですね。とんだダブルスタンダードだと思いませんか」
「貴様、ただの大尉のくせにわたしを愚弄する気か」
「ええ、そうです。下官にとって反面教師にしか見えない大佐など、愚か以外の何ものでもないでしょう。これ以上こうして大勢の前で矛盾点を指摘されて悪例の見本にされたくなければ、どうぞお引き取りを」
「貴様……っ!」
フレイザーに煽られて、ベルツ大佐はエーファの手首を離す。そして、その手を振り上げてフレイザーに殴りかかろうとした。
「ベルツ大佐、そこまでです。またひとつ、ゴシップの材料を作るおつもりですか」
しかし新たな声によって、ベルツ大佐の挙は空中で止まった。
「筋を通さず実力行使ばかり続けていたからこそ政敵を有利にさせたのだと、貴殿もわかっておられるでしょう。もう少し自制心というものをお持ちになった方がよろしいのでは」
「ケビン・コスティッチ……!」
標準実務室内に入ってきた男――この第八宇宙団飛行隊の隊長であるケビン・コスティッチ三等星准将の姿を見るやいなや、ベルツ大佐のこめかみには青筋が際立った。
「ベリンガム大尉の言うとおりです。どうぞお引き取りを。人事異動の打診は、正式ラインでならお聞きします。貴殿の意に沿う形になるかどうかは確約いたしませんが」
ケビンの物言いに、ベルツ大佐は悔しそうに歯ぎしりをする。反駁するための言葉をいくつか探していたようだが、これ以上ここで何を言っても有利にはならないと判断すると、ベルツ大佐は部下二名に目配せをしてから大股で事務室を出ていった。
「ランドルフ中尉、お三方が迷わずこの基地を出られるよう、見送って差し上げなさい」
「了解です」
「ベリンガム大尉、スペンス大尉、ベルツ少尉はわたしと共に隊長室へ行きましょう。そのほかの者は通常業務に戻りなさい」
ケビンの落ち着いた、しかし有無を言わせぬ圧力を伴った声に、隊員たちは散り散りになっていく。そして、指名された三名とケビンは、一言も発さぬまま隊長室に向かった。
◆◇◆◇◆
「スペンス大尉、録音データは情報収集班に提出するように」
「げっ……よくわかりましたね、隊長」
隊長室に入って応接用ソファに腰を下ろすなり、ケビンは意地悪い笑顔でリースに命じた。リースは、制服の胸ポケットの中で録音モードをオンにしておいた小型タブレットを取り出す。標準事務室に近付いた瞬間から今の今まで、周囲の会話を録音していたのだ。
「何か事が起きた際に、君が証拠を残さないはずがないですからね」
「ベルツ大佐の横暴を示す録音データとして、あとで出しておきますよ」
「それで、ベルツ少尉」
ケビンに呼ばれて、エーファはおそるおそるケビンを見つめた。
「君の第九宇宙団への異動は、まったく予定のないものだ。君の父君が勝手に希望して騒いでいるだけのことで、組織同士の話ですらない。だからそう不安になることはない」
「はい……」
ベルツ大佐はもう近くにいないというのに、エーファはまだ縮こまったままだった。それだけあの父親の存在は彼女を威圧し、委縮させ、強大な支配力を持っていたのだろう。
「コスティッチ隊長は、ベルツ大佐とお知り合いなんですか」
ソファに腰掛けたまま、フレイザーは尋ねた。先ほどの二人の様子を見るに、昨日今日知り合った間柄のようには見えなかった。
「ベルツ大佐とは同学年だ。白服のベルツ大佐、そして黒服のわたし。それ以上細かくは、言わずともわかるだろう?」
「犬猿の仲……ライバルという感じですかね」
「直接的に競り合ったことはないはずなんだがね。どうも先に昇格したわたしが、ベルツ大佐は憎くて仕方がないようだ」
「同学年の黒服に二階級も先を越されたら、そりゃ悔しいでしょうね」
余裕の笑みを浮かべるケビンに、リースは苦笑した。
ベルツ大佐は二等星大佐だ。その次の階級は一等星大佐、そしてその次が、現在のケビンの階級である三等星准将だ。なるほど、以前からライバル視していた男に二階級も負けているというのは、ベルツ大佐にとって耐え難い屈辱なのだろう。
「そんなベルツ大佐の狙いだが、簡単なことだ。ファン・ジンクンという政治家の息子に、自分の娘を嫁がせたいだけだ。ファン・ジンクンと姻戚関係になることで彼の協力を得て、二人の共通の政敵に打ち克とうというわけだ」
ケビンの簡単な説明を聞いて、リースはぷっと噴き出した。
「隊長、それ、まじっすか」
「ああ、第九宇宙団内ではすでに周知の戦術のようでね、簡単に調べられたよ」
「噂話にもあった、敵の敵は味方……の味方が、そのファン・ジンクンか」
「エーファちゃんの名前が噂話に出てたのは、その息子に嫁がせたかったからなわけね」
フレイザーとリースは、そろって納得顔になった。先日リースがフレイザーに共有したベルツ大佐の噂話では、仔細が何もわからなかった。だが蓋を開けてみれば、なんとも単純な戦略だった。
「見てのとおり、ベルツ大佐は力ずくで押し通す性格だからね、こそこそと隠れて行動する方が少ないんだ。だから狙いがわかりやすくて、落ち度を指摘されやすい。組織人として欠けている点が明らかだから、彼の昇級に対して慎重な意見も多い。それがわたしと彼の出世スピードの差の原因だね」
「なるほど、そういうことでしたか」
ベルツ大佐と真っ向から言い合いをしたフレイザーは、彼の威圧的な瞳を思い出してため息をついた。
正直、ベルツ大佐の迫力はなかなかのものだった。第八宇宙団はこのケビン隊長のように、どちらかというと軍人にしては温和なタイプの人間が多い。そのため、わりと短気で大声も出すフレイザーが、ここでは恐れられる側であった。そのフレイザーをもってしても、ベルツ大佐に対しては身がすくむ思いがあった。
だが、以前リースが集めた噂話とケビンがいま語ったことを総合すれば、彼の思惑はなんとも単純でわかりやすい。軍人らしいあの見た目と迫力に気圧されることなく冷静にその思惑を読み取ればいくらでも矛盾点を指摘でき、そこまで恐れるべき人物ではないと思われた。
「ベルツ少尉、重ねて言おう。君が不安になることは何もない。わたしは隊員たちの生い立ちや私的な部分に関してあれこれ言うことはあまりしたくないが、君の人生は君のものだ。この第八宇宙団に来るまでずっと、お父君にコントロールされていたものだとしてもね。このままお父君の望んだとおりの軍人人生を歩むもよし、ほかに職を見つけて生きるもよし。君は自由なんだ。父君の意に沿うべき、なんて義務は、君にはないんだよ。たとえ血のつながった親子であってもね」
この隊長室に来てただ一言頷いたきり、ずっと視線を下に向けて俯いていたエーファに、ケビンはやさしく言葉をかけた。
「君の第九宇宙団での謹慎処分も、君に落ち度がないことがもう少しで証明される。そしたらうちでも、堂々と君を飛ばそうと思っている」
「え?」
「パイロット復帰だ。君の機体の整備員たちも、そろそろ愛機の飛ぶ姿が見たいらしい。それに、近々ベリンガム大尉が飛行隊を離れるからね。その補充という意味でも、君には飛んでもらいたい」
「離れる……えっ!?」
最初の驚きよりも一段階大きな声で、エーファは驚いた。そして、フレイザーの方へ視線を向ける。すると、わずかに気まずそうな彼と一瞬だけ視線がからみ、しかしそれはすぐにそらされた。
「ベリンガム大尉は、教育隊に出向いてもらう予定だ。次のステップのためにね」
「次の……」
「そのあたりは本人から直接聞くといい。ベリンガム大尉、ベルツ少尉は君の補佐官だ。上官の君からしっかりと話をして、彼女の今後の進退に不安が出ないようにしたまえ」
「了解」
フレイザーは短く頷いた。
「さて、予期せぬ来訪者に関する情報共有はこんなところだ。ベルツ大佐が再びここへ乗り込んでくることはないと思われるが、一応警戒しておこう。スペンス大尉も、引き続き情報収集に励んでくれたまえ。ただし、情報収集班への共有は忘れずに」
「了解っす」
リースは軽い口調で頷く。
そして三人は、隊長室を退出した。